たにんだいじに
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最悪の1日だった。
近藤さんが楽しげな様子で、
「三木ちゃんにお客さんだぞ!」
と言ってきた時から、何となくその予感はあった。
▽
で、誰。
客間に通されたそのお客さんと私は、いま机を挟んで向かい合って座っている。
50~60代の、神経質そうなおばさんだった。高そうな着物と高そうなバッグと高そうなアクセサリーをあつらえた、いかにも金持ちですといった風貌だった。ほんとに知らない。誰だこの人。
「いや~、僕ら三木ちゃんにはほんっとにお世話になってましてぇ!いつかご挨拶せねばと思っておったんです」
横で近藤さんがガハハと豪快に笑うが、お客さんはピクリとも動かない。愛想笑いひとつナシ。じっと目前の湯のみとお茶菓子を見つめている。
その沈黙をどう受け取ったのか、近藤さんは失敬、失敬!と頭を下げて立ち上がった。
「久しぶりの再会に僕みたいな邪魔者がいては無粋でしょう!では、これで」
障子に手をかけて近藤さんは私を振り返った。なんです、その嬉しそうな顔は。なんなんです久しぶりの再会とは。
分からないことだらけの私に、近藤さんは満面の笑みをくれながら、ピッと親指をたてた。
「親子水入らず、ごゆっくり」
ピシャンと閉まった障子の奥に近藤さんの気配が消えてゆく。
待って。
待って!
「…え~と…」
親子。親子だって?私にこんなお金持ちそうな親はいない。私のお母さんはもっと優しげで、細身で、小泉今日子みたいな美魔女だぞ。私の母親を騙って屯所に入り込んだのか。ずいぶん大雑把な潜入計画立てやがって。ばかにしてんのか、こらぁー。
…と、以前の私なら迷いなく目の前の婦人に噛み付いていただろうけど、今の私にそれはできなかった。
この婦人、本当に私の母親かもしれないからだ。
この世界において私の家族やその身辺がどうなっているのか、今まで気にしなかったわけではなかったけど、積極的に調べようという気にもならなかったのは事実である。それがまさか向こうからやってきてくれるとは。
しかしこの沈黙はなんなのか。少なくとも1年ぶりに会う娘にかける言葉が見つからないのか。1年どころか初対面ですごめんなさい。
私から話しかけたほうがいいんだろうか。でもなんて呼べばいいの?こっちの私は母親をなんて呼んでいたの?以前の私は呼び捨てで「紗栄子~」なんて呼んでいたものだけど(母親:八重田紗栄子42歳)、まさかここでも同じではあるまいな。紗栄子の「友達みたいな母子関係」の教育理念がここでも使われていないことを祈る。
無難にお母さんでいくことにした。
「お、お久しぶりです~、おかあさ」
ガンッ
言い終わらないうちに、私の頭は机に叩きつけられていた。額に激痛を感じて、視界が机の木目いっぱいになって初めて何をされたのか理解した。
私の頭を鷲掴みにした目の前の婦人は、容赦ない力で私の頭を引き起こした。
「母上様、でしょう?目上の人には様をつけなさいと教えたはずですが、あなたのちいちゃな脳みそには刻まれていないのかしら」
「………ご、ごめんなさい母上様~。でも私まだ「おかあさ」までしか言ってませんでしたよね~もしかしたら「おかあ様」と続いたかもしれませんよね~ちゃんと様つけてたかもしれないで、すッ」
「口答えしないで。うっとうしい」
もう一度机に熱烈キッスを叩き込まれた。なんだこのバイオレンスババア。
「も、申し訳ありません~…」と理不尽と痛みに震えながら返すと、婦人は何も言わずに手を離した。
痛む額を押さえながら顔をあげると、婦人の視線は再び湯のみに注がれている。手をつける気はないらしく、私を叩きつけた右腕はおしとやかに膝の上に戻されていた。
まじでなんなの。
「は、母上様、本日はどういったご用件で~…?」
「相変わらず馬鹿みたいな喋り方ね。頭が痛くなるわ。聞かれたことだけに返事しなさい。勝手に口を開くなと何度言えば分かるのかしら、本当にぐずね、お前は」
「…」
まじでなんなんだお前は。
紗栄子とは似ても似つかぬクソババアである。こっちの私はこんな人の元に生まれ育っていたのか。めちゃくちゃ同情する。可哀想すぎる。
「ちゃんと奉公できてるの?お前みたいな出来損ないでもやれる仕事がこの世にあるなんてね。どうせ粗末な仕事でしょうが、お前の雀の涙ほどのちっぽけな給料も無いよりはマシですから。ちゃんと働いてお金を入れなさい」
もしかして私のお給料そっちに行ってるの?私個人の口座だと思っていたけどまさかの共同口座ですか?通帳そっちにもあるんですか?
初耳な上ショッキングなことが多すぎてブルー入りかけた私の心に、婦人は追い打ちをかけるように冷水のごとき言葉を投げかけた。
「一度こっちに帰りなさい。見合いの話があります。若い女ということしか取り柄がないんだから、せめて良いお家との縁繋ぎにはなってもらいますよ」
「は、母上様、それは」
さすがに待って、と言い差した瞬間、湯のみの中身をぶっかけられた。
ぽたぽたとぬるくなったお茶が滴るのを肌で感じながら、私は俯くことしかできない。婦人はふん、と鼻を鳴らして立ち上がった。最後まで私を視界に入れることはしないらしく、そのまま部屋を去ろうと障子に手をかける。どんだけ私が嫌いなんだよ。
早く立ち去ればいいものを、障子に目線を向けたまま、立ち止まった婦人は口を開いた。
「産んでもらった恩も忘れて、のうのうと生きるなんて図々しいにもほどがある。そこまで育ててやったのは誰だと思ってるのかしら。犬畜生だって貰った飯は忠誠で返すわよ」
「…」
私はわんころ以下ってか。あなたから生まれた覚えはないぞと心の中で毒づいて、最後にひとつガンくれてやろうと顔をあげると、なんと婦人も私を見ていて目があった。ここに来て初めて目があった。
婦人は、ゆっくりと口を開いた。
「割れた卵に戻りたくなかったら、精々あくせく働くことね」
「…」
お、ま、え、か、よ!
思わず床に手をついて項垂れる私を一瞥して、婦人は去っていった。姿が見えなくなると、背後の襖からワッと隊士さんが大勢飛び出してきた。「大丈夫!?」「とんでもねえババアだ!」と私を心配する声と婦人をなじる声が入り混じる中で、私の手を取って肩を抱き寄せてくる人がいた。沖田さんだった。
「三木さん、すぐ手当しやしょう。医務室へ」
「あ、大丈夫です…すみません…」
立ち上がる気力もない私を見て、沖田さんは私の濡れた頬を手の甲でぬぐった。
そんな心配そうな目で見ないでほしい。違うんです…違うんです…。
あまりの茶番に気が抜けた、とは言えるはずもなく、私は沖田さんに慰められるまま体を預けることにした。もうバカバカしくてやってらんねぇーよ。
確かに、この世界の私にも生みの親はいたな。
最初の記憶に立ち返って思い出した。私をこの世界に文字通り産み落とした、母なるニワトリの存在を。
振り回される運命。ふざけるな。
2014.8.26