ラン光短編集(暗め)

 最初からそれが夢だと分かっていた。昔から何度も見てきた夢だからだ。初めてセフィーロに招喚された時の夢。それはいつも空を落ちる感覚で始まる。落下しながら、セフィーロで見た風景が次々と浮かんでは消えていく。火山、海、空に浮かぶ山、沈黙の森、エテルナの泉、神殿……背中を強く打つ感触と同時に鏡が割れるような音がして落下は終わる。その代わり、割れた鏡の破片が光の周りに舞い散って、そこに泣いているエメロード姫の姿が映し出されている。破片の一つに手を伸ばそうとして気が付く。自分の手が血まみれになっている。手にザガートに魔法を放った瞬間の感覚が蘇る。

 一度目にセフィーロに招喚された夜から、その夢を何度も見た。二度目にセフィーロに招喚された後から見る回数が減って行ったが、それでも時おり、その夢を忘れようとする光を戒めるようにして、その夢が現れる。

 しかし、その日の夢は少し異なっていた。鏡の破片の中で泣いているのはエメロード姫ではなく光自身だった。なぜ鏡の中の私は泣いているのだろう。そう思った瞬間に自分がエメロード姫になったかのような悲しみが突き上げて来て光は涙をこぼした。もうザガートに会わないと決めたのに、どうしてもセフィーロの平和を祈ることができない苦しみ。自分で自分を幽閉しても、頭の中にザガートのことばかり浮かんで離れない。自分を殺してもらうために魔法騎士を招喚したのに、魔法騎士と戦うザガートを止めたい理由がもう分からない。セフィーロを守るためなのか、ザガートを死なせないためなのか。ザガートの声がする。「魔法騎士の伝説など私が打ち砕いてやる」
 急に目の前が真っ白になって、足元に剣が落ちているのに気が付く。それは、光が見慣れたランティスの剣だった。その剣の柄は真っ赤な血に濡れている。そして光は気が付く。さっきまで戦っていたのはランティスだ。その剣に手を伸ばした自分の手が既に血に塗れている。更に気が付く。そのランティスを殺したのは魔法騎士……他ならぬ自分自身だということに。
 ランティスの声がする。ヒカル、どうか自由に。
 光は悲鳴を上げた。

 目が覚めるとそこはいつもの自分の部屋だった。見慣れた天井、クーラーの風の音……窓の外は既に白み始めていた。枕元の時計は4:00を示している。
 十分に部屋は涼しいはずなのに、身体中にじっとりと汗をかいていた。小さなことから使っている勉強机、大学の教科書が並ぶ本棚……目に見える光景は「異世界」ではなく、確かに自分の部屋なのに、激しい動悸や荒い呼吸を刻む自分の体はまだ夢の中にあるようだった。ゆっくりと目の前に手を翳す。その手が赤く染まっていないことを確認して、光は大きく息を吐いた。大丈夫、あれは夢、あれは夢……自分に言い聞かせてみても、光の手は今でもザガートとエメロード姫を「殺した」ときの感触を覚えているのだった。さきほどの夢がなおのことリアルにあの時の感触を手のひらに浮かび上がらせる。夢で見たランティスの魔法剣と柄についた血の色を思い出して光は震えた。
 あまりにリアルな夢だった。確かに最近、よく考えるのだ。もしも光がセフィーロの柱になっていたら? そしてエメロード姫がザガートに出会ったように光がランティスに出会っていたとしたら? そのようなifの世界を。ランティスはザガートのように魔法騎士の伝説に相対して、光を自由にしようとしてくれるのかもしれない。あの優しいランティスが光を守るために、数々の魔導師や剣闘師と戦い、どんどんセフィーロの「罪人」として罪を重ねて行く。そして、自分が招喚した魔法騎士に殺される。ランティスがどんなに優しくてどんな孤独を抱えているのか、何も知らない光のような魔法騎士に。
 しかし、エメロード姫にとって、それは夢ではなく現実だったのだ。愛しい人が他ならぬ自分が招喚した魔法騎士に殺される様を間近で見ていた。想像しただけで気が狂ってしまいそうだった。エメロード姫は一人でこんな思いに耐えていたのか。
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