800字ssシリーズ
「ただいま~…」
囁くような声で光子郎は挨拶を告げた。部屋はあかりが灯っておらず、静まりかえっている。
(まぁ、起きてないよなぁ。)
光子郎は電気も付けずにそのまま鞄を放り投げると、スマホを取り出す。電源を入れるとパッと明るくなり、そこには深夜の三時を少し過ぎたことを知らせるように数字が並んでいた。食事もシャワーも会社で済ませたおいたためあとはもうスーツから着替えて寝るだけだ。寝室に入り軽く寝間着に着替えると、光子郎はベッドの上で一人すやすやと眠る同居人──太一の隣へ静かに座った。指で優しく目にかかった前髪を撫で下ろせば、んふふ、とくすぐったそうな声をあげる。その様子に光子郎ははぁ…とため息をついた。
(男とはいえ、本当に無防備だなぁ。)
つまりそれは太一さんは自分のことを意識などしていないということなのだけれど。光子郎はゆっくりと太一の頬に顔を近づけた。ちゅっ、と音を立てて頬を啄むと、それが合図と言いたげに瞼、額、鼻と順番に触れるだけのキスを落としていく。太一はくすぐったそうに身をよじるけれど、起きる気配はない。そのまま首筋や、首元が伸びきったTシャツから見てる鎖骨、肩にも唇で触れた。ゆっくり顔を上げると、親指で優しく軽く開いた唇を撫でた。
「……太一さん、起きないんですか?…あなたの大切な場所、僕が奪ってしまいますよ…?」
すっ、と目を細めて光子郎は囁くように呟いた。ふにっ、と押さえつけた唇から唾液がほんの少し零れた。太一さんが起きないのが悪いんですからね。光子郎はゆっくりと顔を近付ける。
「こぉ……しろ、ぉ…?」
「ッ、ぁ、」
光子郎はその聞き慣れた声にがばりと体を起こして距離をとった。あたふたと手を動かして誤魔化そうとする光子郎を無視して、太一は首に手を添えると引き寄せた。
「いっしょに………ねよう……もぉ……おそいしぃ……おれも…ねむいぃ…」
溶けるような声で眠りに誘われれば、光子郎は観念したようにベッドに身を預けた。ふひひ、と目を瞑って笑う太一に微笑みかけながら、あぁなんと自分は甘いのだろうかと我ながら苦笑する。それでも抱きしめられたこの体温で満足してしまう自分もいて。
(まぁ、もう少しこのままでも…)
光子郎もまたくすくすと笑いながらその目を閉じた。
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