幸福論(鮫島義一)

「ねぇ、鮫」
「あ?」
「今日が何の日か知ってる?」


真っすぐな瞳がオレを映し、結ばれた口元がきれいな弧を描いた。

可愛いというより整ったキレイな顔で、所謂、美人。
そんな女にそんな顔をされたら、普通の男ならかなり心が動くだろう。


だが、オレは知っている、コイツがどんな女なのか。


「知らねーよ」


読みかけの雑誌に戻りながら、欠伸をひとつ。
ふわぁ、と声にもならない音が漏れた。


「今日は3月14日なんだけど」
「あー?誰かの誕生日かぁ?」
「ホ、ワ、イ、ト、デー」

その言葉に一瞬考えて、雑誌から顔を上げた。

「オレの記憶が正しければ」
「うんうん」
「お前からバレンタインに何も貰ってねーんだけど。ってかむしろ、オレが買わされた気がするんだけど」


高っけー、高級ブランドチョコを。

「やだ鮫、ちゃんと覚えてるじゃない。なのに何でホワイトデーを忘れてるの?」
「お前人の話を聞いてたか?。お前から貰ってねーのに、なんでオレがお返しを用意すんだよ」


バカねー、っと。フフっと目を細めて可愛らしく笑う顔は女神。


「バレンタインもホワイトデーも、愛が大きい方が相手にプレゼントするのよ?」

発したセリフは悪魔。


それって、オレが一方的に愛を捧げてるってことじゃねーの?
オレたち相思相愛なんじゃねーの?



軽く眉間にしわを寄せ、ぐるっと頭に廻った思考は、口と言う出口まではいかない。
5年も付き合うと、それがどういう結果を生むのかイヤってほど経験済みだからだ。

極々控えめにため息を吐き、諦める。


「・・・で、何が欲しいんだ?」

絶対に勝てない相手というものを、オレはコイツに出会って思い知る。


「これ」

そう言って、手の甲を優雅に上げてみせた。

「手がどうかしたのか?」
「違うわよ。ここに欲しいの、リング」

ああ?指輪なら前に買ってやっただろうが。

ふと、オレの記憶では、一度もはずしたことがないはずの指輪。それが、見えない。

ンん?っと思い、よく見ると上げられている手が違う、左手なのだ。



オレの思考を読んだかのごとく、エンゲージリング、と笑う。

!?


「ば、おまっ!!」


思わず前のめりになった体から雑誌が滑り落ちた。

「何よ?」
「何って、普通ホワイトデーにンなモノねだらねーだろうが!!」



エンゲージリングだと?!
ある意味これ、プロポーズだぞ?!


「何?イヤなの?」


ご丁寧に声音が低くなり、不機嫌そうにオレを睨む顔が、
ああ、コイツの一番キレイな顔だと思ってしまうあたり、ゲン曰く「完全にドMだな。」と。
もう自覚するしかなさそうだ。


耳に入るのは、自分自身が吐いた人生で何十回目かわからないため息。


「で、いつ買いに行く?」
「今から」

・・・

毎度毎度、コイツの思い通りに事が運ぶのは気に入らない気もするが


「あんまり高いのは無理だぞ」
「分かってる分かってる」


上機嫌な顔が直ぐ横にきて、柔らかな肌がオレの頬に触れる。


「鮫、大好きよ」



昔も今も、耳元で囁かれるその言葉だけはコイツの本心だと分かるから

たぶんオレは幸せなんだろうと、
きっと似合うであろう指輪がつけられた手を想像した。


ー 幸福論 ー
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