不穏の呼び水
腐った肉の臭い。それを辿った先でみたのは、地面に残る巨大な爪の跡とその周囲に転がる肉片だった。
フェリオは僅かに眉を顰めた。柱制度の終わったこのセフィーロで、こうした光景を見るのは初めてだ。これが、森の奥深くで良かったと思う。居住区の近くで、戦闘員ではない――魔導師でも剣士でもない、普通の住民たちがこれを見付けてしまったなら、また、居住区の不安が一気に膨れ上がってしまっていただろう。
実を言えば、柱制度の変わる前のセフィーロにおいて、こうした「死骸」そのものは決して珍しいものではなかった。例え柱の祈りによって秩序が守られていても、例外がないわけではなかったのだ。例えば沈黙の森がそうであったように、柱の祈りの及ばない場所や事態は確かにあった。ふらりと迷い込んだ森で出会った魔物に、あるいは森から迷い込んだ魔物に。セフィーロの住民は時に襲われ、時に食い殺された。それは多くはないものの決して珍しくはなく、だからこそ、人々はなおのこと柱による安寧を欲したのだ。
柱制度の終わった現在のセフィーロでは、住民は皆、城の近くに作った居住区に固まって生活をしている。居住区とその近辺の森は、定期的に剣師が巡回をしているので、これまでに魔物による大きな被害は出ていなかった。
そのため、この死体がセフィーロ住民であるのなら、居住区政策、および、対魔物政策の見直しは急務である。
しかし、今回の場合、どうやら、問題の焦点は違うところにありそうだ。
フェリオはその死体の、かろうじて形の残った胴体の隣に座り込み、その傍らに散らばる硬質な物体を摘み上げた。魔物に踏みつぶされたのか、粉々に砕けたそれは、恐らく、この死体の持ち物だろう。フェリオが陽の光りに翳してみると、それは鈍く光を反射した。
「セフィーロの鉱物じゃないよな」
フェリオが同意を求めると、隣で同じように屈みこんでいる「彼」が珍しく長めの回答を寄越した。
「オートザムのXX型のレーザー銃だろう。軽量だが、岩石を貫通する威力があり、耐久性にも優れている」
「そこまで分かるのか?」
「ここに管理ナンバーが残っている」
そう言ってランティスがフェリオに差し出した銀色の欠片には、確かにオートザムの資料でよく目にする記号が刻印されていた。
「服装もそれらしいし、オートザムの人間か。オートザムを騙った者の可能性もあるけどなあ……」
今度は返答がなく、彼は手の中の破片をじっと見つめたままだ。しかし、相手の口数が少ないのは承知の上なので、フェリオは半ば独り言のように言葉を続ける。
「別にオートザムから使者が来るとかそういう話ってないよな」
基本的に、セフィーロへの他国の人間の立ち入りは、オートザム、チゼータ、ファーレンの三国からに限られており、その際は必ず「道」が使用される。三国から派遣される人間も、基本的にはセフィーロ侵攻で顔を合わせた三国の要人が随行し、彼らからは「どのような人間が何人随行するのか」は必ず事前に知らされている。
目の前の人間がオートザムの者であるならば、「道」を使用しない密航か、「随行」に紛れ込んだ何者か……。少なくとも、セフィーロに堂々と立ち入ることのできない何らかの事情を抱えた者であることは間違いないだろう。
そもそも、この「不審者」の死骸を見つけるに至ったのも、セフィーロに入り込んだ何らかの「悪意」を導師クレフとランティスが感じ取ったのがきっかけなのだ。ランティスとフェリオは、その悪意の源を確かめるべく、居住区から離れたこの森にやって来たのだった。
「ちなみに、その銃って容易に手に入るものなのか?」
「オートザムでは、軍人以外の銃の携帯は禁止されている」
「なるほど」
こういう時、セフィーロ外の国に滞在経験のある彼の情報は非常に役に立つ。裏返すと、セフィーロには、あまりに他の国の情報がなかった。現在、セフィーロに暮らしている人間で外の国の情報を知っている者が彼やカルディナくらいしかいない。他国では、「お勉強」として、隣国の特徴や文化を学ぶ機会があるそうだが、長らく鎖国状態にあったセフィーロにはそのような基本情報すらなかった。逆に言えば、セフィーロの情報も他国に渡っていないわけだが、他国との交流が始まった今、そうした情報のなさが「外交」において、いかに不利に働くかを痛感し始めている。
「一応聞くけど、イーグルから何か聞いてるか?」
「……いや」
「だよなあ」
どうしたものかとフェリオは首を捻る。イーグルは、立場としては「セフィーロで療養中のオートザムの要人」だが、心情としては「客」というよりも「仲間」や「友人」に近い。彼はセフィーロの運命を変えた「恩人」でもあり、何より、他国との外交やセフィーロの内政において、オートザムの司令官として軍を指揮し、統率して来た彼の与えてくれる助言や情報は非常にありがたいものだった。時にはオートザムの不利になるのではないかというようなことも平気で助言して来る彼は、目下進行中のセフィーロの立て直しの功労者の一人でもある。
しかし、「セフィーロに無断で立ち入ったオートザムの人間」がいるとすれば、彼を一切疑わないというわけにはいかないだろう。どんなに彼を信頼していようとも。
フェリオは僅かに眉を顰めた。柱制度の終わったこのセフィーロで、こうした光景を見るのは初めてだ。これが、森の奥深くで良かったと思う。居住区の近くで、戦闘員ではない――魔導師でも剣士でもない、普通の住民たちがこれを見付けてしまったなら、また、居住区の不安が一気に膨れ上がってしまっていただろう。
実を言えば、柱制度の変わる前のセフィーロにおいて、こうした「死骸」そのものは決して珍しいものではなかった。例え柱の祈りによって秩序が守られていても、例外がないわけではなかったのだ。例えば沈黙の森がそうであったように、柱の祈りの及ばない場所や事態は確かにあった。ふらりと迷い込んだ森で出会った魔物に、あるいは森から迷い込んだ魔物に。セフィーロの住民は時に襲われ、時に食い殺された。それは多くはないものの決して珍しくはなく、だからこそ、人々はなおのこと柱による安寧を欲したのだ。
柱制度の終わった現在のセフィーロでは、住民は皆、城の近くに作った居住区に固まって生活をしている。居住区とその近辺の森は、定期的に剣師が巡回をしているので、これまでに魔物による大きな被害は出ていなかった。
そのため、この死体がセフィーロ住民であるのなら、居住区政策、および、対魔物政策の見直しは急務である。
しかし、今回の場合、どうやら、問題の焦点は違うところにありそうだ。
フェリオはその死体の、かろうじて形の残った胴体の隣に座り込み、その傍らに散らばる硬質な物体を摘み上げた。魔物に踏みつぶされたのか、粉々に砕けたそれは、恐らく、この死体の持ち物だろう。フェリオが陽の光りに翳してみると、それは鈍く光を反射した。
「セフィーロの鉱物じゃないよな」
フェリオが同意を求めると、隣で同じように屈みこんでいる「彼」が珍しく長めの回答を寄越した。
「オートザムのXX型のレーザー銃だろう。軽量だが、岩石を貫通する威力があり、耐久性にも優れている」
「そこまで分かるのか?」
「ここに管理ナンバーが残っている」
そう言ってランティスがフェリオに差し出した銀色の欠片には、確かにオートザムの資料でよく目にする記号が刻印されていた。
「服装もそれらしいし、オートザムの人間か。オートザムを騙った者の可能性もあるけどなあ……」
今度は返答がなく、彼は手の中の破片をじっと見つめたままだ。しかし、相手の口数が少ないのは承知の上なので、フェリオは半ば独り言のように言葉を続ける。
「別にオートザムから使者が来るとかそういう話ってないよな」
基本的に、セフィーロへの他国の人間の立ち入りは、オートザム、チゼータ、ファーレンの三国からに限られており、その際は必ず「道」が使用される。三国から派遣される人間も、基本的にはセフィーロ侵攻で顔を合わせた三国の要人が随行し、彼らからは「どのような人間が何人随行するのか」は必ず事前に知らされている。
目の前の人間がオートザムの者であるならば、「道」を使用しない密航か、「随行」に紛れ込んだ何者か……。少なくとも、セフィーロに堂々と立ち入ることのできない何らかの事情を抱えた者であることは間違いないだろう。
そもそも、この「不審者」の死骸を見つけるに至ったのも、セフィーロに入り込んだ何らかの「悪意」を導師クレフとランティスが感じ取ったのがきっかけなのだ。ランティスとフェリオは、その悪意の源を確かめるべく、居住区から離れたこの森にやって来たのだった。
「ちなみに、その銃って容易に手に入るものなのか?」
「オートザムでは、軍人以外の銃の携帯は禁止されている」
「なるほど」
こういう時、セフィーロ外の国に滞在経験のある彼の情報は非常に役に立つ。裏返すと、セフィーロには、あまりに他の国の情報がなかった。現在、セフィーロに暮らしている人間で外の国の情報を知っている者が彼やカルディナくらいしかいない。他国では、「お勉強」として、隣国の特徴や文化を学ぶ機会があるそうだが、長らく鎖国状態にあったセフィーロにはそのような基本情報すらなかった。逆に言えば、セフィーロの情報も他国に渡っていないわけだが、他国との交流が始まった今、そうした情報のなさが「外交」において、いかに不利に働くかを痛感し始めている。
「一応聞くけど、イーグルから何か聞いてるか?」
「……いや」
「だよなあ」
どうしたものかとフェリオは首を捻る。イーグルは、立場としては「セフィーロで療養中のオートザムの要人」だが、心情としては「客」というよりも「仲間」や「友人」に近い。彼はセフィーロの運命を変えた「恩人」でもあり、何より、他国との外交やセフィーロの内政において、オートザムの司令官として軍を指揮し、統率して来た彼の与えてくれる助言や情報は非常にありがたいものだった。時にはオートザムの不利になるのではないかというようなことも平気で助言して来る彼は、目下進行中のセフィーロの立て直しの功労者の一人でもある。
しかし、「セフィーロに無断で立ち入ったオートザムの人間」がいるとすれば、彼を一切疑わないというわけにはいかないだろう。どんなに彼を信頼していようとも。
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