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「おい、なんだここは」
「なんでしょうねぇ…」
不機嫌そうに眉根を寄せる鯉登少尉と、その隣ですっとぼけてみせる私。
その声音に温度差はあれど、現状に困っているのはどちらも同じだ。
目の前には、堅く閉ざされた重厚な扉。四畳半ほどの見覚えのない部屋に、何の脈絡もなく突っ立っている私たち。
問題は、この得体の知れない空間が何であるのか。誰が、一体どうやって、私たちをここに閉じ込めたのか…。なんて、隣で腕を組みながら歯ぎしりをしている鯉登少尉はきっとそんなことを考えている。
違う。全然違う。問題はそこじゃないよ。
一番肝心なのは、目の前のアレが、少尉に見えているのかいないのか…なんだよね……うーん……。
1.嘘を3つ付かないと出られない部屋(鯉登)
たぶん、きっと、少尉には見えてない。
あの、いかにも頑丈そうな、無機質な鉄の扉にぶら下がっている薄っぺらなプレートが少尉にも見えていたなら、きっと今すぐにでもここから脱出しているはずだもの。
鍵のかかったドアノブを引くだの押すだの、蝶番の部分を踏むだの蹴るだの、そんな徒労を一通り試している少尉には、やっぱり見えてないんだろうな。あの文字が。
(嘘を3つ付かないと出られない部屋……)
まあ、見えたところで、現状がチンプンカンプンなのは変わりないんだけど…。
どういう仕組みであのプレートが私にだけ見えてるのかとか、嘘が鍵代わりになる意味だとか、そういうのは一旦無視して、とっととこの部屋から脱出させてもらおうかな…。
なにせ、私と少尉は刺青人皮を奪い合う敵同士だから。
あの鶴見中尉に心酔する、若い薩摩の軍人さんと、杉元さんたちにくっ付いて旅をする、元パンピーのこの私。極端に狭いこの空間の中で、いつ少尉の目がこちらに向いてタマの取り合いが始まるか分かったものではないし、結果どちらに軍配が上がるかなんて、確かめるまでもないことだ。
あらかた扉や壁をいじめ抜いて、それが無意味であることを確かめた少尉は、しかめっ面でこちらに向き直った。ほら来たぞ。
「少尉、あの」
「おい」
腰に挿した刀を鞘ごと引き抜いて目の前に掲げてみせる少尉に、出鼻をくじかれて口を閉ざした。少尉は、そのまま腰を下ろして、刀も真一文字に床に置かれた。おお、意外にも正座。
「お前もならえ」そう言われて、よく分からないまま従ってしまう。この狭い部屋の中で、膝をつき合わせて向かい合う。意外も意外、どうやら少尉は、私と話し合いをしようとしているらしかった。
「…お前、杉元のところにいたな」
「はあ、そうですね」
「名はなんというのだ」
「えっ」
「お前の名前だ。教えろ」
「……」
教えたくないな、と思ったのが顔に出ていたらしく、少尉は苦虫を噛み潰したような顔をした。だって、だってだって、杉元さんや白石さんと違って、模範的町娘だった私のいいところって、その素性が割れてないところにあるんだもん….。軍人にも囚人にも知り合いゼロ。街で聞き込みなんかするときに重宝するよ。目立たず、騒がず、騒がれず…。今回のこれで少尉に完全に顔が割れてしまったのは残念だけど、加えて名前まで教えるのはなぁ…うーん…。
「おい。なぜそんなに嫌がるのだ。そんなに私に教えたくないのか」
「えー…う〜ん…まあ…」
「な、なぜだ。いいだろうそのくらい」
「逆に鯉登少尉はなぜそんなに聞きたがるんですか?」
「……お前は私の名を知ってるじゃないか」
それはだって元第七師団の尾形さんに色々と教えてもらったからで…。
士官学校上がりのクソボンボンだの、何喋ってるか分からんバカだの、割と好き勝手なことを言う尾形さんに色々と聞いていたからだ。つまりそれはこちらの陣営に尾形さんがいるというアドバンテージであり、そんなに不平等だと言わんばかりの顔をされても知ったこっちゃないというのがこちらの正直な気持ちなんですが…。戦いとは時に不公平なものなのです。
「いいから教えろ」
「ええ……じゃあ白杉竹一子です…」
「シラスギタケ イチコか。贅沢な名だ」
「(信じちゃった…)」
杉元さんと白石さんを掛け合わせただけの出来合いの偽名を信じちゃったよ、この人…けっこうおマヌケなのかも…。
なんにせよ、これで一つ目の嘘は付けたことになる。扉から微かな開錠音が聞こえたのを、私は聞き逃さなかった。
対話の形に持ち込んでくれたのは助かった。話の中で残り2つの嘘をつくくらい、ヌルいヌルい。ましてこの人相手なら楽勝だと思った。これが尾形さんや土方さん相手だと、途端に難易度がぐっと上がっていたに違いない。
「なぜ刺青人皮を集めているのだ」
「杉元さんが欲しがるから…」
これは本当。
正直私は金塊にあんまり興味はないし、アイヌのこともよく分からない。でも、杉元さんやアシリパさんがそれを求めているんだから。それだけで私には十分だ。
私の答えに鯉登少尉は怪訝な顔つきになった。嘘をつくときに大事なのは、真実も中に混ぜること。さしあたり無難なところで本当のことを言ったつもりだったけど、何やら引っかかってしまったらしい。
「……惚れた男のためか?」
「えっ」
「杉元のことを好いているのか?」
「?」
「おい。どうなんだ」
「杉元さんのことは好きだけど、別に 惚れてるわけでは…」
「そ、そうか」
露骨に安堵した様子の少尉に、今度はこちらが怪訝な顔をする番だった。うーん…なんかよく分かんないけど、ちょっと機嫌よくなってるっぽい…?それならそれで、よし。結果的にオッケー。サクッと残りの嘘付いちゃって、それぞれの帰るべき場所に帰ろう…。
「あー、その、なんだ。……す、好きな食べ物はなんだ」
「えっ。さ、鮭。かな」
「そうか。嫌いな食べ物は?」
「えーと、…しいたけ」
軽い開錠音、いただきました。
いや突然お見合いが始まったのかと思ったけど…。あんまり唐突なので、正直に好きな食べ物答えちゃったけど、嫌いな食べ物は尾形さんから拝借した。そんなこと聞いてどうするんだろうね。
少尉は、ぶつぶつ反芻しながら、ちゃんと覚えようとしてるらしかった。別に忘れてもいいよ。今後少尉と食事を共にすることなんてないだろうし…。
ちなみに、私はしいたけも好きなほう。美味しいよね。
「……少尉は?」
「は?」
「少尉は何がお好きですか?」
「は?な、なぜそんなことを聞くのだ」
「なぜって、えっと」
「……わ、私に興味があるのか?」
「え、まあ…はい…」
嘘です、ごめんなさい。場をつなげようと聞き返してみただけで、少尉にあんまり興味はないです…。私の答えに、何やら頬を上気させる鯉登少尉にちょびっとだけ罪悪感が湧き上がってくるけど、3つ目の開錠音と引き換えにどうか許してほしい。
計3つの鍵が開いた。これでこの部屋から脱出できるはずだ。
「少尉、あの」
「じ、実は、おいも前からわいんこっが気になっちょった」
「えっ?」
「あげん連中と一緒におっところを見ったぁ、腹立たしゅうてかなわんかった」
「えっ…うん…?」
「おなごは星ん数ほど見てきたが、こげん気になったんはわいが初めてじゃ。わいを思うて眠れん夜もあった」
「…」
「い、今も、むぜて思うちょる」
尾形さんが言っていた。
鯉登少尉は、感情が高ぶると早口の薩摩弁になるんだって。ということは、今の少尉は昂ぶってる状態で、でも、あれ?なんか、けっこう聞き取れちゃったんですけど…。
「こ、鯉登少尉」
「なんじゃ」
「私と、少尉って、敵同士ですよね?」
「ああ」
「その上で、私のことどう思ってたんですか?」
「どうやったら手に入っかと」
ひえええ。
少尉、それは、それはちょっと…!
頬を赤らめた少尉が、それでもまっすぐに私を見て、擦り寄るように距離を詰めてくる。待って、待った。そういうのってちょっと反則じゃない…!?
正座したまま後ずさりする私の背中は、すぐに壁にぶつかった。四畳半の狭さが憎い。
見目整った少尉の甘言を簡単に流せるほど私は人生経験も男性経験も豊富じゃないので、ここにきて初めてうろたえてしまった。ひえ、耳が熱い。待った待った。ちょっと、ほっぺたに手をあてるのやめてほしい。なんか、顔、近いし。目が本気だし。
「…ようやっとさわれた」
初めてこれだけ近くで鯉登少尉と目があって、その瞳の中に、熱っぽい欲と喜びの感情が浮かんでいるのを直で見て、私は、思わず生唾を飲み込んだ。どうしよう、これ。落ち着け、落ち着け、落ち着きたいけど…!
こんなの、意識するなって言う方が無理だ。
カチッ
「………あっ」
さっき何度も聞いた音がして、その意味を考えて、私は泣きそうになった。
嘘が本当になっちゃった。
2019.3.3