スカラピア・ローカス姉弟の場合

スカラピアとローカスはいつも通り、組の敵対者への対応、すなわち生死を問わずこれを黙らせる任務へと赴いていた。日没後数人のみでターゲットが動くタイミングを見計らってふたりが投入され、ローカスの騒がしい陽動の裏でスカラピアがリーダー格の人物をしとめる。この類いの任務はふたりにとっては慣れたものである。今回もそのはずだった。

しかし、そうではなかった。
ローカスの陽動までは狙い通りだったのだが、スカラピアがリーダー格へと背後から迫った瞬間、事前情報とはまるで違う人数の増援があらわれ、それを妨害し、逆に彼女へと襲いかかったのである。いくら戦闘力の高いスカラピアとはいえ、多人数相手に長くは持たない。恨めしげにターゲットを睨みつけながら、追撃を押しのけつつ撤退するのがやっとだった。

陽動で離れた場所にいたローカスも、姉が向かったであろう地点がにわかに騒がしくなったことに気付く。非常用のスタングレネードで三下たちを振り切った末、任務完了後にいつも落ち合う地点に向かう。姉はそこにいた。弟はほっとしたのも束の間、その端正な顔を歪ませる。
スカラピアは苦悶の表情を浮かべていた、その足には何かが刺さっている。脚の裏側からインクをしたたらせながら、ギラリとその鋭利な切っ先が覗いていた。おそらくは小型のナイフなのだろう。持ち手の一部が埋もれるほどに深々と突き立てられたそれを、彼女は痛みに震える手で何とか引き抜こうとしていたのだ。
「ねえちゃん……!? うわ、ちょ、何してんだよ!」
幼い頃から内外で絶対的な実力を見せつけていた彼女の、痛々しく歪められた表情は弟をひどく動揺させた。大きな声にスカラピアはハッとして見上げるが、その声の主が弟だと気付くとその肩をゆるませ、後ろの壁に背を預ける。
「……ローカス、騒ぐな。まだ敵が近い」
「あっ、ご、ごめん。てか、なんで抜こうとしてんだよ! 下手したら出血過多で」
「抜かな、い、と、歩けない。追手に捕まるわけにはいかないだろ……だから抜く」
ごまかしきれないほどの痛みに額から脂汗を垂らしながら、ただかたくなに組のために己の命すら投げ打とうとする姉に、ローカスは吠えた。

「ばっ……か野郎!!」

今しがた静かにしろと言ったばかりなのに、それもはばからない悲痛な弟の叫びに、スカラピアは思わずその手を止める。
「ふざけんなお前! なに平気で死のうとしてんだよ、まずは生きようとしろよ!! くそ、そんなに組のために死にてえのかよバカじゃねえの……」
普段から、姉に盾突くことなどなかった弟だった。ぐしゃぐしゃと滲む涙をぬぐいながらバカ呼ばわりする彼を、スカラピアは驚きのあまりただ見ていることしかできなかった。
こみあげる感情を何度か深呼吸して落ち着かせて、ローカスは沈黙したままの姉へ鋭く目を向ける。
「……とにかく、死ぬのは俺が許さねえから、まじで」
「……わかった」
観念したように、スカラピアは刺さったナイフから手を離す。止血用のテープを取り出しナイフを固定し始める姉へ、ローカスも自分のインナーシャツを切り取りながら少しでもその血をせき止めようと試みる。
「それで、どうする?」
「しらねーよ、とりあえず俺がおぶるから全力疾走で逃げんぞ」
手早く済んだ応急処置を、立ち上がらせて確認する。刺さったナイフごと固定した足はやはり力が入らない様子だったが、止血の面では完璧だった。片足立ちで小さく跳ねながら、スカラピアはローカスの背に掴まる体勢をとる、その顔には、普段ならまず見せない不安の色がにじんでいた。
「……ローカス、逃げ切れないと思ったら」
「ぜっっってーーー逃げれる、馬鹿にすんな」
最悪の提案を遮って、姉の身体を背負い込む。そのまますぐに駆け出して、右足が揺れるたび背後から聞こえる短い息に、ローカスは何度も奥歯をきしませていた。

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姉の体を背負い、追手からできるだけ離れた場所へと向かう。弟に背負われながら、スカラピアは驚きを隠せないでいた。筋肉質で決して軽くはない彼女の身体を軽々と背負っていることも、主戦力である自分の惨状を目の当たりにした上で足を止めないでいることも、以前の彼には考えられなかった。
姉は身を預けるその背中が急に大きく感じられた。姉には頼らない!と駄々っ子のように一人暮らしを始めた彼の、自分も知らない成長ぶりが心強いようで、同時にどこか戸惑っていた。

ローカスが退避したのは組の後方支援部隊と落ち合う地点ではなく、彼の一人暮らししている安アパートに程近い路地裏だった。今日が回収日だったはずのダストボックスはすでにいくつか溢れかえっており、その尊大にそびえる山々の間にスカラピアを下ろす。壁に背を預けて俯く彼女は、やはりその傷が深手であるようで、テープで縛り上げられている右の太腿を気にしているようだった。
ローカスは肩で息をしながら壁に寄りかかり、眼下の姉へと声をかける。
「ね、えちゃん、何があったか、だけ、とりあえず言って」
スカラピアは顔を上げず、苦しい表情のままその口を開く。
「……前情報にはない、伏兵が出てきたんだ。結構な数だった」
「伏へ、はぁ? なんッだよそれ」
「わからない……」
「ああくっそ、ねえちゃん、もう」

「言うな!!」

悲鳴のようにさえぎる姉の声に、ローカスは一瞬息を詰まらせた。どんなことがあってもその鉄面皮を崩したことがない彼女の、動揺が滲んだその様子はこれまで見たことがないものだった。
ローカスはこれまでも、返ってくる確率の高いだけの鉄砲玉のように自分たちを使役するような、組の上層部の態度に疑問を持つことが多かった。その度に姉であるスカラピアは、育ててくれた恩のある組へそんなことを言うんじゃないと、やや盲目的にこの反抗心を突っぱねてきた。
しかし今の彼女は、必死な顔をしていた。必死に自分の心と闘っているように、ローカスの目にはその痛々しさが映っていた。
「ねえちゃんさ、もういいだろ」
「言うな……」
すっかり息の整った弟の諭す声に、スカラピアは俯いたまま呟くだけだった。ローカスは深呼吸を一つして、壁から背を離し、彼女の前へしゃがみ込んだ。

「俺さ、もうねえちゃんが傷だらけになんの、嫌だよ」
「……!」
「小さい頃からさ、俺のためにねえちゃんが闘ってきてくれたのはわかるよ。でもさ、もういいじゃん。俺だってもう20歳だぜ? どこででも、それなりにうまくやっていけるって」

スカラピアはゆっくりとその顔をあげる。ローカスでもついぞ見たことのない程に歪んでいるその表情は、脚の痛みだけによるものではないのは明白だった。
「今回のことはぜってぇおかしい。何か、こっち側からの悪意みたいなもんがある、明らかに。ねえちゃんも気づいてんだろ、俺だってわかんのに」
「……」
「俺さ、もう正直組のこと信用なんねえ。そりゃ全員が悪いわけじゃねえのはわかるよ、わかんだけどさ、敵からも味方からも刺されんのはさ、冗談キツいって。そうじゃん?」


「っへ、そりゃあキツいわな。うん、このまま逃げるのぁ十分アリだと思うぜ、俺ァ」

不意に響いた耳馴染みのない男の声に、姉弟は揃って後ろへと跳ね退ける。
遅れて、何個か向こうのダストボックスがガランと鳴り、中から痩せた男がぬるりと姿を現して、笑った。

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