青赤コントロール

 今思えば、昨日からツイてなかった。
 職場でちょっとふざけてたのを堅物くんにお説教されたし、いつも遊んでくれるお友達は誰も捕まらないし、お気に入りのバーは臨時休業だし。
今朝は起きた時点でストレスゲージMAXで、頑張って身支度から外出まではできたけれど、やっぱり無理だ、と思って仮病の連絡を入れたのが朝10時。せっかくだから贅沢しちゃおう!と、休日はまず予約が取れないエステ店に電話予約を取って、ウキウキでお店に着いたのが11時。
 この時、普段使いとは別の端末のアラームが鳴った。
サッと全身の血が引いていく。……自宅に誰かが入り込もうとしてるのを切らせる警報音だった。さっきまで浮かれてたのが嘘みたいに、お店にはそのまま断りを入れて、全力で踵を返して自宅に向かう。

 ネット通販は別店舗受け取り、郵便はぜんぶ郵便局止め、…“業者”がくる日以外は自宅のドアにひとが近づくことはない、つまり近づくのは粘着ストーカーか、バカなコソ泥だけ。これまでも何度かあった。これは一体?、バケモノ!、散々喚き散らして往生際の悪いバカなやつら。コソ泥さんは残念でした☆で終わるけど、ストーカーは本当に虫唾が走る。夢だけ見ていればいいものを、勝手に知りたがって、知ったら知ったで勝手に怯えて。今日も、私の邪魔ばっかりして。大嫌い。カツカツカツと足元が大きく鳴っている。

 自宅であるアパートの前に着いて、1階の真ん中の部屋の鍵を静かに開ける。住居兼保管室である2階で問題が起こった時のために、その真下の部屋も″業者″から管理を任されている。2階の監視カメラの映像を確認すると、リビングから冷蔵庫の部屋へ向かっていく黒ずくめの人物が見えた。身振りからして男性、帽子を深く被っていて顔が映っていない。
 チッと舌打ちして、部屋に備え付けている神経毒入りの注射器を数本手に取る。冷蔵庫の真下のにあたる間取りの部屋へ向かい、クローゼットの中に増築した梯子から2階へ。あとは侵入者いつも通り毒で動けなくして、“業者”に引取りのお願いをすればいい。
 そのはずだった。

 冷蔵庫に向かっている人影、空気清浄機の光で後ろ姿がよく見える。真後ろに位置しているクローゼットから飛び出して、その背めがけて注射器を突き立てるが、相手が身をかわしたせいで、刺さったのは左の腕だった。苦しそうな声が男から漏れる。だめ、胴体に刺さないと。予想外に軽い身のこなしの相手に、焦る自分を落ち着けながら駆け出した時、不意に男の顔がはっきりと見えた。

 似ている。

 躊躇した。自分の体がどう動いているのか、一瞬なにもかもがわからなくなった。気づいた時には手に注射器はなく、首を締め上げられていた。まさか、まずい、と今更になって焦り出しても、確実に締め上げてられていく呼吸と、まだ整理がつかないぐちゃぐちゃの思考が、抵抗する気力を奪い去っていく。どさりと身体が倒れる音を遠くに聞きながら、朦朧とする頭で、動け、動けと手足に何度も命令していると、上から声が降ってきた。

「お願いだから、そのまま寝ていてくださいね……」

 彼だ。とっくの昔に忘れたはずの、あのひとの声だった。どうして、どうして? ……本当に?

「ブラム、さん……?」

 力を振り絞って見上げた視界の先にいたのは、左腕からインクを流しながら、ひどく爛れた顔の傷と、亡霊でも見たような冷たい視線を向けるオクトリングだった。

 クッ、と自嘲のような息を漏らして、女は意識を完全に手放した。
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