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運命は路地裏にて

その日の午後はゲーム配信が生業だと言うありさかとゲームをして遊んだ。懐かしいな、高校の頃はゲームばっかやってたっけ。格闘ゲーはかなり自信がある分野だ。しかしありさかも中々上手い。勝負は互角、あるいは俺が少し上程度か。ふたりでぎゃんぎゃん騒ぎながら本気で遊んだ。
しばらく夢中になっていたが、ふと、隣のありさかが気になった。ちょっと真剣な顔で画面を睨んでて、あ、そんな顔もできるんや。俺と話す時は優しい顔か、不安そうな顔しかしてなかったから、なんだか新鮮でドキドキする。何度も俺を撫でたおっきな手がコントローラーを包むように握ってて、ありさかの優しい手の感触を思い出して、ああコントローラーになりた

「あっ」

「っしゃおらー!」

画面いっぱいに「GAME SET」の文字。しまった。

「あー、ええ…ありさか今の上手いなぁ…」

「さっきまでだるまが強すぎたんよ」

うん、この試合はありさかのキャラコンが上手かった。別に俺が余所見してたとかでは、ない。

「あーおもろかった。だるまどうする?もう寝る?」

時計を見るともう23時過ぎだった。いつの間に。時間を忘れて友達とゲームをしていた学生の頃の感覚がそっくりそのまま手元にあった。液晶画面をこんなに眺めていたのも久しぶりで、なんだか疲れたかもしれない。

「じゃあ休もう、かな」

「おっけー、布団出すわ。あ、ベットとどっちがいい?」

ベッド。あまりいい思い出がある場所では無い。

「布団がええな」

「おっけ、敷いてくるわ」

「あ、手伝う」

「いやいいよいいよ、あ、じゃあ風呂洗ってきてくんない?そのまま入ってもらってええからさ」

「あーおっけ」

別の任務を与えられたので大人しくそっちに従うことにした。風呂場風呂場…風呂どこだ?俺はリビングを出てから風呂の場所が分からないことに気がついて、玄関に通ずる廊下のど真ん中で立ち止まった。適当に探してもいいが、見られたくない部屋とかものとかあるかもしれんし聞くか。

「なーありさ」

刹那、俺の脳内を恐ろしい想像が駆け巡った。玄関をバアンッと叩かれて、あの人が俺の名前を怒号とともに叫び散らかす。風呂を掃除しているところを、背後からあの人に羽交い締めにされる。あの人が、俺を見ている。有り得ない、有り得ない妄想だ。頭じゃわかってる、けど、鼓動が早まった、息が吸えなくなった、動けなくなった話せなくなった怖い怖い怖い、どうしよう、どうしようどうしようどうし

「ねえごめん風呂の場所分かんないよね、?…だるま?」

「…あ、……っカハ、さ…」

なんとか振り返ってありさかを見た途端、俺は膝から崩れ落ちてしまった。ありさかが俺を呼ぶ声が遠い。撫でてくれる感触が薄い。ああどうしよう、こんなにも脆弱になっていたなんて。心に住み着いたあの人が、もう俺をまともに生活させてくれない。日常にあの人の影が落ちている。それに怯えて暮らすなんて、まっぴら御免、なのに。
徐々に、さすられた背中に感覚が戻っていく。ありさかの匂いと、体温が温かい。また泣いてしまいそうになるのを何とかこらえた。
ありさかに救ってほしいなんて、過ぎた願いだ。





「だるま、だるま?」

びくびく震えるだるまはまるでひきつけかなにかを起こしたようで、どうすれば良いのかまるで分からない。subのなにか、ではない。もっと人間的な、心の根っこの部分が怯えている。生憎そのような人間を理解する心理学も、適切な処置を行うための医学も心得ていない。俺にあるのは飽くほど繰り返したsubとのプレイの知識だけ。抱きしめて体を摩って名前を呼ぶことしかできなかった。あまりにひどいなら、俺がどうにかできる範疇ではない。救急車を呼ぶことも検討しなければ。

「だるま、だるま」

「……あ、さか…」

諦めずに呼びかけていると微かに返答があった。

「大丈夫だよ、怖くないよ、」

「…ん、………こわくない…」

幼い子供が自分に言い聞かせるみたいにして、だるまはその言葉を繰り返した。一旦、大丈夫そうだ。

「なんか俺にできることある?」

尋ねると、真っ赤になった目から涙がこぼれないように耐えているだるまがこちらを向いた。

「…言えやん、」

眉尻を下げて、困ったみたいに言う。subは主張するのが苦手だ。特にdomに対しては。でもこんな状況になって助けも乞えないなんて普通じゃない。恐らく、そう調教されていた。その推測に辿り着くと、またしてもだるまのdomに対して言いようのない殺意が湧いた。が、ここで俺がキレてもどうしようもないし、怒りのままグレアが出てしまったらそれこそだるまを怖がらせる。静かにその火が収まるのを待つしか無かった。

「…なんでもいいんだよ、ゆってみて。」

「いや、むりや。迷惑、かけてばっかで」

「俺は、俺はだるまが好きだから、できることしてあげたい。なんでもいって?」

そう諭すとだるまは今度こそ泣いてしまった。俺は1日と半分でこの人を何回泣かせてるんだ?dom以前に男失格ではないだろうか。

「う、ぅ…」

「…」

して欲しいことはあるらしい。しかし言えないという。やはり元いた場所がいいとか…?いやいやあの暴行痕、それはないだろう。ない、よな?それでも、俺のようなデカい男と一緒にいるのはやはり不安だろうか。被レイプ経験のあるsubはdomを一律で怖がるようになるし、その後domと関係を持つことは限りなく少ない。だるまにとって、前のdomも俺も、同じ警戒すべき対象にしかならないかもしれない。
縋り付いてくる両手が愛おしくてたまらないが、ここへのだるまの滞在を強制することは不可能だ。出て行きたければ出て行って良いという旨を、明日の早くにでももう一度面と向かって伝えなければいけない。でも今日は、もう夜も遅いし、外は冷えるから。

「だる、先布団行ってていいよ。もう敷いてあるから、今日は早くやすん」

言い切る前に、だるまの身体が一際大きくびくんと跳ね上がった。

「あっ、ちが…やだ、やだやだっ」

「え、」

俺を見上げただるまの目は怖いくらい見開かれて、恐怖でがたがた震えていた。俺の服を手が白むほど握り締めて、半狂乱、とでもいうような。

「ごめっ、ごめんなさい、できるから、言われたことできるからお願い、あ、やだ、やだやだやだっ、」

「…! …大丈夫、大丈夫だよだる…何も怖くないよ」

また、だるまの体が筋肉を引き攣らせる。不自然に跳ねる体は極限の恐怖に耐えかねているようにも見えた。衝撃に耐えるように、だるまはぎゅっと目を瞑って、歪に力のこもった手で自身の頭を覆った。それが何を意味しているのかは、考えるまでもなかった。
なんて痛々しいのだろう。俺は抱き締めて、力の入った手足を撫でてやることしかできなかった。

「ごめんなさ、ごめんなさい…嫌や、いや、やだやだ…あ、…は、は、……ッあ、」

言うことを聞きたいというsubの特性を、最悪の形で極めるとだるまのようになる。言うことが聞けないと殴られるという古典的な条件付けが体に染み付いてしまっている。殴られるという刺激への恐怖は、反応として行動に表出してなおだるまの心では抱えきれていない。『言うことを聞けなかった自分が悪い』という自罰的な考え方が、自己防衛として備わってしまっているようだ。

ずっとずっと「大丈夫、大丈夫」と繰り返しながら撫でていると、だるまの引きつけが収まってきた。疲れたのか落ち着いたのかは分からないが。

「だるま、?」

呼びかけて顔を覗き込むと、ぼうっとしているようだった。

「だるま」

「…ん、」

一応、反応はある。俺は手元に携帯を引き寄せ、いつでも救急車を呼べる体勢を作って、暫く様子を見た。早急に、言われた通りにできないと殴られるという思考から脱却させる必要がある。
恐らく殴られる恐怖に耐えかねて放心してしまっただるまに、「大丈夫だよ」と言いながら褒め続ける。あとは「可愛いね」とか、「いい子だね」とかなんでもいい。言うこと聞けなくても大丈夫だってことを、覚えさせる必要がある。
だるまと、もう一度、プレイをする必要がある。
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