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いちばんバレたくない人にバレた。
「は?……は?」
「…」
「おい。待て。は?なんだそれ。は?」
「…」
「は?は?」
尾形さんの語彙力が消滅してしまった!
いつもと違いすぎる彼の姿に、ほんのちょっとだけおかしくなってしまったのは内緒だ。こっそり下唇を噛んで口元が緩みそうになったのをなんとかこらえた。あ、あぶなー。もし、今、うっかり笑ってしまいでもしたら、今はまだ混乱しているだけの尾形さんの怒りを誘発してしまうことうけあいだ。ただ呆然と私を見下ろすだけの視線に、責めの感情が混ざってしまうことだけは、それだけはなんとしても阻止したかった。
地面に膝をついて口元を血で汚す私を、尾形さんは、どういう感情で見ているのかな。
「それは……」
「…」
「お前の血か」
「…」
「おい」
「…」
「なんとか言え」
尾形さん、そんな分かりきったことを聞くような人でしたっけ。
見て分かりませんか、と言えばきっと尾形さんは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙ってしまう。そんな苦しげな表情をさせたいわけもないので、口の端からぽたぽた垂れる血を裾で拭いながら小さく頷きを返した。そう、そうです。私の血です。膝の元につくられたばかりの血溜まりは、土に吸われて赤黒いしみへと成り代わっていた。
「撃たれたのか」
「いえ、あの」
「…」
「なんというか…」
「…」
「新陳代謝が…」
「は?」
「激しくてですね…」
「は?」
私に目線を合わせるように膝を折った尾形さんが、怪訝そうに眉根を寄せて私の顔を覗き込んだ。さしあたり全身を観察する様子を見せたのは、他に外傷がないかと思ってのことでしょうか。そんな小さな仕草ひとつにも尾形さんらしくなさが詰まっていて、私はもう一度強く唇を噛んだ。笑ってはいけない…。笑ってはいけないんだけども、人は、嬉しいと自然に笑顔になってしまう生き物ですから…。
あの尾形さんが私を心配するような素振りを見せたことに、ちょっとだけ嬉しくなってしまった私だった。俯いた頬に添えられた冷たい手が想像よりずっと優しかったことが、ちょっとどころか、びっくりするくらい嬉しい。
だからこそ、今この場で2人きりでいることに、途方も無い気まずさを感じてしまう。
「尾形さん、なんでここにいるの…」
「あ?はぐらかすな」
「…」
「その血はなんだ」
「…吐きました…」
「は?」
「いつものことです…」
「は?」
「…」
「は?」
まっくろな瞳の中に、困惑と、憤りのようなものが見て取れて、やっぱりこの人にだけはバレたくなかったなと後にも先にも立たない後悔をした。ひょんなことから、このめくるめく金塊争奪戦への参入を余儀なくされた一般人の私に対し、あんまり好意的な印象を持っていなかったはずの尾形さんは、それでも長く旅を続けるうちに多少なりとも情のようなものが湧いてきたらしかった。杉元さんたちと旅路を同じくしてからはとりわけ顕著で、あまり俺から離れるなと言われたことさえあった。それは、私が尾形さんにとって不利な情報を杉元さんたちに渡す可能性を危惧してのことですか。そう聞いたら違うと言われた。違った。じゃあなんなのですか、とは聞けるはずもなくて、頬が赤くなるのをなんとか隠しながら控えめに頷いた。尾形さんに他意はなくても、なんだか嫉妬でもされたような気がして嬉しかった。
軍人上がりの尾形さんにとって、初めこそただの足手まといでしかなかった私が、いつのまにかその懐のうちに入れてもらえるような仲になれたのかな、と、身の程知らずにもそう思った。
だからこそ。
尾形さんにだけは見られたくなかった。
まだ金塊探しの旅は終わらない。網走でさえもはるか遠い先にある。そんな道中半ばにして、またただの足手まといへと逆戻りすることだけは、どうしても避けたかったのに。
「……病気か」
冷たい声音にまぶたが震えた。下げたままの視線があげられなくて、自分で吐き出した血の跡を見たくもないのにとっくり眺めるはめになった。違う、尾形さん。違うよ。病気じゃない。病気じゃないのに。こんなところを見られて信じてもらえるわけもなかった。
「違います…」
「……本当か?」
「…」
「嘘つくんじゃねぇ。何の意味もないだろうが」
「う、嘘じゃないし…」
「じゃあ何だ」
尾形さんの固い指が目尻をさすった。泣いているとでも思われたのだろうか。残念ながらこんなことで泣くほどヤワではなかったし、なにより今更だった。昔から、数え切れないほど血を吐いてきた。気道を逆流してえづくような苦しさにももう慣れた。だから今更泣かないよ。泣く必要がない。泣くはずがないのに。
なんでかな。気を抜くと涙が出そうだった。
「あの、信じてもらえないかもしれないんですけど」
「なんだ」
「…」
「いいから言え」
「…」
「……大丈夫だから」
やばい。なにそれ。意味わかんない。なんでそんなこと言うの。
尾形さんが私を安心させるように首の裏を撫でた。銃を握り慣れた固い指先がうなじをかすめるたび、胸が締め付けられるように苦しい。尾形さんなんでそんなに優しいこと言うんですか。意味が分かりません。らしくない。そんなこと、間違っても言うような人じゃなかったのに。
「私…」
「…」
「私、実は」
「…」
「逆貧血なんです…」
「………は?」
けほ、と喉の奥に残った血で咳き込みながらそんなことを言う私に、尾形さんは何を思ったでしょうか。今は慰めるために首にかけられた手が、そのうち喉を締め上げる動きに変わるんじゃないかと、そんなことばかり怖くて視線を合わせることができない。
「それは…」
「ち、血が多すぎて。もうびっくりするくらい多すぎて、体の中に収まりきらない、らしいです。お医者様によると!」
「…」
「だから、血管がパンク寸前になると、こうやって勝手に出てきちゃって。昔からそうなんです。ただの新陳代謝、なんです…」
「…」
「だから病気じゃないから、うつったりしないから、…迷惑かけない、から」
「…」
「置いてかないで……」
嘘じゃないよ。
ふざけてもいない。全部本当のことだったし、縋るような声で吐き出た言葉も本心だった。置いてかないでください尾形さん!私にだって、どうしても金塊を手に入れたい理由があった。家族代々受け継がれているらしいこの体質が、毎度毎度みっともなく血を吐くだけで済むほど体の丈夫な私にはどうってことなくたって、そうじゃない人もいる。
弟は違った。弟は、私と違って虚弱だったから、意外と体力を消耗する“吐血”という行為に、これから長い先ずっと耐えられる保証はなかった。血を吐き出す前に血管が破裂して毛穴から漏れ出るのがオチだろうとお医者様に言われていた。おいふざけるな。そんなこと許せるはずがないでしょうが。おねえちゃんはそんな結末認めません。
だから治療がいるんです、尾形さん。治療のためにもお金がいるのです尾形さん。ただの一般人に毛が生えた程度の力しか持ち合わせていない私が、この一行から外れて金塊にありつけるものでしょうか。
「し、信じてもらわなくてもいいです」
「…」
「分かってもらおうなんて思ってないです、私、…こんな姿見られて、病気じゃないって信じる人なんているわけないもん」
「…」
「でも、うぅ…、尾形さんにだけは、見捨てられたくないって思っちゃうの」
「…」
「なんでかなぁ……」
また口から本心がついて出た。いらなくなった血と一緒に、溜め込んでおけなくなったものが滑るように出てくること出てくること。尾形さん、なんの縁も関係もない私たちだけど、今までの旅は楽しかったです。できることなら、このまま一緒に行き着くところまで行きたかった。
虫のいい話ですけど、見なかったことにはできませんか。このまま何も知らなかったふりして一緒に旅を続けてもらえませんか。
「は?」
「…」
「ふざけんな。そんなことできるわけねえだろ」
「…」
で、ですよね。
都合のいい話をしている自覚はあったけど、そんなにべもなく断られるなんて、ちょっとどころか大分ショック…。今度こそ目の奥がツンと熱くなった。所詮、尾形さんにとって私は、なんてことない、取るに足らない一介の町娘でしかなかったのかな。厄介ごとを抱えている人間を連れて行けるほど、生易しい旅ではないのは百も承知でしたけど。
なんだか本当に泣いてしまいそうだった。自分でも気付いていなかったけど、私、こんなことで涙が出るほど、尾形さんのことが好きだったんだな……。
「バカみたいなこと言ってんじゃねえ。冗談も大概にしろ」
「……尾形さん、怒ってる?」
「あ?」
「…」
「当たり前だろう。よくも今まで隠してやがったな」
「…」
「二度とくだらねえ真似すんなよ」
「え?」
「あ?」
思わず視線を上げた私と、不機嫌そうに見下ろす尾形さんの視線が初めて交わった。怒ってる。尾形さん、怒ってるね。怒ってるけど、なんだか、私が想像したような展開とはなんだか毛色が違うみたいで、思わずぽかんとして見上げてしまった。まるで次が存在するような口ぶりにひどく困惑してしまったのだ。
「あの、尾形さん」
「なんだ」
「もしかして、まだ一緒にいてくれるんですか」
「は、」
「旅を続けてもいいんでしょうか」
「…」
睨むと言ってもいいくらい、強く私を見つめる視線に怯んでしまいそうになるのをなんとかこらえた。相変わらず瞳の奥では溜まった涙が今か今かと待ち構えていたけど、胸のどきどきの方がうるさくて、そっちに構ってられる余裕なんてない。
私、まだ、この人と一緒にいられるのかな。
尾形さんは、まだ私を懐の内に入れてくれているのかな。
「分かりきったこと聞くな」
「…」
「それとも、言わなきゃ分からんのか」
「…」
「…俺がお前を手放すわけないだろうが」
やっぱり涙の出番はないみたいだ。私、弟のためにどうしても成し遂げたい願いがあったはずなのに、もうここで死んでもいいってくらい胸がいっぱいになってしまった。だからかな、泣く必要なんてないはずなのに、押し出された涙がぽろぽろ溢れて止まらなかった。尾形さん、尾形さん。ずるいなあ。そんな優しいこと言う人でしたっけ。知らなかったな。それとも私が見ようとしなかっただけなのかな。
かつて、赤くなった頬を隠すように俯いた私に見えなかったものが、今まさに目の前にあるんだとしたら、こんなに嬉しいことってないよ。
「尾形さん」
「…なんだよ」
「へへ、耳まっか…」
「…」
「おそろいですね」
「…うるせえ」
見てんじゃねえ、なんて乱暴に言いながら、私の視界を奪うようにその胸に抱かれた。硝煙と、血と、けものの匂いが混じり合う中で、尾形さんの体温が私をまるごと包み込んだ。ごめんなさい、と呟いた言葉が分厚い軍服に涙と一緒に染み込んでいったけど、尾形さんはそれに気付かないふりをしてくれた。嬉しい。嬉しくって、泣きながら笑うなんてちぐはぐなことをしてしまう。抱きしめられている気恥ずかしさをごまかすみたいに「驚かせちゃいましたね」なんて言う私を、尾形さんはより一層強く抱きしめた。うなじをかすめた指が後頭部を抑えて離さない。
「……心臓止まるかと思った」
尾形さん、これ以上私を泣かせてどうするんですか。
ラヴだね。
2019.9.20