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「何だそれは」
「えっ」
現代日本においてバレンタインを知らない成人男性がいるとしたら、それは尾形さんくらいなものではなかろうか?
「馬鹿にするなよ」
「はひ」
「バレンタインくらい知ってる」
「はぁ」
少し不満げな表情で私を見下ろす尾形さんは、それでもチョコレートを受け取る気はないようで、手持ち無沙汰な両手をスラックスのポケットに突っ込んだままだ。そう、そうなのか。そういう感じなのか。どうしようかな、これ…。
チョコレートを受け取ってもらえない展開があるということを想像しなかったわけじゃないけど、まさか最後の最後、尾形さんに拒否されるとは少々予想外だった。かつて敵同士だった鯉登さんや月島さんでさえ受け取ってくれたんだから、その流れで尾形さんも…なんて軽く考えていた私に非があるんだろうな、これは…。100年経ってもこの人のことを理解できていない自分が悲しかった。最初から予防線を張っておくべきだったのだ。尾形さんは人に気を遣っていらないものをわざわざ受け取るようなことする人じゃないって知ってたくせに。こんなことで傷ついちゃうなんて、私も結構可愛いとこあるじゃん…?行き場のなくなったチョコレートを一体どうしたらいいんだろうね。
「なんかすみませんでした…」
「は?」
「お邪魔しました」
「おい。待て」
くるりと体を反転させて潔く立ち去ろうとした私を尾形さんが引き止めた。無防備なお腹に性急に腕を回されて、ぐっと引き寄せられると簡単に抱き込まれてしまう。…尾形さんってナチュラルに距離が近いんだよなぁ…。 人に触れることにここまで躊躇わない人も珍しい。やってることはただのセクハラなんですけど。
「な、なんですか?」
「どこに行くつもりだ」
「え?帰ろうかと…」
「は?」
「え?」
何を言ってるんだお前は、とその表情だけで雄弁に語る尾形さんに後ろから抱きしめられたまま、私も同じような顔をした。いや帰るよ。もう尾形さんに用事ないもん…。家に帰って供養するよ。紙袋から取り出すことすらされなかった可哀想なチョコレートを、せめて私が美味しく食べてあげなければいけないのだ。
「一人で家まで来て何事もなく帰れると思うのか」
「なにそれ怖いんですけど…」
真顔で問われた言葉に少々引いてしまった私を、相変わらず感情を映さないくろい瞳がじっと覗き込んでいる。尾形さんが今どういう心づもりでいるのかは全く分からないけど、私を帰すつもりはなさそうだというのはなんとなく理解できた。
「あの、怒ってるんですか?」
「は?怒ってねえ」
「じゃあなんなんですか…」
「俺を訪ねてきたのはそっちだろうが」
「それはそうですけど…用無しにしたのはそちらというか…」
「は?」
「え?」
モヤモヤした会話を繰り広げる間も尾形さんの腕は私のお腹に巻きついたままだった。なんだかさっきから徐々に位置が上がってきておっぱいに当たっちゃってるんだけど…尾形さん気付いてないのかな…。恥ずかしいのでやめてほしい。ていうか離れてほしい。
「何の話だ」
「チョコの話ですよ」
怪訝な顔をした尾形さんが、その目線を下にさげて、私の右手にぶらさがる紙袋で留まった。何度か瞬きを繰り返す表情は、かすかに驚いているように見えた。なんだその顔は。
「……おい」
「はい」
「それはなんだ」
「チョコレートですよ」
「……俺に渡しに来たのか?」
「そうですよ?」
そうですよ!?
今更何を言ってるんだろうこの人は。さっきは知らんぷりしたはずのチョコレートと絶句する私を交互に見て、尾形さんは今度こそ驚いた表情を見せた。心なしか抱きしめる腕に力が入った気がして息がつまる。
尾形さんって…尾形さんってさぁ…。つくづく何も変わらない人だ。私が尾形さんを理解してなかったのと同じで、尾形さんも私のことをちっとも理解していなかった。私、結構尾形さんのこと好きなんですけど?少なくともチョコレートを渡しに家を訪ねるくらいには。
「なんだと思ってたんですか?」
「…どこぞのバカに渡しに行くものかと」
「どこぞのバカ…」
「俺に用意したのか?」
「はい」
「お前が?」
「はい」
「そうか…」
おそらくバレンタインというイベントに毛ほども興味を抱いていない尾形さんは、自分に贈られるチョコレートに対しても同様に無関心だったみたいだ。そんな冷たいことってないよ…。100年前は一緒に旅までした仲じゃんか…。親愛の情を向けられることに慣れていない尾形さんの心の闇はんぱないな。
「尾形さんバレンタイン知ってるくせに全然受け取らないから、拒否られたかと…」
「…まさかお前が…」
「私が、なんです?」
「いや…」
珍しく言い淀んだ尾形さんは、私の手から紙袋を抜き取ると同時に目頭を押さえて深いため息をついた。ようやく解放された体で向き直ると、なんだか意味ありげな視線が降ってくる。喜んでいるのかなんなのか…。こうして受け取ってくれたんだから迷惑ではないと思うけど、尾形さんの感情の機微はほんとに分かりづらいので相対してるとちょっと困ってしまうのだ。
「おい。どうする」
「ん?」
「余計帰せなくなった」
「ん?」
「責任とれよ」
「んん?」
そんなよく分からないことを言いながら、今度は真正面から引っ張り込まれた。胸板に顔を埋める前、かすかに見えた口角がほんの少し上がっているように見えたのが気のせいじゃないのなら、多少のセクハラにも目をつぶろうという気になった。
与えられる喜びを知る尾形。
2019.2.14