【光太】ハッピーシェアルームエンジェルズ!
死にたい訳では無いけれど、生きてる価値も見いだせない。
今年21歳となる大学三年生──泉光子郎は、大学の帰り道をとぼとぼと歩いていた。右手にはかさかさと無機質な音を立てるレジ袋を掴み、左肩には何冊もの教科書やノート、そして愛用のノートパソコンを詰め込んだ鞄をかけている。ついこの間まで春の心地いい風が吹いていたはずなのに、いつの間にか夏へと変わってむわっとした息苦しい風が体にまとわりつく。手の甲で汗を拭いながら時計に目をやる。午後六時すぎ、オレンジから紫へと変わる空を眺めながらため息をついた。
「………ん…?……わっ、」
ひらり、空を見上げた光子郎の顔に白い何かが降ってきた。それは目元にふわっと乗っかり、視界を白く染めた。慌てて手で取ると、それは白い羽根だった。白鳥のような白くて大きな羽根がふわふわと空から舞ってくる。
どこから降ってくるんだ。少なくともこんな羽根を降らせるような鳥などこの東京の上空に飛ぶはずは…。頭の中で悶々と考えながら再び顔を上げた。
「……あ、…え…?」
光子郎の視界に広がるのは、紫色の空を背景に大きな白い羽根、星マークが付いたTシャツに茶色のズボン、頭には青のバンダナに大きなゴーグルをつけ、鳶色の髪は風でふわふわと揺れる、そんな少年。くりっとした瞳は光子郎の目を真っ直ぐ見つめていて、何故か目が離せなかった。
小学生に見えるその少年は、身体を丸めてぷかぷかと空を舞っていた。ばさりと一回、羽根を靡かせると丸めたからだをゆっくりと起こす。
「…………綺麗だ…。」
光子郎の口からこぼれたのは、単純な言葉。言葉では表しきれない美しさを、それでも言葉にしようとした結果がこれだった。その少年はその言葉が聞こえたのだろうか。にこりと眩しいほどに笑うとこちらへゆっくりと手を伸ばす。口をぱくぱくと動かしているが、光子郎には何も聞こえなかった。
「貴方は……何を、言って…」
光子郎はその手を掴もうと手を伸ばす。
一歩、まだ届かない。
二歩、もうそろそろ。
三歩、あともうちょっと。
四歩、とど
ガシャンッ!!
けたたましいほどの金属がぶつかり合う音と、人々の悲鳴。耳をつんざくような騒音とざわめきに光子郎ははっ、と意識を戻す。
自分のすぐ後ろに大きな荷台トラックが突っ込んでいた。光子郎は状況をよく読み込めず、目を白黒とさせる。あと数歩うしろへ下がっていたならば、今頃あのトラックの下敷きになっていたのだろうか、そんなことが安易に想像出来て光子郎は身震いをした。周りにいた人々が自分に声をかけてくる。大丈夫か、怪我はないか、そんな心配の声をはい、だの別に、だの曖昧な言葉で返しながら、思い出したように空を見上げた。
そこに先程の少年はいない。
それでも足元に散らばる純白の羽根だけはその事実を主張していた。
〇
「はぁ………ただいま…」
ガチャリと重い玄関を開けて倒れ込むように光子郎は座り込んだ。ドサドサと少々乱暴にレジ袋を置いて靴を脱ぐ。結局あの後、特に目立った怪我もなくそのまま逃げるようにして一人暮らしをしている賃貸マンションへと帰ってきた。あまり騒がれては親にも迷惑がかかる。怪我もないし、運転手も酷い頭痛に襲われたという故意的なものではなかったので穏便に済ませたかったのだ。
ふらふらと立ち上がって袋を掴むと、リビングへと足を踏み入れる。ぱちり、と部屋の電気をつけて、そこで光子郎は手に持っていたレジ袋を床へと落としてしまった。
「あっ!おかえりー!」
「え、あの、………えぇええ!?!?」
小さな二人がけのソファにちょこんと座っていたのは、先程街中で見たあの天使だった。目を見開いて驚きの声を上げる光子郎を見て、その少年はけたけたと笑う。
「わははは、そんなにおっきー声出せるなら大丈夫だな!」
「え、あの、貴方はさっきの、」
口をぱくぱくとさせて何とか言葉を紡ごうとする光子郎を笑いながら、その少年はソファを降りてとことこと近寄ってくる。その仕草は普通の少年そのもので、その背中にある羽根さえなければ紛れもなく人間そのものだった。
「かすり傷とかもない?イタイとこは?」
「え、あぁ、…大丈夫です、どこにも痛みは…」
ぺたぺたと小さな手で腕やらお腹やらを触る。その手が何だか可愛くて、そっと優しくその手を撫でながら言うと、少年は次こそ安心したように胸をなでおろした。
「よかったー!何だかオレの声聞こえてないみたいだったからさ。危ないよ!って言えなかったんだ。」
「…あぁ、やっぱりあの時助けてくれたんですね。」
ありがとうございます、と感謝の言葉を述べれば、その少年はえへへと照れくさそうに頭を掻いた。
「あ、オレね!たいちって言うんだ!えっと、漢字だと……細い太いの『太い』って漢字に……いち、に、さん!の………数字!数字の『一』で太一って言うんだ!」
「太一………こう、ですかね?」
机の上に常に置いているメモ帳をちぎってそこに確かめるように『太一』の二文字を書き込めば、太一は「そー!それそれ!」と嬉しそうに指さした。
「太一さん、ですね。僕は光子郎と言います。泉光子郎です。」
「こーしろーだな!よろしく!」
「えぇ。」
お互い微笑み合えば挨拶代わりに握手を交わした。ふと、そこで光子郎は首を傾げる。
「そういえば、鍵しまっていましたしどうやって家に……というかよろしくって…。」
「あぁ、そのことね!」
太一はにぃ、と歯を見せて笑うとふんっと胸を張った。
「オレ、天使なんだ!ヒトをシアワセにする天使!だからこーしろー!オレお前をこれからシアワセにするから!そのためには一緒に暮らさなきゃだろ?」
はっきりとした芯のある声でそんなことを言われてしまえば、光子郎は二度目の大声を上げた。そんな様子に「こーしろーは反応いいなぁ!」などと言って太一は腹を抱えて笑った。
〇
「こーしろー、お前いっつもそんな飯くってんの?」
「え?あぁ、はい。」
そんな飯、というのは多分今箸でつついている最中のコンビニ弁当の事だろうか。光子郎は素直に頷けば、太一はむぅ、と頬を膨らませ不満を主張する。
「野菜は買わねーのか?ビョーキになるぞ!」
「あぁ、えぇっと、買う時もあるんですけど今日はあまりお腹がすいてなくて…」
「ダメ!ふけんこーだ!」
足のつかない椅子に座ってぱたぱたと足を揺らす太一に苦笑しながらも、もっともなことを言われて何も言い返せない。
「決めた!明日から飯はオレがつくるから!」
「え、つ、作れるんですか?」
「バカにするなよっ!一通りのことは出来るようになってこっちのセカイに来てんだぞ!」
ばんばんと机を叩きながら反論してくる太一を宥めるようにすみませんと謝れば、ふん、とそっぽを向かれてしまった。
「じゃあ、もし良ければお願いしてもいいですか?」
「おう!任せろ!」
明日早速なににしよっかなー!と考え込む太一を見つめながら魚の身を口に運べば、タイミングよく風呂が沸いたことを知らせるメロディが流れた。
〇
その後、二人で湯船に浸かる。風呂から出れば、久しぶりに引っ張り出してきたドライヤーで太一の髪を乾かしてやった。光子郎自身は髪が短いためすぐ乾くのだが、太一は見た目通りすこし長さも量もある。夏とはいえ風邪をひいてはいけないと光子郎は太一の髪を撫でてやりながらその水分を熱風で飛ばしてやる。くすぐったそうにくすくすと笑いながら身を攀じる姿が何だか愛おしくて、あついよーと文句を言われるまで乾かしてしまった。
「こーしろーは明日もガッコー?」
「そうですよ。」
布団に勢いよく転がる太一を横目に光子郎はベッド横の電灯を付けて、部屋の明かりを消した。
「それにしても、こーしろーの家って広いんだなー。」
「アメリカの友人に頼まれてコンピュータを使ったバイトをしてるんです。ちゃんとした精密機械を扱わないといけないからどうしても複数部屋欲しくて。」
「そーいやこの寝室とリビングと風呂トイレの他にももう一個トビラあったなぁ。」
一人暮らしにしては広いと思ったのだろう。太一は納得したように頷くと枕をぽふぽふと叩いて柔らかさを確認していた。光子郎は棚から来客用の布団を取り出そうとするが、太一に一緒に寝るんだ!とせがまれてしまい、とりあえず枕だけを取り出した。「どちらがいいですか?」と枕を差し出せば「んー、コッチ!」と以前から光子郎が使っていた枕を抱きしめた。
「てかこーしろーさぁ、オレのことさん付けで呼ばなくていいし、敬語だって使わなくてもイイんだぞ。」
「いえ、その……どちらも癖なので、気にしないでください。」
「ふーん、ま、こーしろーが話しやすい方でいいけどさ。」
二人ともぽすんと枕に頭を預けて寝そべる。太一は背中を光子郎の方に向けて横になってしまい、光子郎の顔にぱさぱさと羽根が当たって地味にむず痒い。その事に気づいたのだろうか。太一は一度体を起こして光子郎と向き合うようにして横になった。
ふと、太一がその手を光子郎の頬に伸ばす。それを受け入れるとひんやりとした手が光子郎の頬を撫でた。
「手、冷たいですね。もしかして寒いですか?」
「んーん、オレ好きに体温変えられるから。こーしろー今暑いんだろ?」
「た、確かにちょっと暑かったですけど。…よく分かりましたね。」
「えっと、天使さ、近くにいる人の気持ちとか分かるんだ。」
天使って便利なんだな。光子郎は少しだけ眠気に襲われた頭でそんなことを思った。
「だからオレ、街の中でこーしろーのこと見つけられたんだよ。」
その言葉に、光子郎はぱちくりと瞬きをした。
「街の中飛んでたらさ、こーしろーの『死にたい』って気持ち聞こえたんだ。それダメなやつだってオレ知ってるから。だから。」
死にたい、そんなこと思っただろうか。光子郎は少しだけ考え込んだ。あぁ、そうだ。確かにそんなフレーズは使ったかもしれないが、別に『死にたい』訳ではないのだ。そんな光子郎の思考を読んだのかもしれない。太一はみるみる顔を真っ赤にして小さな声で「オレの聞き間違い…?」と呟いた。あ、と光子郎が気づいた頃には太一は布団の中に潜ってしまっていた。夏なのだから掛け布団はもちろんペラペラで、もぞもぞ動いてるのがよく見えた。
「太一さん、出てきてください。勘違いというか…その…その言葉は確かに使ったけど……」
「やっぱオレのカン違いなんじゃん!!!」
ガバッと顔を上げる太一を宥めながら光子郎は落ちかけた掛け布団を元に戻す。
「ええと、それでも太一さんにあの時助けてもらったので。その、結果オーライってやつなのでは?」
「う、……ん……そー、だよな…。」
自分に言い聞かせるようにしてブツブツと呟く太一の頭を光子郎はくしゃりと撫でてやる。あぁ、やっぱりくすぐったそうに笑うその仕草が好きだななんて思った。
「でもなんか、その、意外だな。」
そんな太一の言葉に、光子郎は撫でる手を止める。
「なんかこう、ハジメテ見た時はもっと暗い顔して…………こーしろー…?」
「それは……よく言われます…。」
ゆっくりと撫でていた手を下ろす。撫でてくれる手がなくなったからか、太一は不安そうに名前を呼んだ。光子郎は目を瞑る。
あぁ、そんな顔させたいわけじゃないんだけどな。それにその台詞ももう言われ慣れた。もちろん悪い意味でだ。昔は苦手だった愛想笑いも、最近は割と出来るようになってきた。それでも話を深めていれば段々と言われてしまう言葉。別に今更気にしてはいないが。
「こーしろー、こーしろー、違うんだよ。そーいう意味じゃないんだ。ごめんなこーしろー。こーしろぉ。」
くいくい、と袖が弱い力で引っ張られる。泣きそうな声で名前を呼ばれた。
「あのな、優しいねって言いたかったんだ。ごめんこーしろー。」
優しいね、随分とありふれて軽い言葉だ。多分日常でもよく言われる。優しいって言葉は、結局相手にとって都合のいい人間であるってことで。少なくとも光子郎はそう思っていた。それでも太一の言った「優しいね」はそんな嫌味なんて一つも含まれてなくて、嫌な気持ちなんてしなかった。
「………太一さんは優しいですね。こんな僕にもそうやって言葉をかけてくれるんだから。」
違うよ、太一の声が聞こえる。光子郎はまだ目を瞑ったままだ。普段は優しいねなんて使わないけれど、太一の言う「優しいね」が好きで、光子郎はつい口にしてしまう。
「優しい人ってのはな、素直に『優しいね』って言えるこーしろーみたいなヒトのこと言うんだよ。」
それは太一さんも同じじゃないですか、と言えば、オレは人間じゃないもんと屁理屈を言われた。よしよし、とひんやりした手で撫でられたのが駄目だった。目を瞑っていたはずなのにそこからぽろぽろと涙がこぼれる。ゆっくりと目を開ければ蓋を失った涙は更に量を増やしてこぼれていく。太一はぎょっとした顔でそれを見つめあたふたと手をさまよわせた。
「こーしろー、泣かないでくれよ。オレお前の涙よりも笑顔が見たいよ。こーしろー。」
慌てる太一に微笑みかけるとそのまま抱きしめた。ひんやりとした冷たさは手だけでなく全身に伝わっているようだ。確かに気持ちいいけれど何だか不安になる。次からは暑くても体温を保ってもらおう、そんなことを思った。目元が熱い。明日腫れちゃったらやだな、なんて思っていれば太一の冷たい手が光子郎の目元を覆う。ふふっ、と光子郎が笑えば、太一がやっと安心したように息を吐いたのが聞こえた。
「わかったこーしろー、これ嬉し涙って言うんだな。流してもいい涙だ。」
そうですよ、その一言が言えないまま光子郎は眠りに落ちていった。
〇
かちゃかちゃと金属がぶつかる音が聞こえる。それに合わせて香ばしい匂いも漂ってきた。光子郎がゆっくりと目を開ければ視界には白い壁だけだ。ガバッと勢いよく起き上がって周りを見るが人影がない。布団に落ちている二、三枚の羽根を見ながら微妙に空いた扉を開いてリビングへと出れば、キッチンに見知った人影があった。その前の机の椅子がひとつ足りない。きっと今太一が使っているのだろうと光子郎は分かった。
「おはようございます、太一さん。」
「あ!おはよーこーしろー!」
キッチンはそこまで高くないが、普段使わない食器類は高い場所にある棚にしまっていたんだと気づいた光子郎はキッチンへと近づく。
「ダメ!」
「え、」
「もう出来たから!皿の場所もわかるしあと盛り付けて運ぶだけなんだ!座ってろ!」
「…………はい。」
素直に座れば太一は満足そうに頷いた。
「こーしろー、飲み物はお茶でいい?」
「はい。」
「嫌いなものは?」
「特には。」
「おっけー!」
そう言って太一は机にお茶を入れたコップを運ぶ。その後、ハムと目玉焼きを乗せたトーストとマヨネーズをトッピングしたプチトマトとキュウリのサラダを盛り付けた皿をお盆に乗せて運ぶ。
「ありがとうございます。随分と豪華ですね。全部食べられるかな…」
「これぐらい食べないと元気でないぞ!お前朝はウィンダーゼリーで済ませてるだろ!冷蔵庫に全然材料ないから朝から買ってきちゃった。」
「……バレましたか。」
「バレバレだ!」
ふと、光子郎は向かいの机を見つめる。そこは多分、今後太一の特等席になる場所だ。
「太一さん、太一さんの分の朝ごはんは?」
「んあ?オレはヒトじゃないから飯食わなくても大丈夫なんだよ。寝るのだってヒトに合わせてるだけで別に必要なわけじゃないしな。」
「でも、味は感じるんでしょう?」
「うん、美味いもんは美味いぞ!」
「ご飯食べるの好きですか?」
「???、おう!」
「じゃあ一緒に食べましょう。」
光子郎の提案に、太一はキョトンとした顔で固まる。その姿がなんだかおかしくて光子郎は苦笑した。
「え。でもオレ金とか持ってないから、」
「別に構いませんよ。どうせ僕も生活費以外にお金使わないですから太一さん一人分ぐらい何ともありません。」
「えへへ、やった!先食べてていいぞ!今から急いで作る!」
嬉しそうに笑いながら太一はとたとたとキッチンへと走っていった。光子郎はいつぶりか思い出せないほど久しぶりの温かいトーストを食べながらそんな幸せを噛み締めた。
二人で食事をしてお互い着替える。太一は小さな風呂敷から同じシャツとズボンを取りだした。
「今日は講義が少ないので四時過ぎには帰りますね。」
「うん!じゃあオヤツ作ろっかな。」
チョコいっぱいかけたホットケーキな!と笑う太一の頭を撫でながら光子郎は玄関へと向かう。
「じゃあいってきます。」
「おう!気をつけてな!」
元気いっぱいに手を振る太一に笑みを見せながらぱたんと扉を閉める。あぁ、早く授業終わらないかな。まだ家を出たばかりなのに。光子郎は上がる口角を手で隠しながら駅へと向かう。
そんなこんなで、光子郎は命の恩人の天使とルームシェアをすることになったのだ。
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