短い話
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「いいざまッスねぇ」
目の前に広がる光景に、ニンマリと口角が上がった。
もちろん、あちらこちらでくたばっている輩どものことを指したわけじゃない。ちらほら知った顔も見えるが、どうだっていい奴らだった。後でどうなろうと知ったこっちゃない。
床に寝転がりながら、意地悪く笑うオレを見上げてくるマキくんは、特に気分を害した様子もなく、いつものように嫌みなく笑ってみせた。
「そう思う?」
「……冗談ッスよ」
やれやれ。こんなことになってもいつも通りとは恐れ入る。
かたわらにしゃがみこんで、マキくんの両手首を拘束するバンドに視線をやった。随分ときつく巻かれているのか、擦れた肌が赤くなっているのが見えた。固くて取れないんだよね、なんて呑気に言ってる場合か? 腕を引いて上体を起こしてやると、壁に背を預けたマキくんはふぅと息をついた。
「で?」
「ん?」
「何がどうしてこうなったんスか」
「喧嘩、喧嘩」
「ほう」
「古き良き袋叩きってやつ」
「の割にはアンタ、ピンピンしてますねぇ」
「袋のネズミは向こうだったってわけ」
そりゃそうでしょ。こんな奥まった人気のないところに追い込んで、素手でマキくんとやり合おうとする方がどうかしている。
見かけの割に腕力ゴリラのマキくんは、そこそこ腕が立つし、殴る蹴るに抵抗もないし、喧嘩をふっかけてくる相手にはとりわけ容赦しないってこと、2年も付き合えばさすがに知ってる。だからこそ相手も最初に両の手を封じたんだろうが、それでもこの有様なんだから救えねえ。
ちら、と振り向くと死屍累々の面々が目に入る。あーあ、のされちゃってまあ。
「…どーやったんスか?」
「気合いと腕力」
「ああ…」
「意外と体育会系でしょ」
「意外じゃねーって」
「そう?」
手首のバンドをどう処理したものか、まじまじ眺めるマキくんに、「理由は?」って聞いてみる。どうせカツアゲか何かでしょ。ラウンジ経営で羽振りのいいオクタヴィネル寮生を集団で狙う理由なんてそんなもんだ。ところが、マキくんの口から「復讐」って返ってきて、思わず目を瞬いた。想像もしてない言葉だった。
「なんスか? それ。マキくん何したの」
「昔の話だよ。その……植木に頭突っ込んでる彼。彼が主犯なんだけど」
「うん」
「彼のお姉さんと、昔、寝たんだよね」
「…」
「姉思いの弟だよね」
想像できるか、そんなもん。
清廉潔白そのものですって顔して、海ではそんなことしてたのか。さすがにそこまでは2年の付き合いくらいじゃ見抜けなかった。確かにマキくんは、女好きのする顔立ちではあるけど…ビビるくらい爽やかだし…。
「マキくんもそういうことするんスね」
「もちろん。健康な男だもん」
「ふーん…」
「多少はヤンチャもするよ」
「…」
しばらくバンドとにらめっこしていたマキくんの膝の上にふと乗り上げた。いった、と軽く身をよじるところを見ると、ぱっと見は無傷でも何発か貰っていたらしい。そりゃ、四、五人を相手にして一発も食らわないなんて、レオナさんやジャックくんくらいのガタイじゃないと無理ッスかね…。
「なに、どうしたの」
「別にぃ…」
ブレザーの上からお腹を撫でると、露骨に眉根が寄った。どてっぱらに一発、ありがちッスね。手の自由を奪った相手に一番お見舞いしやすいのはボディーブローだっていつの時代も相場が決まってる。
いつも涼しげに笑ってばっかのマキくんの、痛みに耐えるような表情が新鮮だった。「痛いよ」って言いながらも、オレの手を払いのけないマキくんにシシシッと笑う。拘束された腕の中に頭を突っ込むと、ぱちぱちと瞬きするマキくんと至近距離で目が合った。
「マキくん」
「うん?」
「オレともヤンチャしてみません?」
「…」
べろり、と驚きでつぐんだ唇を猫みたいに舐め上げた。別にそういう目で見てたわけじゃないけど、まあ、そうなってもいいかな、とは思ってた。珍しく隙だらけで自由もなくて、簡単に優位に立てるこの状況を見過ごす手はないでしょ。損するのは嫌いだ。
「それって、そういうお誘い?」
「決まってんでしょ。他に何があるんスか」
「タイマン勝負とか?」
余裕ありすぎてムカつく。
オレとアンタ、何を勝負することがあるってわけ? そう噛みつくと困ったように笑って小首を傾げた。拘束された手首を器用に使って、なだめるみたいにうなじを撫でてくる。
「しないよ。友達じゃん」
「…友達とはしねぇの?」
「そうだよ」
あっ、そう。はあ、って深く息を吐いて、マキくんの腕の中から抜け出した。ずるい言い方するよね、ほんと。今日のところは引いてやるよ。胸ポケットから十徳ナイフを取り出して、マキくんの手を縛るバンドをざりざりと削ぎ切った。
「助かるよ。よくそんなの持ってたね」
「猫缶開けるのに使うんス」
「ああ」
ようやく解放された手をぐーぱーと確かめていたマキくんが、ふいにオレの後頭部を抑えて引き寄せた。間近に迫った瞳がふっと伏せられて、唇が重なる。触れるだけの軽いやつ。すぐに離れていった手にポカンとするのもつかの間、ジト目になって目の前の二枚目を睨んだ。
「…キスすんのはいいんスね」
「親愛の証だからね」
「……セックスは?」
「救済」
なんだそれ。
立ち上がって背伸びをしたマキくんが、オレの腕を取って立ち上がらせた。お礼にドーナツでも奢るよって言ってくれたから、それは甘んじて受ける。これはこれでラッキーかも。周りに転がった奴らには気にも止めずに去ろうとするから、肩を掴んで引き止めた。
「脅し文句のひとつでも言っといたらどうッスか。また襲われたらたまんないでしょ」
「そっか。……ねえ、ちょっと」
手首をさすりながら植木に歩み寄って話しかけた。返事はないが、投げ出された手がピクリと反応する。マキくんは構わず続けた。
「こういうの、今回限りにしてくれる? もし、また襲いかかってきたら……」
少し考える素振りを見せたマキくんが、やがて思いついたように指を鳴らした。
「君とお姉さんを穴兄弟にしてあげる」
「えげつなっ」
オレでも言わねえ、そんなこと。
▽
「インパクトある方がいいかと思って」
「ありすぎなんスよ…」
オレの誘いは断ったくせに、って付け加えると笑われた。ハイハイ、知ってますよ。友達だからって言うんでしょ。
カフェテリアでマキくんと向かい合って座りながら、買ってもらったドーナツにかぶりついた。
「通りがかったのがオレで良かったッスね」
「なんで?」
「レオナさんだったらドスルーかまされてたって」
「ああ…」
「あの人、面倒ごとキライだから」
そこいくと、オレってなんて絶妙なポジション。手首縛られて転がってる友人を助けるくらいの優しさはあるし、かといって友人をそんなにした輩どもを再起不能にしてあげるほど義理堅くもない。マキくんも口には出さないだけで分かってるみたいだった。ほんと、オレで良かったッスね。オクタヴィネルのあいつらに見られてたら、あの植木男、穴兄弟どころじゃ済まないんじゃねえの。
「……ああいうのってよくあんの?」
「ん?」
「さっきみたいなこと」
「まさか。超レアだよ」
「ほんとにぃ?」
涼しげにアイスティーのグラスに口付ける仕草すらうそぶいて見える。
「本当に。君が思ってるような泥沼展開はないよ」
「今までも?」
「そう。これからもね」
「ふ〜ん?」
「彼のお姉さんとだって、一回限りの後腐れない関係だったし」
「さっきのがまさしく後腐れってやつじゃないんスか」
「……そうとも言う」
確かに…と考え込む素ぶりをするマキくんは本当に気付いてなかったらしい。一回寝てハイ終わり、ってそんなあっさり割り切れるようなもんじゃないでしょ、ってオレなら思うけど、マキくんはそこんとこやけに淡白なきらいがある。みんながみんな、アンタみたいじゃないんスよ。
「罪な男ッスねぇ…」
「なにそれ?」
コーラのストローをがじがじと噛みながら、困ったように笑うマキくんをとっくり眺めた。
わざと人の感情を弄ぶようなことする男じゃないって知ってるけど、本気で向かってくる相手を杓子定規に受け流すくらいの冷淡さも、やっぱ心のどっかに持ってんだよね…。
「アンタは割り切ってたつもりでも、向こうも同じとは限んないってことッスね」
「うーん…」
「今頃暗い海の底で、アンタを思って泣いてる女がきっと他にもいるんスよ」
「見てきたように言うね」
「見なくても分かんだよ」
きっとこの学園の中にもね。
とは口に出さずに、残りのドーナツを口の中に放り込んだ。んで、オレも泣き寝入りする気はないってわけ。
「安心していいッスよ。マキくんの好色っぷりはレオナさんには黙っとくんで」
「誤解なんだよなぁ…」
うーんと困ったように唸るマキくんに構わず、シシシッと笑ってオレはその場を後にした。
▽
「誤解って言ったじゃん……」
「どうも信じがたかったんで」
その日の深夜。
オクタヴィネル寮の、マキくんの部屋にこっそりとお邪魔する。サバナクロー寮と違ってやけに冷やっぽい部屋の中、ベッドで穏やかな寝息を立てるマキくんの毛布を剥ぎ取って、マウントを取るように跨った。ううん…と身じろぎをして、うっすらと目を開いたマキくんと目が合った。しばらくしぱしぱと瞬きしたあと、何してんの、って眠気まなこで見上げるマキくんにニヤリと笑いながら「夜這い」って返してやったら、吐き出すような溜め息をつかれた。
「どうやって入ったの…」
そうぼんやりした声音で聞かれたから、ポケットから針金をつまんで見せた。ああ…って納得したような顔をするマキくんにちょっと拍子抜け。
「怒んないんスね」
「鍵壊されるよりマシだし…」
「やられたことあんの?」
さあね、って適当な相槌を打って、マキくんは再び目を閉じてしまった。おいおい。この人、どーやったら焦るわけ?
「ちょっと! この状況で何寝ようとしてんスか」
「だって眠いし…」
「オレ、ローションまで持参してんスからね?」
「そんな堂々と言われても…」
あくびを嚙み殺しながら、なだめるようによしよしと頭を撫でられて、ちょっとだけ気が削がれた。無理やりちんこ扱いてその気にさせようかと思ってたけど、人に頭を撫でられるのなんか10年ぶりくらいで、つい、もうちょっとだけしてほしくなってしまったのだ。
「人肌恋しいなら添い寝してあげるよ。一緒に寝よ」
「……そんなことしに来たわけじゃないんスけど?」
「いいから」
腕を引かれて、マキくんの上に倒れ込んだ。ぎゅっと抱きしめられて、後頭部からうなじまで髪を梳くみたいに撫でられる。うーわ。ずりぃ、それ。
「大人しくなった」
「……うっさい」
「なるほどね。君と僕の体格差だと、抱きしめちゃえば勝てるんだ」
「うぜぇ」
嫌味なくらい穏やかに一定のリズムを保つ心臓の音を聞きながら、しっぽがゆらゆらと揺れるのが自分でも分かった。「次来たときもこうしてあげる」なんて二度目の夜這いを画策してることまで見抜かれて、ちぇっ、て小さく舌打ちした。
「完全にガキ扱いじゃん。オレとすんのそんなにヤなんスか?」
「答えの分かってる質問しないでよ。嫌なわけじゃなくて、君としないのは…」
「……友達だから?」
「そ。そーいうことはしない、友達」
“する”友達もいるってわけ?
そう思ったけど揚げ足を取りたいわけじゃないから言わなかった。あーあ。マキくんになら突っ込まれてもいいかな、って思ってたのに。
「ていうか君とヤッたらレオナさんに殺されそう…」
「別にあの人はオレの保護者じゃないんスけど」
「監督責任があるでしょ。寮長なんだし」
そんな真面目なこと考えてんのかなぁ。ハーツラビュルじゃあるまいし。じゃあマキくんはアズールくんにも殺されちゃうんスか?って聞いたら、ちょっと黙ったあと、「怒って泣くんじゃない」って言うからなんとなく二人の関係性が読めた。
「ヤらせてくんないと、オレも昼間の奴みたいにしつこく根に持つッスよ。後腐れリンチしちゃうかも」
「あはは」
「……なに笑ってんの」
思わずムッとして視線をあげると、余裕のある笑みとかち合った。目を細めて、ゆったりした手つきで前髪のあたりを撫でられる。
「そんなことする気ないくせに」
「分かんないッスよ。オレだってやる時はやるんスから」
「じゃあ精いっぱいご機嫌取っておこうかな」
体を抱えられて、横向きに体を倒したマキくんと向かい合わせになった。マキくんの二の腕に頭が乗っかって、いわゆる腕枕ってやつ。空いた手で耳のあたりを混ぜるように撫でられて、額に軽くキスされる。ちょっと。ねえ。手慣れすぎじゃねぇ?
「…」
「ラギー?」
「もしかしてさぁ」
「ん?」
「ヤッたあといつもこんなことしてんの?」
「当然でしょ」
「そりゃ後腐れもあるわ…」
こんだけ手厚いアフターケアまでしておいて、一回限りの関係ってのは酷ってもんでしょ。愛されてるって勘違いしそう。
「……なんか、例の姉に同情しそうッスよ」
「うそ。なんで?」
「はい決定打。マジでかわいそう」
情ってもんを知らないのか。
過去に抱かれた女、全員名残惜しかったんじゃねぇの。そうでなくても、あわよくば特別になりたいって思った奴がきっといたはずだ。でもそれで追い縋ってしまうようじゃ、マキくんに相手にされる器じゃねえだろとも思う。
来るもの拒まず去る者追わずを地で行くこの男を、なんとかして振り向かせたいって思うのは分からんでもないけどさ。
ただそういう奴にマキくんの相手は荷が重いでしょうよ。オレみたいに同じくらい割り切った関係でいられる奴か、オクタヴィネルのあいつらみたいに、底抜けの執着心を持ってるかでもしないとさ…。
「もういいッス。今日はオレのことハグして寝て」
「はいはい」
「言っとくけど、また来るんで。ローションはアンタの部屋に置いといて…」
「懲りないよね…」
捨てんなよ、って念押ししてからマキくんの胸にすり寄った。相変わらず、穏やかな心音。いつかその余裕のある表情ともども、乱れさせてやるからな、ってちょっと無謀な決心をして、やがて二人で眠りについた。
添い寝友達(仮)。
2020.7.25