【:ヤマ太】
「やまと、おれのこと食べてもいいんだぞ。」
太一はそう呟きながら、自分を押し倒し、まるで何かに耐えるように唇をかみ締める彼を見つめた。シーツに縫い付けるように掴まれた両の手首は少し痛むけれど、この程度なら痕がつくぐらいでどうってことない。それよりも強く噛み締められた彼の唇の方が太一にとっては心配だった。
今日は皆既日食だ。
月が太陽と地球の間に入り込み、太陽の光を覆う。月が太陽を遮るそれは、地上から見ればまるで太陽が月に食われているようである。
けれどそれはあながち間違いではないと太一は思う。なぜなら今現在、太一は目の前の男に食われようとしているところであるからだ。まるで獣のようにフーフーと息を荒らげ、今にも噛み付こうと牙をむく彼は、傍から見れば恐ろしく見えるのだろう。けれどその行動の全てを知っている太一に恐怖はなかった。
「やまと、どうして我慢するんだ?好きにしていいんだぞ。だって今日は皆既日食なんだから。」
太一は優しく声をかけるけれど、ヤマトは首を横に振るだけだ。けれどその瞳は捕食者の目をしていて、我慢していることなどひと目でわかる。途端、身体の力が抜けていくのがわかる。どうやら皆既日食が始まったらしい。黒いソレが太陽を覆い始める。それと同時に襲いくる脱力感と眠気に太一は身を任せるしかない。
太一が睡眠状態に陥る条件は二つある。一つは太陽が沈んだ直後から太陽が再び顔を出すまでの時間、そして二つ目は日食の時であった。そしてこの日食の時こそ、月の申し子たちが獣と化し、太陽の申し子を襲う時間である。正確に言えば、太陽の持つ力を分け与えてもらい、生きる糧にする時間だ。月は太陽の光がなければ輝けないのと同じように、月の申し子は太陽の申し子から定期的に力を分け与えてもらわなければ生きていけない。いつも太陽が沈んで起こる睡眠状態とは違う、「太陽が月に食われることを目的とした時間」が作られる。
太一もヤマトもそのことはよく知っていた。太一自身、見知らぬ月の申し子に食われるよりは、ヤマトに食われる方が何倍も良いと思っているし、むしろ本望だと思う。ヤマトだって、きっと本能に身を任せて自分を食らってくれると思っていた。けれど目の前の彼はどうだろう。自分の獣のような貪りたい欲望を我慢している。「食われること」が当たり前だと思っている太一には、ヤマトの葛藤がわからなかった。
「やまと、どうしたんだ?もう皆既日食は始まってる。好きに食っていいんだぞ?おれの体だって『食われる準備』はもうできてるみたいだし。」
太一はそう言って足を少しだけもじもじと動かした。腹の奥が溶けるように熱い。胎内が空っぽな気がして、ヤマトの『何か』で埋めて欲しくて仕方ない。ぐずぐずに濡れた後孔が何かを求めるようにひくついている。
「……いやだ……俺は…お前のこと食いたくなんかない。」
ヤマトは顔を顰める。その言葉に、太一は驚いたようで目を見開く。
「そ、そんなおれって美味しくなさそう…?確かにお腹いっぱい力をあげられる保証はないけど……。」
「違う、そういうことじゃない。」
途端に不安な顔する太一の言葉を、ヤマトは遮った。
「……傷付けてしまうのが怖い。理性を失った獣になってお前に何するか分からないし、力を奪いすぎたら次はお前の命に関わる。……俺は、お前にそういう危険な目にあって欲しくない。」
そう言うヤマトの表情は苦しそうだった。まるで自分の事のように言う。ヤマトは優しいね、そう太一は思ったけれど、同時に意味がわからなかった。だってヤマトが太一を食べることは、変なことでも悪いことでもない。太一はそう教えられてきたし、疑いもなくそう思っている。
「……そんなこと言う人、ヤマトが初めてだよ。」
「あぁ、……俺も初めて思った。……今までみたいに、何も考えずに教えられた通りに生きていられたら、どんなに楽だったろうな。」
ヤマトはそう言って、痛いほどに握りしめた手を離した。重たそうに身を上げ、太一から距離を取ろうとする。太一は焦った。まさか本当に自分を食べない気なのではないだろうか。このままではヤマトの命が危険になる。それに自分は、ヤマトに食べられることを幸福だと信じて疑わないのだ。このままなんて、こんな中途半端なんて、耐えられるわけがない。
「まって、やまと」
太一もまた重い体に力を入れ、何とか腕だけ持ち上げるとヤマトの服の裾を掴んだ。びくりとヤマトの身体がはねる。
「たべて、おれのこと食べてよ。骨の髄まで、余すことなく、全部全部全部、食べて。身体の中が空っぽなんだ。埋めて。やまとは、これを埋める方法を知ってるんだろ?」
恐怖にも似た表情で、ヤマトは太一を見下ろす。その恐怖は多分、自身の抑えきれない衝動に向けられたもので。
「おれは、やまとにたべられたい。」
瞬間、まるで身体に鉛がのしかかったように重くなる。ぱたん、とヤマトを掴んでいた腕をベッドへ落とす。太陽が完全に覆われ、月に食われる。黒い円はまるでぽっかり空に穴が空いたように空っぽに見え、残された輪郭だけが円を描いている。ヤマトが太一の首元に顔を埋め、その歯を立てた。自分はこれからヤマトに食われるのだろう。それを見ることが出来ないのは悲しいけれど、これ以上ない幸福だと噛み締めながら、太一は重い瞼を閉じた。
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