短い話
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※「おそろしいほど好ましい」の続き ※R15 ※モブ視点
ガラスが割れる音がした。
死んだ、と思った。
「……マキ、何してんの」
フロイド・リーチの平坦な声が落ちてきて、ぼくははっと我に返った。一瞬、思考が止まっていた。もしやと慌てて自分の手元を確かめると、実験途中の試験管をしっかり握ったままだったので、そっと胸を撫で下ろした。テーブルの上も綺麗なままだ。よかった。音に驚いて、ぼくまで試験管を落っことしてしまったかと思った。
「間が良くてね…」
そう答えるマキくんの前髪からぽた、と水滴が垂れた。その腕に抱かれている監督生はぽかんとしている。何が起きているのか分からない、という顔だ。
「避けろっつうの。ドジ」
「はは、厳し」
「……。小エビちゃんはぁ?ヘーキ?」
徐々に事態を把握した監督生がコクンと頷いたのを見て、よかったネ、なんて返しているが………。
怖い。怖いぞ。ぼくはフロイド・リーチのことがちょっと苦手だ。
魔法薬学の授業は座学の講義室と違って広い実験室で行われている。席は自由だし、早い者勝ちだ。とはいえ大体は同じ寮の友人で固まったり気の合うもの同士並んだりしているけどぼくには友達がいないので基本的に居場所がない。クルーウェル先生が怖いのでなるべく前にもいたくない。あんまり後ろだと不良がちな生徒に囲まれてしまう(特にサバナクローのヤンチャ具合なんかはげに恐ろしい…)ということで、なんやかんやと空気を読んで見つけたスペースがたまたま例の監督生の隣だった。
オンボロ寮の監督生。話したことはないし、その予定もない。
人見知りのぼくから声をかけるなんてこともないわけで、しめしめ、大人しそうなのが隣でよかった、とひそかに喜んだ。隣が盛り上がっている横で一人もくもくと作業するほどみじめなことはないからだ。
よくつるんでいるハーツラビュルの一年の姿も見えないし、こいつも今はぼくと同じぼっちなのか、と精神的余裕を持ちつつ、無難に実験をスタートさせたが…。一つ忘れていた。この監督生は小うるさい妙な狸とセットで扱われていたのだった。
何かやらかすのは狸の方だと、噂に聞く限りではそう思っていたが、まさしく、だ。
気を付けてね、と監督生が声をかけたので何となくぼくもそちらに目をやった。その瞬間、テーブルの上の狸が盛大にずっこけて、抱えていた試験管が宙を舞った。
飛び出た液体が日の光に反射するのを確かに見た。
スローモーションのように感じる。
扇状に広がった液体が監督生目掛けて降りかからんとする様子を、おそらく間抜けヅラでただ見ていたぼくの視界の端を、マキくんだけが素早く通り過ぎた。
監督生を抱きしめるように庇う姿を真横で目撃したぼくに稲妻のような衝撃が走った。
いや、ちょっと待ってほしい。
それはさすがにかっこよすぎる。
「はあ、アザラシちゃんさぁ…」
「ふ、ふな〜……」
「大丈夫、フロイド。ただの蒸留水みたい」
正体の分からない液体を頭から被ったマキくんの冷静さが怖い。試験管の中身はなんだろな、なんて隣で見ていたぼくにだって分からなかったのに。ノータイムで動けるもんかね、ふつう。
恐縮してハンカチを押し当てる監督生に好きなようにさせながら、マキくんは床に散らばる破片を一瞥した。フロイド・リーチに首根っこをつままれた狸はさすがに申し訳なさそうにふなふな鳴いている。
「ヤバイ薬品だったらどうすんの」
「だったらなおさら間が良かったね」
「あ?」
「…」
「それマジで言ってんの?」
「フロイド」
「あーハイハイハイ」
おざなりにマジカルペンを振った。教室の隅の棚から飛んできた箒とちりとりを見てぼくはギクリとする。
こういう場合、気を利かせて片付けを手伝うべきなのだろうか。たまたまマキくんが側を通りがかったタイミングだったとはいえ、ぼくの方が明らかに近かったのに監督生の腕を引くことも庇うこともできなかったわけで、ただ突っ立って成り行きを見ているだけというのはどう贔屓目に見たって情けない。コミュ障にもコミュ障がすぎるだろ。
そうは言っても、あのフロイド・リーチに手伝いますよと進言できるわけもなくて、結局息を殺して縮こまっていた。
一瞬、マキくんに大丈夫ですかと声をかけようと思ったが、やめた。もし変にどもったりして何だコイツと思われるのも嫌だし、そもそもマキくんがぼくのことをすっかり忘れていてさも初対面かのように振舞われでもしたら、ぼくはきっと自分の情けなさに殺されてしまうからだ。
陰鬱な海の底で育ったオクタヴィネル寮生の中でも、ぼくは群を抜いて暗くじめった奴なのだ。
授業が終わって人波がぞろぞろと大食堂へと流れ出る。ぼくも紛れるように廊下に出ると、はからずもマキくん達のすぐ後ろにポジショニングしてしまって少し焦った。まるでぼくが金魚のフンみたいにひっついているようではないか?
気付かれないように祈りながら、耳は自然と会話を拾ってしまう。
「マキってさあ」
「うん」
「小エビちゃんにはやけに優しーよねぇ」
「えぇ、なにそれ?」
「好きなん?」
「前も似たようなこと言ってなかった?」
懲りないね、と涼しげに返すマキくんの余裕に脱帽だ。機嫌の良くないフロイド・リーチを前にして、なぜそんなにいつも通りでいられるのか小心者のぼくにはさっぱり分からない。
「好きだよ。普通に」
「…」
「でも、もしフロイドが近くにいても僕と同じことしたんじゃない」
「オレぇ?どうだろね…」
「たまたま僕だっただけだよ」
「…」
「そんで、たまたま監督生さんだっただけだ」
「んじゃオレかジェイド相手でも同じことしたわけ?」
「君らなら自分で避けたでしょ」
「……アズールだったら?」
「彼はねえ、どうだろうね」
「…」
ずっる。そうぼやくフロイド・リーチの心情がなんとぼくには理解できた。メンタルヤンキーの彼に陰キャのぼくが共感するなんてそうそう無いことだが、ことマキくんに関しては、なんとなく想像がつくのだった。
歯がゆい気持ちがするんだろう。
分かる。フロイド・リーチ。君のことは昔から怖くて苦手で近寄りがたくて、海にいた頃からこの学校に入学した今もなお一度も会話を交わしたことすらない完全に別世界に生きる存在だけれども、分かるよ。
きっと君は今こう思ってるんでしょう。
「マキのそーいうとこ、キライ」
ほらね。
マキくんは少し困ったように笑った。
例えばぼくが寮長宛てに言伝を頼まれたとする。
クルーウェル先生か、トレイン先生か、なんなら学園長か購買のサムさんか、頼んできた相手が誰であれぼくはきっと断れない。気が弱いからだ。だからといってその言伝を立派に遂行できるとも思えない。すごく気が弱いからだ。
根っから気弱なぼくが我らがアズール・アーシェングロット寮長に話しかけるなんてこと、出来ると思う方がどうかしている。
寮長と実際に話したことはないし人柄もよく知らないけど、あの慇懃な態度と狡猾な手口と振りまくオーラを見るに、あっ…と察しがつくというものだ。ぼくとは住む世界もカーストも違う。そもそも学内であんなオシャレなカフェを営業しようという発想がなんかキラキラしてて怖いんだ、ぼくは。
従ってその脇を固めるリーチ兄弟もおそろしい。
廊下の隅を歩いてるぼくなんて彼らはきっと認知しないだろうし、あの圧倒的な高みから興味関心ゼロの視線を向けられるのを想像しただけでブルってしまう。
でも、マキくんがいるのだ。
あの寮長やリーチ兄弟とよくつるんでいるマキくんのことだけは怖くなかった。住む世界もカーストも違うけど、なんというか、彼の目にはちゃんとぼくが映っている気がするのだ。オクタヴィネル寮生には珍しい、穏やかで人当たりのいいコミュニケーションを自然と行うマキくんは、おおよその人を同じように扱うので、まるでぼくらは友達なんじゃないかと錯覚を起こさせる。
違うんだなぁ。
友達じゃないのだ。
その整った顔で嫌味のない笑顔を向けてくれるマキくんは、寄ってきた人を拒むことはなくても求めることは決してない。ぼくみたいに対人に難ありのワケあり人間からしてみたらその距離感が心地よかったりして…。プライドや見栄なんかも捨てて、正直に「寮長に近付くのがコワイので代わりに言伝をお願いできないか」と頼みごとだってできてしまう。
実際に似たようなことを何度かお願いした。マキくんはその度に爽やかに笑って引き受けてくれた。発光してるんじゃないかってくらい、ぼくには眩しい。カブトクラゲだと言われても信じるぞ。
でも、きっとそういうところが気に触るんじゃないのかな。
誰にでも優しいマキくんのあの分け隔てなさが彼には受け入れがたいんじゃないか。
遠目で見ていたって分かる。フロイド・リーチは、マキくんの特別になりたいんだ。
「おはよ。奇遇じゃん」
昨日も隣だったよね、なんて当たり前みたいに話しかけてくるマキくんにトングを操る手が止まった。
翌日の朝になって、大食堂は朝食を摂りにきた生徒で溢れている。トレイを持って、適当にパンとサラダでも食べようかとうろちょろしているとまたもやマキくんと横並びになってしまって、なんだかやけに縁があるな…とぼんやり考えていたところに、これだ。
狼狽しつつ、ぎこちなく頷き返した。マキくん、ぼくのこと覚えてたのか…。
「同じ寮なのにあんま会わないよね」
そうですね、と目の前のボウルからサラダを取り分けつつ返すぼくに、マキくんが柔らかく笑った気配がした。
同学年なのになんで敬語なんだよ、とか、そういうことを言わないのがマキくんらしい。いいなぁ、押し付けがましくなくて。社交的ってこういう人のことを言うんだろうか。
「今日飛行術のテストあるって、知ってた?……だよね。僕もさっき聞いて、ちょっと萎えてる、と、こ………」
あれ。
急に歯切れが悪くなったマキくんに思わず顔を上げた。見上げた先の端正な横顔は、賑わう大食堂の奥を見つめている。
話している途中に何か見つけたのかな。なんとなく気になって背伸びして視線の先を追おうとするぼくのトレイに、マキくんは持っていたお皿を押し付けた。
「これ、あげる」
えっ?な、なんで!?
「ごめん。後でね」
そう言いながらぼくの方を一度も見ずに歩き去っていくマキくんをぽかんと眺めた。
なんだ、なんなんだ。マキくんにしては珍しく強引だ。サラダの皿が二つに増えた自分の朝食と人波に紛れる背中を交互に見ながら、それでもなぜか、悪い気はしなかった。マキくんマジックか。
普段はしないやり取りが新鮮で、妙に浮つく。
▽
ガラスが割れる音がした。
あーあ、と思った。
「……フロイド、何やってんの」
マキの声がする。らしくもないのに少しだけ驚いてしまって、誤魔化すみたいにわざと緩慢に顔を上げた。
……さっきまでいなかったじゃん。なんで急に現れてんだよ。
マキはいつもいつも、図ったみたいなタイミングで現れんだよね。今更驚くことでもないけど、今の姿を見られるのはちょっと癪だった。
「別にぃ…」
前髪から垂れるしずくを胡乱げに払った。オレの足の下で、踏みつけにされた男が手足をバタつかせて暴れてるのがなんかウザくて、思い切り体重を乗せてやる。カエルが潰れたような声が出た。
「びしょ濡れじゃん」
「まーね」
「……監督生さんは何でコケてんの」
「知らね」
嘘だ。ほんとはオレがすっ転がした。
尻もちをついてぱちぱちと瞬きする小エビちゃんにマキが手を差し伸べたのが見えた。ウザい。ムカムカする。何でいの一番にやることがそれなわけ?
なかば衝動的に男の脇腹を蹴っ飛ばした。これ幸いと逃げていく背中を追いかける気にもならなくて、あーあ、やっぱやんなきゃよかった、って思う。
後悔が募った。
本当に、たまたま、そこにいただけだ。ジェイドもアズールもイシダイせんせぇの用事かなんかで後から来るっていうし、マキもサラダ取りに行ったまま帰ってこないし、たまたまそこにいた小エビちゃんたちに絡んでやろうとしただけで。
サバちゃんもカニちゃんも朝から元気で飽きないよねぇ。
しばらくからかって遊んでたところに、サバナクローのちっちぇえゴロツキどもが小エビちゃんたちに因縁つけてきた。小エビちゃんっていうか、多分アザラシちゃんあたりだろうね。
自分たちの寮長がいないのを見計らって、マジフトん時のうさを晴らしに来たらしかった。だっる。くだんねーし、しつけーし、心底どうでもいい。オレには関係ないことだ。
当人同士で適当にやってりゃいいと思って、その場を立ち去ろうとした。だってそうじゃんね。マジでつまんないただの諍いだ。アズールだってジェイドだって、きっとそうしたんじゃねぇの。
マキならきっと違ぇんだろうな。
きらめく何かが視界の端にわずかにかすめて、一瞬、避けようと思った。でも、興奮した男が振り上げたグラスから放物線を描いて飛び出たそれが昨日見た光景と重なって、「おっ」と思って、気まぐれを起こしてしまった。
咄嗟に小エビちゃんに足払いをかけて床にすっ転がした。この子にぶっかかるはずだったグラスの中身がモロに降りかかってくる。つめてーし、うぜーし、マジでムカつく。
リーチのある足で狼狽する男の背中を蹴飛ばして踏みつけてやった。オレ同様、グラスの中身(水じゃねーかも。何コレ?ベタベタして気持ちわりぃ)をひっかぶったサバちゃんとカニちゃんがびっくりしたような声でオレを呼ぶのにもイラついた。
らしくないことしたかもね。小エビちゃん庇うとか、何の得にもなんねぇのにさ。
せめてジェイドやアズールに、何よりマキに見られなかっただけまだマシってことにしようと思った。てか、そもそもあいつらがいたらやんなかったんだろうけど。本当にただの気まぐれだ。
なのに何で現れてんだよ。意味分かんねぇ。
「タイミングわりぃー…」
「何言ってんの。逆でしょ」
逆ってなんだよ。
マキに起こしてもらった小エビちゃんがハンカチを取り出して駆け寄ってくるのを雑に払った。別に助けたわけじゃねーよ。そんな恐縮されるようなことでもない。マキに優しくされた小エビちゃんが憎らしかったはずなのに、何でか庇ってしまったことへの自己嫌悪とイライラがもろに態度に出てしまう。
「……どっから見てたぁ?」
「最初から。騒がしいなと思って見てた」
「最ッ悪……」
「だから逆だって」
「はあ?」
「行こう。フロイド」
そう言って二の腕を掴まれて、正直なところ結構驚いた。驚くほどに意外だった。
オレに転ばされた小エビちゃんへのフォローとか、床に散らばったグラスの破片の後片付けとか、気の利くマキならそーいうことするんだろうなって思ってたから、オレを選んだのがマジで青天の霹靂。なんで?って思った。
「あっ、ねえ!ごめん。僕とフロイド、一限フケるってジェイドくんに言っといて」
大食堂を出るあたりですれ違ったオクタヴィネル寮生にそんなことを言うので、なおさらだ。
言伝られたそいつは見るからに動揺して、あ、とか、う、とか、まごついた言葉が遅れて聞こえてきた。もとより返事を聞く気がなかったように、マキは迷わずに寮の方へと向かっていく。大人しそうな、オレの知らないヤツだった。マキがああいう手合いに今みたいな強引な頼みごとするなんて信じらんねー。気遣いと社交性の塊みたいな奴なのに。
「フロイドさ、昨日ちょっと怒ってたよね」
数歩先を歩くマキが言う。
「…なんの話?」
「なんで怒ってんのか不思議だったけど、さっきの見てなんとなく分かったよ」
「あ?」
「あれはちょっとムカつくね」
「…」
「僕のいないとこで無茶しないでほしい」
無茶ってなんだよ、とか、そもそも分かってなかったのかよ、とか、返せる言葉はたくさんあったけど肝心の声が出てこなくて、唖然として斜め前を歩くマキの輪郭を見つめた。
二人分の靴音が廊下に響く。
「マキ」
「…」
「こっち見て」
「…」
「目、合わせて」
「…」
「マキってば」
マキの部屋の前まで来てようやく歩みを止めた。振り返って対峙するマキが珍しく感情的な目つきをしていたので、ごく、と喉が鳴る。なんだろ、すっげえドキドキする。
「おいで」
腕を引かれて部屋の中の、バスルームに引っ張り込まれた。これってどういう展開なわけ?オレが期待した通りのことが起こるって思っていいのかな。
……あのマキに限って。
抵抗らしい抵抗もしないまま、ブレザーを脱いで促されるがままに浴槽のふちに腰かけた。同じくブレザーを取っ払ったマキが腕まくりをしてオレの前に立つ。手が右耳に触れて、顔がぐっと近づいた。耳元でしゃらしゃらと音が鳴る。ピアスを外そうとするマキの、伏せた目元がよく見えた。
「……べたべたしてる。サイダーかな」
「多分ね。ちょー冷てえの」
「よかったよ。ホットコーヒーなんかじゃなくて」
「…」
「きっと火傷じゃ済まないよ」
昨日、得体の知れない薬品を頭から被りにいった奴のセリフとは思えない。
自分でも分かっているのか、外したピアスを洗面台によけたマキはそれ以上何も言わなかった。手元でシャワーの温度を確かめながら、聞こえてきた予鈴の音にも反応しない。
そういや普通にサボってんな。オレにとっては日常茶飯事だけど、マキは違うじゃん。適度な不良性を保ちつつ授業には真面目に出るようなマキが、オレのためにサボってんのかなって思うと、何かが満たされるような感覚がした。
「あ?どこ行くのぉ?」
「君の部屋から服、取ってくる。鍵貸して」
「いいよぉそんなん。ここにいて」
「スラックスまで濡れたでしょ。代わりの服どうすんの」
「マキのやつ借りる」
「足の長さ分かって言ってる?」
さすがに恨むよ、と軽い調子で言いながらも出て行こうとするマキは、やっぱり肝心なことが分かってない。
手を引いて腕の中に閉じ込めた。ギュッと腰に抱きついてお腹のあたりに額をすりつけると、なだめるような手つきで頭を撫でてくれるのが好き。あーあ。オレだけにしてくんないかなぁ、こーいうの。
「フロイド?」
「どうせ一限サボるんだし、いーじゃん」
「なにそれ」
「褒めてよ」
「…」
「マキが褒めて」
後頭部のラインに沿ってうなじに流れた手が首筋を撫でた。まるで子供を慰めるみたいな手つきがなんかもどかしい。昨日までのオレだったら、それで我慢したかもね。
「マキ」
ネクタイを引っ張ってぐっと距離を詰めた。落ちてきた唇に思いっきり噛み付いてやった。びっくりしたように目を見開くのが見えて、なんか小気味良い。抵抗されんのが嫌で、マキの首根っこを掴まえながら口ん中をでろでろに舐めまわした。
「ん……、ふ、ろいど…」
「なに」
「苦しいって……」
オレの肩に手をついて顔を上げたマキは突然のディープキスに驚いていても嫌がってる素ぶりはなくて、それが嬉しいんだが腹立たしいんだか……妙な気分だ。
襟元を引っ掴んで首筋に歯を立てた。アズールとは違う鋭いウツボの歯はこの姿でも健在だってこと、マキだってもちろん知ってる。がじがじと柔く噛みついても怯えた様子はなく、優しい手が背中をぽんぽんと撫ぜた。あっ、そう。信頼されてんのかね。
もしその襟の下にキスマークの一つでも隠してたら思いっきりかぶりついてやろうと思ってたけどね。
まっさらな肌にオレの歯型だけが赤く残って、またもや満たされる感覚がした。
甘えただね、なんて呆けたことを言うマキがオレに寄りそいながら濡れた髪をまぜるように撫でた。
「洗ってあげようか。シャツ脱いで」
「マキも脱いでよ」
「なんでだよ。あっ、ちょっと、こら」
「ん〜…」
「何すんの…」
耳たぶを噛みながらゆるめたネクタイを引き抜いて、ボタンの合わせを全部外した。肩からシャツを落とされてもマキはされるがままだった。されるがままっていうか、わざとオレの好きなようにさせてくんの。
腕だけ通したシャツもそのままにマキが額に口付けた。ぐずる子供をなだめるみたいなキス。でも、オレはぐずってもないし子供でもないし。
マジで分かってないのかな。本当に欲しいのはそんなんじゃねぇんだけど。
「マキ〜…」
「ん?」
「マキからちゅーして」
「はいはい」
「ん、」
膝に乗り上げて両頬を掴まれて、割と深めのキスをされた。うっわ。そ〜なんだよねマキってさ…マジ、こーいうとこある…。分かってないようで実はちゃんと理解してんじゃないのかなってたまに思うよ。
人より長い舌を絡めても逃げないし、オレの動きに全部応えた。何度も柔らかく唇を食まれて、ちょっと頭がぼーっとした。なに気持ちいいキスしてくれてんの…。
「偉いね、フロイド」
「んー」
「監督生さんを庇ったの?」
「んーん。ただの気まぐれ」
「そう」
「…」
「僕はフロイドのそーいうとこ、好きだよ」
「…」
「でも二度としないでほしい」
なにそれ。こっちのセリフなんだけど。
あの状況でぶっかけられたのが冷たいサイダーじゃなくて、たとえば熱湯だったら、オレは小エビちゃんを庇わなかったよ。当然でしょ。熱に弱い魚のオレたちにはただの火傷じゃ済まないし、そこまで身を切ってやる義理もないじゃんね。
でもマキならきっと違ぇんだろうな。
オレでもジェイドでもアズールでもなく、他の誰でもないマキが一番無茶をするくせに、よくオレにそーいうこと言えたよね。
虫が良すぎんじゃねぇの、と至近距離で見つめ合ったままジト目で呟いた。マキがそういうワガママを言うんなら、それ相応の対価を見せてよ。
「フロイド、怒ってる?」
「……怒ってない。怒ってねぇけど、イライラする」
「そう…」
「なんで自分のこと棚上げしてオレの心配してんの?」
「フロイドが好きだから」
「ずっり〜んだよなマジで……」
もう一度唇がくっついた。角度をつけて何度も食まれて、入り込んだ舌が柔らかいぬかるみをしつこくなぞった。唾液の混ざる音がやけによく聞こえる。口ん中あつくてとろとろで、もっと欲しくなって縋るとよしよしって撫でられた。
ジェイドにもアズールにも同じことすんのかな。するんだろうな、マキのことだから。
はあ、とため息が出た。
「オレもマキのこと好きだけどさぁ……」
「はは、ありがと」
「うっさい。仕方ないからマキのワガママ聞いたげる」
「ん、」
「その代わり、オレのワガママも聞いてくれる?」
はだけたシャツの隙間から手のひらを差し込んで脇腹を撫でた。くすぐったそうに目を細めるマキの無防備そうなとこが好き。オレのことひとっつも警戒してねえの。
手のひらに力がこもった。
「オレとやってよ」
何を、とは言うまい。
「フロイド、シャワー浴びないと」
「なんでぇ?」
「ベタベタじゃん。気持ち悪いでしょ」
「後でいーよ。ね、マキ、こっち見て」
「見てる、けど…」
「目ぇ合わせて」
膝の上に乗ったマキはいつもの余裕を少し欠いてるように見えて、なんかそれだけでドキドキした。
あのマキが、さあ。あは。すげー新鮮。
鎖骨のあたりに噛みつくと肩に乗った手がピクリと動いた。噛み癖なんか子供の頃に矯正したつもりだったけど、ウズウズが止まらない。
「ん、くすぐった…」
「なんかマキ甘くねえ?」
「君のせいだよ。だからシャワー浴びようって…」
「あーとーで」
セックスが先に決まってんじゃん。
って、口では言わねえけど。
オレのお願いにマキはイエスもノーも言わなかった。何を、とも聞かなかった。少し眉根を寄せて考えるようなそぶりを見せたから、その口が開く前に塞いでやった。
逃げないってことはそういうことじゃん。
あんなキスしといて拒絶でもされたら絞めたくなっちゃうし、てかそもそもオレはここに来たときからそのつもりだったし、もとより答えを聞く気は無かったんだけど。
マキは抵抗しなかった。何考えてんのか分かんないけど、それならオレの好きなようにやるよ。
「ねー、最近ヤった?」
「はあ?」
「ヤってねえの?」
「何でそんなこと聞くの」
「海にいた頃は結構遊んでたじゃん」
「うーん…まあ…」
「あれすっげームカついたぁ」
「なんで?」
「ふつーウザいでしょ。オレらにはそんな素振り見せなかったくせにさぁ」
「…」
「あ待って。もしかしてオレに隠れてジェイドとかアズールとかとヤってたりした?」
「は?なにそれ…」
「もしそうなら、オレ、許せねーかも」
「…」
「ジェイドとアズールがマキのちんちん触ってんのにオレだけ触ったことないのは許せない」
「なんか複雑なこと言ってる…」
「考えただけで絞めたくなんの」
「う〜ん……」
「そんなんやでしょ?オレもやだ。だから触らして」
「僕の、この……これ?」
「マキの、ちんちん、触りたい」
「う〜〜〜ん……」
言いながらベルトを引き抜くオレを止めようかどうか逡巡してるように見えたけど、どう考えたってもう遅い。
ファスナーを下ろしてスラックスをずり下げるといよいよ後に戻れなくなった。清廉潔白な好青年そのものですって顔して何人抱いてきたんだろうね。あー、ありえないくらいムカつく。
オレのことだけ考えてたらいいのにさぁ。
下着越しに指を這わせるとピクリと眉が動いた。ゆるく上下に撫でてわざとじわじわ硬くしてやると、耐えるみたいに顔を背けるのが余裕なくてかわいい。片手で口元を隠しながら目元を赤くしてるマキがかわいい。
「あは、なんかオレ、興奮してきたぁ」
「なにそれ……」
嘘だ。ほんとはずっと昂ぶってる。肩に食い込む指も、耐えるようにぎゅっと瞑る目も、オレの膝の上でマキがオレに気持ちよくされてるって考えるだけで結構ヤバい。硬くなったそれを摑んで何度か擦ると嚙み殺し切れない吐息が漏れて、オレのちんちんもガチガチになった。いつも余裕のある涼しげな目つきしか見せないようなマキが、顔赤くしてきもちいの耐えてんの。やっばいでしょ。どんなAVより抜ける自信あるわ。
「なんで目ぇ逸らすの。オレのこと見てよ」
「っ……」
「あっは、きもちーね?」
「んん……っ!」
「ねー、オレ、ちゅーしたぁい」
口元を隠す手をべろりと舐めた。指の一本をかぷかぷ噛みながら下着の中に手を突っ込んだ。窮屈な布地を押しのけるみたいにこぼれた竿の裏筋をつーっとなぞるとマキの肩が小さく震えた。あー、かわいい。なにこれ。感じてんの、かわいい。
オレとマキの体に挟まれて逃げ場のないそれを思いっきりいじめてやりたい衝動を我慢しながら、つとめてゆるゆると優しく扱いた。代わりに指をフェラするみたいに舌を絡めると、怯んだように目を細めるのがたまんなく興奮する。もっと乱れさせてやりたい。オレしか知らないマキが見たくて、徐々に手の動きが激しくなった。
「フ、ロイド……!」
「んー?」
「待っ……あ……!」
「マキ、ちゅー」
顎を掴んで無理やり口付けた。柔らかい唇がぶつかってマキがぎゅっと目を瞑った。余裕ねえの?最高。オレの腹にくっつくほど反り立った先っぽから溢れた先走りをまとって、ぐちゃぐちゃ音が響くのが耐えらんないみたいに、肩を掴む手に力がこもった。口ん中こじあけて舐め回すオレの舌に応える余裕もないっぽくて、好き勝手にいじってたら腰が揺れた。
腹のあたりがあっつくなって、手を止めた。
息を乱したマキが恨めしい目でオレを見るのにも興奮する。なに、初めて見る顔してんじゃん。えろくて最高。もっとして。
指についた精液をまぶすみたいに先っぽをくるくるいじったら、バカ、っておでこをぶつけられた。
「もー…」
「マキ、かわいー。きもちかったぁ?」
「フロイドの……バカ……」
「え〜?」
「どうなっても知らないからな」
マキの体がぐっとくっついて額に軽いキスが落ちた。
イったばっかなのにまだ硬さを残すマキのそれが腰にぐっと密着して、スラックス越しにガチガチに勃ったオレのちんこをもっと硬くした。待って、やばい、心臓ドキドキいってる。瞳にあっつい色を乗せたマキは笑ってなかった。オレの唇に噛みつくのと同時に、指がシャツのボタンにかかった。
「……二限どぉすんのぉ?」
「行けると思ってんの」
「…」
「フロイドから始めたんだからね」
「…」
「最後までやる」
願ってもないよ、って言ったらマキはどーいう反応すんだろね。
オレはずっとこうしたかったよ。
嬉しくて死にそうになりながら、マキの舌を迎え入れた。
攻守交替。
2020.7.5
ガラスが割れる音がした。
死んだ、と思った。
「……マキ、何してんの」
フロイド・リーチの平坦な声が落ちてきて、ぼくははっと我に返った。一瞬、思考が止まっていた。もしやと慌てて自分の手元を確かめると、実験途中の試験管をしっかり握ったままだったので、そっと胸を撫で下ろした。テーブルの上も綺麗なままだ。よかった。音に驚いて、ぼくまで試験管を落っことしてしまったかと思った。
「間が良くてね…」
そう答えるマキくんの前髪からぽた、と水滴が垂れた。その腕に抱かれている監督生はぽかんとしている。何が起きているのか分からない、という顔だ。
「避けろっつうの。ドジ」
「はは、厳し」
「……。小エビちゃんはぁ?ヘーキ?」
徐々に事態を把握した監督生がコクンと頷いたのを見て、よかったネ、なんて返しているが………。
怖い。怖いぞ。ぼくはフロイド・リーチのことがちょっと苦手だ。
魔法薬学の授業は座学の講義室と違って広い実験室で行われている。席は自由だし、早い者勝ちだ。とはいえ大体は同じ寮の友人で固まったり気の合うもの同士並んだりしているけどぼくには友達がいないので基本的に居場所がない。クルーウェル先生が怖いのでなるべく前にもいたくない。あんまり後ろだと不良がちな生徒に囲まれてしまう(特にサバナクローのヤンチャ具合なんかはげに恐ろしい…)ということで、なんやかんやと空気を読んで見つけたスペースがたまたま例の監督生の隣だった。
オンボロ寮の監督生。話したことはないし、その予定もない。
人見知りのぼくから声をかけるなんてこともないわけで、しめしめ、大人しそうなのが隣でよかった、とひそかに喜んだ。隣が盛り上がっている横で一人もくもくと作業するほどみじめなことはないからだ。
よくつるんでいるハーツラビュルの一年の姿も見えないし、こいつも今はぼくと同じぼっちなのか、と精神的余裕を持ちつつ、無難に実験をスタートさせたが…。一つ忘れていた。この監督生は小うるさい妙な狸とセットで扱われていたのだった。
何かやらかすのは狸の方だと、噂に聞く限りではそう思っていたが、まさしく、だ。
気を付けてね、と監督生が声をかけたので何となくぼくもそちらに目をやった。その瞬間、テーブルの上の狸が盛大にずっこけて、抱えていた試験管が宙を舞った。
飛び出た液体が日の光に反射するのを確かに見た。
スローモーションのように感じる。
扇状に広がった液体が監督生目掛けて降りかからんとする様子を、おそらく間抜けヅラでただ見ていたぼくの視界の端を、マキくんだけが素早く通り過ぎた。
監督生を抱きしめるように庇う姿を真横で目撃したぼくに稲妻のような衝撃が走った。
いや、ちょっと待ってほしい。
それはさすがにかっこよすぎる。
「はあ、アザラシちゃんさぁ…」
「ふ、ふな〜……」
「大丈夫、フロイド。ただの蒸留水みたい」
正体の分からない液体を頭から被ったマキくんの冷静さが怖い。試験管の中身はなんだろな、なんて隣で見ていたぼくにだって分からなかったのに。ノータイムで動けるもんかね、ふつう。
恐縮してハンカチを押し当てる監督生に好きなようにさせながら、マキくんは床に散らばる破片を一瞥した。フロイド・リーチに首根っこをつままれた狸はさすがに申し訳なさそうにふなふな鳴いている。
「ヤバイ薬品だったらどうすんの」
「だったらなおさら間が良かったね」
「あ?」
「…」
「それマジで言ってんの?」
「フロイド」
「あーハイハイハイ」
おざなりにマジカルペンを振った。教室の隅の棚から飛んできた箒とちりとりを見てぼくはギクリとする。
こういう場合、気を利かせて片付けを手伝うべきなのだろうか。たまたまマキくんが側を通りがかったタイミングだったとはいえ、ぼくの方が明らかに近かったのに監督生の腕を引くことも庇うこともできなかったわけで、ただ突っ立って成り行きを見ているだけというのはどう贔屓目に見たって情けない。コミュ障にもコミュ障がすぎるだろ。
そうは言っても、あのフロイド・リーチに手伝いますよと進言できるわけもなくて、結局息を殺して縮こまっていた。
一瞬、マキくんに大丈夫ですかと声をかけようと思ったが、やめた。もし変にどもったりして何だコイツと思われるのも嫌だし、そもそもマキくんがぼくのことをすっかり忘れていてさも初対面かのように振舞われでもしたら、ぼくはきっと自分の情けなさに殺されてしまうからだ。
陰鬱な海の底で育ったオクタヴィネル寮生の中でも、ぼくは群を抜いて暗くじめった奴なのだ。
授業が終わって人波がぞろぞろと大食堂へと流れ出る。ぼくも紛れるように廊下に出ると、はからずもマキくん達のすぐ後ろにポジショニングしてしまって少し焦った。まるでぼくが金魚のフンみたいにひっついているようではないか?
気付かれないように祈りながら、耳は自然と会話を拾ってしまう。
「マキってさあ」
「うん」
「小エビちゃんにはやけに優しーよねぇ」
「えぇ、なにそれ?」
「好きなん?」
「前も似たようなこと言ってなかった?」
懲りないね、と涼しげに返すマキくんの余裕に脱帽だ。機嫌の良くないフロイド・リーチを前にして、なぜそんなにいつも通りでいられるのか小心者のぼくにはさっぱり分からない。
「好きだよ。普通に」
「…」
「でも、もしフロイドが近くにいても僕と同じことしたんじゃない」
「オレぇ?どうだろね…」
「たまたま僕だっただけだよ」
「…」
「そんで、たまたま監督生さんだっただけだ」
「んじゃオレかジェイド相手でも同じことしたわけ?」
「君らなら自分で避けたでしょ」
「……アズールだったら?」
「彼はねえ、どうだろうね」
「…」
ずっる。そうぼやくフロイド・リーチの心情がなんとぼくには理解できた。メンタルヤンキーの彼に陰キャのぼくが共感するなんてそうそう無いことだが、ことマキくんに関しては、なんとなく想像がつくのだった。
歯がゆい気持ちがするんだろう。
分かる。フロイド・リーチ。君のことは昔から怖くて苦手で近寄りがたくて、海にいた頃からこの学校に入学した今もなお一度も会話を交わしたことすらない完全に別世界に生きる存在だけれども、分かるよ。
きっと君は今こう思ってるんでしょう。
「マキのそーいうとこ、キライ」
ほらね。
マキくんは少し困ったように笑った。
例えばぼくが寮長宛てに言伝を頼まれたとする。
クルーウェル先生か、トレイン先生か、なんなら学園長か購買のサムさんか、頼んできた相手が誰であれぼくはきっと断れない。気が弱いからだ。だからといってその言伝を立派に遂行できるとも思えない。すごく気が弱いからだ。
根っから気弱なぼくが我らがアズール・アーシェングロット寮長に話しかけるなんてこと、出来ると思う方がどうかしている。
寮長と実際に話したことはないし人柄もよく知らないけど、あの慇懃な態度と狡猾な手口と振りまくオーラを見るに、あっ…と察しがつくというものだ。ぼくとは住む世界もカーストも違う。そもそも学内であんなオシャレなカフェを営業しようという発想がなんかキラキラしてて怖いんだ、ぼくは。
従ってその脇を固めるリーチ兄弟もおそろしい。
廊下の隅を歩いてるぼくなんて彼らはきっと認知しないだろうし、あの圧倒的な高みから興味関心ゼロの視線を向けられるのを想像しただけでブルってしまう。
でも、マキくんがいるのだ。
あの寮長やリーチ兄弟とよくつるんでいるマキくんのことだけは怖くなかった。住む世界もカーストも違うけど、なんというか、彼の目にはちゃんとぼくが映っている気がするのだ。オクタヴィネル寮生には珍しい、穏やかで人当たりのいいコミュニケーションを自然と行うマキくんは、おおよその人を同じように扱うので、まるでぼくらは友達なんじゃないかと錯覚を起こさせる。
違うんだなぁ。
友達じゃないのだ。
その整った顔で嫌味のない笑顔を向けてくれるマキくんは、寄ってきた人を拒むことはなくても求めることは決してない。ぼくみたいに対人に難ありのワケあり人間からしてみたらその距離感が心地よかったりして…。プライドや見栄なんかも捨てて、正直に「寮長に近付くのがコワイので代わりに言伝をお願いできないか」と頼みごとだってできてしまう。
実際に似たようなことを何度かお願いした。マキくんはその度に爽やかに笑って引き受けてくれた。発光してるんじゃないかってくらい、ぼくには眩しい。カブトクラゲだと言われても信じるぞ。
でも、きっとそういうところが気に触るんじゃないのかな。
誰にでも優しいマキくんのあの分け隔てなさが彼には受け入れがたいんじゃないか。
遠目で見ていたって分かる。フロイド・リーチは、マキくんの特別になりたいんだ。
「おはよ。奇遇じゃん」
昨日も隣だったよね、なんて当たり前みたいに話しかけてくるマキくんにトングを操る手が止まった。
翌日の朝になって、大食堂は朝食を摂りにきた生徒で溢れている。トレイを持って、適当にパンとサラダでも食べようかとうろちょろしているとまたもやマキくんと横並びになってしまって、なんだかやけに縁があるな…とぼんやり考えていたところに、これだ。
狼狽しつつ、ぎこちなく頷き返した。マキくん、ぼくのこと覚えてたのか…。
「同じ寮なのにあんま会わないよね」
そうですね、と目の前のボウルからサラダを取り分けつつ返すぼくに、マキくんが柔らかく笑った気配がした。
同学年なのになんで敬語なんだよ、とか、そういうことを言わないのがマキくんらしい。いいなぁ、押し付けがましくなくて。社交的ってこういう人のことを言うんだろうか。
「今日飛行術のテストあるって、知ってた?……だよね。僕もさっき聞いて、ちょっと萎えてる、と、こ………」
あれ。
急に歯切れが悪くなったマキくんに思わず顔を上げた。見上げた先の端正な横顔は、賑わう大食堂の奥を見つめている。
話している途中に何か見つけたのかな。なんとなく気になって背伸びして視線の先を追おうとするぼくのトレイに、マキくんは持っていたお皿を押し付けた。
「これ、あげる」
えっ?な、なんで!?
「ごめん。後でね」
そう言いながらぼくの方を一度も見ずに歩き去っていくマキくんをぽかんと眺めた。
なんだ、なんなんだ。マキくんにしては珍しく強引だ。サラダの皿が二つに増えた自分の朝食と人波に紛れる背中を交互に見ながら、それでもなぜか、悪い気はしなかった。マキくんマジックか。
普段はしないやり取りが新鮮で、妙に浮つく。
▽
ガラスが割れる音がした。
あーあ、と思った。
「……フロイド、何やってんの」
マキの声がする。らしくもないのに少しだけ驚いてしまって、誤魔化すみたいにわざと緩慢に顔を上げた。
……さっきまでいなかったじゃん。なんで急に現れてんだよ。
マキはいつもいつも、図ったみたいなタイミングで現れんだよね。今更驚くことでもないけど、今の姿を見られるのはちょっと癪だった。
「別にぃ…」
前髪から垂れるしずくを胡乱げに払った。オレの足の下で、踏みつけにされた男が手足をバタつかせて暴れてるのがなんかウザくて、思い切り体重を乗せてやる。カエルが潰れたような声が出た。
「びしょ濡れじゃん」
「まーね」
「……監督生さんは何でコケてんの」
「知らね」
嘘だ。ほんとはオレがすっ転がした。
尻もちをついてぱちぱちと瞬きする小エビちゃんにマキが手を差し伸べたのが見えた。ウザい。ムカムカする。何でいの一番にやることがそれなわけ?
なかば衝動的に男の脇腹を蹴っ飛ばした。これ幸いと逃げていく背中を追いかける気にもならなくて、あーあ、やっぱやんなきゃよかった、って思う。
後悔が募った。
本当に、たまたま、そこにいただけだ。ジェイドもアズールもイシダイせんせぇの用事かなんかで後から来るっていうし、マキもサラダ取りに行ったまま帰ってこないし、たまたまそこにいた小エビちゃんたちに絡んでやろうとしただけで。
サバちゃんもカニちゃんも朝から元気で飽きないよねぇ。
しばらくからかって遊んでたところに、サバナクローのちっちぇえゴロツキどもが小エビちゃんたちに因縁つけてきた。小エビちゃんっていうか、多分アザラシちゃんあたりだろうね。
自分たちの寮長がいないのを見計らって、マジフトん時のうさを晴らしに来たらしかった。だっる。くだんねーし、しつけーし、心底どうでもいい。オレには関係ないことだ。
当人同士で適当にやってりゃいいと思って、その場を立ち去ろうとした。だってそうじゃんね。マジでつまんないただの諍いだ。アズールだってジェイドだって、きっとそうしたんじゃねぇの。
マキならきっと違ぇんだろうな。
きらめく何かが視界の端にわずかにかすめて、一瞬、避けようと思った。でも、興奮した男が振り上げたグラスから放物線を描いて飛び出たそれが昨日見た光景と重なって、「おっ」と思って、気まぐれを起こしてしまった。
咄嗟に小エビちゃんに足払いをかけて床にすっ転がした。この子にぶっかかるはずだったグラスの中身がモロに降りかかってくる。つめてーし、うぜーし、マジでムカつく。
リーチのある足で狼狽する男の背中を蹴飛ばして踏みつけてやった。オレ同様、グラスの中身(水じゃねーかも。何コレ?ベタベタして気持ちわりぃ)をひっかぶったサバちゃんとカニちゃんがびっくりしたような声でオレを呼ぶのにもイラついた。
らしくないことしたかもね。小エビちゃん庇うとか、何の得にもなんねぇのにさ。
せめてジェイドやアズールに、何よりマキに見られなかっただけまだマシってことにしようと思った。てか、そもそもあいつらがいたらやんなかったんだろうけど。本当にただの気まぐれだ。
なのに何で現れてんだよ。意味分かんねぇ。
「タイミングわりぃー…」
「何言ってんの。逆でしょ」
逆ってなんだよ。
マキに起こしてもらった小エビちゃんがハンカチを取り出して駆け寄ってくるのを雑に払った。別に助けたわけじゃねーよ。そんな恐縮されるようなことでもない。マキに優しくされた小エビちゃんが憎らしかったはずなのに、何でか庇ってしまったことへの自己嫌悪とイライラがもろに態度に出てしまう。
「……どっから見てたぁ?」
「最初から。騒がしいなと思って見てた」
「最ッ悪……」
「だから逆だって」
「はあ?」
「行こう。フロイド」
そう言って二の腕を掴まれて、正直なところ結構驚いた。驚くほどに意外だった。
オレに転ばされた小エビちゃんへのフォローとか、床に散らばったグラスの破片の後片付けとか、気の利くマキならそーいうことするんだろうなって思ってたから、オレを選んだのがマジで青天の霹靂。なんで?って思った。
「あっ、ねえ!ごめん。僕とフロイド、一限フケるってジェイドくんに言っといて」
大食堂を出るあたりですれ違ったオクタヴィネル寮生にそんなことを言うので、なおさらだ。
言伝られたそいつは見るからに動揺して、あ、とか、う、とか、まごついた言葉が遅れて聞こえてきた。もとより返事を聞く気がなかったように、マキは迷わずに寮の方へと向かっていく。大人しそうな、オレの知らないヤツだった。マキがああいう手合いに今みたいな強引な頼みごとするなんて信じらんねー。気遣いと社交性の塊みたいな奴なのに。
「フロイドさ、昨日ちょっと怒ってたよね」
数歩先を歩くマキが言う。
「…なんの話?」
「なんで怒ってんのか不思議だったけど、さっきの見てなんとなく分かったよ」
「あ?」
「あれはちょっとムカつくね」
「…」
「僕のいないとこで無茶しないでほしい」
無茶ってなんだよ、とか、そもそも分かってなかったのかよ、とか、返せる言葉はたくさんあったけど肝心の声が出てこなくて、唖然として斜め前を歩くマキの輪郭を見つめた。
二人分の靴音が廊下に響く。
「マキ」
「…」
「こっち見て」
「…」
「目、合わせて」
「…」
「マキってば」
マキの部屋の前まで来てようやく歩みを止めた。振り返って対峙するマキが珍しく感情的な目つきをしていたので、ごく、と喉が鳴る。なんだろ、すっげえドキドキする。
「おいで」
腕を引かれて部屋の中の、バスルームに引っ張り込まれた。これってどういう展開なわけ?オレが期待した通りのことが起こるって思っていいのかな。
……あのマキに限って。
抵抗らしい抵抗もしないまま、ブレザーを脱いで促されるがままに浴槽のふちに腰かけた。同じくブレザーを取っ払ったマキが腕まくりをしてオレの前に立つ。手が右耳に触れて、顔がぐっと近づいた。耳元でしゃらしゃらと音が鳴る。ピアスを外そうとするマキの、伏せた目元がよく見えた。
「……べたべたしてる。サイダーかな」
「多分ね。ちょー冷てえの」
「よかったよ。ホットコーヒーなんかじゃなくて」
「…」
「きっと火傷じゃ済まないよ」
昨日、得体の知れない薬品を頭から被りにいった奴のセリフとは思えない。
自分でも分かっているのか、外したピアスを洗面台によけたマキはそれ以上何も言わなかった。手元でシャワーの温度を確かめながら、聞こえてきた予鈴の音にも反応しない。
そういや普通にサボってんな。オレにとっては日常茶飯事だけど、マキは違うじゃん。適度な不良性を保ちつつ授業には真面目に出るようなマキが、オレのためにサボってんのかなって思うと、何かが満たされるような感覚がした。
「あ?どこ行くのぉ?」
「君の部屋から服、取ってくる。鍵貸して」
「いいよぉそんなん。ここにいて」
「スラックスまで濡れたでしょ。代わりの服どうすんの」
「マキのやつ借りる」
「足の長さ分かって言ってる?」
さすがに恨むよ、と軽い調子で言いながらも出て行こうとするマキは、やっぱり肝心なことが分かってない。
手を引いて腕の中に閉じ込めた。ギュッと腰に抱きついてお腹のあたりに額をすりつけると、なだめるような手つきで頭を撫でてくれるのが好き。あーあ。オレだけにしてくんないかなぁ、こーいうの。
「フロイド?」
「どうせ一限サボるんだし、いーじゃん」
「なにそれ」
「褒めてよ」
「…」
「マキが褒めて」
後頭部のラインに沿ってうなじに流れた手が首筋を撫でた。まるで子供を慰めるみたいな手つきがなんかもどかしい。昨日までのオレだったら、それで我慢したかもね。
「マキ」
ネクタイを引っ張ってぐっと距離を詰めた。落ちてきた唇に思いっきり噛み付いてやった。びっくりしたように目を見開くのが見えて、なんか小気味良い。抵抗されんのが嫌で、マキの首根っこを掴まえながら口ん中をでろでろに舐めまわした。
「ん……、ふ、ろいど…」
「なに」
「苦しいって……」
オレの肩に手をついて顔を上げたマキは突然のディープキスに驚いていても嫌がってる素ぶりはなくて、それが嬉しいんだが腹立たしいんだか……妙な気分だ。
襟元を引っ掴んで首筋に歯を立てた。アズールとは違う鋭いウツボの歯はこの姿でも健在だってこと、マキだってもちろん知ってる。がじがじと柔く噛みついても怯えた様子はなく、優しい手が背中をぽんぽんと撫ぜた。あっ、そう。信頼されてんのかね。
もしその襟の下にキスマークの一つでも隠してたら思いっきりかぶりついてやろうと思ってたけどね。
まっさらな肌にオレの歯型だけが赤く残って、またもや満たされる感覚がした。
甘えただね、なんて呆けたことを言うマキがオレに寄りそいながら濡れた髪をまぜるように撫でた。
「洗ってあげようか。シャツ脱いで」
「マキも脱いでよ」
「なんでだよ。あっ、ちょっと、こら」
「ん〜…」
「何すんの…」
耳たぶを噛みながらゆるめたネクタイを引き抜いて、ボタンの合わせを全部外した。肩からシャツを落とされてもマキはされるがままだった。されるがままっていうか、わざとオレの好きなようにさせてくんの。
腕だけ通したシャツもそのままにマキが額に口付けた。ぐずる子供をなだめるみたいなキス。でも、オレはぐずってもないし子供でもないし。
マジで分かってないのかな。本当に欲しいのはそんなんじゃねぇんだけど。
「マキ〜…」
「ん?」
「マキからちゅーして」
「はいはい」
「ん、」
膝に乗り上げて両頬を掴まれて、割と深めのキスをされた。うっわ。そ〜なんだよねマキってさ…マジ、こーいうとこある…。分かってないようで実はちゃんと理解してんじゃないのかなってたまに思うよ。
人より長い舌を絡めても逃げないし、オレの動きに全部応えた。何度も柔らかく唇を食まれて、ちょっと頭がぼーっとした。なに気持ちいいキスしてくれてんの…。
「偉いね、フロイド」
「んー」
「監督生さんを庇ったの?」
「んーん。ただの気まぐれ」
「そう」
「…」
「僕はフロイドのそーいうとこ、好きだよ」
「…」
「でも二度としないでほしい」
なにそれ。こっちのセリフなんだけど。
あの状況でぶっかけられたのが冷たいサイダーじゃなくて、たとえば熱湯だったら、オレは小エビちゃんを庇わなかったよ。当然でしょ。熱に弱い魚のオレたちにはただの火傷じゃ済まないし、そこまで身を切ってやる義理もないじゃんね。
でもマキならきっと違ぇんだろうな。
オレでもジェイドでもアズールでもなく、他の誰でもないマキが一番無茶をするくせに、よくオレにそーいうこと言えたよね。
虫が良すぎんじゃねぇの、と至近距離で見つめ合ったままジト目で呟いた。マキがそういうワガママを言うんなら、それ相応の対価を見せてよ。
「フロイド、怒ってる?」
「……怒ってない。怒ってねぇけど、イライラする」
「そう…」
「なんで自分のこと棚上げしてオレの心配してんの?」
「フロイドが好きだから」
「ずっり〜んだよなマジで……」
もう一度唇がくっついた。角度をつけて何度も食まれて、入り込んだ舌が柔らかいぬかるみをしつこくなぞった。唾液の混ざる音がやけによく聞こえる。口ん中あつくてとろとろで、もっと欲しくなって縋るとよしよしって撫でられた。
ジェイドにもアズールにも同じことすんのかな。するんだろうな、マキのことだから。
はあ、とため息が出た。
「オレもマキのこと好きだけどさぁ……」
「はは、ありがと」
「うっさい。仕方ないからマキのワガママ聞いたげる」
「ん、」
「その代わり、オレのワガママも聞いてくれる?」
はだけたシャツの隙間から手のひらを差し込んで脇腹を撫でた。くすぐったそうに目を細めるマキの無防備そうなとこが好き。オレのことひとっつも警戒してねえの。
手のひらに力がこもった。
「オレとやってよ」
何を、とは言うまい。
「フロイド、シャワー浴びないと」
「なんでぇ?」
「ベタベタじゃん。気持ち悪いでしょ」
「後でいーよ。ね、マキ、こっち見て」
「見てる、けど…」
「目ぇ合わせて」
膝の上に乗ったマキはいつもの余裕を少し欠いてるように見えて、なんかそれだけでドキドキした。
あのマキが、さあ。あは。すげー新鮮。
鎖骨のあたりに噛みつくと肩に乗った手がピクリと動いた。噛み癖なんか子供の頃に矯正したつもりだったけど、ウズウズが止まらない。
「ん、くすぐった…」
「なんかマキ甘くねえ?」
「君のせいだよ。だからシャワー浴びようって…」
「あーとーで」
セックスが先に決まってんじゃん。
って、口では言わねえけど。
オレのお願いにマキはイエスもノーも言わなかった。何を、とも聞かなかった。少し眉根を寄せて考えるようなそぶりを見せたから、その口が開く前に塞いでやった。
逃げないってことはそういうことじゃん。
あんなキスしといて拒絶でもされたら絞めたくなっちゃうし、てかそもそもオレはここに来たときからそのつもりだったし、もとより答えを聞く気は無かったんだけど。
マキは抵抗しなかった。何考えてんのか分かんないけど、それならオレの好きなようにやるよ。
「ねー、最近ヤった?」
「はあ?」
「ヤってねえの?」
「何でそんなこと聞くの」
「海にいた頃は結構遊んでたじゃん」
「うーん…まあ…」
「あれすっげームカついたぁ」
「なんで?」
「ふつーウザいでしょ。オレらにはそんな素振り見せなかったくせにさぁ」
「…」
「あ待って。もしかしてオレに隠れてジェイドとかアズールとかとヤってたりした?」
「は?なにそれ…」
「もしそうなら、オレ、許せねーかも」
「…」
「ジェイドとアズールがマキのちんちん触ってんのにオレだけ触ったことないのは許せない」
「なんか複雑なこと言ってる…」
「考えただけで絞めたくなんの」
「う〜ん……」
「そんなんやでしょ?オレもやだ。だから触らして」
「僕の、この……これ?」
「マキの、ちんちん、触りたい」
「う〜〜〜ん……」
言いながらベルトを引き抜くオレを止めようかどうか逡巡してるように見えたけど、どう考えたってもう遅い。
ファスナーを下ろしてスラックスをずり下げるといよいよ後に戻れなくなった。清廉潔白な好青年そのものですって顔して何人抱いてきたんだろうね。あー、ありえないくらいムカつく。
オレのことだけ考えてたらいいのにさぁ。
下着越しに指を這わせるとピクリと眉が動いた。ゆるく上下に撫でてわざとじわじわ硬くしてやると、耐えるみたいに顔を背けるのが余裕なくてかわいい。片手で口元を隠しながら目元を赤くしてるマキがかわいい。
「あは、なんかオレ、興奮してきたぁ」
「なにそれ……」
嘘だ。ほんとはずっと昂ぶってる。肩に食い込む指も、耐えるようにぎゅっと瞑る目も、オレの膝の上でマキがオレに気持ちよくされてるって考えるだけで結構ヤバい。硬くなったそれを摑んで何度か擦ると嚙み殺し切れない吐息が漏れて、オレのちんちんもガチガチになった。いつも余裕のある涼しげな目つきしか見せないようなマキが、顔赤くしてきもちいの耐えてんの。やっばいでしょ。どんなAVより抜ける自信あるわ。
「なんで目ぇ逸らすの。オレのこと見てよ」
「っ……」
「あっは、きもちーね?」
「んん……っ!」
「ねー、オレ、ちゅーしたぁい」
口元を隠す手をべろりと舐めた。指の一本をかぷかぷ噛みながら下着の中に手を突っ込んだ。窮屈な布地を押しのけるみたいにこぼれた竿の裏筋をつーっとなぞるとマキの肩が小さく震えた。あー、かわいい。なにこれ。感じてんの、かわいい。
オレとマキの体に挟まれて逃げ場のないそれを思いっきりいじめてやりたい衝動を我慢しながら、つとめてゆるゆると優しく扱いた。代わりに指をフェラするみたいに舌を絡めると、怯んだように目を細めるのがたまんなく興奮する。もっと乱れさせてやりたい。オレしか知らないマキが見たくて、徐々に手の動きが激しくなった。
「フ、ロイド……!」
「んー?」
「待っ……あ……!」
「マキ、ちゅー」
顎を掴んで無理やり口付けた。柔らかい唇がぶつかってマキがぎゅっと目を瞑った。余裕ねえの?最高。オレの腹にくっつくほど反り立った先っぽから溢れた先走りをまとって、ぐちゃぐちゃ音が響くのが耐えらんないみたいに、肩を掴む手に力がこもった。口ん中こじあけて舐め回すオレの舌に応える余裕もないっぽくて、好き勝手にいじってたら腰が揺れた。
腹のあたりがあっつくなって、手を止めた。
息を乱したマキが恨めしい目でオレを見るのにも興奮する。なに、初めて見る顔してんじゃん。えろくて最高。もっとして。
指についた精液をまぶすみたいに先っぽをくるくるいじったら、バカ、っておでこをぶつけられた。
「もー…」
「マキ、かわいー。きもちかったぁ?」
「フロイドの……バカ……」
「え〜?」
「どうなっても知らないからな」
マキの体がぐっとくっついて額に軽いキスが落ちた。
イったばっかなのにまだ硬さを残すマキのそれが腰にぐっと密着して、スラックス越しにガチガチに勃ったオレのちんこをもっと硬くした。待って、やばい、心臓ドキドキいってる。瞳にあっつい色を乗せたマキは笑ってなかった。オレの唇に噛みつくのと同時に、指がシャツのボタンにかかった。
「……二限どぉすんのぉ?」
「行けると思ってんの」
「…」
「フロイドから始めたんだからね」
「…」
「最後までやる」
願ってもないよ、って言ったらマキはどーいう反応すんだろね。
オレはずっとこうしたかったよ。
嬉しくて死にそうになりながら、マキの舌を迎え入れた。
攻守交替。
2020.7.5