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陽関三畳、薄れるということ

しすが亡くなった。死因は生活習慣の乱れと食事制限、喫煙による心筋梗塞。突然死だったそうだ。

棺桶の中にいた彼は眠っているだけに見えた。苦しまずに逝けたのかすら、俺には分からなかった。

半同棲をしていた俺はしすの家の片付けをするべきだと思った。しすは生活のほとんどを2人の家で過ごしていたが、配信機材などの荷物はそちらにあった。加えて外行き用の服などもあったため整理をするのにはそれなりの時間を要した。彼は身だしなみに気を使っていたから簡単な化粧道具やアクセサリー、香水なんかもあった。俺は気になってその化粧棚の1番手前に置いてあった香水を振ってみた。通夜からずっと泣けもしなかった俺は、それで泣いた。
僅かばかり残っていたその香水の匂いはしすで、俺が好きだと言った匂いで、一緒に出かける時はいつもその匂いがして、ベッドの上でもその残り香がしていて、その記憶が、ずっと止まっていた脳みそに溢れ出して死んでしまった。枯れ果てたのかとすら思えた涙は今は止まらなくて、みっともなく声を上げて泣いた。しすがもう記憶の中にしかいないことに気付いてしまった。どうしようもなく現実を見てしまった。しすの匂いにしすではなくしすの幻影を見てしまって、同じところに行ってしまいたいと本気で願った。気が狂うほど泣いて、泣いて、結局その日は何も片付かなかった。

退去や諸々の手続きが済んだのはそこから十日もあとだった。すべき事が無くなってしまった今、腐るほどの空虚な時間だけが残されていた。
じっとしていたくなかった。ぼーっとしているといつの間にか死んでいそうだった。なにかをしていたくてゲームを起動してみた。俺がいちばん好きなゲームを。ショアのこの地下通路はしすにFFされた場所だった。ウッズのここはしすが地雷踏んで死んだとこだ。ライトハウスの2番倉庫の鍵部屋でLEDX出して喜んでたよな。
ライトハウスで棒立ちしたまま、限界を迎えてトイレに行った。うがいをするのも面倒だった。
パールのBロングをよくオペで覗いてたよな、スプリットのA攻めはレイズジャッジだったよな、このレイスのスキンあいつが付けてたよな、ファイトナイトで酒飲んで駄弁ってたよな、ウィンストンのウルトで敵陣突っ込んでたよな、待機のバスケがいやに上手かったよな
どのゲームのどのマップのどのキャラでどこを見渡してもしす、しす、しす、しす、しす、しす、しす。
最後は机に吐いても胃が空っぽでなにも出なかった。
しすとやらなかったゲームの方が少なかった。
他に時間を潰せるものをそう知らない俺は本当に死んだ方がマシだと思えたし、死にたかった。考えすぎてまるでこの世界が全部嘘に思えたりなんかして、そう思えている刹那は気が楽で、その反動の数十秒が最悪で、それ以外は地獄だった。

生きて何かを思うのが苦痛だった。全身を釘打ちにされる方が良かった。精神病院に入れられるまで指折りだと思ったしそうなる前に自死しようと思った。倒錯しながら生き永らえるより次の人生でお前に会える可能性に賭けたかった。そう思うのは大抵寝付く前だった。そこが地獄の中だといちばんで、余裕のあるベッドに寝転がるだけで寒気がした。微睡みの中でお前を見てしまうのが、その夢から覚める時が最悪に該当するから。下手に床などで寝ると眠りが浅くなって最悪になったから、限界まで起きて気絶するように寝たりした。もっとも目覚めたくなかったが。

愛したことを後悔しそうになる日もあった。楽しかった思い出と、今の苦しみを天秤にかけてしまう日もあった。間違ってばかりの俺の人生で、それだけは、お前だけは正しい選択をしたと思っていたのに、それすら覆してしまうほどの悲しみがあった。寝ても醒めても隣に絶望が横たわっているような無力感。

…ねえお前は?お前は後悔してない?俺に愛されたまま死んで、お前が死んでこうも取り乱してる俺を見て、満足してくれてる?ひとりでどう生きていたのかすら思い出せない俺を、そっちでも愛してくれる?

生きている、と言うよりは死なないでいると言った方が正しかった。毎日をなんとか死なずに繰り返しているうちに、ゆっくりと、長い時間をかけて、悲しみや無力感が郷愁のような愛おしさに変わっていった。お前がいないことに打ちのめされて俯いていた目を、あげられるようになったんだよ。今までは苦しむことでしかお前を想えなかったけど、幸せな記憶を慈しむことができるようになった。きっと俺は、お前の死を乗り越えれたんだと思う。…乗り越えてしまったんだとも思う。これを成長だと呼びたくなかった。お前を過去の人にしてしまいたくもなかった。それでもきっと、人間はそういうふうに生きていくしかないんだ。今だってあの日のことをふと思い出して、無性に死にたくなる時もある。そうやってお前のことを引きずって、未練たらたらで生きるから。どうかお前を愛していたその感情が、俺の中から薄れていきませんように。
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