Side-C.
ランティスの精獣とランティスの話で、ランティスとザガートの話です。
ランティスとザガートが親衛隊長と神官になって大分経ってる設定です。っていうか、ランティスがセフィーロを出て行く直前設定です。
何かいつにも増して自己満足感があり、たいそうワケが分からないかもしれません(すみません)。
**
カンっと鈍い音を立てて彼の剣が飛んだ。持ち主の手を離れたそれは、放物線を描き、そのまま地面へ落下して行く。魔物が断末魔の咆哮を上げて、彼に向って拳を振り下ろした。それを避けようとして彼の身体の均衡が崩れる。私が気が付いた時には、彼の身体はすでに宙に投げ出されていた。彼の剣を追うように、まっすぐに落ちて行く彼の身体。私はそれを追って高度を急速に下げた。視界の端で魔物が咆哮をそのままに、身体を前に傾がせるのが見えた。地面を叩く重い音がして、魔物は地面の上で動かなくなった。
先ほどの一撃が最期の力だったのだ。この勝負は彼の勝ちだ。
……彼が無事であれば。
私は、彼が落下したであろう地点目がけて宙を駆けた。
前々から嫌な予感はしていた。最近の彼の「心」は不安定で、特にここ最近の「心」の乱れは彼の魔法や太刀筋にまで影響を与えていた。切っ先がぶれるから一度でとどめを刺せない。魔物に跳ね飛ばされながら魔法を放つから、その余波を諸に受けて彼自身が負傷する。私は彼の魔法剣士としての実力を認めているし、認めているから彼と契約を交わしているのだが、最近の彼らしからぬ乱れた戦い方には眉を顰めざるを得なかった。あんなに気配に敏い彼が、にじり寄る魔物の存在に気付かず、無防備に背中を晒したのも、一度や二度ではない。
私は彼がいつか取り返しのつかない傷を負いはしないかと心配していたのだが、それが現実のものとなったのが、今、まさにこの瞬間だったのだ。
このまま死を迎えるのなら、そこまでの人間だったというだけのことだ。私は彼と契約を終えて、また精霊の森に帰れば良い。誰の精獣でもなくなって、また新しい主人との契約を待てばいい。
しかし、このまま死なせるには惜しいと思える程度には、私と彼の付き合いは長いものになっていた。
私が地面の上に倒れた彼を見つけた時、彼は額から血を流していた。意識はあるのだろうか。彼の「気」が感じられない。私が蹄を鳴らしながら傍に近づいても、彼はぴくりとも動かなかった。
本当に死んだのだろうか。しかし、よく見ると彼はその青い瞳を薄く開いて、仰向けに横たわったまま、空をじっと眺めているのだった。
彼の青い瞳は何かを探るように空を見ていた。彼の視線を追って、私も空を仰ぐ。黄昏と夜の狭間で、空は紫色に染まっていた。
じつと「気」を探れば、消えそうに弱った彼の「気」を僅かに感じた。しかし、その「気」のあまりの力のなさに、彼を助けるためには誰か、助けを呼びに行かなければならないだろうと思った。ただでさえこの森には魔物が多い。力ある者の「血」の匂いは、彼らを引き寄せる絶好の餌だ。
それなのに、彼自身が誰も呼ぶなと、ここにいろと言っているような気がして、私はその場から動くことができなかった。昼時の明るいセフィーロの空の色をした彼の瞳には、希望を失ったかのように光がない。彼は暗く陽を落とすあの空のように、生きる意志を失いかけているのだろうか。私は、何かを思い出すように、空を眺めている彼の瞳をじっと見つめた。
**
久しぶりにザガートに声をかけられたかと思えば、暇なら稽古につきあえという。思えば、彼が神官になってから、そして自分が親衛隊長になってから、手合わせをする機会など滅多になくなっていた。導師クレフの下で来る日も来る日も共に修業を重ねていた日々も、振り返れば随分と遠くなってしまった。ザガートが手合わせの場所として選んだのは、滅多に人が足を踏み入れることのないような森の奥深くで、確かにこの場所なら遠慮なく攻撃魔法も使えるだろうと思われた。彼が想定している「手合わせ」は、数度剣を交わすような、軽いものではないようだ。「ここでいいだろう」呟くように言ったザガートが防具の飾りの一つから剣を取り出すのを見て、ランティスも魔法剣を目の前に翳した。
気が進むか気が進まないかと問われれば、あまり気は進まなかった。
セフィーロ唯一の魔法剣士と煽てられたところで、自分が魔法でも、剣でも、ザガートに及ばないことはよく分かっていた。ランティスが生まれた時からずっと、ザガートはランティスの前を歩いていて、最初から決められているかのように、それはごく当然のことだった。頭の良い兄、優秀な兄、できた兄……誰もがザガートに賞賛の声を惜しまない。幼いころは比べられることすらなかった。ザガートと同じ師の下で教えを乞うようになってから、もしかしたら追いつけるのかもしれない、彼と同じ風景を見られることもあるのかもしれないと思うようになった。だが、それでも結局彼の背中に一瞬でも追いつけたためしなどなかった。
今日も、彼と自分の間にある圧倒的な明暗の差を思い知らされることになるのだろうか。
そんなことを思いながらも剣を構えたランティスを見て、ザガートが剣を振りかぶるのが見えた。ザガートの剣は風を切る音すらしない。一切、無駄な力の入っていない美しい太刀筋。しかし、その打ち下ろされた剣のあまりの力強さに、ランティスは戦いた。剣身を押し合いながら、ザガートの瞳を見ると、彼の紫色の瞳が強くランティスを射抜いた。その瞳の真剣な色に、ランティスはザガートの本気を悟った。彼の本気の力を身をもって体験するのは初めてだった。なぜなら、彼は稽古の時にはいつも、ランティスに合わせてくれていたから。
彼の剣を思い切り振り払いながら、本当にザガートが本気なら、俺は負けるだろうと思った。
しかし、負けたくないという気持ちがあるのも事実だ。一度くらい、一瞬でも、横に並んでみたい。ランティスは今度は自分から地を蹴って、ザガートとの間合いを詰めた。本気の勝負ならば、遠距離からの魔法での勝負より、剣での接近戦の方が勝機はあるはずだ。剣筋を見て、ランティスの本気を見て取ったのか、ザガートが僅かに口角を上げて笑みを作った。ザガートの剣は軽々とランティスの剣を受け流して、そのまま翻った切っ先がランティスの頭上に振り下ろされた。それを避けながら、少しでも気を抜けば喉笛を切り裂かれてしまいそうだと思う。幾度か切り結ぶうちに、うまくよけたつもり剣の切っ先がランティスの頬を切って、薄く切れた皮膚から血が流れ落ちるのを感じた。錆びた鉄のようなその臭いに、「負けるだろう」という卑屈な予感が、殺されるのかもしれないというヒリヒリとした恐怖に変わる。
その恐怖は、唐突に、ある確信をもたらした。
自分がザガートに刃を向け、刃を向けられるということ……それは、手合わせなどではなく、実際にありうる現実として、いつか、近い将来訪れるのかもしれない。
それを自覚した瞬間に剣の柄を握る手が緩んで、気づけば背中を強かに打ち付けていた。すぐ目の前にザガートの瞳、そして頬の真横に突きつけられる剣先。ザガートはランティスを太い木の幹に押し付け、縫いとめるように剣を突きつけていた。二人はしばらくそのまま動かなかった。
幼い頃から嫌というほどに見てきているはずだが、改めて間近で見るザガートはとても端正で美しく整っていた。それこそ作り物のように。生まれてからずっと、ザガートは完璧な容姿と完璧な能力を背負って、生きてきたのだ。からんと乾いた音がして、ランティスの手から魔法剣が滑り落ちた。考える前に、本能的に戦う意志を放棄していた。その一方で、ランティスの理性はずっと見ないようにしてきた現実を冷静にランティスに突きつけ、囁いた。
“近い将来、お前はザガートに刃を向けることになる”
分かっていた。いつか、セフィーロは……ザガートを天才だと、尊い神官だと褒め称えるセフィーロの人々は、姿勢をくるりと変える。彼らはザガートを裏切り者、叛逆者と罵り、彼の名を貶めるだろう。
その時、自分がどうするのか、ランティスには分からなかった。他の者と共にザガートに刃を向けるのか、彼と共にセフィーロを裏切るのか。
どちらもできるわけがない。
彼の道を遮ることも、彼と運命を共にすることも。それは彼を貶めるのと同じことだ。
しかし、いずれどちらかを選択せねばならない日がやって来る。
それでも、そんな未来を認めたくはないのだった。ランティスはザガートの深い紫色の瞳を見つめながら言った。
「俺はお前と……」
“戦いたくない”
しかし、ランティスが言い終わるより先に、ザガートが口を開き、ランティスの言葉を遮った。
「ランティス、あまり俺を迷わせるなよ」
苦笑するような、懇願するような口調にランティスは戸惑った。そのぶっきらぼうな言葉遣いは、二人が導師クレフに出会う前。ザガートと二人で小さな街で暮らしていた頃の、まだ若かったザガートのことを思い起させるのに、その言葉の裏にはもう、ランティスよりも何百年も長く生きた老人のような諦観が滲み出していた。
「昔から、お前のその目を見ていると、心が揺らぎそうになる」
ランティスが返す言葉を探していると、ザガートはランティスに言った。
「ランティス、――――――――――――――」
しかし、それはとても大切な言葉であるはずなのに、どうしても最後まで聞こえない。
**
記憶を探るように遠い目をしていた彼の瞼が震えるのを見て、私は首を伸ばしてゆっくりと彼の額を舐めた。そこで彼は初めて私の存在に気が付いたようだ。彼は緩慢な動作で首をひねると、僅かに微笑んで、私の首に手を伸ばした。私の毛並みを撫でるその動作はひどく優しかった。
しかし、その手に力はなく、撫でるというよりも「触れる」という方が正しいのかもしれなかった。
『俺はもうここには居られない』
『今、セフィーロを出たら、二度とこの国には帰って来られない』
それは、実際に喋っているのか、心から漏れ出した「声」なのか、分からない程小さく、しかし、とても確信に満ちた声だった。
『それでも、俺は……』
彼はそこで言葉を切って、私を見た。その瞳は何かを諦めたように、しかし、何かに縋り付くように寂しく、孤独な色をしていた。
「ついてきてくれるか?」
私は低く嘶いて、その言葉に答えた。
**
ランティスとザガートが親衛隊長と神官になって大分経ってる設定です。っていうか、ランティスがセフィーロを出て行く直前設定です。
何かいつにも増して自己満足感があり、たいそうワケが分からないかもしれません(すみません)。
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カンっと鈍い音を立てて彼の剣が飛んだ。持ち主の手を離れたそれは、放物線を描き、そのまま地面へ落下して行く。魔物が断末魔の咆哮を上げて、彼に向って拳を振り下ろした。それを避けようとして彼の身体の均衡が崩れる。私が気が付いた時には、彼の身体はすでに宙に投げ出されていた。彼の剣を追うように、まっすぐに落ちて行く彼の身体。私はそれを追って高度を急速に下げた。視界の端で魔物が咆哮をそのままに、身体を前に傾がせるのが見えた。地面を叩く重い音がして、魔物は地面の上で動かなくなった。
先ほどの一撃が最期の力だったのだ。この勝負は彼の勝ちだ。
……彼が無事であれば。
私は、彼が落下したであろう地点目がけて宙を駆けた。
前々から嫌な予感はしていた。最近の彼の「心」は不安定で、特にここ最近の「心」の乱れは彼の魔法や太刀筋にまで影響を与えていた。切っ先がぶれるから一度でとどめを刺せない。魔物に跳ね飛ばされながら魔法を放つから、その余波を諸に受けて彼自身が負傷する。私は彼の魔法剣士としての実力を認めているし、認めているから彼と契約を交わしているのだが、最近の彼らしからぬ乱れた戦い方には眉を顰めざるを得なかった。あんなに気配に敏い彼が、にじり寄る魔物の存在に気付かず、無防備に背中を晒したのも、一度や二度ではない。
私は彼がいつか取り返しのつかない傷を負いはしないかと心配していたのだが、それが現実のものとなったのが、今、まさにこの瞬間だったのだ。
このまま死を迎えるのなら、そこまでの人間だったというだけのことだ。私は彼と契約を終えて、また精霊の森に帰れば良い。誰の精獣でもなくなって、また新しい主人との契約を待てばいい。
しかし、このまま死なせるには惜しいと思える程度には、私と彼の付き合いは長いものになっていた。
私が地面の上に倒れた彼を見つけた時、彼は額から血を流していた。意識はあるのだろうか。彼の「気」が感じられない。私が蹄を鳴らしながら傍に近づいても、彼はぴくりとも動かなかった。
本当に死んだのだろうか。しかし、よく見ると彼はその青い瞳を薄く開いて、仰向けに横たわったまま、空をじっと眺めているのだった。
彼の青い瞳は何かを探るように空を見ていた。彼の視線を追って、私も空を仰ぐ。黄昏と夜の狭間で、空は紫色に染まっていた。
じつと「気」を探れば、消えそうに弱った彼の「気」を僅かに感じた。しかし、その「気」のあまりの力のなさに、彼を助けるためには誰か、助けを呼びに行かなければならないだろうと思った。ただでさえこの森には魔物が多い。力ある者の「血」の匂いは、彼らを引き寄せる絶好の餌だ。
それなのに、彼自身が誰も呼ぶなと、ここにいろと言っているような気がして、私はその場から動くことができなかった。昼時の明るいセフィーロの空の色をした彼の瞳には、希望を失ったかのように光がない。彼は暗く陽を落とすあの空のように、生きる意志を失いかけているのだろうか。私は、何かを思い出すように、空を眺めている彼の瞳をじっと見つめた。
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久しぶりにザガートに声をかけられたかと思えば、暇なら稽古につきあえという。思えば、彼が神官になってから、そして自分が親衛隊長になってから、手合わせをする機会など滅多になくなっていた。導師クレフの下で来る日も来る日も共に修業を重ねていた日々も、振り返れば随分と遠くなってしまった。ザガートが手合わせの場所として選んだのは、滅多に人が足を踏み入れることのないような森の奥深くで、確かにこの場所なら遠慮なく攻撃魔法も使えるだろうと思われた。彼が想定している「手合わせ」は、数度剣を交わすような、軽いものではないようだ。「ここでいいだろう」呟くように言ったザガートが防具の飾りの一つから剣を取り出すのを見て、ランティスも魔法剣を目の前に翳した。
気が進むか気が進まないかと問われれば、あまり気は進まなかった。
セフィーロ唯一の魔法剣士と煽てられたところで、自分が魔法でも、剣でも、ザガートに及ばないことはよく分かっていた。ランティスが生まれた時からずっと、ザガートはランティスの前を歩いていて、最初から決められているかのように、それはごく当然のことだった。頭の良い兄、優秀な兄、できた兄……誰もがザガートに賞賛の声を惜しまない。幼いころは比べられることすらなかった。ザガートと同じ師の下で教えを乞うようになってから、もしかしたら追いつけるのかもしれない、彼と同じ風景を見られることもあるのかもしれないと思うようになった。だが、それでも結局彼の背中に一瞬でも追いつけたためしなどなかった。
今日も、彼と自分の間にある圧倒的な明暗の差を思い知らされることになるのだろうか。
そんなことを思いながらも剣を構えたランティスを見て、ザガートが剣を振りかぶるのが見えた。ザガートの剣は風を切る音すらしない。一切、無駄な力の入っていない美しい太刀筋。しかし、その打ち下ろされた剣のあまりの力強さに、ランティスは戦いた。剣身を押し合いながら、ザガートの瞳を見ると、彼の紫色の瞳が強くランティスを射抜いた。その瞳の真剣な色に、ランティスはザガートの本気を悟った。彼の本気の力を身をもって体験するのは初めてだった。なぜなら、彼は稽古の時にはいつも、ランティスに合わせてくれていたから。
彼の剣を思い切り振り払いながら、本当にザガートが本気なら、俺は負けるだろうと思った。
しかし、負けたくないという気持ちがあるのも事実だ。一度くらい、一瞬でも、横に並んでみたい。ランティスは今度は自分から地を蹴って、ザガートとの間合いを詰めた。本気の勝負ならば、遠距離からの魔法での勝負より、剣での接近戦の方が勝機はあるはずだ。剣筋を見て、ランティスの本気を見て取ったのか、ザガートが僅かに口角を上げて笑みを作った。ザガートの剣は軽々とランティスの剣を受け流して、そのまま翻った切っ先がランティスの頭上に振り下ろされた。それを避けながら、少しでも気を抜けば喉笛を切り裂かれてしまいそうだと思う。幾度か切り結ぶうちに、うまくよけたつもり剣の切っ先がランティスの頬を切って、薄く切れた皮膚から血が流れ落ちるのを感じた。錆びた鉄のようなその臭いに、「負けるだろう」という卑屈な予感が、殺されるのかもしれないというヒリヒリとした恐怖に変わる。
その恐怖は、唐突に、ある確信をもたらした。
自分がザガートに刃を向け、刃を向けられるということ……それは、手合わせなどではなく、実際にありうる現実として、いつか、近い将来訪れるのかもしれない。
それを自覚した瞬間に剣の柄を握る手が緩んで、気づけば背中を強かに打ち付けていた。すぐ目の前にザガートの瞳、そして頬の真横に突きつけられる剣先。ザガートはランティスを太い木の幹に押し付け、縫いとめるように剣を突きつけていた。二人はしばらくそのまま動かなかった。
幼い頃から嫌というほどに見てきているはずだが、改めて間近で見るザガートはとても端正で美しく整っていた。それこそ作り物のように。生まれてからずっと、ザガートは完璧な容姿と完璧な能力を背負って、生きてきたのだ。からんと乾いた音がして、ランティスの手から魔法剣が滑り落ちた。考える前に、本能的に戦う意志を放棄していた。その一方で、ランティスの理性はずっと見ないようにしてきた現実を冷静にランティスに突きつけ、囁いた。
“近い将来、お前はザガートに刃を向けることになる”
分かっていた。いつか、セフィーロは……ザガートを天才だと、尊い神官だと褒め称えるセフィーロの人々は、姿勢をくるりと変える。彼らはザガートを裏切り者、叛逆者と罵り、彼の名を貶めるだろう。
その時、自分がどうするのか、ランティスには分からなかった。他の者と共にザガートに刃を向けるのか、彼と共にセフィーロを裏切るのか。
どちらもできるわけがない。
彼の道を遮ることも、彼と運命を共にすることも。それは彼を貶めるのと同じことだ。
しかし、いずれどちらかを選択せねばならない日がやって来る。
それでも、そんな未来を認めたくはないのだった。ランティスはザガートの深い紫色の瞳を見つめながら言った。
「俺はお前と……」
“戦いたくない”
しかし、ランティスが言い終わるより先に、ザガートが口を開き、ランティスの言葉を遮った。
「ランティス、あまり俺を迷わせるなよ」
苦笑するような、懇願するような口調にランティスは戸惑った。そのぶっきらぼうな言葉遣いは、二人が導師クレフに出会う前。ザガートと二人で小さな街で暮らしていた頃の、まだ若かったザガートのことを思い起させるのに、その言葉の裏にはもう、ランティスよりも何百年も長く生きた老人のような諦観が滲み出していた。
「昔から、お前のその目を見ていると、心が揺らぎそうになる」
ランティスが返す言葉を探していると、ザガートはランティスに言った。
「ランティス、――――――――――――――」
しかし、それはとても大切な言葉であるはずなのに、どうしても最後まで聞こえない。
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記憶を探るように遠い目をしていた彼の瞼が震えるのを見て、私は首を伸ばしてゆっくりと彼の額を舐めた。そこで彼は初めて私の存在に気が付いたようだ。彼は緩慢な動作で首をひねると、僅かに微笑んで、私の首に手を伸ばした。私の毛並みを撫でるその動作はひどく優しかった。
しかし、その手に力はなく、撫でるというよりも「触れる」という方が正しいのかもしれなかった。
『俺はもうここには居られない』
『今、セフィーロを出たら、二度とこの国には帰って来られない』
それは、実際に喋っているのか、心から漏れ出した「声」なのか、分からない程小さく、しかし、とても確信に満ちた声だった。
『それでも、俺は……』
彼はそこで言葉を切って、私を見た。その瞳は何かを諦めたように、しかし、何かに縋り付くように寂しく、孤独な色をしていた。
「ついてきてくれるか?」
私は低く嘶いて、その言葉に答えた。
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