……っていう夢を見たんだ。2 無口と独白
兄はあの美しい世界で生きて行くには高潔過ぎたのだと思う。
あの頃のセフィーロは、誰よりも強く美しい心が、世界の平和と秩序を導き続けていた。セフィーロに住む者の責務は、彼女が差し出す手を握ること、それが全てだった。差しのべられる手を待つだけの人生など、端からあの高貴で聡明な兄に耐えられるわけがなかったのだ。彼が柱を愛したのはきっと偶然ではない。エメロード姫の手を取ってセフィーロを捨て去っていった彼は、最初から最後まで、彼自身の運命の手綱を誰にも委ねようとはしなかった。
ザガートの尊さがザガートを殺した。ザガートは強かったし、脆かった。
最近、思考に沈み込むことが増えたような気がする。昔を思い出し、そういえばあれは……と記憶の底に埋もれた思いを掘り起こしては感慨にふける。
「ランティス」
ふいに名前を呼ばれて、それが兄の声であるように錯覚した。錯覚だと分かっているのに、一瞬、そのまま錯覚に騙されてしまいたい衝動に駆られた。それがそのまま自分の弱さを表しているようで、ぎくりと身体がこわばる。
「ランティス?」
もう一度、名前を呼ばれて目線をあげると、馴染みある青い瞳に、ギロリと睨み付けられた。その視線の力強さに、思考に沈んでいた意識が一気に浮上する。
「聞いているのか?」
ランティスを見つめる導師クレフの顔には「お前、聞いていなかっただろう」と書いてあった。もし、二人きりだったなら、彼の権威の象徴たるあの長い杖で容赦なく頭を叩かれていたに違いない。しかし、今は他の魔導師の目があった。
セフィーロ城の広間には、導師クレフによって集められた力ある魔導師数人が、大きな机を取り囲んでいた。ランティスは一応、クレフの直弟子であり、曲がりなりにも魔法剣士の称号を与えられているので、クレフの隣に座らされている。
魔導師たちは一様に、ランティスに訝しげな眼差しを差し向けていた。人前で、堂々と師の、しかもあの導師クレフの話をむざむざ聞き逃すなど、このセフィーロではあり得ない話だ。
「聞いている」
そう返事をすると、クレフの眉がぴくりと動き、その瞳に「嘘をつけ」とでもいうような色が浮かんだ。しかし、クレフはそれを言葉にすることはなかった。代わりに、ランティスを強く見つめたまま、言った。
「もう一度言うぞ。沈黙の森には、お前がついて来い」
「……」
ランティスがすぐに答えないので、広間に妙な沈黙が落ちる。またしてもすぐに反応ができなかったのは、導師クレフの言葉に違和感を覚えたからだった。是と答えなければという意識の裏に生まれた小さな違和感が、ランティスの意志の邪魔をする。
その沈黙の間に、魔導師たちがランティスに向ける視線は、更に訝し気で冷ややかなものになっていった。ランティスは未だ、完全にセフィーロの人々の信頼を得ているわけではない。セフィーロを出奔していたこと、ザガートの弟であること。エメロード姫を助けようとした魔導師の中には、二度と戻らなかった者もいる。その家族や友人がランティスに厳しい目を向けるのは仕方のないことで、責め立てられれば謝りもする。
導師クレフもそんな事情は重々承知なので、時折、今回のように、皆の前で敢えてランティスを指名して、重要な、難易度の高い仕事を任せようとする。自分がランティスを信頼しているのだと示すことで、そういった状況を少しでも打開しようとしてくれている……のだと思う。
しかし、力ある魔導師であれば、誰でも自分の力をより高いところで発揮したいという想いが少なからずあるのが当然だ。結果、導師クレフがランティスに話しかけるたびに、色々な事情・感情が入り交じった「何でお前なんだ」という視線がランティスに差し向けられるのだった。
「いいな?」
「……はい」
念を押されてようやくそう答えた時、クレフが何かを探るように目を細くした。ランティスはクレフの目をまっすぐに見つめ返したが、自分の心の動揺を隠せている自信はなかった。
あの頃のセフィーロは、誰よりも強く美しい心が、世界の平和と秩序を導き続けていた。セフィーロに住む者の責務は、彼女が差し出す手を握ること、それが全てだった。差しのべられる手を待つだけの人生など、端からあの高貴で聡明な兄に耐えられるわけがなかったのだ。彼が柱を愛したのはきっと偶然ではない。エメロード姫の手を取ってセフィーロを捨て去っていった彼は、最初から最後まで、彼自身の運命の手綱を誰にも委ねようとはしなかった。
ザガートの尊さがザガートを殺した。ザガートは強かったし、脆かった。
最近、思考に沈み込むことが増えたような気がする。昔を思い出し、そういえばあれは……と記憶の底に埋もれた思いを掘り起こしては感慨にふける。
「ランティス」
ふいに名前を呼ばれて、それが兄の声であるように錯覚した。錯覚だと分かっているのに、一瞬、そのまま錯覚に騙されてしまいたい衝動に駆られた。それがそのまま自分の弱さを表しているようで、ぎくりと身体がこわばる。
「ランティス?」
もう一度、名前を呼ばれて目線をあげると、馴染みある青い瞳に、ギロリと睨み付けられた。その視線の力強さに、思考に沈んでいた意識が一気に浮上する。
「聞いているのか?」
ランティスを見つめる導師クレフの顔には「お前、聞いていなかっただろう」と書いてあった。もし、二人きりだったなら、彼の権威の象徴たるあの長い杖で容赦なく頭を叩かれていたに違いない。しかし、今は他の魔導師の目があった。
セフィーロ城の広間には、導師クレフによって集められた力ある魔導師数人が、大きな机を取り囲んでいた。ランティスは一応、クレフの直弟子であり、曲がりなりにも魔法剣士の称号を与えられているので、クレフの隣に座らされている。
魔導師たちは一様に、ランティスに訝しげな眼差しを差し向けていた。人前で、堂々と師の、しかもあの導師クレフの話をむざむざ聞き逃すなど、このセフィーロではあり得ない話だ。
「聞いている」
そう返事をすると、クレフの眉がぴくりと動き、その瞳に「嘘をつけ」とでもいうような色が浮かんだ。しかし、クレフはそれを言葉にすることはなかった。代わりに、ランティスを強く見つめたまま、言った。
「もう一度言うぞ。沈黙の森には、お前がついて来い」
「……」
ランティスがすぐに答えないので、広間に妙な沈黙が落ちる。またしてもすぐに反応ができなかったのは、導師クレフの言葉に違和感を覚えたからだった。是と答えなければという意識の裏に生まれた小さな違和感が、ランティスの意志の邪魔をする。
その沈黙の間に、魔導師たちがランティスに向ける視線は、更に訝し気で冷ややかなものになっていった。ランティスは未だ、完全にセフィーロの人々の信頼を得ているわけではない。セフィーロを出奔していたこと、ザガートの弟であること。エメロード姫を助けようとした魔導師の中には、二度と戻らなかった者もいる。その家族や友人がランティスに厳しい目を向けるのは仕方のないことで、責め立てられれば謝りもする。
導師クレフもそんな事情は重々承知なので、時折、今回のように、皆の前で敢えてランティスを指名して、重要な、難易度の高い仕事を任せようとする。自分がランティスを信頼しているのだと示すことで、そういった状況を少しでも打開しようとしてくれている……のだと思う。
しかし、力ある魔導師であれば、誰でも自分の力をより高いところで発揮したいという想いが少なからずあるのが当然だ。結果、導師クレフがランティスに話しかけるたびに、色々な事情・感情が入り交じった「何でお前なんだ」という視線がランティスに差し向けられるのだった。
「いいな?」
「……はい」
念を押されてようやくそう答えた時、クレフが何かを探るように目を細くした。ランティスはクレフの目をまっすぐに見つめ返したが、自分の心の動揺を隠せている自信はなかった。
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