【ヤマ太】感傷シンデレラ
バイクを自宅の前に停めながら今日の晩飯は何しようか、なんて考えていれば『ピロンッ』という軽快な通知音に、ヤマトは思考をかき消した。夜の八時前、たった一つのメッセージを知らせる通知。もう慣れてしまったヤマトは画面を見ずとも誰から送られてきたのかすぐに分かってしまった。ヘルメットを一度脱いでポケットに手を突っ込む。取り出したスマホの電源を入れれば、パッと明るくなった画面に映る『八神太一』の文字。ヤマトはやはりな、と苦笑するとメッセージ画面を開いた。
『なぁ、今ちょっと時間作れるか?』
簡潔で、それでも何が言いたいのかわかってしまうメッセージにヤマトは思わず「あいつらしいなぁ」と呟いた。『いつもの店でな』と、太一から来たメッセージと会話が成り立っているのかそうでないのかわからないような、色々なものをすっ飛ばしたメッセージを送り返す。直ぐにそれは既読がついてそこから返信が来る様子はない。あいつは何かと返信めんどくさがるからな、とヤマトはスマホをポケットに戻してヘルメットを被り直した。
〇
「ヤマト!こっちこっち~!」
「待たせたな。」
「いんや、おれもちょーど来たところだよ。」
店に入ると直ぐにひらひらと手を振る太一の姿が目に入った。案内しようと事務的に駆け寄ってくる店員さんに大丈夫ですと一声かけて、太一がとってくれた席へと移動した。
「肉、届いてんなら先食っててもよかったんだぞ?お前バイト帰りで飯食ってないだろ?」
「それはヤマトも同じだろ?それにお前が焼く方が美味しいんだよ。」
そう言って容赦なく目の前にトングと生の肉を置く太一にヤマトはため息をつくと、諦めたように肉をつまんで網の上に敷いた。じゅう、と脂の乗った音を立てる肉を見つめていると、いつの間にか太一がビールを頼んでいたようで、ごとん、とジョッキが置かれた。焼ける肉を待ちながら、太一はちびちびとジョッキを手に酒をあおった。
「空腹にビールはすぐ酔うぞ」
「おれが酒に強いの知ってるくせに」
もくもくと上がる煙が太一の輪郭を歪ませる。表情が読めない、なんてことは今更ないが何だか遠く感じた。
「それに、肉焼いてるお前を見ながら飲む酒は美味いぞ?」
「お前の分の肉ねぇからな」
「あーーー悪かったってぇ」
焼いてる肉を自分側に寄せるヤマトに、太一はグラスを置いてからからと笑いながら手を合わせた。ほらよ、とヤマトが程よく焼けた肉を太一の方へ寄せると、太一は箸でつまんで口に放り投げる。
「そういえば太一、なんで俺を呼んだんだ?」
煙の中で揺らぐ太一をしっかりと目で捉え、ヤマトは口を開いた。太一は目をぱちぱちと数度瞬きをしたが、ごくんと酒で流し込むと「なんとなく」とだけ呟いた。「なんだよそれ」とヤマトは苦笑するが、太一は特に笑うこともなく無言で肉が焼けるのを待っていた。
あぁ、何か悩んでいるんだろうなとヤマトは思った。漠然とした何かに悩んで、それを言葉に出来ずに立ち往生している。ならばと、ヤマトはそのまま何を聞くともなくただ肉が焼けるのを共に待つ。もくもくと脂の乗った煙を太一は手でひらひらと仰いだ。まるで迷って見えなくなった視界を開かせるように、見えない何かを掴むように手を動かす太一を見て、ヤマトもまた一緒にぱたぱたと煙を遮った。ひひひっ、と笑う太一に仕方ないなと微笑みかけながら、ヤマトはただ彼の言葉を待つ。お互い何枚か肉を食べ、酒をあおった頃、太一がふと思いついたように口を開いた。
「おれさ、就職決まった。」
「あぁ、この前聞いたな。おめでとう。」
ほんの数日前に電話で聞いた案件だ。外交官になると宣言された時は心底驚いたが、それと同時にまぁこいつなら何とかなるだろという漠然とした、けれど確信めいた気持ちがあった。だからこそ太一から連絡があった時、自分の中では驚きよりもあぁそうだろうなという気持ちがストンと落ちた。一度決めたら突き進む、良くも悪くもそれが彼だから。
「そんでさ、お前の大学院も決まったじゃん。」
「あぁ。」
ヤマトはトングを太一に押し付けて箸で肉をつまむ。我ながら焼き加減最高だな、と自画自賛しながらヤマトは咀嚼した。太一はめんどくさいという顔でトングを弄んでいる。太一が焼くとほんの少し焦げ目がつくが、その苦さもヤマトの中では割とお気に入りの味だった。苦味を含んだ肉を口に含みながら、太一は何度か口を開いたり閉じたりを繰り返していた。もしかしたらもう、太一の中で言葉はできているのかもしれない。何が彼を躊躇わせているのかヤマトには分からないから、もう一度「なんで俺を呼んだんだ?」と呟いた。太一はただ「うん。」とだけこぼして、そして。
「なぁヤマト、おれたち、今みたいに会えなくなるのかなぁ。」
その言葉に、ヤマトははっ、と息を吐いた。と同時にほんの少しだけ瞼が熱くなった気がした。一瞬だけトングの動きがぶれる。カツン、と縁の部分に当たって金属の甲高い音が響く。それだけで、ヤマトの動揺も読み取られたかもしれない。それでも太一は何も言わずに、そのまま腕を組んで顔を埋めた。きゅっ、と服を握る手が真っ赤になりそうで、触れたかったけれど何だか煙が壁になったような、その一線を越えられないような、見えない距離がヤマトの体を重くした。
「…………そう、かも、…しれないな。」
何とか喉から引っ張り出したのは、ほんの少し震え、途切れ途切れの曖昧な言葉だった。それでも「そうだな」なんて言い切る勇気は今のヤマトにはなかった。しばらくは肉の焼ける音と、店の中のざわめきと、それだけが二人を包んだ。お互いがその事実を受け入れるための時間だったのかもしれないが、ヤマトも多分太一もそれがすぐに出来るほど物分りのいい大人ではなかった。それでも、
「でも、仕方ないよなぁ…。」
くぐもった声が二人の間に酷くのしかかった。自分の喉から出た言葉だと思っていたら、どうやらそれは太一の言葉であった。ヤマトは何も言わずに顔を俯かせて見えていないはずの太一に向かって小さく頷いた。
物分りのいい大人にはなれていないが、仕方ないの一言で片付けてしまおうと思ってしまうぐらいには、子どもではなくなってしまった。ヤマトは思わず酒をあおる。それで何かが変わるわけではないが、飲まずにはいられなかった
「肉、焼けたぞ。」と声をかけてみるが、太一からの返事はない。ならばとヤマトは箸でつまんで口に含む。酒で流し込むと、膝にぽたぽたと雫が落ちていく。
「ヤマトォ…」と、太一の小さな声が聞こえた。促すように軽く返事をすると、太一はゆっくりと、わななくように口を開いた。
「おれ、寂しいなぁ………。」
湿気を帯びたその声に、ヤマトは思わず顔を上げた。太一はまだ俯いたまま顔を見せない。酔いすぎて感傷的になっているのかもしれない。例えこの程度の量で太一が酔うことなどないと、一緒に飲むことが多いヤマトが一番よくわかっていても、彼のプライドを傷つけぬようにと、そういう事にしといてやるよと口には出さずとも呟いた。
ぐいっ、と自身の腕で目元を拭う太一の姿を無視して皿の上に焼けた肉を置いてやる。煙を浴びたからかもしれない。ヤマトの目からポロッ、と一粒雫が落ちたが、ヤマトはそれを無視して近くにいた店員を呼び、キムチと水を頼んだ。
「肉、冷めるぞ」と声をかければ、太一はやっと顔を上げて箸に手を伸ばした。ほんの少し瞼が赤い気がするが、肉を口に入れ顔を綻ばせる姿に、ヤマトはほっ、と息を吐いた。焼きあがった肉を寄せてやりながらヤマトは視線を落とした。
(確かにそれは寂しい、なぁ…。)
ずっと一緒だと漠然と思っていた。彼の隣は自分しかいないと思っていた。だから太一の口から離れることへの寂しさや不安を聞いて、あぁあいつは俺と離れてしまう未来が来ると思っているのか、と何だかそれも寂しくなった。いつかお互いに生涯のパートナーができるのだろうと、昔笑いながら話したことがあった。その時からずっと、どうして自分は彼の隣にいられないのだろうかと、彼の隣に居られるのが自分であったらいいのにと。彼が女性であれば、自分は隣にいられたかもしれないのにと────
あれ、ふとヤマトは首を傾げた。この感情は果たしてただの『友情』なのであろうか。仲の良い友人と長い間一緒にいたいというのは間違ったことではないのかもしれない。だけれど、自分の思うそれはまるで……
「太一のことが好きみたいじゃないか。」
「へっ?」
「あっ、」
パシン、とヤマトは思わず自身の手で口を塞いだ。聞き逃さなかったのだろう、太一は首をかしげながらヤマトに視線だけでどういう意味かと説明を促す。答えられない、と目を逸らせば、むっと顔を顰めた太一が「おいヤマト」と急かしてきた。
「何でもない、忘れろ。」
「何でもないって反応じゃないだろ!おい何隠してんだよ!」
ゆさゆさと肩を掴まれるがヤマトは目を逸らしたまま口をつむった。正直ヤマトにも意味がわからなかった。何で言葉に出たのか、どうして今そんなこと思いついたのか、自分でもよく分からなかった。
「おれには言えないことか?」
「たい」
「もうあと数ヶ月もすればこんな風に一緒に飯食うことも会うことすらもなくなるかもしれねぇのにか…!?」
ぎゅっ、とヤマトの肩を掴みながら、太一は吐き捨てるようにそう言った。ヤマトはぽかんと口を開けて固まると、太一は震える手を離して、すとんと元の位置に座った。もう何も聞きたくないと、先程とは打って変わって顔をまた腕の中に埋めた。
「……太一、すまん。顔を上げてくれ。」
「やだ。」
くしゃりと太一の髪を撫でる。それは案外さらさらとしていて、ヤマトの細く角張った指をするりとかわす。子どもみたいだ、と思ったがそれを口にすれば次こそ顔を上げてくれない気がしてやめた。左手で太一の頭を撫でながら、最後の一枚を太一の皿の上に運ぶ。そのタイミングで運ばれてきた水とキムチを受け取ってヤマトは火の熱で揺らいで見える太一をしっかりと見据えた。その上で、彼の隣にいられる方法はないかと、そう考えて。
「なぁ太一、お互い大学を卒業したら一緒に住まないか?」
はっきりとした声で、ヤマトはそう言った。それと同時に、何となくその方法が一番しっくりくるな、と自分でも驚いてしまった。それは太一も同じだったのかもしれない。勢いよく顔を上げて、その顔は驚きで目を丸くさせていたが、それと同時にあぁその手があったかと妙に納得してしまっているのがひしひしと伝わってきた。
「………お前、意外と天才だな。」
「意外とはなんだ意外とは…」
太一の様子に、ヤマトは思わず苦笑した。同居か…と一人零しながら皿の上に乗せてある肉をつまむ。思った以上に前向きな声に、提案したヤマトが驚いてしまった。
「おい、提案した俺が言うのもなんだが、いいのか?」
先程ヤマトが頼んだキムチを箸でつつきながら、太一はヤマトのその言葉に「なにが?」と首を傾げた。ヤマトは一周まわって呆れたように笑う。
「でもさ、少なくともお前と一緒なら退屈はしねぇだろ?」
そう言ってニヤリと口角を上げる太一に、ヤマトは思わずくつくつと喉を鳴らして身体を震わせた。その様子に太一も吹き出せば、二人して声を上げてゲラゲラと笑う。ふと、周りの目に気付いたヤマトは慌てて太一の頭をべしりと叩くが、太一はそれでも可笑しそうに腹を抱えた。ひぃひぃと声をひきつらせてひと通り笑い飛ばせば、「あーースッキリした!」と太一はこぼした。空になったジョッキを掴んで手を挙げて店員にビールを頼む。ヤマトも微妙に余った酒を飲み干して同じように頼んだ。
正直、今の気持ちが恋と呼べるのかヤマトには分からなかった。彼の隣にずっといたい、けれどそれ以上を望んではいないし、ましてや体の関係など想像もつかなかった。これは結局友情の延長なのではないかと。けれどそれではいつか彼の隣は名も知らぬ女性に取られてしまうのだろう。それはそれでモヤモヤしてしまうのだ。ヤマトは新たに追加した肉を敷きながらじぃっと肉を見つめる太一に目を向ける。
ヤマトはとりあえず言葉を飲み込むように酒を流し込んだ。今はまだ、この気持ちに名前をつけなくてもいいだろう。今までだって彼との関係は親友ともライバルとも仲間とも例えることができなかったのだ。それでも二人の関係は決して変わることがない。ならばそれでもいいやとヤマトは一人納得した。
それでも、いつかこの気持ちに名前がついてしまったら、その時はちゃんと太一に言葉にして伝えて。そして───
『なぁ、今ちょっと時間作れるか?』
簡潔で、それでも何が言いたいのかわかってしまうメッセージにヤマトは思わず「あいつらしいなぁ」と呟いた。『いつもの店でな』と、太一から来たメッセージと会話が成り立っているのかそうでないのかわからないような、色々なものをすっ飛ばしたメッセージを送り返す。直ぐにそれは既読がついてそこから返信が来る様子はない。あいつは何かと返信めんどくさがるからな、とヤマトはスマホをポケットに戻してヘルメットを被り直した。
〇
「ヤマト!こっちこっち~!」
「待たせたな。」
「いんや、おれもちょーど来たところだよ。」
店に入ると直ぐにひらひらと手を振る太一の姿が目に入った。案内しようと事務的に駆け寄ってくる店員さんに大丈夫ですと一声かけて、太一がとってくれた席へと移動した。
「肉、届いてんなら先食っててもよかったんだぞ?お前バイト帰りで飯食ってないだろ?」
「それはヤマトも同じだろ?それにお前が焼く方が美味しいんだよ。」
そう言って容赦なく目の前にトングと生の肉を置く太一にヤマトはため息をつくと、諦めたように肉をつまんで網の上に敷いた。じゅう、と脂の乗った音を立てる肉を見つめていると、いつの間にか太一がビールを頼んでいたようで、ごとん、とジョッキが置かれた。焼ける肉を待ちながら、太一はちびちびとジョッキを手に酒をあおった。
「空腹にビールはすぐ酔うぞ」
「おれが酒に強いの知ってるくせに」
もくもくと上がる煙が太一の輪郭を歪ませる。表情が読めない、なんてことは今更ないが何だか遠く感じた。
「それに、肉焼いてるお前を見ながら飲む酒は美味いぞ?」
「お前の分の肉ねぇからな」
「あーーー悪かったってぇ」
焼いてる肉を自分側に寄せるヤマトに、太一はグラスを置いてからからと笑いながら手を合わせた。ほらよ、とヤマトが程よく焼けた肉を太一の方へ寄せると、太一は箸でつまんで口に放り投げる。
「そういえば太一、なんで俺を呼んだんだ?」
煙の中で揺らぐ太一をしっかりと目で捉え、ヤマトは口を開いた。太一は目をぱちぱちと数度瞬きをしたが、ごくんと酒で流し込むと「なんとなく」とだけ呟いた。「なんだよそれ」とヤマトは苦笑するが、太一は特に笑うこともなく無言で肉が焼けるのを待っていた。
あぁ、何か悩んでいるんだろうなとヤマトは思った。漠然とした何かに悩んで、それを言葉に出来ずに立ち往生している。ならばと、ヤマトはそのまま何を聞くともなくただ肉が焼けるのを共に待つ。もくもくと脂の乗った煙を太一は手でひらひらと仰いだ。まるで迷って見えなくなった視界を開かせるように、見えない何かを掴むように手を動かす太一を見て、ヤマトもまた一緒にぱたぱたと煙を遮った。ひひひっ、と笑う太一に仕方ないなと微笑みかけながら、ヤマトはただ彼の言葉を待つ。お互い何枚か肉を食べ、酒をあおった頃、太一がふと思いついたように口を開いた。
「おれさ、就職決まった。」
「あぁ、この前聞いたな。おめでとう。」
ほんの数日前に電話で聞いた案件だ。外交官になると宣言された時は心底驚いたが、それと同時にまぁこいつなら何とかなるだろという漠然とした、けれど確信めいた気持ちがあった。だからこそ太一から連絡があった時、自分の中では驚きよりもあぁそうだろうなという気持ちがストンと落ちた。一度決めたら突き進む、良くも悪くもそれが彼だから。
「そんでさ、お前の大学院も決まったじゃん。」
「あぁ。」
ヤマトはトングを太一に押し付けて箸で肉をつまむ。我ながら焼き加減最高だな、と自画自賛しながらヤマトは咀嚼した。太一はめんどくさいという顔でトングを弄んでいる。太一が焼くとほんの少し焦げ目がつくが、その苦さもヤマトの中では割とお気に入りの味だった。苦味を含んだ肉を口に含みながら、太一は何度か口を開いたり閉じたりを繰り返していた。もしかしたらもう、太一の中で言葉はできているのかもしれない。何が彼を躊躇わせているのかヤマトには分からないから、もう一度「なんで俺を呼んだんだ?」と呟いた。太一はただ「うん。」とだけこぼして、そして。
「なぁヤマト、おれたち、今みたいに会えなくなるのかなぁ。」
その言葉に、ヤマトははっ、と息を吐いた。と同時にほんの少しだけ瞼が熱くなった気がした。一瞬だけトングの動きがぶれる。カツン、と縁の部分に当たって金属の甲高い音が響く。それだけで、ヤマトの動揺も読み取られたかもしれない。それでも太一は何も言わずに、そのまま腕を組んで顔を埋めた。きゅっ、と服を握る手が真っ赤になりそうで、触れたかったけれど何だか煙が壁になったような、その一線を越えられないような、見えない距離がヤマトの体を重くした。
「…………そう、かも、…しれないな。」
何とか喉から引っ張り出したのは、ほんの少し震え、途切れ途切れの曖昧な言葉だった。それでも「そうだな」なんて言い切る勇気は今のヤマトにはなかった。しばらくは肉の焼ける音と、店の中のざわめきと、それだけが二人を包んだ。お互いがその事実を受け入れるための時間だったのかもしれないが、ヤマトも多分太一もそれがすぐに出来るほど物分りのいい大人ではなかった。それでも、
「でも、仕方ないよなぁ…。」
くぐもった声が二人の間に酷くのしかかった。自分の喉から出た言葉だと思っていたら、どうやらそれは太一の言葉であった。ヤマトは何も言わずに顔を俯かせて見えていないはずの太一に向かって小さく頷いた。
物分りのいい大人にはなれていないが、仕方ないの一言で片付けてしまおうと思ってしまうぐらいには、子どもではなくなってしまった。ヤマトは思わず酒をあおる。それで何かが変わるわけではないが、飲まずにはいられなかった
「肉、焼けたぞ。」と声をかけてみるが、太一からの返事はない。ならばとヤマトは箸でつまんで口に含む。酒で流し込むと、膝にぽたぽたと雫が落ちていく。
「ヤマトォ…」と、太一の小さな声が聞こえた。促すように軽く返事をすると、太一はゆっくりと、わななくように口を開いた。
「おれ、寂しいなぁ………。」
湿気を帯びたその声に、ヤマトは思わず顔を上げた。太一はまだ俯いたまま顔を見せない。酔いすぎて感傷的になっているのかもしれない。例えこの程度の量で太一が酔うことなどないと、一緒に飲むことが多いヤマトが一番よくわかっていても、彼のプライドを傷つけぬようにと、そういう事にしといてやるよと口には出さずとも呟いた。
ぐいっ、と自身の腕で目元を拭う太一の姿を無視して皿の上に焼けた肉を置いてやる。煙を浴びたからかもしれない。ヤマトの目からポロッ、と一粒雫が落ちたが、ヤマトはそれを無視して近くにいた店員を呼び、キムチと水を頼んだ。
「肉、冷めるぞ」と声をかければ、太一はやっと顔を上げて箸に手を伸ばした。ほんの少し瞼が赤い気がするが、肉を口に入れ顔を綻ばせる姿に、ヤマトはほっ、と息を吐いた。焼きあがった肉を寄せてやりながらヤマトは視線を落とした。
(確かにそれは寂しい、なぁ…。)
ずっと一緒だと漠然と思っていた。彼の隣は自分しかいないと思っていた。だから太一の口から離れることへの寂しさや不安を聞いて、あぁあいつは俺と離れてしまう未来が来ると思っているのか、と何だかそれも寂しくなった。いつかお互いに生涯のパートナーができるのだろうと、昔笑いながら話したことがあった。その時からずっと、どうして自分は彼の隣にいられないのだろうかと、彼の隣に居られるのが自分であったらいいのにと。彼が女性であれば、自分は隣にいられたかもしれないのにと────
あれ、ふとヤマトは首を傾げた。この感情は果たしてただの『友情』なのであろうか。仲の良い友人と長い間一緒にいたいというのは間違ったことではないのかもしれない。だけれど、自分の思うそれはまるで……
「太一のことが好きみたいじゃないか。」
「へっ?」
「あっ、」
パシン、とヤマトは思わず自身の手で口を塞いだ。聞き逃さなかったのだろう、太一は首をかしげながらヤマトに視線だけでどういう意味かと説明を促す。答えられない、と目を逸らせば、むっと顔を顰めた太一が「おいヤマト」と急かしてきた。
「何でもない、忘れろ。」
「何でもないって反応じゃないだろ!おい何隠してんだよ!」
ゆさゆさと肩を掴まれるがヤマトは目を逸らしたまま口をつむった。正直ヤマトにも意味がわからなかった。何で言葉に出たのか、どうして今そんなこと思いついたのか、自分でもよく分からなかった。
「おれには言えないことか?」
「たい」
「もうあと数ヶ月もすればこんな風に一緒に飯食うことも会うことすらもなくなるかもしれねぇのにか…!?」
ぎゅっ、とヤマトの肩を掴みながら、太一は吐き捨てるようにそう言った。ヤマトはぽかんと口を開けて固まると、太一は震える手を離して、すとんと元の位置に座った。もう何も聞きたくないと、先程とは打って変わって顔をまた腕の中に埋めた。
「……太一、すまん。顔を上げてくれ。」
「やだ。」
くしゃりと太一の髪を撫でる。それは案外さらさらとしていて、ヤマトの細く角張った指をするりとかわす。子どもみたいだ、と思ったがそれを口にすれば次こそ顔を上げてくれない気がしてやめた。左手で太一の頭を撫でながら、最後の一枚を太一の皿の上に運ぶ。そのタイミングで運ばれてきた水とキムチを受け取ってヤマトは火の熱で揺らいで見える太一をしっかりと見据えた。その上で、彼の隣にいられる方法はないかと、そう考えて。
「なぁ太一、お互い大学を卒業したら一緒に住まないか?」
はっきりとした声で、ヤマトはそう言った。それと同時に、何となくその方法が一番しっくりくるな、と自分でも驚いてしまった。それは太一も同じだったのかもしれない。勢いよく顔を上げて、その顔は驚きで目を丸くさせていたが、それと同時にあぁその手があったかと妙に納得してしまっているのがひしひしと伝わってきた。
「………お前、意外と天才だな。」
「意外とはなんだ意外とは…」
太一の様子に、ヤマトは思わず苦笑した。同居か…と一人零しながら皿の上に乗せてある肉をつまむ。思った以上に前向きな声に、提案したヤマトが驚いてしまった。
「おい、提案した俺が言うのもなんだが、いいのか?」
先程ヤマトが頼んだキムチを箸でつつきながら、太一はヤマトのその言葉に「なにが?」と首を傾げた。ヤマトは一周まわって呆れたように笑う。
「でもさ、少なくともお前と一緒なら退屈はしねぇだろ?」
そう言ってニヤリと口角を上げる太一に、ヤマトは思わずくつくつと喉を鳴らして身体を震わせた。その様子に太一も吹き出せば、二人して声を上げてゲラゲラと笑う。ふと、周りの目に気付いたヤマトは慌てて太一の頭をべしりと叩くが、太一はそれでも可笑しそうに腹を抱えた。ひぃひぃと声をひきつらせてひと通り笑い飛ばせば、「あーースッキリした!」と太一はこぼした。空になったジョッキを掴んで手を挙げて店員にビールを頼む。ヤマトも微妙に余った酒を飲み干して同じように頼んだ。
正直、今の気持ちが恋と呼べるのかヤマトには分からなかった。彼の隣にずっといたい、けれどそれ以上を望んではいないし、ましてや体の関係など想像もつかなかった。これは結局友情の延長なのではないかと。けれどそれではいつか彼の隣は名も知らぬ女性に取られてしまうのだろう。それはそれでモヤモヤしてしまうのだ。ヤマトは新たに追加した肉を敷きながらじぃっと肉を見つめる太一に目を向ける。
ヤマトはとりあえず言葉を飲み込むように酒を流し込んだ。今はまだ、この気持ちに名前をつけなくてもいいだろう。今までだって彼との関係は親友ともライバルとも仲間とも例えることができなかったのだ。それでも二人の関係は決して変わることがない。ならばそれでもいいやとヤマトは一人納得した。
それでも、いつかこの気持ちに名前がついてしまったら、その時はちゃんと太一に言葉にして伝えて。そして───
1/1ページ