きっと熱に浮かされている
規則正しい寝息を立て始めただるまは寝たらしい。いつのまにか張り詰めていた力をふぅと一息吐いて抜く。おでこに張り付いた冷えピタが温くなっていないことを確認しつつ、それにしても、と思う。
配信者は体調を崩しがちだということを踏まえても、だ。
今回のだるまの体調の崩し方はかなり危険だ。動けもしないほど弱りきるなんて普通じゃない。もし俺にLINEをすることさえ困難で、だるまの様子を見に来てくれる人が誰もいなかったらと思うと背筋が凍る。あのまま脱水症状かなんかで死んでいたっておかしくなかったんじゃないか?そんでこいつの反応を見るに、こんな風に体調を崩すのが初めてでない可能性もある。
「…お前大丈夫か…」
深く吐いたため息の中で、俺はある決心をした。
まず、この部屋の大量のペットボトルとエナドリの空き缶を片付けた。これだけでゴミ袋がひとつ埋まった。やば。次にキッチン。あまりにも偏りのある食べものの残骸たちをせっせと纏めて片していく。こいつカップラーメンで何日生き残れるかチャレンジでもしてんのか?死ぬぞ。どうやらだるまはこの二部屋以外を移動していないようで、他の部屋(と言ってもリビングと寝室くらいだが)は整然としていた。こいつは配信部屋で寝てるのか。
「はぁ、しんど…」
気付けば2時間ほど経過していた。部屋は割かし片付いて、ほこりっぽさもマシになった。そんでもって最後に、こいつのためにやっとくことがある。掃除の時に開けた冷蔵庫は当たり前のように空っぽだったから、出掛けなくてはいけないだろう。あーでもだるまいつ起きるか分からんし…家主寝てるのにドア開けっぱで出ていくのも気が引ける。
「起きるまで待つか」
そう呟いて、俺はだるまのゲーミングチェアに腰掛けた。
ぱち、目が覚める。少しスッキリとした頭はくるくるとよく回って、ありさかが俺の椅子で爆睡している理由を0.3秒ほどで叩き出した。まだおってくれたんや。顔を見合わせるのは初めてだと言うのに、病人を置いて行けないところがなんとも彼らしい。彼もまたよく眠っているようだが、首の角度がえげつない。あれ痛めるぞ。
「ありさか」
出た声は朝より幾分かクリアで、スムーズだった。
「…ん゙」
「ありさかそんなとこで寝とらんと、」
「ぁ…はよ」
「んひ、おはよ。おってくれたん?悪いなぁ」
「んー…心配だし」
じんじんと痛む頭は寝る前と比べ物にならないほど軽い。やっぱ食べて薬飲んで寝るって大事なんやな。
「だるま、俺買い物行ってきていい?」
「か、かいもの?別にええけど…、」
「そっか、分かった。行ってくるね~」
ありさかが手を振りながら部屋を出ていき、続いてガチャン、バタンとドアが閉まる音。何買いに行ったんやろ。…ん?
「ん゙!?!?」
首が外れるのではないかという速度で回る。俺の部屋にあった大量の、空き缶は?ペットボトルは!?見れば部屋の端にひとつのゴミ袋と、恐らくこの部屋の隅に埋もれていたであろうモップが立て掛けられていた。
も、もしかして、掃除してくれた…?
「うわマジか…」
なんかお礼考えとかなアカンなぁ…
そんなことを考えながら、俺はありさかの帰ってくるまでの時間を落ち着かない気持ちで過ごした
しばらくして。
「お邪魔しまーす」
「おか。何買ってきたん」
「お前が食うもの」
「?」
なんの事か分からずにいると、ありさかが近くのスーパーの袋を広げて中身を見せてきた。
「え?これ、」
「色々作り置きしとくから、ちゃんと食べるんだよ」
中に入っていたのは実家で母親が買ってきていたようなものばかりで、そのどれもがUberかカップ麺かおにぎりしか食べなくなったいまの俺には縁遠いものだった。
「あ、ありさか、お前そんな料理できんの…?」
「ううん無理。でもクックパッドとか見れば作れないことないと思うんだよね」
あんぐり開いた口が塞がらない。料理が得意だから作り置きしてあげる、とかなら分かる。でも、部屋の片付けまでしてくれて、得意じゃない料理までしてくれんの??
「なんで…」
どうして、俺にそこまでの労力をかけてくれる?俺はありさかという男をよく知っているつもりであったが、この頭のてっぺんからつま先までぎゅうぎゅうに詰まった彼の優しさが、何故俺に傾くのか分からなかった。それを知りたかった。
「…だってお前、俺がなんかしてやらないと、死んじゃいそう」
ありさかの言葉に、含みなんてなかった。それでも熱に浮かされたこの時の俺には、その図体のでかい男が、健気にがんばる彼女のように見えて仕方なかった。眉を下げてへにゃりと笑うその顔に、そうまさに、柄にもなく派手に”ときめいて”しまったのだ。
今になって思う。俺はこの時、この瞬間、まるで迸る電撃のように恋に落ちたのだ。それはあまりにも一瞬のことで、跳ね回る心臓を勘違いと思い込むには無理がありすぎた。
「なんか健康そうなもんつくるから、作ったら食べるんだよ」
「…ん」
「熱あるみたいだしまた寝とくんだよ〜」
こちらの気も知らないでひらひらと手を振ってありさかは部屋から出ていった。くらくらするのは風邪のせいじゃなくて、いや俺が風邪でおかしくなっているのか?嗚呼うるさい、こんなに心臓が脈打つのは競技シーン以来か。思い出す、脳裏に浮かぶ、あいつの匂い、表情、テノールの響きと笑い声。そのどれをとっても、俺の感情がめいっぱい好きだと叫んでいる。24にもなってまさかこんな淡いときめきに溺れることになるとは夢にも思わなかった。
「…あっつ」
また、熱が上がったようだ。