青赤コントロール

 目の前の男が吐いた言葉。それは自分が今、焦りに駆られてとっさに吐いたものと全く同じだった。真っ直ぐに自分を見つめるひとつ目は、普段の冷静さをたたえながら、寸分の怒りが混ざり込んでいるように見える。
 あまりにも突然のことに、動悸が止まらない。右目の端がピリピリと嫌な震え方をしている。なんとか弁明を続けるべきなのに、黙っていることはすべてを肯定しているようなものなのに、口からは間の抜けた空気しか出てこなかった。

「……昔」
 ドア付近からゆっくりと歩み寄りながら、探偵が口を開く。
「昔、勤務時間外に、別の用で店に立ち寄ったことがあるんです。結局そのままピークタイムのヘルプに入って、……そうしたらテーブルの一つが、急に騒がしくなったんですよね」
 女のすぐ目の前まで迫った男は、完全に固まったままの彼女を見下ろしながら、続ける。
「何かトラブルかと思ってこっそり見にいったら……新人の嬢が、お客さんの手土産のカニを、殻ごと食べてしまっていたんですよ。その場のみんなドン引きしてました。彼女はそんなつもりはなかったのか、急に慌て出して、下手な言い訳をしてたんです」
 さっきの通りに。そう呟いて、探偵はソファに片膝をついて女のパーソナルスペースに侵入する。ただならない雰囲気に気圧されて、女は後ずさるが、男の視線から目を逸らすことができない。
 男はそのまま、苦しそうに顔を歪めて、言った。

「……レモラさん、もう、やめにしませんか?」

 それは女の嘘を咎めているようにも、男自身が赦しを乞うているようにも聞こえる、涙混じりの声だった。どんなことでも顔色ひとつ変えずやってのけるこの男が、……ブラムという男が、こんなにも感情を発露しているところを、レモラは初めて見る。あまりにも痛々しく、ひとつ分の目に薄く涙を溜めながら、ただ懇願する男を、それでも、受け入れるわけにはいかなかった。

「……わかった。もうこのまま、私はアレイナさんのところに行く」

 腹の底から引きずり出した拒絶の言葉を吐くと、そのまま口を塞がれた。見開かれた暗い灰色の目が、眼前にある。肩を抱かれ、押し倒されそうになるのをなんとか振り解き、口を拭いながら、険しい目で見上げる男を眼下に捉える。

「あなたはいつもそう!!」

 この数日間からも、記憶の中の“彼女”からも吐き出されたことのない、強く強くすべてを拒絶する金切り声に、男はソファの上に座ったまま対峙する。
「あなたはいつも……昔から! 私のことを心配するふりしておいて、結局自分のことしか考えてないじゃない!!」
 突然の叫びに目を見開く男へ、それでもレモラは容赦なく、積年の感情をぶつけていく。
「わたしが“ビビ”だったのがそんなに嬉しい!? 残念だったわね! もうそんな女どこにもいないの! あの時のあんたが、可哀想に別の女の道連れにされてたんだとしても、……それで私のこれまでが帳消しになるわけじゃない!!」
 叫び慣れていない喉が悲鳴をあげている。でもそれ以上に、今まで行き場を探していた感情が洪水のように押し寄せる。目の前は朧に霞んで見えない。男はソファの上から動いていないようだった。
「もういいでしょう……!? 私はもう、昔とは違う!! あんたなんかいらないの!! お願いだからもう放っておいて……!」

「……君こそ勝手ばかり言っているじゃないか!!」
 突然響いた強い怒声に、レモラは一瞬目をつぶった。涙が溢れ、半分明確になった視界の先から、怒りをあらわにした男が歩み寄ってくる。逃げようとしたが一足おそく、左手を掴まれ、捻りあげられる。
「君はどうせ、僕がまだ昔の君しか見ていないと思っているんだろうが、……僕が今怒っているのは君に対してだ!」
「あら、そう! 私が“ビビ”じゃないって嘘ついたのがそんなにムカついたわけ!?」
「違う!! 君こそ今の“僕”に向き合おうとしていないからだ!!」
「そんな屁理屈聞きたくない!!」
 押し問答に痺れを切らし、レモラは掴まれた腕を振り払い、ドアの方へ駆け出していく。ドアを開けた先には、ここ数日ですっかり見慣れたねちっこい笑顔が、小型の銃を片手に立っていた。

「近所迷惑だぞー。ちょっと頭冷やせ」

 背後で男が何が叫ぶのを聞きながら、レモラの意識はここで途切れた。
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