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初めて会った時から尾形さんはやけに馴れ馴れしい人だった。
「出せ」
「え?」
「早く」
出会って30秒でこの態度、不遜すぎる。差し出された手が何を意味しているのか分からなくて、混乱した私は思わず自分の手を重ねてしまった。その後しばらく尾形さんが押し黙ってしまったので、なんだ合ってたのかと思った矢先に「違う」と言われた。違った。じゃあ今の数十秒はなんだったんだ。
「スマホ出せ」
「なんで?」
「…」
「ていうか誰…」
駅のホームで偶然隣に並んだだけの人に、いきなりそんなことを言われて戸惑ってしまうのは仕方のないことだ。それでも尾形と名乗ったその人が相変わらず不遜に手を差し出したままだったので、私も乗っけた手を引っ込めてしぶしぶスマホを差し出した。差し出した?いやいや。いやいやいや。おかしいな…。
「俺の連絡先だ。消すなよ。消したら殺す」
「殺すの?」
「逃げても殺す」
「目がマジだ…」
おかしいな… 。こんな得体の知れない人に自分からスマホ渡して、勝手に操作されてるのをぽけっと見てて、脅されても微塵も焦りが出てこないなんておかしいな…。なんだか尾形さんが私のことを知ってる風だったので、「どこかでお会いしたことありましたっけ?」と聞いたらじろりと睨まれたのでそれ以上聞けなかった。いやだからなんで聞けないんだろ…おかしいな…。
結局その日の夜に尾形さんからかかってきた電話も取ってしまったし、翌日呼び出されたときものこのこ出て行ってしまったし、教えてないはずの名前を当然のように呼び捨てされてもなぜか返事をしてしまった。心のどこかで尾形さんを受け入れている自分がいる。おかしいな…。
「遅い」
「尾形さん…」
ある日カフェのバイトが終わって店から出たところで尾形さんに出迎えられて、なんでいるの、とか、バイト先教えましたっけ?とか、そういうことを聞く前に「ごめんなさい」って言葉が口をついて出るのに、正直私はちょっと慣れていた。この時点で尾形さんと出会って半年が経っていた。なんだかな…尾形さんは初対面の印象と変わらずずっと不遜で、不躾で、横柄なんだけど、悪い人ではないんだよね…。生活の大半に食い込んでいる尾形さんのことを、私は親しい友人だと思っていたし、尾形さんもそう思ってくれてるはずだった。
「最近迎えにきてるのって、もしかして…彼氏…?」
だから同じバイト先の先輩にそんなことを聞かれても私は否定するしかないのだった。だって実際違うもん。尾形さんはいつの間にか勝手に私のアパートの合鍵作ったり、大学とか駅まで来て待ち伏せしたり、教えたはずのないスリーサイズを把握して新しい下着買ってくれてたり、そういう恋人以上のことを平気でやっちゃう人だけど、それは尾形さんなりの可愛がりだったから。そういうんじゃないんですよって伝えたら先輩は変な顔をした。なので私も変な顔をした。いや、分かってるんです。何かが間違ってることは分かってるんだけど…。でも私は尾形さんのそんな距離感が嫌いじゃなかったから、間違ってても別にいいと思ってた。
「それ…なんかおかしくない?」
「…」
「あの人結構年上だよね?」
「…」
「なんか、ちょっと犯罪くさくない…?」
「…」
「も、もしよかったら、俺相談乗るけど」
だから先輩の言葉は全部的外れだったし、言外に尾形さんを下に見ているのが伝わってきてムカムカした。このやろう、尾形さんなめんなよ。尾形さんは愛想がないし態度も悪いし年功序列とか上を立てるとか全くしない人だけど、よく見たら結構カッコイイし仕事できるし猫被りもできるエリートなんだぞ。通帳に並んでる数字とんでもないことになってんだぞ。私や先輩みたいなボンクラ大学生とは格が違うのだ。
私が怒ってることが伝わったのか、先輩は照れくさそうな顔から一転して焦り出した。
「あ、あの」
「…尾形さんは私の恋人じゃないですけど…」
「う、うん」
「でも同じくらい大事な人なんですけど?」
「…」
「そりゃちょっと倫理観がゴミみたいなところあるし、ネジ飛んじゃってるなって思うし、ぶっちゃけめんどくさくて変な人だけど」
「…」
「先輩に尾形さんバカにされるのは、なんか、超ムカつく」
先輩が私のことをうっすら好きだったのはなんとなく気付いてたけど、こんなヘタクソなアプローチをしてくる人だとは思わなかった。は〜、もうこのバイト辞めようかな…。前から尾形さんにも辞めろって言われてたし…。
壁の時計を見たらちょうど上がりの時間だったので、絶句して固まっている先輩を置いて事務所に戻った。休憩中だった他のバイトの子がぷりぷり怒っている私を見て興味津々で話しかけてきたけど、言いたくなかった。尾形さんをバカにするなんて、ほんと信じらんないな。先輩なんて大っ嫌いだ。
外に出たら当たり前みたいに尾形さんが待っていた。そして当たり前みたいに私の手を引くので、促されるままに尾形さんの胸板におでこをくっつけて、控えめに腰に手を回した。
そういえば、私から尾形さんに近づくのは初めてだったかな。なんだか驚いた様子の尾形さんに気付かないふりをしてぴったりとくっついた。尾形さんの匂いがする。
「…おい」
「尾形さん」
「…」
「尾形さんとは半年前に会ったばかりですけど」
「…」
「なんか、尾形さんの匂い、ちょっと懐かしい…」
「…」
「なんでかなぁ」
「…」
頬を摺り寄せる私の首裏を抑えた尾形さんが、低く笑うのが分かった。ずっと前から私を知ってたような素振りをする尾形さんは、今まで頑なにそのことを口には出さなかったけど、匂いだけでも思い出した私を褒めるみたいに耳のうしろをくすぐった。「くすぐったいですよ」「我慢しろ」「…」やっぱり尾形さんは勝手な人だけど、なんだかよしよしされてるみたいでちょっと嬉しかったりする。そうだ、尾形さんに褒められると、なんでか私はすっごく嬉しくなってしまうのだ。
「いい子だ」
そう言って尾形さんは満足そうな笑みを浮かべた。この半年で一番嬉しそうな顔だった。
犬と猫。
2019.1.26