【光太】それでも好きです太一さん
「ねぇ、光子郎くん!」
「……はい、何でしょうか?」
放課後、下校のチャイムも鳴り終わりランドセルに教科書を詰め込んでいれば、クラスの数人の女の子に声をかけられた。光子郎はそれに気付いて返答すると、数人の女の子たちはきゃっきゃと反応して、中心にいる女の子をつついていた。「早くしなよ!」とか「頑張って!」とか聞こえるあたり、光子郎はこの後の展開が何となく読めてしまう。
「あの、光子郎くん!……こ、この後、ちょっといいかな…?」
予想通りの言葉に光子郎は頷くと、手早く荷物をまとめて教室を出た。
〇
「……あれ、太一さん、まだ帰ってなかったんですか?」
「あ!光子郎助かった!わりぃけど傘入れてくんない?忘れちゃってさ~……」
下校のチャイムが鳴ってから随分と時間が経っているのに、正面玄関には見慣れた姿が見えた。光子郎が声をかければ、その少年──太一はそれまで暗かった表情を一気に明るくさせ、光子郎に飛びつく。手を合わせて苦笑しながら「頼むよ~!」と光子郎に擦り寄ってくる太一の姿に、光子郎は鞄から折り畳み傘を取り出す。それを太一に差し出すと「一本しか用意していないので、一緒に帰りましょうか。」と微笑んだ。太一はその言葉に満面の笑みを見せると、「おれが持つ!」と光子郎の折り畳み傘を手に持って開いた。二人で肩を並べながら校門を出て家路を急ぐ。
ぽたぽたと雨が傘を叩き、お互いの吐息を消す。ふと、光子郎は目線だけを太一の方へ移した。太一はそれに気付かず前だけを向いていて、傘を持っていない方の肩が酷く濡れていた。光子郎は体のほとんどを濡らすことなく道を歩いている。貸している身なのだから当然といえば当然なのかもしれないが、太一の無言の気遣いになんだかこそばゆい気持ちになった。彼は感情に身を任せて直感で動きがちで、子どもっぽいところも多いが、それと同時に酷く冷静に物事を見て大人びた対応もしてしまう。どちらかが偽物でどちらかが本心という訳でもない。どちらも本物の"八神太一"として存在していた。とても器用な人間だと、光子郎は思っている。
「光子郎さ、なんであんな遅くまで学校にいたんだ?」
「……太一さんこそ。」
「う"ッ……今日の算数のテストの追試してたんだよ……。」
ぶすー、と口を尖らせて拗ねる姿に光子郎はくすくすと笑う。彼は文系科目は得意なようだが、どうにも理系科目は苦手なところがある。ひらめきはあるのだから算数なんかは得意なんじゃないかと光子郎は思わなくもないが、どうにも理解に到達するまでに時間がかかるようだ。
「で、光子郎はどーしていたんだ?」
「……ちょっと、クラスの女の子に呼ばれてしまって。」
「……告白?」
「……はい。」
自分で答えておきながら、何だか恥ずかしくなって光子郎は目を逸らした。水たまりに一瞬映った自分の姿も見たくなくて前だけを向く。それに気付いているのかそうでないのか、太一は「まー光子郎って頭いいし物知りだしモテそーだよなぁ。」なんてからから笑っている。
光子郎はそれを横で感じとりながら、先程のことを思い出した。クラスの中でも大人しめの女の子で、正直自分は名前以外の情報を知らない。彼女は頬を赤く染めたまま「好きです」とか「普段から気になってて」とか「ずっと前から好きで…見ていました」とか割とありきたりな言葉を発していた。光子郎はそれをどこか他人事のように聞きながら、もうそろそろ雨が降りそうだなんて考える。
「あ、えと……ありがとうございます…そう言って貰えるのはすごく嬉しいです。でも……」
その言葉に、彼女の表情はぐしゃりと歪んだ。悲しそうに眉を下げ瞳が涙で揺らぐのを見て、僕は今悪いことをしているのだろうか、と脳内で考えてしまう。それでも、結果的に出された答えはひとつだった。
「ごめんなさい、僕はその気持ちには応えられないです。」
ぽつ、ぽつ、と雨が降り始めた。それに重なるように彼女の瞳からも大粒の涙がこぼれ落ちてコンクリートの地面を濡らす。両の手で顔を覆い俯く姿に、光子郎はポケットに入っていた自身のハンカチを取りだした。「もし良ければ、使ってください。」と一言添えて差し出せば、彼女は驚いたように顔を上げた。そのハンカチを受け取ると、悲しそうに、けれどほんの少し嬉しそうにそれを胸元で抱き締めていた。きっと彼女は今、自分のことを優しい人だと思っているんだろうなと光子郎は思った。ただ、ネットの友達にこうしたらいいと教えてもらったことをそのまましただけだ。最善の選択をしただけ、結局そこに自身の感情はないように思った。
降り注ぐ雨が、未だぱたぱたと傘に当たる。意識を現実に戻しながら、光子郎は口を開いた。
「……太一さんは、女の子に告白されて断った時、泣き出しちゃったらどうしますか。『ずっと見てたのに』って言われて、僕は……酷いヤツなんですかね。好きだって言ってくれた子の気持ちに応えられない僕は、薄情者でしょうか。」
だって、『ずっと見ていた』からって想いが報われるとは限らないじゃないですか。そう言おうとして、その言葉だけは喉奥へと飲み込んだ。そう思うのに、何故かそれを受け入れるのが嫌だった。
「……おれには、よくわかんねぇなぁ。」
頬をぽりぽりと掻きながら苦笑する彼の姿に、「そうですよね、変な話をしてすみません」と微笑み返した。けれど彼はその言葉を遮るように「でもさ…」と口を開く。
「それだけ、光子郎のことが本当に好きだったんだな。」
その言葉に、光子郎は思わず顔を上げて太一を凝視した。太一はこちらに見向きもせず、ただ前だけを向いている。その表情はどこか優しげで、光子郎は何故か息苦しかった。
「今までずっと光子郎のこと見てたその子がさ、リスクを冒してただのクラスメイトから恋人になりたいとそう願うほど、もっと光子郎のこと知りたかったんだろうなって。光子郎のこと、本当に好きだったんだろうなぁって。おれはさ、そう思うんだ。」
光子郎はぎゅっ、と自身の胸元を握り締めた。本当は泣いている彼女がどこか自分に似ている気がして、「ずっと見ていたのに」と言い訳じみた都合のいい言葉を口にする彼女が、恋が叶わないと嘆いているのが腹立たしかった。そんな言い訳と涙で愛おしい相手が手に入るのなら、自分はもうとっくにしていると。
「おっ、光子郎、雨止んだぜ!」
そう言って折り畳み傘をしまう太一に合わせて、光子郎は空を見上げた。じわりと熱を持つ瞼を乱暴に拭いながら、この涙を雨で誤魔化すことも許してくれないのかと悪態つく。気がつけば太一の住むマンションの目の前にまで着いていて、太一は折り畳んだ傘を光子郎へと手渡した。太陽まで出てきたようで、太一は「虹出ないかなぁ」なんて呑気なことを言っている。
叶わなくたって、これからもずっと自分は太一を見続けるのだろうと、自分でも分かっている。
「ただの通り雨でしたね。」
それでも、それでも好きです、太一さん。
「……はい、何でしょうか?」
放課後、下校のチャイムも鳴り終わりランドセルに教科書を詰め込んでいれば、クラスの数人の女の子に声をかけられた。光子郎はそれに気付いて返答すると、数人の女の子たちはきゃっきゃと反応して、中心にいる女の子をつついていた。「早くしなよ!」とか「頑張って!」とか聞こえるあたり、光子郎はこの後の展開が何となく読めてしまう。
「あの、光子郎くん!……こ、この後、ちょっといいかな…?」
予想通りの言葉に光子郎は頷くと、手早く荷物をまとめて教室を出た。
〇
「……あれ、太一さん、まだ帰ってなかったんですか?」
「あ!光子郎助かった!わりぃけど傘入れてくんない?忘れちゃってさ~……」
下校のチャイムが鳴ってから随分と時間が経っているのに、正面玄関には見慣れた姿が見えた。光子郎が声をかければ、その少年──太一はそれまで暗かった表情を一気に明るくさせ、光子郎に飛びつく。手を合わせて苦笑しながら「頼むよ~!」と光子郎に擦り寄ってくる太一の姿に、光子郎は鞄から折り畳み傘を取り出す。それを太一に差し出すと「一本しか用意していないので、一緒に帰りましょうか。」と微笑んだ。太一はその言葉に満面の笑みを見せると、「おれが持つ!」と光子郎の折り畳み傘を手に持って開いた。二人で肩を並べながら校門を出て家路を急ぐ。
ぽたぽたと雨が傘を叩き、お互いの吐息を消す。ふと、光子郎は目線だけを太一の方へ移した。太一はそれに気付かず前だけを向いていて、傘を持っていない方の肩が酷く濡れていた。光子郎は体のほとんどを濡らすことなく道を歩いている。貸している身なのだから当然といえば当然なのかもしれないが、太一の無言の気遣いになんだかこそばゆい気持ちになった。彼は感情に身を任せて直感で動きがちで、子どもっぽいところも多いが、それと同時に酷く冷静に物事を見て大人びた対応もしてしまう。どちらかが偽物でどちらかが本心という訳でもない。どちらも本物の"八神太一"として存在していた。とても器用な人間だと、光子郎は思っている。
「光子郎さ、なんであんな遅くまで学校にいたんだ?」
「……太一さんこそ。」
「う"ッ……今日の算数のテストの追試してたんだよ……。」
ぶすー、と口を尖らせて拗ねる姿に光子郎はくすくすと笑う。彼は文系科目は得意なようだが、どうにも理系科目は苦手なところがある。ひらめきはあるのだから算数なんかは得意なんじゃないかと光子郎は思わなくもないが、どうにも理解に到達するまでに時間がかかるようだ。
「で、光子郎はどーしていたんだ?」
「……ちょっと、クラスの女の子に呼ばれてしまって。」
「……告白?」
「……はい。」
自分で答えておきながら、何だか恥ずかしくなって光子郎は目を逸らした。水たまりに一瞬映った自分の姿も見たくなくて前だけを向く。それに気付いているのかそうでないのか、太一は「まー光子郎って頭いいし物知りだしモテそーだよなぁ。」なんてからから笑っている。
光子郎はそれを横で感じとりながら、先程のことを思い出した。クラスの中でも大人しめの女の子で、正直自分は名前以外の情報を知らない。彼女は頬を赤く染めたまま「好きです」とか「普段から気になってて」とか「ずっと前から好きで…見ていました」とか割とありきたりな言葉を発していた。光子郎はそれをどこか他人事のように聞きながら、もうそろそろ雨が降りそうだなんて考える。
「あ、えと……ありがとうございます…そう言って貰えるのはすごく嬉しいです。でも……」
その言葉に、彼女の表情はぐしゃりと歪んだ。悲しそうに眉を下げ瞳が涙で揺らぐのを見て、僕は今悪いことをしているのだろうか、と脳内で考えてしまう。それでも、結果的に出された答えはひとつだった。
「ごめんなさい、僕はその気持ちには応えられないです。」
ぽつ、ぽつ、と雨が降り始めた。それに重なるように彼女の瞳からも大粒の涙がこぼれ落ちてコンクリートの地面を濡らす。両の手で顔を覆い俯く姿に、光子郎はポケットに入っていた自身のハンカチを取りだした。「もし良ければ、使ってください。」と一言添えて差し出せば、彼女は驚いたように顔を上げた。そのハンカチを受け取ると、悲しそうに、けれどほんの少し嬉しそうにそれを胸元で抱き締めていた。きっと彼女は今、自分のことを優しい人だと思っているんだろうなと光子郎は思った。ただ、ネットの友達にこうしたらいいと教えてもらったことをそのまましただけだ。最善の選択をしただけ、結局そこに自身の感情はないように思った。
降り注ぐ雨が、未だぱたぱたと傘に当たる。意識を現実に戻しながら、光子郎は口を開いた。
「……太一さんは、女の子に告白されて断った時、泣き出しちゃったらどうしますか。『ずっと見てたのに』って言われて、僕は……酷いヤツなんですかね。好きだって言ってくれた子の気持ちに応えられない僕は、薄情者でしょうか。」
だって、『ずっと見ていた』からって想いが報われるとは限らないじゃないですか。そう言おうとして、その言葉だけは喉奥へと飲み込んだ。そう思うのに、何故かそれを受け入れるのが嫌だった。
「……おれには、よくわかんねぇなぁ。」
頬をぽりぽりと掻きながら苦笑する彼の姿に、「そうですよね、変な話をしてすみません」と微笑み返した。けれど彼はその言葉を遮るように「でもさ…」と口を開く。
「それだけ、光子郎のことが本当に好きだったんだな。」
その言葉に、光子郎は思わず顔を上げて太一を凝視した。太一はこちらに見向きもせず、ただ前だけを向いている。その表情はどこか優しげで、光子郎は何故か息苦しかった。
「今までずっと光子郎のこと見てたその子がさ、リスクを冒してただのクラスメイトから恋人になりたいとそう願うほど、もっと光子郎のこと知りたかったんだろうなって。光子郎のこと、本当に好きだったんだろうなぁって。おれはさ、そう思うんだ。」
光子郎はぎゅっ、と自身の胸元を握り締めた。本当は泣いている彼女がどこか自分に似ている気がして、「ずっと見ていたのに」と言い訳じみた都合のいい言葉を口にする彼女が、恋が叶わないと嘆いているのが腹立たしかった。そんな言い訳と涙で愛おしい相手が手に入るのなら、自分はもうとっくにしていると。
「おっ、光子郎、雨止んだぜ!」
そう言って折り畳み傘をしまう太一に合わせて、光子郎は空を見上げた。じわりと熱を持つ瞼を乱暴に拭いながら、この涙を雨で誤魔化すことも許してくれないのかと悪態つく。気がつけば太一の住むマンションの目の前にまで着いていて、太一は折り畳んだ傘を光子郎へと手渡した。太陽まで出てきたようで、太一は「虹出ないかなぁ」なんて呑気なことを言っている。
叶わなくたって、これからもずっと自分は太一を見続けるのだろうと、自分でも分かっている。
「ただの通り雨でしたね。」
それでも、それでも好きです、太一さん。
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