霞と氷と依存の始まり
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綺麗な満月の夜の事。
銀色の髪を揺らし、現場へ走る。
十二鬼月がいるかもしれない、との情報で任務を任された。
送り込んだ隊士が全員やられてしまい、応援に向かった新たに派遣された隊士からも、救援要請が出ている様だ。
到着すると、重傷を負った隊士達が隠によって手当を受けていた。
近くにいた隠に状況を聞き、再び走る。
鬼の気配が強くなってきた…
気配からして十二鬼月。 恐らく下弦の鬼だろう
鬼の姿を捉(トラ)えると、1人の隊士が鬼と対峙していた。
小さな身体に長い黒髪。 白く美しい刀身。
下弦の鬼を翻弄する動きと呼吸術。
その姿を育手の下へ送り出したのは、一ヶ月半くらい前の事。 最終戦別もクリアし、正式に鬼殺隊員になった事は聞いていた。
たった一ヶ月半で、これほどまで力を付けるなど誰が想像できただろう。
下弦の鬼の頸を断つほどに。
霞の呼吸を身に付けたにしても、こんな短期間でここまで…
無一郎を守る為に、育手の下に行くまでの間、剣術の基礎を教えた。 無一郎自身が強くなれば、それだけ生き残る可能性が高くなるから。
しかしそれは、物事を覚えていられない無一郎にとって容易な事ではなかった。
教えられても、すぐに忘れてしまう事への苛立ちとジレンマから、身体に叩き込むようになった。 これなら、忘れても身体が覚えている。
血筋や才能。 それもあるかもしれない。
しかし、それだけではない。
血の滲む様な、血反吐を吐くような。 それだけでは足らない。 怒り狂ったように自身を追い込み、死ぬ寸前まで育手の下でも鍛錬をし続けたに違いない。
怪我が癒えないまま、一心に刀を振るっていた、あの時のように。
胸の奥が締め付けられる思いだ。
鬼の首が地面に転がり、塵となって消えていく。
刀身に付いた血を払い、鞘に納めた。
そこにいた数名の隊士から感嘆の声が上がる中、何かに気付いた雪華は、すぐに無一郎の元へ駆け寄った。 前のめりに倒れ込む無一郎を抱き止める。
『無一郎!』
「………誰…?」
霞がかった翡翠の瞳を見るのは久しぶりだ。
だが、その瞳は以前よりも深い霞がかかっているように見えた。
きっと、自分の事は忘れてしまっている。
そう直感した。
そして、彼の体調が悪い事もわかった。
十二鬼月と戦ったのだ。 疲弊しているのは当たり前のこと。 それとは違った体調の悪さだ。
顔色が悪く、目の下に薄く隈が出来ていた。
普段から、ろくに休んでいないであろう事が伺える。
「っ!?
……ちょっと、何してるの… 降ろしてくれない」
『うるさい。 黙って』
突然、肩に担がれた無一郎は抗議の声を上げた。 しかし、それをピシャリと遮り、後の事を隠に頼むと、そのまま歩き出した。
「…ねぇ、どこ行くの? 僕をどうする気?」
質問には答えは返ってこず、黙ったまま歩いて行く彼女に、苛立ちを覚えた。
暴れてやろうとも思ったが、それはやめた。
やめたというより、出来なかった。の方が正しいだろう。 がっちりと足を掴まれていて、動かそうにも動かせないからだ。
……なんなんだ…この人…
ムスッとした顔になるが、大人しく担がれたまま、運ばれて行った。
―――
――――――
着いたのは、藤の花の家紋の家。
部屋に通され、無一郎は漸く肩から降ろされた。
畳の上に座り、救急箱を開けている雪華を睨みつける。
『ここに座って、上着を脱いで
傷の手当てをするから』
とんっと、自分の前の畳に指先を添え、ここに座るよう促した。
しかし、立ったまま座る気配のない無一郎。
「そんな事の為に、こんな所まで連れてきたの?
必要ないよ。 大した傷じゃないし…時間の無駄
それに、こんな事をする暇があったら、一体でも多く鬼の頸を斬る事に使うべきだよ
時間は有限。
こんな事をしている間に、何人の人が死ぬと思ってるの?
わかったら、君のやるべき事を」
つらつらと、冗舌な程出てくる言葉の数々。
だが、それは最後まで口から出ていくことは無かった。
一瞬にして目の前に来た金色の瞳。
かと思ったら、首の辺りが締まる様な感覚。 胸倉を掴まれ引き寄せられていた。
『柱である、私の言う事が聞けないの?』
「……柱」
鬼殺隊にある多くの階級は、ほとんど覚えていないが、その最上位は覚えている。
柱は、階級の最上位の剣士。
目の前の彼女は、それに当たるのだと言う。
苦しさから少し歪む視界に、彼女の隊服の釦が見えた。 その色は自分の隊服と異なり、金色をしていた。
金色の釦は、柱の証。
目を丸くし、驚く無一郎。 その表情に掴んでいた胸倉を離し、座るよう声を掛けた。
先程まで、口を付いて出ていた言葉の数々は見る影も無く。 素直に雪華の前に座り、上着の釦を外していった。
柱の言う事は絶対だ
この言葉を、今まで使った事なんて無かった
そんなものは、ただの横暴だ
でも…それを敢えて使ったのは、無一郎をこの場に確実に留めるため
そのためなら
職権乱用する事も厭(イト)わない
上着を脱いだ無一郎の手当てをしていく。
『…』
その身体は、十二の子供とは思えないほど筋肉質だった。
厳しい鍛錬を自身に課した賜物。
そうせざる終えなかった。
無一郎自身も強くある事を望んだし、自分自身もそれを望んだ。
なのに、どうしてこんなにも罪悪感が自分を責め立てるのだろう。
『ちゃんと、身体を休めているの?』
その質問に返事はなく。 少し顔を俯かせた。
ろくに休んでいない事ぐらい安易に分かっていた。
知りたかったのは、無一郎がそれをちゃんと自覚できているかどうか。 どうやら、自覚はあるようだ。
傷の手当てが終わり、救急箱の蓋を閉めた。
そして、無一郎と向かい合う。
『休める時は、ちゃんと身体を休めなさい
食事と睡眠も同じよ』
「…」
『あなたの体は、成長途中の大事な時期でもあるの
そんな時期に、食事や休息が疎かになってしまえば、今後の成長に大きく影響が出てしまうかもしれない
だから…』
「そんなことしてたら、みんな殺られちゃうじゃないか…」
『?』
「みんな…僕より弱いから
僕が強くなれば…
……俺が、鬼を全部倒せば…誰も死ななくて済む」
怒りに満ちた瞳の中に違和感を感じた
焦り…いや、怒りの感情が、どうしようもなく無一郎の中に残っているから、捌け口を探してしまうんだ
育手の所に行く前は、これほどまで怒りの感情は表に出ていなかった
…違う
そうならないように、怒りで心が満たされないように気を付けていたから
たった一ヶ月半で、その気遣いは水の泡となっていた
しかし、育手にそこまで求めるのも酷というものだ
膝の上で、ぎゅっと握られている小さな手にそっと触れた。
不思議そうな顔を向ける無一郎。
小さな手を取り、握っていた指を優しく開いていく。
その手の平には、何度潰れたかもわからない血豆がいくつも出来ていた。 手の皮は厚く硬い。 たった十二年使った手とは思えない。
自分の手よりもそれは硬く、ごつごつとしている。
どれだけの思いで、どれだけの時間、刀を振っていたのか。
それを思うだけで、目頭が熱くなってしまう。
そう言えば
鉄井戸さんも、気にかけてたっけ…
痛々しいその手を、優しく撫でる様に包み込んだ。
『無一郎が、どれだけ必死に頑張ってきたかは、この手を見ればわかる』
「…」
『大丈夫だよ、無一郎
独りじゃないから』
その微笑みを見るのは、初めてのはずなのに
何故だか、頭の中にいる誰かのようだった
霞がかった頭の中
顔や声なんか、どれもはっきりと分かるものなんて、何一つ無いのに…
なんだか
胸の奥の方が、あったかくなっているのが分かる
「…ねぇ。 君は…僕のことを、知っているの?」
『…』
「僕は…前にも、君と会ったことがある?
……あると、思う
よく思い出せないけど…頭の中にいる人と、似ている気がするんだ」
そう言いながら、豆だらけの手で雪華の頬を撫でた。 まるで、確認するかのように。
包まれていたもう片方の手も、雪華の手から抜き取り、両手で頬を包み込む。
視覚と聴覚と触覚
今できる全ての感覚を駆使してみても
それでも、頭の中の霞は消えてくれない
確かめたいのに
知りたいのに…
どうして、邪魔をするんだ
もどかしい…
自分の頭なのに
ちっとも言う事を聞かない
誰かに支配されているような絶望感さえしてくる
眉を八の字に下げ、口元を引き結んだように。 辛そうな、苦しそうな表情。
そんな無一郎に目を細めると、頬にある小さな手に、そっと自分の手を重ねた。
『雪華』
「っ!」
『不知火 雪華』
名前を告げると、弾けた様に瞳を丸くした。
しかし、すぐに霞がかってしまった瞳は、畳の上へと頬にあった手と一緒に下がっていった。
「……無意味だよ
名前言っても…僕は、すぐ忘れちゃうから…」
そう言って、俯く無一郎。
僕は、すぐ忘れちゃうから…
その言葉が、酷く胸に突き刺さった。
それはまるで、忘れてしまう事に慣れてしまっているかのようで。
もし、そうだとしたら
他人にも、自分にも無関心になってしまうんじゃないか?
自分の事も、自身の命さえも
ぞんざいに扱ってしまうのではないだろうか?
怖いと思った。
無一郎なら、そうなりかねない。
そう考えたら、目の前の小さな体を抱きしめていた。
不安定で、今にも壊れてしまいそうな心を包み込むように。
『何度だって言うから
十回でも、二十回でも…何度でも』
「…」
『大丈夫だから
ゆっくりで、いいから』
心を閉ざさないでほしい
自分の事を 諦めないでほしい
自然と抱きしめる腕に力が入った。
すると、無一郎の手が背中に回ったのがわかった。
「………せっか」
『…?』
「…せっか……雪華…」
呪文のように、何度も自分の名前を口にしていた。
忘れないように、頭に刻み込む様に。
そんな無一郎に、愛おしさが込み上げてくる。
守りたい…守らなきゃ……
この子だけは
もう 失いたくない…
ーー
ーーー
ーーーーー
ちゃぷん…。
「…」
浴衣の裾を捲り上げ、石の上に座り、足だけ温泉の中へ入れた。
少し熱いくらいのお湯が、疲れているであろう足に染み渡ってくるようだ。
無一郎以外、誰もいないそこは貸し切り状態。
ここの藤の家には温泉があり、疲労に良く効く。 足だけでも浸かってくると良いと雪華に勧められたのだ。
乳白色のお湯を、ぼーっと見つめる。
…気持ちいい
足をゆらゆらと揺らしていると、すぐ後ろにある塀の向こうから話し声が聞こえてきた。
それは、先ほどまで自分に向けられていた声。
『銀子、無一郎のこと頼んだよ
無理をし過ぎないように、上手く声を掛けてあげて』
「言ワレナクテモ、ワカッテルワヨ」
自分を心配する会話。
そして、彼女がもう行ってしまうのだということもわかった。
そう思うと、胸の辺りが少し締め付けられるような感覚がした。
その感覚に、胸に手を当て首を傾げる。
「もう少し、一緒にいたかったなぁ…」
自然と口から零れた言葉に、再び首を傾げた。
部屋に戻ると、布団が一式綺麗に敷いてあった。 その傍らに、銀子の姿もある。
行灯を消し、暗闇の中、布団に潜り込む。 ふかふかな布団に包まれたのは、何日ぶりかなんて覚えていない。
「ねぇ…銀子
…雪華は、行っちゃったの?」
「コノ辺リハ、アノ子ノ担当地区ダカラ
見回リニ行ッタワ」
「……そう」
他人への関心の薄い無一郎にしては珍しい反応だった。
今まで、こんなにも他人を気にしたことなど無かったのに…。 ちょっとした嫉妬心。
「…アノ子ガ居ナクテ、寂シイノ?」
「……わからない
でも、この辺りがきゅって…なんだか、締め付けられるみたいな…
僕は…寂しいのかな?」
手を伸ばし、銀子の羽を撫でた。
「…また、会える?」
「柱ハ忙シイカラ
ソウソウ会エルモンジャナイワヨ」
「………じゃあ
僕も…柱になれば、会えるかな?」
その問いかけには、さすがの銀子でも驚いた。
鬼の頸を斬る事以外の目的など持たなかった無一郎が、雪華に会いたくて柱になりたいなんて。
良い傾向なのだと認めざるを得ない。
銀子にとっては、とても複雑な心境だろう。
「…ソウネ
柱ニナレバ、会ウ機会ハ増エルワネ」
「…」
そう口にした銀子の言葉は、いつの間にか眠りに付いていた無一郎に届いたかは分からない。
朝 目を覚ましたら 忘れてしまうのかな…?
忘れたくない…
覚えていたい…
…雪華………雪華
隣に居てくれたら
きっと 忘れずに済むのに…
僕の手を 握っていてほしい
僕の名前を もっと呼んでほしい
ぎゅって 優しく抱きしめていてほしい…
あぁ
忘れたくないなぁ…
お願いだから 雪華のことは
どうか
覚えていてほしい……
・END・
23/10/8
◇タイトルにあるように、記憶を失くした無一郎が夢主に依存し始めた頃のお話です。