ラン光短編集(暗め)

「パパ、すごい!富士山がみえるよ!」
 
 双眼鏡を除き込んだ男の子が叫んだ。そのまま興奮したように小さく跳び跳ねる。男の子の足の下にある台座がガタガタと揺れて、父親らしき男性が慌てて男の子の身体を抑えた。「危ないから静かに見ような」と言い聞かせている。
 微笑ましい、と思った。週末の東京タワーは家族連れがいっぱいだ。見渡せば、幸せな家族の1ページが、そこかしこに溢れている。
 三年前には私もあの双眼鏡をわくわく覗いてた。
 光は男の子と父親のやり取りを見ながら、そんなことを思い出していた。あれは中学二年生の頃社会科見学。光は東京タワーの双眼鏡に100円を入れて、眼下に広がる巨大な東京の街並みを見下ろしていた。同級生に「純真だ」と笑われて、「楽しそうな貴方を拝見していて私も楽しませていただきました」と当時は初対面だった親友に100円を追加してもらったのだ。
 懐かしいなあ、と思う。
 単純純真一直線、それが光の代名詞だ。
 それがいいのか悪いのか、最近、よく分からない。
 時計を見ると、待ち合わせの時間までまだ20分もあった。いつも時間ギリギリの光には珍しい。昨日、あまりよく眠れなかったせいだ。ベッドの中で目をつぶってもそのまま眠りにつける精神状態ではなく、ようやくうとうとし出した頃に窓の外が明るくなって、そのまま目が覚めてしまったのだ。

『あなたには一生分かんないと思う』

 昨日、クラスメイトに言われた言葉を思い出して胸の奥がぎくりと痛んだ。
 あれは昨日の体育の時間……前の休み時間。光は、体操服に着替えようと制服のブラウスを脱いだクラスメイトの白いお腹に大きい痣があるのを見てしまった。肌理の細かい、真っ白な肌を痛々しく赤黒く染めるその痣は拳一つ分ほどにも大きく、しかも、その数は一つではなく、二つ、三つと腹部全体に広がっていた。見てしまったのは本当にただの偶然だったのだが、光は思わず、ぎょっとしてその子の顔を見つめてしまった。その子は光の視線に気づいて素早く体操服に着替えると、光を睨みつけた。
 もちろん名前は知っているが、殆ど話したことのない子だ。黒い髪をポニーテールに結んで、いつも教室で本を読んでいる、どちらかと言えば大人しい女の子。いつも視線を下に向けているけれど、仲のいい子とこっそり持ってきた漫画を交換している時は、とても嬉しそうな顔をする。
 光が何も言えずに固まっている間に、その子はさっさと教室を出て行ってしまった。その後、友人に「光、早くしないと間に合わないよ」と急かされて、光も慌ててグラウンドに向かった。
 その子に、「獅堂さん、ちょっと」と誰もいない教室に呼び出されたのは放課後で、彼女は、黒いポニーテールの先をくるくるといじりながら、「言っとくけど、変な正義感出して、誰かに言ったりしないでよね」と冷たく言った。
「あの、あれってやっぱり……」と口籠る光に、「いじめとか、虐待じゃないから」とその子はため息を吐くように言い捨て、

「最近、彼氏の機嫌が悪くって、ただ、それだけ」

 何でもないことのように言って肩を竦める。

「か、彼氏……彼氏に殴られたの?」

 彼女は、「ふん」と鼻を鳴らして、光を見た。その見下すような視線に不快感を覚えたが、今はそれどころではない。いや、それはおかしいんじゃないか、本当に好きなら殴ったりしないはずなんじゃないかと訴えたが、彼女の光を小馬鹿にするような態度は変わらなかった。

「獅堂さんって本当に優等生だよね。あなたには一生分かんないと思う」

 その言葉に、光が一瞬ひるんだのを見て、その子は、「お願いだから、邪魔だけはしないで。私が良いって言ってるんだから、それでいいじゃん」と言い捨てて、教室を去って行ってしまった。
 確かに光にはよく分からなかった。
 好きな人を好きでいられる。それはとても幸せなことであるはずなのに。好きな人を殴るのはどうしてなのか。そんな幸せの形なんてあるのか。
 光も高校生になって、今年はついに受験生だ。昔から、よく『光って純粋だよね』と言われていたけど、最近は、特にその回数が増えたような気がする。思春期の同級生たちは、急に体つきも性格も大人びてしまって、時折、目線を下げて悩ましげにため息を吐く。そして、心配する光に『光には分からないよ』と呟くのだ。
 私に分からないものってなんなんだろう。私は、本当にいつまでも子どもで、どんどん大人になっていく同級生たちに、ずっと「光には分からないよ」「光にはそのままでいて欲しい」と言われ続けるのだろうか。
 光は、光に「分からない」悩みを抱えている同級生を見るたびに、もどかしくも、悲しくもなる。
 しかし、仮に好きな人を殴ることでしか満たされない幸せがあるのだとしたら、そんなもの分かりたくなんてない。

「パパ!見えなくなっちゃった」

 男の子が、双眼鏡から目を離して、父親に訴えている。父親が「じゃあ、もう終わりだ」というと、男の子は、 えーーとごねたが、父親が「下に降りてアイス食べるんじゃなかったのか?」と言われると、あわてて台座から降りて「食べる!食べる!」と父親の手を握った。
 幼いころは、このような幸せな風景がこの世の全てだと思っていた。
 けれど、世の中の幸せの裏には時に大きな犠牲があって、そこでは純粋な思いが踏みにじられ、涙を流している人が居る。それを光が最初に知ったのは、3年前、この東京タワーとその先にある異世界でのことだ。
 時計を見ると、待ち合わせまで15分。
 準備のいい友人たちは、もうそろそろ、この展望台に登って来るころだろう。
 今日も海と風とセフィーロに行く。海も風もとても優しい親友で、異世界の人たちもとても優しい。みんな優しくて、強くて、いい人ばかりだから、新しくなったセフィーロにいると、世界は慈愛に溢れていて、悪いことなんてもう二度と起こりようがないんじゃないか。そんな錯覚に陥ることがある。

『最近、彼氏の機嫌が悪くって、ただ、それだけ』

 何のこともないように言ったあの子の台詞……機嫌が悪い彼氏に殴られる。光には、そんなシチュエーションを、どうしてもリアルに想像することができない。
 ランティスは、光が「殴ってくれてもいい!」と言った時も光を殴ったりはしなかった。むしろ、光の心を気遣って優しい言葉をかけてくれた。ランティスはすごく優しい。攻撃魔法を唱えたり、剣を振りかざして魔物を倒すランティスの姿は何度も見てきたけれど、ランティスが人を殴っているところは想像できない。ランティスは口数は少ないけれど、光が悩んでいれば話を聞いてくれるし、話をしたくないことがあれば無理には聞いてこない。光の気持ちを常に先読みして、光が傷つかないように接してくれる。
 森で魔物に遭った時も、城で話をしている時も、ランティスが隣にいると、守られているという安心感に心が満たされる。私はここにいていいんだという確かな実感がそこにはあって、どんなに地球の「現実」で嫌なことがあっても、それが全て浄化されていってしまう。
 そのたびに、帰りたくない。と思う。
 ずっとここにいられればいいのに。
 最近、セフィーロに行くたびに、ランティスの隣を歩くたびに、どちらが「異世界」で、どちらが「現実」なのか、分からなくなることがある。そして、セフィーロの美しさと暖かさに甘やかされて、私はいつか地球の「現実」を受け止められなくなってしまうんじゃないか……そんな予感に、不安で胸が震えるのだ。

『あなたには一生分かんないと思う』

 分からなくていいなら、一生、分かりたくない。
 だけど、分からないままじゃこの社会を生きて行けないなんてこと、高校生にもなれば、もう分かる。テレビの向こうの凄惨な事件も、クラスメイトの白い肌に残った痣も、全ては人の心が生み出していて、それこそがこの地球の「現実」なんだということ。

「光、今日は早いじゃない!」

 という声にはっと我に返ると、青い髪をした親友が光の方に駆けてくるところだった。
 時計は待ち合わせ時刻10分前。
 せっかく、久しぶりにセフィーロに行けるのだ。ただでさえ私たちは受験生で、最近は時間が合う日も少ない……。せっかくの時間を不安で塗りつぶすのは勿体ないし、何より、親友の二人を心配させたくはなかった。

「海ちゃん!」

 不安の気配を親友に気付かれる前に、光は笑顔を作って大きく手を振った。



***


うわー……何かいつにも増して自己満足感MAXですみません……。
ラン光前提ではあるけど、ラン光ではないですね……。
言い訳すると、一応、もっと長い話のプロローグ的な感じで書いたやつだったんですが、
これだけでも大丈夫かなと思ってアップしてみました……。
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