【ヤマ太♀】太陽の眠るアトランティス
あの日、太一に未来を突き進む事を指した彼は、その瞬間自身の未来を押し潰した。目の前で一瞬何かが弾けたと思えば、ものすごい音と共に、全てが無に帰るようなそんな恐ろしい炎が部屋一面に広がるようだった。その全てを、太一は見ていない。それでも、自身の拙い、しかし鮮明すぎる想像に太一は震える体を抱きしめて吐き気を飲み込んだ。
脱出できたのかと、太一は何度か足で蹴ってカプセルを抜け出す。そのまま何度か嘔吐くと、胃の中のものを全て吐き出した。胃酸が喉を刺激して痛みを伴う。けほけほと何度か咳をして、太一は口を拭うと立ち上がった。水面の上で咆哮するオルディネモンを捉え、太一は走り出す。先生とのあの記憶は、きっとこれから誰にも話さずに生きていくことになるのだろう。全身にのしかかる罪の意識が、太一の体を蝕んでいく。
「私、お姉ちゃんのこと許さないと思う…!」
オルディネモンと対峙した太一に、ヒカリは苦しそうに、それでも強い意志を持った瞳で言い放った。その鳶色の射抜くような瞳に、太一はその通りだな、と一人呟く。だからこそ、「許さなくてもいい」と彼女を突き放した。
今思えば、あの時先生を助けられなかった自身への罰だったのかもしれない。
あの日から太一は、あの海の夢を見ることに疑問を持たなくなった。
○
太一はゆっくりと目を開ける。視界は暗く、今が夜であることを教えてくれている。枕元にある小さなランプはついているようで、そこだけがほんのり温かい光を放っていた。
「目が覚めたかい?」
「………じょー?」
聞き覚えのある声が横から聞こえ、太一は重い体をゆっくりと右側へ向けた。眠っていたのだろう。椅子に座っている彼は細い目を擦りながら眼鏡をかける。
「ここは…」
「病院だよ。どこか痛むところとかはないかい?」
「………いや、体がダルいだけで、痛みとかはないかな。」
「そうか、いやぁ良かった。驚いたよ、ヤマトから緊急の連絡が入ったと思って急いで病院の入口まで降りてきてみたら、真っ青な顔したヤマトが太一を抱き抱えてるんだから。」
「……ヤマト、が…。」
その言葉に、太一は丈から目を逸らした。そういえば気を失う直前、ヤマトを見たような気がする。あの後追ってきてくれていたのかと思い、何だか罪悪感がつのった。
「あ、ヤマトは面会時間ギリギリまでここにいたんだよ。そのまま今夜はここに残ると言っていたけれど、いつ目覚めるか分からないし、特別に入れる訳にもいかないから何とか説得して帰らせたんだ。まぁ、朝にでもお礼と無事を知らせる電話かけといたらいいと思うよ。」
「……うん、ありがとう…。」
太一は素直に頷くと、ゆっくりと右腕を上げて目を覆うように乗せた。目を瞑れば、まだ耳の奥に残る波の音が闇の中で響いている。
「……なぁ、じょー。」
「どうしたんだい?」
「……迷惑かけて、ごめんな。」
躊躇いがちに太一の口からこぼれたその言葉に丈は一瞬目を見開くが、眉を下げて苦笑した。
「こういうのは迷惑じゃなくて、心配っていうんだよ。でもまあ、別に謝らなくたっていい。」
丈はそう優しく言って、太一の頭をくしゃりと撫でた。もう一度「ありがとう」と呟くと、優しい笑い声と共に「どういたしまして」と返された。
「そうだ、お腹すいただろう?一応食事も準備しているんだけど…食べれそうかい?」
「…そうだな、お腹すいちゃった。」
お腹をぽんぽんと叩きながらそう微笑むと、丈は太一らしいねと笑った。膝に手をついて立ち上がると、「じゃあ取ってくるからね。」と病室から出ていった。太一はそれにひらひらと手を振って答えると、月と星だけが見える窓に目を向ける。目を瞑れば、先程見たようなモノクロの世界が広がり、波がうねっている。それでも波は先程より静かで、岩を撫でるように穏やかだった。
(おれの居場所は……どっちなんだろう……。)
ゆっくりと伸ばした手は月を掴むことが出来ず、そのまま空をきってぱたりとベッドに落ちた。
〇
「太一さん、最近ヤマトさんのこと避けてるらしいですね。」
「………なんで知ってんの?」
「連絡網です。」
「………誰から?」
「空さん。」
「あぁ…。」
太一は一つため息をつくと、持参したスナック菓子を摘んで口に放り投げた。「食べカス落としたりしないでくださいね」とパソコン画面に向かい無表情のまま呟く光子郎に返事をしながら、光子郎の口にも一つ放り込んでやる。
「また何か喧嘩したんですか?」
「そんなんじゃねぇよ。」
「じゃあなんで避けてるんですか?病院で一言LINEをもらって以来、文字も電話も返信くれないし、家に行ってもいつも留守で…なんて言ってるらしいですよヤマトさん。」
「あいつそこまでソラに話してんのかよ。情けねぇな。」
太一は椅子の背もたれに抱きついてゆらゆらと揺れる。「壊さないでくださいね」といつもの口癖のように言われて適当に返事を返した。
「それともう一つ。」
「んぁ?」
手元にあったティッシュを何枚か取り出して太一へと渡す。口と手を拭く太一を横目に、光子郎は口を開いた。
「何か異変や不安なことがあれば誰でもいいので直ぐに言うんですよ。貴方は変に一人で抱え込む癖があるんですから。」
「………うん、ありがと。」
「随分と素直ですね。……心当たりがあるんですか?」
「いや、別にぃ。」
太一はスナック菓子の袋を縛るとゴミ箱に放り込む。鞄を手に持って肩にかけると、扉を開けた。またね、とひらひら手を振れば、やっと光子郎は画面から目を逸らして太一に向かった。
「太一さん。」
部屋を出ようとする太一の背に向かって、光子郎は名前を呼んだ。太一は振り返ることなく足を止める。光子郎はその様子に目を細めると、言葉を繋げた。
「貴方の居場所は、ここですよ。」
太一はその言葉に一瞬息を止めたが、何の返事もせずに部屋を出ていった。光子郎はその背が見えなくなったことを確認すると、ふぅ、と息を吐いて背もたれに身を預けた。ギシリと音の鳴るそれを無視して窓の方を見やる。
「何をしてるんでしょうね、ヤマトさんは。」
まったく手のかかる人達だと、光子郎は困ったように眉を下げた。
(…相変わらず光子郎は鋭いな。)
とぼとぼと帰り道を歩く太一は苦笑した。昔から何故か彼に嘘はつけないのだ。どうも見抜かれてしまうらしい。
倒れてしまったあの日、結局精密検査をしたものの異常はもちろんなく、数日して退院することが出来た。そのまま一人で家に帰ろうとする太一に丈は心配そうに眉を八の字にしていたが、「大丈夫だから。」と一言伝えて家に帰った。
あれから毎日のようにあの海の夢を見る。毎日汗を滝のように流し、起きる度に体に張り付くシャツの感覚は相変わらず気持ちが悪いが、昔に比べて息苦しさはなかった。
(むしろ今こうしてここにいるほうが息苦しいんじゃないだろうか。)
汗の滲むシャツをぱたぱたと仰ぎながら、太一は駅へ向かっていた。人混みをかき分けながら改札を目指していると、ふと視界に入ったのは見慣れた男女二人の姿。
(…………あッ、)
太一は思わず目を逸らした。肩にかけたバッグの紐をぎゅうっと握り込み、改札へと向けていた足を何歩か後ずさる。耳の奥で、また波の音が響き始めたのが分かった。一瞬、ヤマトと目が合う。彼は驚いたように目を見開くと、逃がさないと言いたげにこちらに視線を寄越した。太一は弾かれたように振り返ると一気に走り出す。時折人にぶつかる度にごめんなさいとこぼしながら、 ただひたすら駆け抜けた。今彼に捕まってはいけない。それだけが太一の脳内を埋めつくした。波は聴覚を覆い、視界はあの時と同じように夢と現実の景色を行き来する。慣れない感覚に酔いながら、それでも太一は駆け抜けた。
「太一ッ…!」
「ッ、!」
背から聞こえる低く澄んだ声に太一は思わず息を詰めらせた。波の音は止まないのに、彼の声だけが脳内にクリアに響く。ぼろぼろと溢れ出す涙も無視をして、太一は人混みから抜けると、細い道へと向かって走る。
「なんで、なんでなんでなんでなんでッ…!」
彼の声こそ、太一にとって最も聞こえて欲しくない声だというのに。太一は耳を塞ぐ。細い路地裏を曲がると、そこには高いコンクリートの壁が立ちはだかっていた。引き返そうにも既に近くにはヤマトが来ている。会いたくない、彼だけには。
ふと、視界が揺らいだ。今まで視覚のみ奪うだけであった波が太一の膝元を撫でた。その感覚に太一は息を飲む。
「……あれは、夢なんかじゃないのか?存在、する世界なのか…?」
太一の震えた声に答えるように、波がぴちゃぴちゃと太一の足を何度も撫でる。
「だったら、だったらおれを連れてってくれ…!ずっと呼んでたんだろ…?それに応えてやるから…おれを、おれをここではないどこかへ連れてってくれよッ…!」
吐き出すように叫べば、包み込むように大きな波が太一に迫ってくる。視界に映る自分の手がジジッと映像のようにブレるのを見て、太一はほくそ笑んだ。
「太一ぃ…!」
その声を最後に、太一は意識を手放した。
〇
「光子郎ォ!」
「ヤマトさん、入るならノックしてください。」
「んな悠長なこと言ってる場合じゃないんだ!」
バンッ、と勢いよく扉が開いたかと思うと、汗をぽたぽたと落として息をあげるヤマトが倒れ込むように入ってきた。光子郎は画面から目を離して呆れたようにヤマトの方を見るが、ヤマトの手にある見慣れた鞄に、光子郎は顔をしかめる。
「太一が、太一が目の前で消えたんだ!」
「……はぁ、貴方たちはどうしてそうも拗らせるんですかね。」
ヤマトの言葉を受け止めて、光子郎は急いでモニターに向かった。カタカタとキーボードを素早く鳴らせば、画面上に地図が浮かび上がる。それは赤、白、ピンク、黄色…と様々な色の点が散りばめられており、青色と紫色の点は隣同士に並んでいる。その地図を光子郎はじっと見つめるが、そこにオレンジ色の点はない。それを確認した光子郎は舌打ちを小さくすると、すぐにチャット画面を開く。
「今から全員に招集の連絡を出します。そのうちにその息を整えて貴方が見たことを報告できるよう頭の中で整理しておいて下さいね。」
光子郎の言葉に、ヤマトは頷く。光子郎がキーボードを忙しなく鳴らす間、ヤマトは手に持った鞄を見つめた。あの時、一瞬見た太一は笑っていた。泣きながら、それでも確かに笑っていたように思う。
「どこに行ったんだよ、たいちッ…!」
ヤマトは鞄を抱きしめながら、確かに最後見たあの姿を思い出した。
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