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運命は路地裏にて

危な。普通に「じゃあいただきます」って言いたくなっちゃった。ぼんやりした顔で俺を誘った彼はもう既に意識が朦朧としているのかもしれない。

「だるま?」

「…」

歳はひとつしか違わないと言っていた割に随分と小柄な彼は恍惚とした表情で時折身体を痙攣させている。ケアが相当ハマったのだろうか。

「でも、」

「?」

「でもおれこれしかない」

うわ言のようだった。呂律の怪しい口で、燦然としたきんいろにはうっすら膜が張っていた。

「これしかしらない」

この世界の綺麗に輝くものを掻き集めてその中に散りばめたような瞳が俺を見ていた。

「すきにつかって」

「…だるま、自分のことそんな風に言うのは…」

「だいじょうぶだから、」

そういうや否や彼は俺の膝に乗り上げてきた。一体何が大丈夫なんだろう。その疑問ばかりが先行して、とても欲情なんてできなかった。息をするように俺を許すだるまは多分俺の事なんて求めてなくて、罪悪感や奉仕心から言ってるだけだ。そんな気持ちでシてもらいたいことなんてない。離れるように肩を押すと泣きそうな声で「やっぱだめ?」と囁いたから驚いた。

「おれ、ありさかにお返ししたかったんやけど…」

「だからって好きでもないやつとすることないだろ…」

「だから、これしか知らないんやって」

俺の手をなんとか退かそうとだるまの手に力が入る。大人しく退かされる訳はないので抵抗していると、弱々しい声を上げた。

「お、俺の顔好きなら、喜んで貰えるかなって…おれ、なんか違った、?」

「そういうのじゃなくて、俺はやりたくもないことをさせたくない」

「やりたくなくないよ!お返ししたいの、」

ダメだ、価値観というか、倫理観が俺と違いすぎる。どう諭せば良いものかと悩んでいると、眉を下げただるまは今にも泣き出しそう。

「俺は名器なんだって、せっくすするための存在だって。だからきっと、ありさかもきもちいよ?」

「…」

…十中八九前のdomに言われたんだろう。subのことをまるで人間だと思っていない言動だ。腹が立つ。彼は一体どんな処遇に耐えてきたのだろうか。まともなプレイすらした事がないのかもしれない。誰かが優しさを注がなければ、きっとこの人は一生その歪んだ価値観で軽率に自分を差し出すんだろう。可愛らしい人が酷い目に遭うのを眺める趣味はなかった。

「…分かった、じゃあ俺とプレイしよ」

「、ぇ」

明らかに怯えた目をしたあと、だるまはコクリと頷いた。そのトラウマを、少しでも拭えればいいと思った。







「始めにセーフワード決めようか」

「なにそれ」

聞き返すとぎょっとした顔をされた。

「決めたことない?セーフワード。」

「ない…」

びっくりしていたが、ありさかは俺にセーフワードを説明してくれた。要するにsubが「嫌だ」と思った時に言えばこちらが一方的にプレイを終わりにできるものらしい。subにそんな権利がある場合すら知らなかった。ソファに座っているありさかを床から見上げると、うーんと考えるような仕草をしていた。

「ある場合っていうか大体あると思うよ」

「へぇ…」

自分の無知が露見して恥ずかしいような気もしたが、知らなかったので仕方がない。

「何がいい?すぐ言えるようなやつがいいな」

「…じゃあなしで」

「梨?いいね、俺も好き」

どこか慣れた様子のありさかは着々とプレイの段取りを決めていった。エグいのは絶対やらないから安心してほしいと言われたけどどこからなにまでがエグい範囲のプレイなのかが分からないので黙っていた。ただ憂鬱だった。記憶の中のプレイではしょっちゅう殴られたし、マシな時間はガン突きされてトんでる時くらいだったから。ありさかはセーフワードなんてものも決めてくれたし酷いことはしないと言ってくれたけど、どうなるかは分からない。俺はあの人のプレイしか知らないから。

「…よし、こんなもんかな。始めよっか。セーフワードは?」

「梨」

「いいね。じゃあだるま、こっちおいで」

こっち?そばに寄ればいいのか?おいでってどこまで?間違えて痛い目にあいたくはないので慎重に考えて、結果少し開かれたありさかの足の間くらいに収まった。「寄れ」の次は「しゃぶれ」が多かったし、悪くないはず。
その時わっとありさかの手が伸びてきた。あ、間違えたと思って首をすくめた、が。

「うーんいい子だね〜〜〜よしよしよし〜
 よく出来たねーかわいいね〜すごいねエラいねぇ」

「…?、??ん??」

合ってたらしい。犬みたいに頭をぐちゃぐちゃに撫で回されている。その間も止まることない怒涛の褒めに頭がクラクラしてきた。気持ちよくてよく分からない。これはさっきのと、昨日のと同じ…いやそれ以上に、やばい。脳みその奥が多幸感に侵されていく、俺を褒める声が嬉しい、たまらない、もっと欲しい。ずつまとよしよしって、かわいいねって撫でられ続けて、なんか、おれ、犬な気がしてきた。

「…わぁ…わんっ」

「どうしたの?犬になっちゃったの?かわいいね」

「わうっ、わんわんっ」

思い返せばあまりにも滑稽で死にたくなるのだが、この時の俺はなんというかもう、馬鹿になってしまっていた。それこそ犬の方が賢いくらいには、脳がとろけていたのだ。

「よし、じゃあわんちゃんおて」

言われるがまま手を差し出せばすごいすごいと褒められる。これが劇薬で、頭に投与され続ける限り正気に戻れないという代物だった。

「よしよし、コマンド聞けてえらいねぇっよーしよしよし」

くすぐったいほど褒められて、加えて十二分に撫でられたところでありさかの手が離れていった。

「はい、プレイおしまい。あーきもちかった」

「…ッハ、…ぁ、え?おわり?」

「うん、物足りなかった?ごめんな、でもちょっとずつやった方がいいと思うから」

ゆっくり慣れようねなんて微笑まれてしまえばそれ以上求めることはできなかった。

「プレイ、ちょっと疲れるでしょ。ソファかベッドで休憩しててもらっていいよ。俺洗濯干して来ちゃうから」

頭を一撫でしたあと、ありさかは俺を残してソファを立った。

「あ、俺も手伝、ぅっ?」

立ち上がろうとした瞬間、膝の力がかくんと抜けてしまった。座り込んでしまった俺を見てありさかが慌てて駆け寄ってくる。

「だ、だいじょぶ?ごめんやっぱ負担かけすぎちゃったね、ごめん…」

「?? あ、いや多分…俺の体力が雑魚なだけ…」

説明してもごめんごめんと謝り倒してくるありさかが良い奴すぎてしんどくなってきた。ありさかのせいやなくて、むしろありさかは俺に感謝されるべきなのだ。

「ちょ、ありさかほんまに!ありさかのせいじゃないし、めっちゃ気持ちよかったし!ありがとうな!!俺頑張って鍛えるから!!」

「ほ、ほんと…?」

「大マジよ」

「そ、か…なら良かった、けど…ソファで休んでてね、なんかあったらすぐ言ってね。あまって水持ってくるわ」

トタトタとキッチンに駆けていったありさかの背中を見ながら、俺は俺の中の善人測定メーターが振り切れんばかりに動いているのを感じた。何だこの人。甲斐性があるとかそういうレベルじゃねえぞ。
俺の申し出を断ったのも、きっと良心が頑なだったに違いない。
そう結論に至った時、俺は芽生えたことない気持ちを知った。それの正体に気付いて恥ずかしくなったが、だって仕方がないじゃないかと己を正当化した。助けてもらって、優しくされて、好意を伝えられて、人間性も良いときた。…惚れない方が、おかしかった。
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