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優しい雨

炎天下の中、タイェブはたっぷりの水が入った桶を天秤棒にぶら下げて担ぎ、町への道を2時間歩いていた。
天秤棒は13歳の少年の肩にずしりと食い込んでいるが、タイェブは他の水汲み人足たちに遅れないよう歯を食いしばって足を動かし続けた。

タイェブの暮らす町に雨が降らなくなって2年が経とうとしていた。
タイェブの町だけでなく国中が大干ばつに見舞われており、町や村を捨てて他国にまで逃げ出す者も出ているという噂だ。

ジリジリと身を焦がすような日差しにタイェブの全身からは玉のような汗がいくつも浮かび上がっては流れている。
タイェブは一旦立ち止まるとシャツの胸元で顔の汗を拭い、天秤棒を担ぎ直して再び歩き始めた。

2年前まで町の井戸には水が溢れ、人々の暮らしを文字通り潤していた。
しかし、干ばつ以降、井戸は干上がってしまい、今では遠くの泉まで水を汲みに行かなければ飲み水の確保すら難しい状況となっていた。
その泉の水も少しずつ減り、今では底が見えるようになっていた。
ここの水がなくなれば、次はもっと遠方まで汲みに行かなければならないだろう。
井戸が枯れて以来、町から水が配給されてはいるがとても足らず、人々は自ら遠方の水場まで汲みに行くか、水を売る商人から買うようになっていた。
大人たちは町を捨て、どこか安定して水を得ることができる場所へ移住した方がいいかもしれないと話し合っている。

町へ着くと人足たちは運んできた水を次々に貯水槽へ入れている。
タイェブも水を移し、空になった桶と天秤棒を片付けると雇い主の商人の元へ今日の報酬をもらいに行った。

「タイェブ、ほら、いつも通り水だ。また明日も来るかい?」
「うん。明日も働かせてよ。」

本来、水汲みの報酬は現金なのだが、タイェブは毎回その金額で買えるだけの水を報酬として受け取っていた。
水を受け取ったタイェブは一旦水を置きに家に戻ることにした。

タイェブは台所の甕に水を移すと二階へ向かった。
二階にはタイェブの3歳下の妹、マタルがベッドに横たわっていた。

「マタル、戻ったよ。具合は悪くないか?」

タイェブの声に妹はゆっくりとベッドから身を起こした。

「お帰りなさい、兄さん。今日は調子がいいよ。さっき隣のおばさんが来て薬も飲ませてくれたし。」

そうか、と言ってタイェブは笑い、妹の少し乱れた前髪を直してやった。

「兄さんこそ大丈夫?疲れたりしていない?」

心配そうな顔をする妹を安心させるため、タイェブは仕事の話を面白おかしく話してみせた。

「さっきまでカセィールさんの田んぼに草取りの手伝いに行ってたんだけどな、モトアァのやつが途中で顔面からこけて泥まみれになったんだよ。モトアァが顔を上げたら泥の怪物みたいな見た目になっててさ。おかしくって笑ってたら泥の塊を投げつけてくるから避けるのが大変だったよ。」

その後、二人で泉に水浴びに行って泳いだこと、泉に茂るナツメヤシがたくさん実っていたことを話した。

「今年は去年と違ってよく雨が降るからな。何も心配することはないぞ。」
「うん…。」
「じゃあ、そろそろ次の仕事に行ってくるよ。夜には戻ってくるから、何かあったら隣のおばさんに頼めよ。」
「兄さん、行ってらっしゃい。無理はしないでね…。」

妹の声に応えて笑うと、タイェブは家を出て次の仕事場へ向かった。




タイェブが出て行った後、マタルは兄の事を考えていた。
兄は普段から常にマタルの事を気にかけてくれていた。

マタルがまだ幼い頃に両親を流行病で亡くして以来、周りの大人に助けられながらも兄と二人で生きてきた。
4年前に病気で目を患い、身体が弱ってほとんど寝たきりの生活になるまではマタルも兄と共に働いて暮らしを支えていた。

しかし今では日がな一日ベッドに一人横たわって過ごしている。
兄のいない間の楽しみといえば、横の窓から聞こえてくる人々の話し声や生活の音、鳥のさえずりなどの自然の音を聞くことになった。

マタルは特に雨の音が好きだと兄に話した。
しとしと柔らかく降る小雨も、ざあっと全ての音をかき消してしまう豪雨も、雨上がりに軒先から垂れる雨水がぽたりぽたりとリズムよく水溜りを揺らす音も好きだった。

マタルの暮らす町に雨が降らなくなってもうすぐ2年が経つ。
最初の年は兄とも雨が降らないことを心配し合っていた。
しかし、この1年、兄はマタルに雨が降らないということを隠すようになっていた。
マタルに先行きを不安がらせないため、そして何より雨好きのマタルが寂しがらないよう兄はまるで雨が降っているかのように振舞ってくれていた。

雨が降らないことを隠すために、兄は様々なことに気を配っていた。
どうやって作ったのか、雨のような音が出る道具を用意して雨音を聞かせてくれたり、水が少ないことをマタルに悟らせないように決して水を絶やすことがなかった。

マタルは雨を音だけでなく、匂いや湿度でも感じていた。
そのため、兄が演出している雨が本物の雨でないことは初めから分かっていた。
しかし、兄が自分を想ってそうしていることも分かっていたため、マタルも雨が降っているかのように振舞っていた。




夜になってタイェブが帰り、夕食を済ませてから二人はたわいの無い話に花を咲かせた。
やがてマタルが眠りに就く時間が来ると二人はおやすみと言葉を交わし合い、マタルはベッドに横たわった。
タイェブは友人たちに手伝ってもらって作った雨のような音が出る木製の機械を使って雨音を作り始めた。
その機械はマタルが想像するものよりも大掛かりで手の込んだ作りになっていた。
ざあざあと雨とは微妙に違う音が室内を満たしていた。
マタルはその優しい雨の音の中で、ゆっくりと訪れる眠りに包まれていった。








お題:雨
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