短い話
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
※モブ視点
「またあの双子に泣かされた…クソ萎え…」
「あらら。今度は何したの?」
「クリーニングに出した制服あいつらのと取り違えられて…」
「あっ…」
「ちょーつんつるてんだったってバカにされた…俺は標準なのに…」
「ああ…」
「あいつらの足が長すぎるばっかりに…」
「そっかぁ…ウケるね…」
「いやウケないよ。話聞いてた?」
ある晴れた日のカフェテリア。陽当たりのいいテラス席でマキに恒例のグチを聞いてもらっている俺は、ハーツラビュル寮生である。一方マキはオクタヴィネル寮の二年生で、同学年であること以外はとりたてて接点もない。だけど彼と俺は友達で、授業が被れば話をするし、廊下で会えば立ち止まって挨拶をする仲だ。マキはあの寮には珍しく人好きのする奴だったから、こうしてあの凶悪ウツボたちへの鬱憤を垂れ流す俺をどうどうと慰めてくれた。
「あいつらさ、俺のこと嫌いなのかな…やけに当たりが強い気がするんだけど…」
「そうかな。いつも通りだよ」
「それはそれでどうなん…」
気にすることじゃないよ、って笑うマキは手慣れたものだ。
狡猾なオクタヴィネル寮生の中でもとりわけ悪名高いリーチ兄弟と、そんな二人を従えるアーシェングロット寮長。あんまり関わり合いになりたくないその三人とマキはなんと幼馴染らしくて、昔から仲が良いそうだ。学内でも一緒にいるところをよく見かける。特にマキの双子ホイホイっぷりは見事なもので、廊下や食堂で俺たちが立ち話をしていると高確率で双子のどっちかが割り込んで来て、大概は俺が泣かされて終わる。なに?マジでなんなの。俺が何をしたっていうんだ。
しかも最近は俺が一人でいるときにも絡んでくるし、その度にやりこめてやろうとするのに毎度返り討ちに遭ってしまう。こえぇよ。マジで。なんなのあいつら。俺に恨みでもあんのかな。
「何が悔しいって、返す前に俺も履いてみたんだよ。あいつらの制服」
「そしたら?」
「クッッッッソ長い」
長い。あいつら、マジで足長い。あんなに裾って余るもん? あまりの差に俺はその晩泣いたよね。
「そんな、落ち込むことじゃないって」
「でもさぁ…」
「あの二人と比べたって仕方ないよ。元々が、こう…長いから」
手で適当な幅を取ったマキが、ほら、と示してみせた。
「元々? っていうと?」
「いや、尾ひれの長さがね」
「え、それって関係あんの?」
「あると思うよ。海にいた頃からあの二人、断トツ大きかったし」
「ふーん…」
そういえば、オクタヴィネル寮生って元はみんな海で暮らしてたんだっけ。人型陸地がスタンダードすぎて忘れてた。
「そういや俺、見たことないかも」
「うん?」
「あいつらの魚姿」
「さかなすがた」
その言い方が妙にツボに入ったらしいマキがテーブルに突っ伏してぷるぷる震えた。彼以外に特別仲のいいオクタヴィネル寮生がいない俺は、マキが何にウケたのかもよく分からない。魚姿って言い方おかしいんか。えっ、じゃあなんて言うんだろ。
突っ伏したまま、視線だけよこしたマキはまだおかしそうに笑っている。
「はー…面白いね。人魚見たことないんだ?」
「ないない。海の中とか、俺ほとんど行ったことないし」
「そっか。オクタヴィネル寮には水槽があるけど、他寮からわざわざ見に来るもんでもないしね」
「へー、やっぱたまに泳いだりすんの?」
「するよ。見る?」
「えっ」
なんかそれってエッチじゃない?大丈夫?
体を起こしたマキが、スマホを取り出して時刻を確かめた。今飲んでいる魔法薬の効果は、今から8時間後、夜の11時頃には消えるらしい。オクタヴィネル寮生が毎朝魔法薬を飲んでいることすら知らなかった俺は、へえぇと相槌を打った。ていうか、そうか、マキも人魚なのか。そんなの当たり前のことなんだけど、なんでか不思議な気分になった。なんでだろ。この姿しか知らないからかな。
「それって俺が見てもいいもん?」
「? 別にいいよ。隠すようなことじゃないし」
「ふーん…」
「なんならジェイドくんとフロイドも呼ぼうか? 来るかは分からないけど」
「いやいいよ…あいつら怖ぇし…」
あの双子が俺のためにわざわざ来るとも思えない。いや、でも、マキに呼ばれたら来るのか。来そうだな、あいつらなら。そしてまた俺が泣かされる。手に取るように分かってしまって、うんざりしてパタパタと手を振った。
「マキだけでいいよ。元の姿がどんなんかふつーに気になる」
「あんまり期待されるものでもないけど…」
「いやいや、結構楽しみだな」
「へーえ。何が楽しみなわけぇ?」
え。
「言ってみ?」
うっそりとした声が真上から降ってきて、一瞬身の危険を感じて固まった。
すぐに顔を上げたマキと硬直したままの俺は、まるで対照的な表情をしていたに違いない。
「ああ、フロイド」
「二人でなーにやってんの」
「何って、おしゃべり」
ねえ?なんて振らないでほしい。真上から落ちてくる影の中にスッポリと収まりながら、ダラダラと冷や汗が流れ落ちた。こっえ。マジでこっえ。フロイド・リーチが怖すぎる。ってタイトルでホラー小説でも書こうかな。こんな図体で背後から圧をかけられるとさしもの俺もブルってしまう。目の前のマキは特に気圧された様子もなく、俺越しのフロイドと気さくな様子で会話をしていて、体感温度の差をひしひしと感じる。
「ラウンジにも来ねーで、何やってんのかと思えばさぁ」
「たまたま会ってお茶してたんだよ。ね?」
「はい…」
「ふーん。相変わらず二人、仲良しなんだぁ」
「はい…」
「で?」
「で…?」
「何の話してたかって聞いてんの」
「ギャッ」
「言えって」
「フロイド」
バスケットボールを片手で軽々掴み上げるほど大きな手に、がっしり後頭部を掴まれた。そのままギリギリ締められて、遠慮ゼロかつ容赦ゼロかつ手加減ゼロの3ゼロ揃った痛さに俺は泣いた。ちくしょう、また泣かされた。なんでいつもこうなるんだ。
マキがたしなめるようにフロイドの名前を呼んだけどこめかみを締め上げる握力には響かなくて、俺は泣きながらホールドアップで降参の意を表明した。
「人魚に…人魚になったとこ見たいってお願いしてました…」
「あ?」
「ギャンッ」
「ちょっと調子乗ってんねオマエ」
「スンマセンシタッ」
「こら、フロイド」
マキの「こら」があまりにも平坦で、それがまた別の意味でそら恐ろしい。すっげー慣れてる。慣れを感じる。こいつらの日常どーなってんのマジで。フロイドから感じる圧は“ガチ”のやつで、足の長さだけでなく戦闘力でも奴に大敗してる俺は本気でビビって震えていた。このままいくとバチボコにされる。それなのにマキはそれがいつも通りみたいな慣れた顔で、多分ここにジェイドやアズールがいてもマキと似たような反応するだけなんだろうなって思うと更に怖い。なんか、ウチの寮って平和なんだな…オクタヴィネルこわ…治安わる…。
「フロイド、なに怒ってんの」
「あのさあ、サービスしすぎ。アズールだったら金取るやつじゃん」
「彼ならそうするだろうけど…。いいじゃん、別に。減るものでもないし」
「減るっつの。ねえ?」
「はい…減ってます…今まさに…」
「えっ? 何が!?」
俺の精神がすり減っている。確実に。
マキは確かにいい奴だけど、割と淡白なところがあるし、妙に頓着しない性格なのは知っている。だからフロイドがこれだけ怒るってことは、やっぱり人魚の姿を見せるのって結構センシティブなことなんじゃないだろうか…。いや、でも、海に行ったらそれこそ人魚しかいないわけで、隠れて暮らしてるわけでもないし、なんならウチの一年が海で双子にボコられたって話も聞いたことがある。見てんだよな、ウツボ姿。てことは、今たまたまフロイドの気分屋バロメーターが怒りゾーンに振り切れてるだけなのか。どっちなんだ。分からない…。分からないけど負け戦だと分かってる勝負に抗う気もなく、俺はさっさと白旗をあげた。
「ナマ言ってスンマセンした…」
「あは。素直にゴメンナサイできて偉いねぇ?」
「ぐぬぬ…」
「別に謝ることじゃないのに」
「うっさい。マキは黙ってて」
「僕まで怒られた…」
マキの額を軽く小突いたフロイドは、ついでに俺の耳元で何事か囁いたあと、じゃあねぇなんてひらひらと手を振りながら上機嫌そうに去っていった。万力の余韻でじんじん響くこめかみを抑えて、俺は、別の意味で頭が痛い。こっわ。マジでこっわ。フロイド・リーチがマジで怖い。俺が映画監督だったら奴を主役にサイコホラーで一本撮るね。
「彼がごめんね」なんて申し訳なさそうに覗き込んでくるマキは、続けて、どうしてフロイドがあんなに怒ったのか分からないと言った。
「別に、見せたって何の問題もないんだけどな」
「…ほんとにぃ?」
「ほんと、ほんと。監督生さんだって見たことあるんだよ」
「…」
出た、監督生。オンボロ寮の監督生。あいつのことはもちろん知ってる。有名人だし、ウチの一年とも仲が良い。アズールやリーチ兄弟と揉めていたらしいけど、すったもんだした後、和解した今ではむしろ友好的な関係を築いているように見える。あの監督生、コミュ力が高すぎないか? あいつら落とすとかそこらの魔法使いよりよっぽど高度なマジック使ってるぞ。一生かかっても俺には無理。
おそらく俺よりも奴らと上手くやれている監督生が人魚姿を見てもお咎め無しだというなら、フロイドがああまで怒る理由なんて、推して知るべしというか…。
「俺には見せんなってことじゃないの…?」
「まさか。なんで」
「俺があのウツボ達に嫌われてるから」
「そんな…そんなこと…」
「…」
「なくはないけど…」
「お前が素直で嬉しいよ…」
くそ…俺だってあいつらのことなんか好きじゃないし…あの性悪ウツボどもめ…。むしろ天敵と言ったっていい。エンカウントするたびにネチ絡みされる俺の身にもなってほしい。そうぼやく俺に、マキが眉をハの字に下げて困ったように笑った。
「なんでだろうね。君っていい人なのに」
「えっ…やだ…好き…」
お前ってばマジでいい奴…好き…。点描をしょってトゥンクした胸を押さえる俺には目もくれず、マキが何かを考えるようにうーんと唸った。「…じゃあ、」なんて目を伏せる仕草がなんだかいたずらっぽくて、思わずぎくりとしてしまう。な、なんかさぁ…。
「な、なんだよ」
「こっそり見せてあげようか」
「エッ」
なんかそれって余計にエッチじゃない? 大丈夫?
「こ、こっそりっていうと…?」
「フロイドには内緒で見に来たらいいじゃん」
「そ、それってアリなん?」
「? 別にいいよ」
「ふーん…?」
「フロイドが何を気にしてるのか知らないけど、本当に、隠すようなものじゃないんだっては」
「…」
「なんならアズールも呼ぼうか? 来てくれるかは分からないけど」
「いやいいよ…あんま喋ったことないし…」
なにやら背徳的な感情を覚えないでもないが、当のマキはなんでもないような顔でいるし、そこまで神経質になるようなことでもない…ってことだろうか。
それならまあ…とお言葉に甘えかけて、ハッと我に返った。さっき奴からもらった囁きを思い出して血の気が失せた。あっぶな。マジであぶねぇ。危うくまた泣かされるところだった!
目に見えて顔色を変えた俺に、マキが目ざとく気付いた様子で不審そうに伺ってくるけど、俺は、なんだかこの状況にデジャヴを感じてしまったために、それ以上何も言えなくなってしまった。
「どうしたの?」
「いや…別に…」
「なに? 言ってよ」
「いやそんな…俺が言えることでは…」
「いいえ、ぜひ聞かせてください」
うっ。
「さあ、ご遠慮なく」
出たぁっ!
うっそりとした声が真上から降ってきて、またもや身の危険を感じて固まった。いつの間にやら俺の背後を陣取っていた人物にたった今気付いたマキが、あ、と小さく声を上げるのを、机に視線を落として顔を上げられないまま聞いていた。
「ジェイドくん」
「二人きりで、何をしているんです?」
「何って、おしゃべり」
ねえ? なんて振らないでほしい。俺に返せる言葉はない。
フロイドと寸分違わない登場をしてみせたジェイドは、それでも奴よりは多少紳士的な態度で俺に向かって会釈をした。落ちてくる影の中にすっぽりと収まりながら、俺は、戦々恐々とした思いでいるしかない。こっえ。マジでこっえ。ジェイド・リーチこそ怖すぎる。って、今夜一年坊主たちに教えてやらねば。マジ、ハンパねぇって。背後から感じる圧に縮こまりながら、目の前のマキが相変わらず気圧された様子もなく涼しい顔でジェイドと会話しているのを見て、やっぱこいつもオクタヴィネルなんだなってそんなことを思った。
「マキ。あなた今日はラウンジに顔を出す日でしょう?」
「それはそうだけど。営業は夜からじゃん」
「…」
「彼とはさっきたまたま会って、ここでお茶してたんだよ。ね?」
「はい…」
「ああ、そうですか」
「はい…」
「では、僕に構わずどうぞ話を続けてください」
「いやそれは…」
「遠慮なさらないで。……一体、どんな話をしていたのかと聞いているんですよ」
「ギャッ」
「僕が言わせてあげましょうか」
「ジェイドくん」
背後からぴったりと顔を寄せてきたジェイドの、触覚のような髪の束が俺の耳たぶに触れた。さもユニーク魔法をちらつかせるような声音に脅されて、この二年間、奴の強制自白魔法に辱められてきた過去をも含めて俺は泣いた。ちくしょう、また泣かされた。なんでいつもこうなるんだ。マキがたしなめるようにジェイドの名前を呼んだけど、やっぱり奴の圧は微塵たりとも消えなくて、俺は再びホールドアップで降参の意を表明した。
「人魚に…人魚になったとこ見たいってお願いしてました…」
「は?」
「ギャンッ」
「どうやら少し調子に乗っているようですね」
「スンマセンシタッ」
「なんかこのやりとりデジャヴじゃない?」
今更マキがそんなことを言う。デジャヴだったらどんなにいいかね? 紛れもなく同じ轍を踏んでしまった俺は、恨めしい思いで目の前のマキをジト目で見上げた。くそう。轍と同時に踏んでしまった、虎の尾ならぬウツボの尾…。どうやら、フロイドだけじゃなく、ジェイドにとっても俺に人魚の姿を見せるのは相当我慢のならないことらしい。なんで? マジで分からん。俺が何をしたって言うんだ。
「ジェイドくん、なに怒ってんの」
「あなた、サービスしすぎなんですよ。少しはアズールを見習ってください」
「またアズール…。いいじゃん、別に。減るものでもないし」
「減りますよ。ねえ?」
「はい…減ってます…今まさに…」
「えっ? また!?」
そんな驚いた顔で俺を見るな。すり減りまくった俺の精神は、タイヤだったらおそらく路上はもう走れないぞ。ああ…折れた。完全に心が折れた。負け戦どころか、勝負を仕掛ける気力すら無くなった俺は平身低頭の思いで兜を脱いだ。
「ナマ言ってスンマセンした…」
「ふふ。よく分かってるじゃないですか」
「うぐぐ…」
「別に謝ることじゃないのに」
「マキは黙っててください」
「また怒られた…」
軽くため息をついたジェイドは、最後に俺に何事かを耳打ちしたあと、にこやかに笑いながら会釈をして去っていった。額から流れた冷や汗を拭って、俺は、背中に流れたそら寒いものが冷や汗だけではないことを知った。こっわ。マジでこっわ。リーチ兄弟マジで怖い。たとえ俺が犯罪心理学者でもこいつらだけは研究しねえ。
「彼がごめんね」なんて申し訳なさそうに頭をかいたマキは、続けて、どうしてジェイドがあんなに怒ったのか分からないと言った。
「本当に、怒るようなことじゃないんだけどな」
「…(ジト目)」
「疑われるのもやむなしか…」
うーんと唸るマキは本当に心当たりがないようで、しばらく難しい顔で首をひねっていた。なんだか板挟みにさせてしまって申し訳ないような気持ちになる。スヌーズ的に脅しをくらった俺としては、マキの魚姿を見ようという目論見はもう諦めてはいるんだけど、確かに、ああまで怒られる理由は少し気になった。俺か。やっぱり俺なんだろうか。
「……どうしたんですか。暗い顔して」
あ、とマキが小さく声を上げた。一方俺は喉奥で引きつった声が出て、思わずむせた。
書類を小脇に抱えたアズールが、怪訝そうにこちらを伺っていた。たった今、たまたまこのカフェテリアを通りかかったような佇まいで、マキに手招きされると心なしか嬉しいのをごまかすみたいに咳払いして近寄ってきた。
「ン゙ンっ……なにか?」
「ちょうどよかった。アズール、聞きたいことがあるんだけど」
「な、んですか。改まって」
「あのさ」
「…」
「僕が彼の前で変身解いたら、怒る?」
「はぁ?」
怪訝に苛立ちをまぶしたような目が俺に向いた。おい!やっぱ怒るじゃん。やっぱりマキの感覚がおかしいのか。「あなたが、彼の前で?」「そう。だめ?」当のマキもアレ?なんて予想外そうな顔でアズールの顔を覗き込んだ。おいおいおい。めちゃくちゃ渋い顔してるじゃん。露骨に眉をひそめるアズールに、俺は無条件で両手を挙げたくなる。降参、降参です。
「それって、彼に全部見せてあげるってことですか」
「え?」
「何もかも? それもタダで?」
「まあ、そうだね」
「…」
「えっ、なんで怒るの?」
「これが怒らずにいられますか?」
嫌悪感すら滲ませるアズールを前に、俺はもう消えてしまいたくてたまらなかった。こっえーよ! オクタヴィネル寮長怖すぎる。うちの寮長も中々の恐怖政治かましてたけど、なんていうか、また違う種類の圧があるよな。そんな奴を前に、どうしてマキが平然としていられるのか俺にはまったく分からない。アズールの目線から俺は既に外されていて、視界に入れる価値すら無しと言われているような気になった。
「なんで? 理由教えてよ。さっき双子にも怒られたけど」
「………ず、」
「ず?」
「ずるいじゃないですか…」
「はぁ。……はぁ?」
素っ頓狂な声が上がった。マキが立ち上がって、アズールの顔を更にぐいと覗き込んだ。距離を詰められて、アズールの方が怯んだように見える。
「それどういう意味?」
そう尋ねるマキになんだか俺までぎくりとする。怒ってもないし笑ってもない。もちろんここで俺が口なんか挟めるわけもなく、ひたすら縮こまって置物に徹した。プライドが許すならテーブルの影にでも隠れていたい。
一瞬たじろいだ様子のアズールは、それでも退かずに言い連ねた。
「…見せなくていいものをわざわざ見せてあげるだなんて、そんなの、ずるいじゃないですか」
「…」
「ぼ、僕だって、最近ちゃんと見てないのに…」
「…」
「…」
「…」
「…………なんですか。何か言ってくださいよ」
「もしかして妬いてる?」
「ハァッ!?!!?」
ひっくり返ったような声がカフェテリアに響いた。ほぼ答えを言っているようなものだった。それを受けても至極真面目な顔でいるマキと、真っ赤になったアズールと、いたたまれない心地の俺。どう考えたって邪魔者は俺だったのでひたすら気配を殺すに努めた。見てない。俺はなんにも見てないし気付いてない。
「じゃあ今夜は君が見に来る?」なんて事もなげな顔でマキが言い、アズールはぐっと言葉に詰まったままそれでも嫌だとは言わなかった。ああ〜…あ〜…もう…もうね…。全てを理解…。理解したけど俺は何も見てません…。
「ごめんね。そういう訳で、またの機会でもいいかな」
マキが申し訳なさそうに俺に向かってそう言ったけど、首を振る以外出来るわけがない。むしろ此の期に及んでまだ見てみたいだとか、今度見せてもらおうだなんて思うわけもなく、馬に蹴られる前に許しを請うた。プライドなんかクソ食らえだった。
「ナマ言ってスンマセンした…」
「なんだよ。君が謝ることじゃないってば」
「…」
まだ目尻に赤みを残したまま、眼鏡のブリッジを押し上げながらアズールのつんとした目線がこちらに向いた。俺は必死で何も気付いてないふりをしたが、通用したのかは分からない。
「……じゃあ、僕はもう行きますから」
「うん。後でね」
「……約束ですよ」
素っ気ない口調ながら、確かめるようにそう添えてアズールは踵を返した。おそらくモストロラウンジの開店時間が迫っている。
去り際、俺にしか聞こえないほど小さい、しかし凍るほど低く冷たい声が耳元を掠めた。
「 」
「ヒ、」
……それはその日、俺にとって3回目の言葉だった。
独占欲つよいズ。
2021.1.8
「またあの双子に泣かされた…クソ萎え…」
「あらら。今度は何したの?」
「クリーニングに出した制服あいつらのと取り違えられて…」
「あっ…」
「ちょーつんつるてんだったってバカにされた…俺は標準なのに…」
「ああ…」
「あいつらの足が長すぎるばっかりに…」
「そっかぁ…ウケるね…」
「いやウケないよ。話聞いてた?」
ある晴れた日のカフェテリア。陽当たりのいいテラス席でマキに恒例のグチを聞いてもらっている俺は、ハーツラビュル寮生である。一方マキはオクタヴィネル寮の二年生で、同学年であること以外はとりたてて接点もない。だけど彼と俺は友達で、授業が被れば話をするし、廊下で会えば立ち止まって挨拶をする仲だ。マキはあの寮には珍しく人好きのする奴だったから、こうしてあの凶悪ウツボたちへの鬱憤を垂れ流す俺をどうどうと慰めてくれた。
「あいつらさ、俺のこと嫌いなのかな…やけに当たりが強い気がするんだけど…」
「そうかな。いつも通りだよ」
「それはそれでどうなん…」
気にすることじゃないよ、って笑うマキは手慣れたものだ。
狡猾なオクタヴィネル寮生の中でもとりわけ悪名高いリーチ兄弟と、そんな二人を従えるアーシェングロット寮長。あんまり関わり合いになりたくないその三人とマキはなんと幼馴染らしくて、昔から仲が良いそうだ。学内でも一緒にいるところをよく見かける。特にマキの双子ホイホイっぷりは見事なもので、廊下や食堂で俺たちが立ち話をしていると高確率で双子のどっちかが割り込んで来て、大概は俺が泣かされて終わる。なに?マジでなんなの。俺が何をしたっていうんだ。
しかも最近は俺が一人でいるときにも絡んでくるし、その度にやりこめてやろうとするのに毎度返り討ちに遭ってしまう。こえぇよ。マジで。なんなのあいつら。俺に恨みでもあんのかな。
「何が悔しいって、返す前に俺も履いてみたんだよ。あいつらの制服」
「そしたら?」
「クッッッッソ長い」
長い。あいつら、マジで足長い。あんなに裾って余るもん? あまりの差に俺はその晩泣いたよね。
「そんな、落ち込むことじゃないって」
「でもさぁ…」
「あの二人と比べたって仕方ないよ。元々が、こう…長いから」
手で適当な幅を取ったマキが、ほら、と示してみせた。
「元々? っていうと?」
「いや、尾ひれの長さがね」
「え、それって関係あんの?」
「あると思うよ。海にいた頃からあの二人、断トツ大きかったし」
「ふーん…」
そういえば、オクタヴィネル寮生って元はみんな海で暮らしてたんだっけ。人型陸地がスタンダードすぎて忘れてた。
「そういや俺、見たことないかも」
「うん?」
「あいつらの魚姿」
「さかなすがた」
その言い方が妙にツボに入ったらしいマキがテーブルに突っ伏してぷるぷる震えた。彼以外に特別仲のいいオクタヴィネル寮生がいない俺は、マキが何にウケたのかもよく分からない。魚姿って言い方おかしいんか。えっ、じゃあなんて言うんだろ。
突っ伏したまま、視線だけよこしたマキはまだおかしそうに笑っている。
「はー…面白いね。人魚見たことないんだ?」
「ないない。海の中とか、俺ほとんど行ったことないし」
「そっか。オクタヴィネル寮には水槽があるけど、他寮からわざわざ見に来るもんでもないしね」
「へー、やっぱたまに泳いだりすんの?」
「するよ。見る?」
「えっ」
なんかそれってエッチじゃない?大丈夫?
体を起こしたマキが、スマホを取り出して時刻を確かめた。今飲んでいる魔法薬の効果は、今から8時間後、夜の11時頃には消えるらしい。オクタヴィネル寮生が毎朝魔法薬を飲んでいることすら知らなかった俺は、へえぇと相槌を打った。ていうか、そうか、マキも人魚なのか。そんなの当たり前のことなんだけど、なんでか不思議な気分になった。なんでだろ。この姿しか知らないからかな。
「それって俺が見てもいいもん?」
「? 別にいいよ。隠すようなことじゃないし」
「ふーん…」
「なんならジェイドくんとフロイドも呼ぼうか? 来るかは分からないけど」
「いやいいよ…あいつら怖ぇし…」
あの双子が俺のためにわざわざ来るとも思えない。いや、でも、マキに呼ばれたら来るのか。来そうだな、あいつらなら。そしてまた俺が泣かされる。手に取るように分かってしまって、うんざりしてパタパタと手を振った。
「マキだけでいいよ。元の姿がどんなんかふつーに気になる」
「あんまり期待されるものでもないけど…」
「いやいや、結構楽しみだな」
「へーえ。何が楽しみなわけぇ?」
え。
「言ってみ?」
うっそりとした声が真上から降ってきて、一瞬身の危険を感じて固まった。
すぐに顔を上げたマキと硬直したままの俺は、まるで対照的な表情をしていたに違いない。
「ああ、フロイド」
「二人でなーにやってんの」
「何って、おしゃべり」
ねえ?なんて振らないでほしい。真上から落ちてくる影の中にスッポリと収まりながら、ダラダラと冷や汗が流れ落ちた。こっえ。マジでこっえ。フロイド・リーチが怖すぎる。ってタイトルでホラー小説でも書こうかな。こんな図体で背後から圧をかけられるとさしもの俺もブルってしまう。目の前のマキは特に気圧された様子もなく、俺越しのフロイドと気さくな様子で会話をしていて、体感温度の差をひしひしと感じる。
「ラウンジにも来ねーで、何やってんのかと思えばさぁ」
「たまたま会ってお茶してたんだよ。ね?」
「はい…」
「ふーん。相変わらず二人、仲良しなんだぁ」
「はい…」
「で?」
「で…?」
「何の話してたかって聞いてんの」
「ギャッ」
「言えって」
「フロイド」
バスケットボールを片手で軽々掴み上げるほど大きな手に、がっしり後頭部を掴まれた。そのままギリギリ締められて、遠慮ゼロかつ容赦ゼロかつ手加減ゼロの3ゼロ揃った痛さに俺は泣いた。ちくしょう、また泣かされた。なんでいつもこうなるんだ。
マキがたしなめるようにフロイドの名前を呼んだけどこめかみを締め上げる握力には響かなくて、俺は泣きながらホールドアップで降参の意を表明した。
「人魚に…人魚になったとこ見たいってお願いしてました…」
「あ?」
「ギャンッ」
「ちょっと調子乗ってんねオマエ」
「スンマセンシタッ」
「こら、フロイド」
マキの「こら」があまりにも平坦で、それがまた別の意味でそら恐ろしい。すっげー慣れてる。慣れを感じる。こいつらの日常どーなってんのマジで。フロイドから感じる圧は“ガチ”のやつで、足の長さだけでなく戦闘力でも奴に大敗してる俺は本気でビビって震えていた。このままいくとバチボコにされる。それなのにマキはそれがいつも通りみたいな慣れた顔で、多分ここにジェイドやアズールがいてもマキと似たような反応するだけなんだろうなって思うと更に怖い。なんか、ウチの寮って平和なんだな…オクタヴィネルこわ…治安わる…。
「フロイド、なに怒ってんの」
「あのさあ、サービスしすぎ。アズールだったら金取るやつじゃん」
「彼ならそうするだろうけど…。いいじゃん、別に。減るものでもないし」
「減るっつの。ねえ?」
「はい…減ってます…今まさに…」
「えっ? 何が!?」
俺の精神がすり減っている。確実に。
マキは確かにいい奴だけど、割と淡白なところがあるし、妙に頓着しない性格なのは知っている。だからフロイドがこれだけ怒るってことは、やっぱり人魚の姿を見せるのって結構センシティブなことなんじゃないだろうか…。いや、でも、海に行ったらそれこそ人魚しかいないわけで、隠れて暮らしてるわけでもないし、なんならウチの一年が海で双子にボコられたって話も聞いたことがある。見てんだよな、ウツボ姿。てことは、今たまたまフロイドの気分屋バロメーターが怒りゾーンに振り切れてるだけなのか。どっちなんだ。分からない…。分からないけど負け戦だと分かってる勝負に抗う気もなく、俺はさっさと白旗をあげた。
「ナマ言ってスンマセンした…」
「あは。素直にゴメンナサイできて偉いねぇ?」
「ぐぬぬ…」
「別に謝ることじゃないのに」
「うっさい。マキは黙ってて」
「僕まで怒られた…」
マキの額を軽く小突いたフロイドは、ついでに俺の耳元で何事か囁いたあと、じゃあねぇなんてひらひらと手を振りながら上機嫌そうに去っていった。万力の余韻でじんじん響くこめかみを抑えて、俺は、別の意味で頭が痛い。こっわ。マジでこっわ。フロイド・リーチがマジで怖い。俺が映画監督だったら奴を主役にサイコホラーで一本撮るね。
「彼がごめんね」なんて申し訳なさそうに覗き込んでくるマキは、続けて、どうしてフロイドがあんなに怒ったのか分からないと言った。
「別に、見せたって何の問題もないんだけどな」
「…ほんとにぃ?」
「ほんと、ほんと。監督生さんだって見たことあるんだよ」
「…」
出た、監督生。オンボロ寮の監督生。あいつのことはもちろん知ってる。有名人だし、ウチの一年とも仲が良い。アズールやリーチ兄弟と揉めていたらしいけど、すったもんだした後、和解した今ではむしろ友好的な関係を築いているように見える。あの監督生、コミュ力が高すぎないか? あいつら落とすとかそこらの魔法使いよりよっぽど高度なマジック使ってるぞ。一生かかっても俺には無理。
おそらく俺よりも奴らと上手くやれている監督生が人魚姿を見てもお咎め無しだというなら、フロイドがああまで怒る理由なんて、推して知るべしというか…。
「俺には見せんなってことじゃないの…?」
「まさか。なんで」
「俺があのウツボ達に嫌われてるから」
「そんな…そんなこと…」
「…」
「なくはないけど…」
「お前が素直で嬉しいよ…」
くそ…俺だってあいつらのことなんか好きじゃないし…あの性悪ウツボどもめ…。むしろ天敵と言ったっていい。エンカウントするたびにネチ絡みされる俺の身にもなってほしい。そうぼやく俺に、マキが眉をハの字に下げて困ったように笑った。
「なんでだろうね。君っていい人なのに」
「えっ…やだ…好き…」
お前ってばマジでいい奴…好き…。点描をしょってトゥンクした胸を押さえる俺には目もくれず、マキが何かを考えるようにうーんと唸った。「…じゃあ、」なんて目を伏せる仕草がなんだかいたずらっぽくて、思わずぎくりとしてしまう。な、なんかさぁ…。
「な、なんだよ」
「こっそり見せてあげようか」
「エッ」
なんかそれって余計にエッチじゃない? 大丈夫?
「こ、こっそりっていうと…?」
「フロイドには内緒で見に来たらいいじゃん」
「そ、それってアリなん?」
「? 別にいいよ」
「ふーん…?」
「フロイドが何を気にしてるのか知らないけど、本当に、隠すようなものじゃないんだっては」
「…」
「なんならアズールも呼ぼうか? 来てくれるかは分からないけど」
「いやいいよ…あんま喋ったことないし…」
なにやら背徳的な感情を覚えないでもないが、当のマキはなんでもないような顔でいるし、そこまで神経質になるようなことでもない…ってことだろうか。
それならまあ…とお言葉に甘えかけて、ハッと我に返った。さっき奴からもらった囁きを思い出して血の気が失せた。あっぶな。マジであぶねぇ。危うくまた泣かされるところだった!
目に見えて顔色を変えた俺に、マキが目ざとく気付いた様子で不審そうに伺ってくるけど、俺は、なんだかこの状況にデジャヴを感じてしまったために、それ以上何も言えなくなってしまった。
「どうしたの?」
「いや…別に…」
「なに? 言ってよ」
「いやそんな…俺が言えることでは…」
「いいえ、ぜひ聞かせてください」
うっ。
「さあ、ご遠慮なく」
出たぁっ!
うっそりとした声が真上から降ってきて、またもや身の危険を感じて固まった。いつの間にやら俺の背後を陣取っていた人物にたった今気付いたマキが、あ、と小さく声を上げるのを、机に視線を落として顔を上げられないまま聞いていた。
「ジェイドくん」
「二人きりで、何をしているんです?」
「何って、おしゃべり」
ねえ? なんて振らないでほしい。俺に返せる言葉はない。
フロイドと寸分違わない登場をしてみせたジェイドは、それでも奴よりは多少紳士的な態度で俺に向かって会釈をした。落ちてくる影の中にすっぽりと収まりながら、俺は、戦々恐々とした思いでいるしかない。こっえ。マジでこっえ。ジェイド・リーチこそ怖すぎる。って、今夜一年坊主たちに教えてやらねば。マジ、ハンパねぇって。背後から感じる圧に縮こまりながら、目の前のマキが相変わらず気圧された様子もなく涼しい顔でジェイドと会話しているのを見て、やっぱこいつもオクタヴィネルなんだなってそんなことを思った。
「マキ。あなた今日はラウンジに顔を出す日でしょう?」
「それはそうだけど。営業は夜からじゃん」
「…」
「彼とはさっきたまたま会って、ここでお茶してたんだよ。ね?」
「はい…」
「ああ、そうですか」
「はい…」
「では、僕に構わずどうぞ話を続けてください」
「いやそれは…」
「遠慮なさらないで。……一体、どんな話をしていたのかと聞いているんですよ」
「ギャッ」
「僕が言わせてあげましょうか」
「ジェイドくん」
背後からぴったりと顔を寄せてきたジェイドの、触覚のような髪の束が俺の耳たぶに触れた。さもユニーク魔法をちらつかせるような声音に脅されて、この二年間、奴の強制自白魔法に辱められてきた過去をも含めて俺は泣いた。ちくしょう、また泣かされた。なんでいつもこうなるんだ。マキがたしなめるようにジェイドの名前を呼んだけど、やっぱり奴の圧は微塵たりとも消えなくて、俺は再びホールドアップで降参の意を表明した。
「人魚に…人魚になったとこ見たいってお願いしてました…」
「は?」
「ギャンッ」
「どうやら少し調子に乗っているようですね」
「スンマセンシタッ」
「なんかこのやりとりデジャヴじゃない?」
今更マキがそんなことを言う。デジャヴだったらどんなにいいかね? 紛れもなく同じ轍を踏んでしまった俺は、恨めしい思いで目の前のマキをジト目で見上げた。くそう。轍と同時に踏んでしまった、虎の尾ならぬウツボの尾…。どうやら、フロイドだけじゃなく、ジェイドにとっても俺に人魚の姿を見せるのは相当我慢のならないことらしい。なんで? マジで分からん。俺が何をしたって言うんだ。
「ジェイドくん、なに怒ってんの」
「あなた、サービスしすぎなんですよ。少しはアズールを見習ってください」
「またアズール…。いいじゃん、別に。減るものでもないし」
「減りますよ。ねえ?」
「はい…減ってます…今まさに…」
「えっ? また!?」
そんな驚いた顔で俺を見るな。すり減りまくった俺の精神は、タイヤだったらおそらく路上はもう走れないぞ。ああ…折れた。完全に心が折れた。負け戦どころか、勝負を仕掛ける気力すら無くなった俺は平身低頭の思いで兜を脱いだ。
「ナマ言ってスンマセンした…」
「ふふ。よく分かってるじゃないですか」
「うぐぐ…」
「別に謝ることじゃないのに」
「マキは黙っててください」
「また怒られた…」
軽くため息をついたジェイドは、最後に俺に何事かを耳打ちしたあと、にこやかに笑いながら会釈をして去っていった。額から流れた冷や汗を拭って、俺は、背中に流れたそら寒いものが冷や汗だけではないことを知った。こっわ。マジでこっわ。リーチ兄弟マジで怖い。たとえ俺が犯罪心理学者でもこいつらだけは研究しねえ。
「彼がごめんね」なんて申し訳なさそうに頭をかいたマキは、続けて、どうしてジェイドがあんなに怒ったのか分からないと言った。
「本当に、怒るようなことじゃないんだけどな」
「…(ジト目)」
「疑われるのもやむなしか…」
うーんと唸るマキは本当に心当たりがないようで、しばらく難しい顔で首をひねっていた。なんだか板挟みにさせてしまって申し訳ないような気持ちになる。スヌーズ的に脅しをくらった俺としては、マキの魚姿を見ようという目論見はもう諦めてはいるんだけど、確かに、ああまで怒られる理由は少し気になった。俺か。やっぱり俺なんだろうか。
「……どうしたんですか。暗い顔して」
あ、とマキが小さく声を上げた。一方俺は喉奥で引きつった声が出て、思わずむせた。
書類を小脇に抱えたアズールが、怪訝そうにこちらを伺っていた。たった今、たまたまこのカフェテリアを通りかかったような佇まいで、マキに手招きされると心なしか嬉しいのをごまかすみたいに咳払いして近寄ってきた。
「ン゙ンっ……なにか?」
「ちょうどよかった。アズール、聞きたいことがあるんだけど」
「な、んですか。改まって」
「あのさ」
「…」
「僕が彼の前で変身解いたら、怒る?」
「はぁ?」
怪訝に苛立ちをまぶしたような目が俺に向いた。おい!やっぱ怒るじゃん。やっぱりマキの感覚がおかしいのか。「あなたが、彼の前で?」「そう。だめ?」当のマキもアレ?なんて予想外そうな顔でアズールの顔を覗き込んだ。おいおいおい。めちゃくちゃ渋い顔してるじゃん。露骨に眉をひそめるアズールに、俺は無条件で両手を挙げたくなる。降参、降参です。
「それって、彼に全部見せてあげるってことですか」
「え?」
「何もかも? それもタダで?」
「まあ、そうだね」
「…」
「えっ、なんで怒るの?」
「これが怒らずにいられますか?」
嫌悪感すら滲ませるアズールを前に、俺はもう消えてしまいたくてたまらなかった。こっえーよ! オクタヴィネル寮長怖すぎる。うちの寮長も中々の恐怖政治かましてたけど、なんていうか、また違う種類の圧があるよな。そんな奴を前に、どうしてマキが平然としていられるのか俺にはまったく分からない。アズールの目線から俺は既に外されていて、視界に入れる価値すら無しと言われているような気になった。
「なんで? 理由教えてよ。さっき双子にも怒られたけど」
「………ず、」
「ず?」
「ずるいじゃないですか…」
「はぁ。……はぁ?」
素っ頓狂な声が上がった。マキが立ち上がって、アズールの顔を更にぐいと覗き込んだ。距離を詰められて、アズールの方が怯んだように見える。
「それどういう意味?」
そう尋ねるマキになんだか俺までぎくりとする。怒ってもないし笑ってもない。もちろんここで俺が口なんか挟めるわけもなく、ひたすら縮こまって置物に徹した。プライドが許すならテーブルの影にでも隠れていたい。
一瞬たじろいだ様子のアズールは、それでも退かずに言い連ねた。
「…見せなくていいものをわざわざ見せてあげるだなんて、そんなの、ずるいじゃないですか」
「…」
「ぼ、僕だって、最近ちゃんと見てないのに…」
「…」
「…」
「…」
「…………なんですか。何か言ってくださいよ」
「もしかして妬いてる?」
「ハァッ!?!!?」
ひっくり返ったような声がカフェテリアに響いた。ほぼ答えを言っているようなものだった。それを受けても至極真面目な顔でいるマキと、真っ赤になったアズールと、いたたまれない心地の俺。どう考えたって邪魔者は俺だったのでひたすら気配を殺すに努めた。見てない。俺はなんにも見てないし気付いてない。
「じゃあ今夜は君が見に来る?」なんて事もなげな顔でマキが言い、アズールはぐっと言葉に詰まったままそれでも嫌だとは言わなかった。ああ〜…あ〜…もう…もうね…。全てを理解…。理解したけど俺は何も見てません…。
「ごめんね。そういう訳で、またの機会でもいいかな」
マキが申し訳なさそうに俺に向かってそう言ったけど、首を振る以外出来るわけがない。むしろ此の期に及んでまだ見てみたいだとか、今度見せてもらおうだなんて思うわけもなく、馬に蹴られる前に許しを請うた。プライドなんかクソ食らえだった。
「ナマ言ってスンマセンした…」
「なんだよ。君が謝ることじゃないってば」
「…」
まだ目尻に赤みを残したまま、眼鏡のブリッジを押し上げながらアズールのつんとした目線がこちらに向いた。俺は必死で何も気付いてないふりをしたが、通用したのかは分からない。
「……じゃあ、僕はもう行きますから」
「うん。後でね」
「……約束ですよ」
素っ気ない口調ながら、確かめるようにそう添えてアズールは踵を返した。おそらくモストロラウンジの開店時間が迫っている。
去り際、俺にしか聞こえないほど小さい、しかし凍るほど低く冷たい声が耳元を掠めた。
「 」
「ヒ、」
……それはその日、俺にとって3回目の言葉だった。
独占欲つよいズ。
2021.1.8