青赤コントロール

 全部夢であって欲しいと、いま本気で思っている。何も知らない少女の頃家族に身体を売らされたことも、風俗店で働いていたことも、チンピラ集団の中核をいつの間にか担っていたことも、……自宅が何者かに暴き出されて、こうして今捕まっていることも。
 エンペラの耳飾りがなくなっている。さすがに、材料になにが使われているかも筒抜けだろう。いつもあるはずの重みを失って、顔がふわふわとする感じが落ち着かない。自分が今、ここに存在しているのかすら、自信を持って答えることができないように思えた。

 いつか捕まるのだろうというのは、ずっと昔から考えていた。それこそ、捕まりでもしたら自死してしまおうと本気で考えていた。ただ、今は死ぬべきではないと考えている。意識を失う前に聞いたあの声の主を、この目で確かめてからでも遅くはないと。
 元々、既存の人間関係にゆっくりと入り込んでいくのは得意な方だ。今捕まっているこの組織についても、ここに出入りするひとと会話を少しずつ重ねながら、少しずつ探っていけばいい。まずはこれからくるであろう尋問官あたりから籠絡して、すべての足がかりにしていこう、女はそう思っていた。

 ただ誤算だったのは、その尋問官として入室してきたのが、最終目的としていた例の男性だったことだ。

 —————

「……」
「……」
「……おい、質問」
 鉄格子を挟んで、黙ったまま向かい合う二人を見かねて、後方で仁王立ちしている依頼人が探偵に促した。
「……名前は?」
 探偵からの問いかけに女は一度大きく息を吸い込んでから、答えた。
「……レモラ」
 レモラ、という名に探偵は聞き覚えがあった。ヴァシオという無法地帯のような暴力集団の交渉役として、他団体との会合によく顔を出すという女幹部が、確かそんな名前だった。もちろん、鵜呑みにするつもりはないが。
 探偵はそのまま、穏やかな声色で語りかける。

「レモラさん、あなたがあの部屋に隠していたものについて、それを利用して暴利をせしめている組織を、僕らは追っています。どうか、あなたの知っている情報を僕たちに教えていただけませんか。すべてに決着がつくまで、あなたの身の安全は僕たちが保証します」
 真剣な表情で語りかける探偵を、レモラと名乗った女はどこか冷えた目で見ていたが、言葉が続いていくにつれだんだんと目を逸らしていった。探偵は構わず質問をしていく。
「あの冷蔵庫の中身は、なんですか?」
 女は視線をやや下にやったまま、小さく答える。
「……クラゲのにく」
 その言葉に、探偵は後ろの依頼人と目配せした。とりあえず、当初の目的であるクラゲ失踪事件の手がかりとして、彼女の存在が役に立つと確定した。探偵は少し椅子を座り直して、質問を重ねていく。
「それは、どうやって手に入れていたのですか?」
「……専門の業者がいて、連絡したら届くの。なんならあのアパートを紹介してくれたのも、その人たち」
 思いの外、彼女はよく喋る。この証言を信じるのであれば、アパートの名義人が男だったのはそのためだろう。あからさまに不愉快そうな雰囲気が後ろの方から漂い始めた。探偵は質問を続ける。

「なぜ、あのにくを購入していたのですか?」
「それは……」
 女は不意に目線を上げ、探偵の目をじっと見つめる。あの部屋で取り押さえた時の蛍火は灯っていない。水底で水流に弄ばれる水草のように揺れて見えた。

言い淀んでいた女は、静かに言葉を継ぎはじめる。
「病気に、いいって聞いて。それからずっと……」
「そうですか。どこか、悪いところが?」
「ええ。実際そのせいで、……」
 喋りかけて、女はまた目を逸らして黙ってしまう。わずかに見えていた緑のゆらめきは、これっきり身を潜めてしまったのだった。探偵も、それ以上聞くことはなかった。

「……わかりました、ありがとうございます。
“業者”との連絡に使われていた端末は、こちらで回収させていただいたので、ご了承ください」
 了承も何も、現在進行形で軟禁中なんだがな、と後ろで依頼人がニタニタとした声で皮肉った。もちろん、気絶していた2人を団体が収容した時に、冷蔵庫の中身やその他の家財もすべて、証拠品として回収済みだった。

 と、質問が一段落した空気の中で、鉄格子の向こうの女が口を開く。

「……あの」
「はい?」
 相手から会話を切り出されるとはあまり考えていなかった探偵は、少し驚いて返事をした。女は少し逡巡するように視線を泳がせてから、もう一度探偵の目を捉える。

「……あなたのお名前は?」

 探偵も、少しだけその右目を泳がせた。
「……イエロー、です」
 イエローと名乗られて、女は、そうですか、と小さく呟いて背もたれにトンとよりかかった。
女の様子を見て、探偵は少し身を乗り出して語りかける。

「……レモラさん、ウォーターシェイド、という店に聞き覚えはありますか」
 女は少し目を見開いて、探偵の方へ顔をあげた。
「実は昔、僕はその店で働いていたことがありまして、……今回のことと直接は関係ないんですが、調べていることがあるんです。どうでしょう?」
「……それは、どういうことですか?」
 女も、先ほどまでとは明らかに様子が違う。逆にこちらを探ろうとしているような、刺すような視線を受け止めながら、探偵は言葉を続けた。
「そこで働いていた女性を、探しているんです。当時、ビビという源氏名だった……。でも今となっては、当時のことがわかるひとがもうほとんどいない。それに……」
 探偵は、そこで一度言葉を切って、苦々しい口調で続けた。
「……お恥ずかしいことに、この顔の傷を負った当時はひどい有様で……、僕の記憶までいくつか、抉り取られてしまったようなんです。僕は、……」
 細く絞り出された悲鳴のような言葉が、うつむいた探偵の口から漏れ出ていく。

「……僕は、ひとを探していると言いながら、彼女の顔が、一切思い出せない……」
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