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一目惚れとは少しちがう恋


「ありさかさぁん、ありさかさあん」

今いるラボよりさらに奥の部屋から俺を呼ぶ声がする。微かに聞こえる鈍い音は、きっとうるかがドアを叩いているせいだろう。話すには遠すぎる距離に、俺は胸元のスイッチを入れた。

「なんかあったら無線使えってゆったろ?」

「んん、それやめて、頭痛くなる…」

蹲ったのか、軽い衣擦れの音がしてうるかが苦しそうな声をあげる。

「え?無線が痛いの?」

「痛い、いたいよ…ありさん来てぇ…」

持っていた資料を机に放って自室兼うるかの待機部屋に急ぐ。無線は切っておいた。

「うるか、大丈夫か?」

「あ…ありさかさ、」

瞳にうっすら涙を浮かべたうるかがこちらを見上げた。うるかの背中に繋がる数本のパイプ、その先の液晶画面には対象の痛覚の反応を意味するオレンジ色が確かに点滅していた。

「ごめんっ、無線が干渉するなんて知らなくて…」

「俺も、びっくりしちゃった」

床にへたりこんだうるかは困ったような表情でにへらと笑った。

「ごめんな、何がいけないんだろう…一旦うるかのは外そうな」

「ん…」

俺が手を伸ばすとうるかは素直に頭を下げて、無線を外しやすいように右側を向いた。おかしいな、脳には何も手を加えていないはずなのに…電子線が振動を拾ってしまっているのだろうか。

「はい、どう?」

「…まだ痛い」

「え?」

「まだ痛いよぉ」

わざとらしく頭を抱え込んだうるかはぎゅっと眉間に皺を寄せて、いかにも痛そうな顔をしてはいるが。

「うるかお前それ、嘘ついてる時の顔なんちゃう?」

「う、嘘じゃないよお、あーあ!ありさんってばひどいんだぁ」

確認した画面には正常値と安定信号の緑色が表示されている。恐らく_こいつの反応的にも_仮病なんだろう。

「なんで嘘つくの?」

「うっ、嘘じゃないもん、ほんと、ほんとだよ…」

罪悪感からか言葉を詰まらせるうるか。しかしここまで問い詰めて白状しないのは珍しい。なにか理由があるのかもしれないと思った俺は、屈んでうるかの目線に合わせた。

「どこが痛いの?」

「…あ、…えっと、」

「頭?お腹?」

戦闘サイボーグと言えどベースは人間なわけで、そういった痛みが無いわけじゃない。センサーが感知できないほど小さな痛みなのかもしれないし、仮病だったとしても、なぜ嘘をついているのか、その理由を探すのは時間の無駄じゃない。

「そういう、具体的なところじゃなくて…」

「?どういうこと?」

「…し、心臓の奥の方が……痛いなぁって…」

「…えっ」

いちばん痛くなってはいけない場所が傷んでいると言ううるかはなぜか照れたように頬を染めている。いやこれは熱があるのか?なんにせよ心臓の痛みなど確実に良いものでは無い。早期の診断が吉だ。焦った俺はうるかの細い体をひょいと抱き上げた。

「うるか、診てもらいにいこう」

「え?」

「心臓が痛いなんて、うるかに何かあったら大変だ、早く2Fの医務室に…」

「えっ、ちょっ違う!ありさかさん違うからあ!!」

「?違うってなに…?」

「いいからっ!…お、…降ろして……///」

顔を隠したうるかは恥ずかしそうに声を震わせている。そうだよな、ひとつ上の男に抱き抱えられたら男としてのプライドも傷ついてしまうだろう。

「あ、ごめん…ただ俺、うるかが心配で…」

「うう、ん、。大丈夫だけど、」

ごにょごにょと言葉を詰まらせて、下から俺を見上げるその目はくりっと丸くて幼らしい。

「…えーと、あ、キスしてくれたら治る!」

「……お前それどこで覚えてきたん」

訓練中に渋ハルあたりにからかわれたか、メンテナンス中になるせにでも吹き込まれたか。俺に向かって言わせると言うのがタチが悪い。せめてもっと冗談が上手いやつ相手に言わせて欲しいものだ。

「きーす!」

「女の職員の人にそゆこと言っちゃダメやからな。うるかとはいえセクハラって言われるぞ」

「じゃあありさんなら問題ないじゃん」

…ほんとこのクソガキはぺらぺらと口がよく回る。
でもこの感じ、誰かに根回しされてるとかでは無さそうだ。休憩中に見た映画かアニメに影響されたんだろう。もしかしたらキスがなんなのかもよく分かっていないのかもしれない。

「きーす!きーす!」

「もお分かったよ……はい、治った?」

機械の手が加わってない柔らかい唇に一瞬だけ軽く口づける。言い出したら聞かないからさっさと済ますのが得策だ。

「…」

「うるか?」

返事はない。え、下手だったかな。触れるだけのキスに下手も上手いもそうない気がするんだけど…
あ、もしかして

「…ごめん臭かった?」

夕食を食べたあと歯磨きはしたが、もうそこから数時間経っている。戯れとは言え配慮が足りなかったかもしれない。

「…な、」

「?」

「…治んない、…から……もっかい」

大きな黒目を潤ませて、赤く染った頬でうるかはそう呟いた。

「…え、」

じわ、と心臓に滲む痛みは、不覚にも俺がこいつにときめいてしまったことを表していた。狼狽える俺の白衣をうるかがぐいと引っ張った。

「逃げないでよ」

「っ逃げて、ないよ…」

「…してくれないの」

なんで、こいつ、もしや最初からキスの意味知ってて、俺に?
そこでハッとした。心臓の奥の方が痛いと言っていた時の、うるかの表情を。今のうるかの瞳はその時と同じ色を灯している。いやでも、そんなまさか。

「…お前、」

「……ごめん、やっぱこんなのずるいよね」

握られていた手がふっと緩んで、力無く降ろされた。その言葉でまさかが確信に変わった。途端形容しがたい甘酸っぱい感情が胸の内で弾ける。

「でもキスしてって言ってほんとにしてくれるありさんもどうかと思う…」

「…それは、ごめんまさか…お前の気持ちも知らないで、悪かった」

ちょっと俯いているうるかは悲しそうで、今までそんな顔を見たことがなかったから、余計に気持ちに収集が着かなくなった。サイボーグと研究者として関わってきたうるかは俺にとって弟みたいなもんで、恋愛対象ではなかった。…今の今までは。そう、俺は真っ直ぐ好意を向けられることに人並外れて弱かった。今まで意識してなかった子に告られて一瞬で好きになってしまったという経験がそれなりにある。だからそんな気のある素振りを見せたうるかにもう既に心が傾き始めているというチョロ具合である。渾名はチョロQで決まりだ。

「…あのね、ありさんおれ、ありさんのことが好き。キスして欲しかったのも、下心、なの。…ごめんね」

少し潤んだ目を伏せて、長いまつ毛が揺れた。
やばい、可愛い。好きかもしれん。

「いや、俺もその…キスしたの嫌だった、とかじゃなくて」

そう匂わせると、途端にうるかの顔が輝く。ああ好きだわこれ笑顔かわいっ。

「えっ、ねえじゃあ、もしかして…」

「…うん、俺もお前のこと好き」

好きになったのは今なんだけど。

「これからは戦闘員と研究者じゃなくて…こいびとになってくれる?」

恥ずかしいセリフを吐きながら可愛い顔を覗き込むと、桃みたいに綺麗に染った頬っぺが笑ってふにゃふにゃになっていた。

「うんっ、うん!嬉しい、大好き!」

あまりにも素直な言葉にこっちのほっぺも持っていかれそうになる。抱きしめた身体は所々が金属などの部品であったが、その冷たさすら今は愛おしかった。
今までのどんな恋愛より、お前を抱きしめているのが当たり前な気がしたんだ。…もしかしたら、お前の方が少し、自分の気持ちに気付くのが早かっただけなのかもしれない

「俺、なにが来てもありさんのこと守ってあげる!」

「ふは、じゃあ俺は守ってくれたお前を診て労わってあげる」

「じゃあ俺ら永久機関だね、何があっても大丈夫じゃん!」

「そうだね、お前強いもんね」

恋の実りに浮かれた、未来を違う空想の話。
…だと思っていたのだが、それからというもの、うるかは俺がGとご対面する度に颯爽と駆けつけてくれるようになった。うるかが言った"なにが来ても"は、たとえ世界が君の敵になっても、なんて歌詞みたいな抽象的なことではなかったらしい。よっぽど現実味があることまで対処してくれるうるかはほんとに頼りになる。有言実行を裏切らないそういうところとか、もっとお前を知りたいと思うよ。
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