青赤コントロール
ブラムの事務所がある街から地下鉄を乗り継ぎ、少し離れた町の共同墓地に2人はいた。山間にあるこの土地では遺体を川から海へ流す水葬が一般的であり、ここも共同墓地とはいいながら、無縁仏の名を刻んだ石碑が点在するような場所である。その中の、小高い丘に建つ碑のうちの一つへ、ブラムはしゃがみ込み花を手向ける。
「この名前が、僕をあの時一度殺した女性です。それとこっちが彼女の母親」
すい、と指し示す少し筋ばった指を、レモラは目で追う。
「若い頃の僕は本当にどうしようもない男で、求められればどんな女性とも関係を持っていました。君が店に入ってくる前から、なんなら僕が店で働き出す前から。ずっとそうでした」
努めて無感情に自身の過去の悪行を語る彼は、それを恥じている様子は見せなかった。ただ淡々と、長らく会っていない友人のことのようにそれを語りながら、それでも、石碑に刻まれた2つの名前に真正面から向かい、膝をついてしばらく動かなかった。
簡単な祈りを終えて立ち上がり、ブラムは後ろのレモラに向き直る。ざあっ、と風が周りの草木を鳴らしていく。
「彼女は僕の一番の被害者です。僕ができたことといえば、……生き残ることで彼女を“父親殺し”にせずに済んだことぐらいでしょう」
匿名の手紙で呼び出されたあの夜に、あなたがブラムさん?と尋ねられ、そうですがと答えたのが、唯一交わした言葉だった。
“ビビ”の足跡を調べるのと同時に調査を始め、数々の状況証拠をもとに結論づいた彼女の素性は、大昔に彼が捨てた女性の一人娘というものだった。どんな手段で自分を探し当てたかわからない、ただあの夜、会ったこともない父親へ、凄まじい執念と明確な殺意でもって突き立てられた刃物が、彼の全てを奪い去っていったのは紛れもない事実だった。
「その、生きのびていることも、きっと彼女は望んでいないのでしょうけどね」
石碑に向かって自嘲するブラムを、レモラは黙って見ていた。
男が石碑の前から戻ってくる。女の前に立って、真上から降り注ぐ陽光に照らされた彼女を見つめながら、口を開く。
「僕は本当に、最低な男ですよ」
「……ふ、そうですね」
真剣な表情で今更すぎる告白をするブラムを、少し鼻で笑って、レモラは答える。
「実は私も、最低な女なんです」
呆れたように笑う彼女に、男は静かに吹き出してしまった。
「……そうでしたね」
彼らには、互いを慰める言葉など必要ではなかった。ただの外道の一人に過ぎない彼らを、あの時は仕方なかったと、そうするしかなかったと、否定も肯定もしないようなことは、この場の誰もしなかった。
一生赦されることはない。それでも、目の前のこのひとは自分から逃げずに生きてくれている。監視対象でも、復讐相手でもない。将来の約束をしたわけでもない。打算も義務感もなく、ただただ今のところは、自分と居ることを選んでくれている。それだけでよかった。
ではいきましょうか、と差し出されたブラムの手を、レモラはしっかりと握り返して、地下鉄の駅の方角へ歩みだした。風に揺らされた頭上の枝葉が、昨日の雨粒を振り落としながら輝いていた。
「この名前が、僕をあの時一度殺した女性です。それとこっちが彼女の母親」
すい、と指し示す少し筋ばった指を、レモラは目で追う。
「若い頃の僕は本当にどうしようもない男で、求められればどんな女性とも関係を持っていました。君が店に入ってくる前から、なんなら僕が店で働き出す前から。ずっとそうでした」
努めて無感情に自身の過去の悪行を語る彼は、それを恥じている様子は見せなかった。ただ淡々と、長らく会っていない友人のことのようにそれを語りながら、それでも、石碑に刻まれた2つの名前に真正面から向かい、膝をついてしばらく動かなかった。
簡単な祈りを終えて立ち上がり、ブラムは後ろのレモラに向き直る。ざあっ、と風が周りの草木を鳴らしていく。
「彼女は僕の一番の被害者です。僕ができたことといえば、……生き残ることで彼女を“父親殺し”にせずに済んだことぐらいでしょう」
匿名の手紙で呼び出されたあの夜に、あなたがブラムさん?と尋ねられ、そうですがと答えたのが、唯一交わした言葉だった。
“ビビ”の足跡を調べるのと同時に調査を始め、数々の状況証拠をもとに結論づいた彼女の素性は、大昔に彼が捨てた女性の一人娘というものだった。どんな手段で自分を探し当てたかわからない、ただあの夜、会ったこともない父親へ、凄まじい執念と明確な殺意でもって突き立てられた刃物が、彼の全てを奪い去っていったのは紛れもない事実だった。
「その、生きのびていることも、きっと彼女は望んでいないのでしょうけどね」
石碑に向かって自嘲するブラムを、レモラは黙って見ていた。
男が石碑の前から戻ってくる。女の前に立って、真上から降り注ぐ陽光に照らされた彼女を見つめながら、口を開く。
「僕は本当に、最低な男ですよ」
「……ふ、そうですね」
真剣な表情で今更すぎる告白をするブラムを、少し鼻で笑って、レモラは答える。
「実は私も、最低な女なんです」
呆れたように笑う彼女に、男は静かに吹き出してしまった。
「……そうでしたね」
彼らには、互いを慰める言葉など必要ではなかった。ただの外道の一人に過ぎない彼らを、あの時は仕方なかったと、そうするしかなかったと、否定も肯定もしないようなことは、この場の誰もしなかった。
一生赦されることはない。それでも、目の前のこのひとは自分から逃げずに生きてくれている。監視対象でも、復讐相手でもない。将来の約束をしたわけでもない。打算も義務感もなく、ただただ今のところは、自分と居ることを選んでくれている。それだけでよかった。
ではいきましょうか、と差し出されたブラムの手を、レモラはしっかりと握り返して、地下鉄の駅の方角へ歩みだした。風に揺らされた頭上の枝葉が、昨日の雨粒を振り落としながら輝いていた。