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800字ssシリーズ



「太一さん、帰りますよ。」

「んん~…」

「生返事じゃ誤魔化せませんからね。」

返事をするばかりで動く気配のない太一の様子に、光子郎ははぁ、とため息をついた。「とやっ!」と声を上げて太一は足元を飛んでいたバッタを手で捕まえる。「ちゃんと帰るまでに逃がしてくださいよ」と光子郎が眉を下げれば、両の手で蓋をした太一は「分かってるって!」と笑った。

小学校の決まりの中にちゃんと一度家に帰ってから遊びに行くこと、というものがある。しかしそれを守らない者が一人、八神太一であった。気になったものを見つければすぐにでも走り出し、気が収まるまで駆け回る。それを見かねた先生が、一緒に帰ることの多い光子郎に家へと連れて帰ってくれと頼んできたのだ。光子郎は正直面倒くさいと思いつつも、断ることも出来ずに引き受けてしまった。

(だけど…僕にだって彼を止めることなんかできるわけないんだけどなぁ。)

とりあえず太一の腕を掴みながら、光子郎はひとつ息を吐く。この身一つで彼を傍にとどめることができたらどんなにいいだろうか。もうずっと願っているのに、叶ったことなど一度もないのだ。

「…光子郎」

「はぁ…何ですか太一さ、ちょ、太一さんッ!?」

名前を呼ばれたと思ったら、するりと光子郎の手から太一が離れる。止めようと手を伸ばすのに、届かぬまま彼の背中だけを見つめる形になってしまう。

あぁ、貴方はまた僕から離れていってしまうんですか。

じわりと瞼が熱くなった気がして、光子郎は俯く。ぽたぽたと地面に落ちるのはきっと汗だと言い聞かせて、光子郎は必死に声を押し殺した。あの背中を掴んで、引き寄せる力が自分にあればと──

「ほら、光子郎。」

こつん、と頭の上になにか冷たいものが乗せられた。はっ、と光子郎が顔を上げると、両の手にラムネ瓶を持った太一が立っていた。ぽかんと固まる光子郎を無視して蓋を開けると、一本を光子郎の口に突っ込む。

「飲めよ、暑いだろ?へへ、こっそり金持ってきてんだ。」

そう言って太一は近くのベンチへ光子郎を座らせる。その様子に、この人は分かってやっているのだろうかと光子郎は悔しそうに、けれど心底嬉しそうに笑った。

「言っとくけど光子郎も同罪だからなッ!寄り道仲間!」

泉光子郎、どうやら今日の任務は失敗のようです。

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