青赤ビートダウン
夫婦の過去話である前作『赤青コントロール』をまとめた当時、レモラとブラムについては十分解釈を掘り進められたと感じておりました。そもそもレモラが半グレ企画用につくった狂言回しキャラだったことと、それに似合いのクズ男をと思ってブラムをつくったことに起因します。というか小説1本目自体、書けるとは思ってませんでした。彼らの設定がここまで育ったのもひとえにご交流いただいた方々のお陰でして、自分ひとりではきっと筆もとっていなかったでしょう。何物にも代えがたいご縁をいただけたことを心から感謝しております。
さて、前述のようにレモラとブラムについては当時までの設定で満足しておりましたので、彼らは表面上互いに満足しながら、根幹に巣食う仄暗い部分を解決するようなことはしないだろうと考えていました。それがいいのだと。解決しようと思えばお互い確実に傷つきます。メンヘラ依存女と精神甘々中年男にそんな勇気があるはずなかろうと。
ただ6月某日、SNS上で自宅キャラの結婚及びプロポーズの話題になり、もしもの話として、彼らがその深部を互いに救いあうに至るとしたらというのを考えるうちに、今回の『青赤ビートダウン』ができていました。書き始めた当初はifルートの想定でしたが、すべて書きまとめた今となっては正史でよかろうと考えています。娘にめろめろのブラムさんとか妄想してうへへってなってます。
※以下は公開当時のお気持ち文です。書き進めるうちにキャラクターたちについて若干自分の解釈は変わりましたが、作者の価値観や性癖はやっぱり変わりありません。記録として。
-------------------------
・この小説は拙作『青赤コントロール』の続編です。
・作者はTL漫画大好きなホモサピエンスであり、この小説はその嗜好に基づいてつくられています。作中の某種族の生態や生殖等の描写については是非の別れるところかとは存じますが、先述の通り何卒お目こぼしください。
・作中、特定の事柄について非常に後ろ向きな表現がございます。「2.」の時点で嫌な予感がする方、過去に悲しい経験をされた方、大変申し訳ありませんがご注意ください。
・この小説は拙宅夫婦がひとつの区切りを迎えるとしたら、という想定で作られたアフターストーリーのようなものです。作者は当初(今も?)、彼らの関係性にこういった結論を急ぐことは想定しておりませんで、彼らは彼らなりの淡々と続く生を、謳歌したり右往左往したりしながら送ってくれたらいいなと基本的には考えております。
今作はその内の、将来どこかのタイミングで起こるかもしれない特大事件事故のひとつです。この件は確実に、直面した彼らの今後を大きく揺るがしますが、幸福のための必須イベントではありません。彼らにとっての真なる幸福は目の前の全てです。今作は大きな転機が偶然に訪れてしまったために、目の前の景色を写すレンズをそれぞれ総取替えしていく彼らを描写していきます。絶対的な幸福は彼らの世界には存在しません。決着のつかない永遠の両片思いが彼らの正史であり、彼らが必死に維持しようとしている幸福です。
何やら大げさにつらつらと述べましたが、所詮は小人の説ですので、自分の性癖に正直に、ゆるゆると書き進めて参ります。
2023.6.13 テルアキ
-------------------------
※以下、デリケートな話題と一部自分語りです※
妊娠、出産の話題について。
これは宗教とか道徳とかも絡んできますが、自分は赤ん坊について、「胎内の記憶はあっても、それに感情が芽生えるのは出生後に親から感情を教えてもらってから」という思想があります。胎内で聞こえた音を覚えていたとしても、それが”心地よいものだった”と理解するのは”心地よい”という感情を知ってから、それにラベルを貼って初めて知るのだと思います。海外の方が「肩こり」という日本語を知った翌日から肩こりに悩まされるようになったという話と同様に考えています。
なので、胎児はまだ人間ではないと思っています。誤解を恐れず言ってしまえば、生まれてしばらくも、ヒトではあってもまだ人間とは言えないと思っています。親から社会的なつながりを与えられて、徐々に人間になっていくのだと考えています。逆に言えば、親が親として不十分であればこどもは人間になりきれずに苦しむのだと思います。これは個人的な思想であり、他人にこれを押し付けるつもりも矯正されるつもりもありません。
率直に申し上げると、自分は過去に予定外の妊娠と流産を経験しています。そして当時実母に、胎児の感情を代弁されるような形で自分の未熟さを責められたため、そういうものには否定的な頭に育ちました。作中で医者にしゃべらせたことが私の思想です。
〈カミサマなんて居やしませんし、産まれる前の胎児に感情なんかありません。あるのはおふたりの意志と、システマティックな細胞分裂だけっす。〉
こども自身が生まれたくて生まれるのではないです。親が産むと決めたから生まれるのです。今の私はそう思っています。
ただ自分の子は親の私を選んでくれたんだと信じることでより幸せになれるのなら、そう信じることは素敵なことだと思います。他人のそれを否定するつもりは毛頭ございません。
あと自分は乳幼児が苦手です。彼らの命に自分が関わることが、大きな責任を伴うように感じられて怖いのです、プレッシャーです。自分がこう育ってしまったのを、他のこどもに伝染させててしまうのではと恐怖して、関わる勇気が持てません。既婚者ではあるのですが、いまだに”こどもが欲しい”という感覚がわかりません。
尚作中でレモラにも妊娠の恐怖を語らせましたが、彼女の理由は彼女にしかわかりません。けして作者の自己投影ではないということだけ申し上げます。ただそのつもりであるだけなので、無意識にはそうしてしまっているのかもしれません。
そういう自分ではありますが、レモラとブラムについてはこどもを授かって、生まれたこどもを尊重した愛情を注いでほしいなと、学の無い頭なりに願っております。彼らは裏社会の人物ですので、温かい家庭とはいかないでしょうし、こどもが彼らの愛情を受け取ってくれるのかもわかりませんが、彼らは”こどもが欲しい”という感覚のある人物ですし、周辺に信頼のおける人物たちがいてくれている環境ですので、きっとなんとかなるでしょう。今後そういう妄想の機会があれば考えていきたいとぼんやり思います。
自分には前述した経験もあって、創作物である彼らのそういう選択肢を頭の中から除外してきた節があったのですが、自分の創作の中くらいでなら、そういう夢を託すのもいいかなと今は思っています。それこそ、これが自分なりの、創作物という名の子供への愛情なのかもしれません。
以上です。
2023.8.8 テルアキ
さて、前述のようにレモラとブラムについては当時までの設定で満足しておりましたので、彼らは表面上互いに満足しながら、根幹に巣食う仄暗い部分を解決するようなことはしないだろうと考えていました。それがいいのだと。解決しようと思えばお互い確実に傷つきます。メンヘラ依存女と精神甘々中年男にそんな勇気があるはずなかろうと。
ただ6月某日、SNS上で自宅キャラの結婚及びプロポーズの話題になり、もしもの話として、彼らがその深部を互いに救いあうに至るとしたらというのを考えるうちに、今回の『青赤ビートダウン』ができていました。書き始めた当初はifルートの想定でしたが、すべて書きまとめた今となっては正史でよかろうと考えています。娘にめろめろのブラムさんとか妄想してうへへってなってます。
※以下は公開当時のお気持ち文です。書き進めるうちにキャラクターたちについて若干自分の解釈は変わりましたが、作者の価値観や性癖はやっぱり変わりありません。記録として。
-------------------------
・この小説は拙作『青赤コントロール』の続編です。
・作者はTL漫画大好きなホモサピエンスであり、この小説はその嗜好に基づいてつくられています。作中の某種族の生態や生殖等の描写については是非の別れるところかとは存じますが、先述の通り何卒お目こぼしください。
・作中、特定の事柄について非常に後ろ向きな表現がございます。「2.」の時点で嫌な予感がする方、過去に悲しい経験をされた方、大変申し訳ありませんがご注意ください。
・この小説は拙宅夫婦がひとつの区切りを迎えるとしたら、という想定で作られたアフターストーリーのようなものです。作者は当初(今も?)、彼らの関係性にこういった結論を急ぐことは想定しておりませんで、彼らは彼らなりの淡々と続く生を、謳歌したり右往左往したりしながら送ってくれたらいいなと基本的には考えております。
今作はその内の、将来どこかのタイミングで起こるかもしれない特大事件事故のひとつです。この件は確実に、直面した彼らの今後を大きく揺るがしますが、幸福のための必須イベントではありません。彼らにとっての真なる幸福は目の前の全てです。今作は大きな転機が偶然に訪れてしまったために、目の前の景色を写すレンズをそれぞれ総取替えしていく彼らを描写していきます。絶対的な幸福は彼らの世界には存在しません。決着のつかない永遠の両片思いが彼らの正史であり、彼らが必死に維持しようとしている幸福です。
何やら大げさにつらつらと述べましたが、所詮は小人の説ですので、自分の性癖に正直に、ゆるゆると書き進めて参ります。
2023.6.13 テルアキ
-------------------------
※以下、デリケートな話題と一部自分語りです※
妊娠、出産の話題について。
これは宗教とか道徳とかも絡んできますが、自分は赤ん坊について、「胎内の記憶はあっても、それに感情が芽生えるのは出生後に親から感情を教えてもらってから」という思想があります。胎内で聞こえた音を覚えていたとしても、それが”心地よいものだった”と理解するのは”心地よい”という感情を知ってから、それにラベルを貼って初めて知るのだと思います。海外の方が「肩こり」という日本語を知った翌日から肩こりに悩まされるようになったという話と同様に考えています。
なので、胎児はまだ人間ではないと思っています。誤解を恐れず言ってしまえば、生まれてしばらくも、ヒトではあってもまだ人間とは言えないと思っています。親から社会的なつながりを与えられて、徐々に人間になっていくのだと考えています。逆に言えば、親が親として不十分であればこどもは人間になりきれずに苦しむのだと思います。これは個人的な思想であり、他人にこれを押し付けるつもりも矯正されるつもりもありません。
率直に申し上げると、自分は過去に予定外の妊娠と流産を経験しています。そして当時実母に、胎児の感情を代弁されるような形で自分の未熟さを責められたため、そういうものには否定的な頭に育ちました。作中で医者にしゃべらせたことが私の思想です。
〈カミサマなんて居やしませんし、産まれる前の胎児に感情なんかありません。あるのはおふたりの意志と、システマティックな細胞分裂だけっす。〉
こども自身が生まれたくて生まれるのではないです。親が産むと決めたから生まれるのです。今の私はそう思っています。
ただ自分の子は親の私を選んでくれたんだと信じることでより幸せになれるのなら、そう信じることは素敵なことだと思います。他人のそれを否定するつもりは毛頭ございません。
あと自分は乳幼児が苦手です。彼らの命に自分が関わることが、大きな責任を伴うように感じられて怖いのです、プレッシャーです。自分がこう育ってしまったのを、他のこどもに伝染させててしまうのではと恐怖して、関わる勇気が持てません。既婚者ではあるのですが、いまだに”こどもが欲しい”という感覚がわかりません。
尚作中でレモラにも妊娠の恐怖を語らせましたが、彼女の理由は彼女にしかわかりません。けして作者の自己投影ではないということだけ申し上げます。ただそのつもりであるだけなので、無意識にはそうしてしまっているのかもしれません。
そういう自分ではありますが、レモラとブラムについてはこどもを授かって、生まれたこどもを尊重した愛情を注いでほしいなと、学の無い頭なりに願っております。彼らは裏社会の人物ですので、温かい家庭とはいかないでしょうし、こどもが彼らの愛情を受け取ってくれるのかもわかりませんが、彼らは”こどもが欲しい”という感覚のある人物ですし、周辺に信頼のおける人物たちがいてくれている環境ですので、きっとなんとかなるでしょう。今後そういう妄想の機会があれば考えていきたいとぼんやり思います。
自分には前述した経験もあって、創作物である彼らのそういう選択肢を頭の中から除外してきた節があったのですが、自分の創作の中くらいでなら、そういう夢を託すのもいいかなと今は思っています。それこそ、これが自分なりの、創作物という名の子供への愛情なのかもしれません。
以上です。
2023.8.8 テルアキ
21/21ページ