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短い話

name change

男主は金カムなど
苗字
なまえ(女)
なまえ(男)

※not監督生



いつもいつも、図ったようなタイミングで現れるマキという男に、ジェイドはもんもんとした感情を抱いていた。
出会ってからもう何度目かの春だった。







マキ!ちょうどいいところに!フロイドを捕まえてください!」
「うぜーうぜーうぜー!マキのタイミングまじでうぜー!」
「ごめん、間が良くてごめん」

自分より頭ひとつ分は大きいフロイドの体を捕まえながら、マキはいつもの涼しげな笑顔を見せた。

モストロラウンジではアズールがいつもより1オクターブ高い大声を出すことがある。
その怒声で、ああまたフロイドが何かやったな、とジェイドを含めその場にいる全員が状況を理解する。果たして、その原因は大抵フロイドのおいたのせいだったし、またそういうときは決まってマキがタイミングよく現れる。

今日もまた、仕込み中に気まぐれを起こしたフロイドがアズールの目を盗んでラウンジを抜け出そうとしたところに、偶然やってきたマキとばったり鉢合わせしたのだった。
本当に、ちょうどいいときにやってくる…。磨いたグラスを並べながら、ジェイドはいつものやりとりを眺めていた。
マキに連れ戻され、真面目に働きなさいとアズールに詰められて、ふて腐れたフロイドが机に突っ伏してマキをジト目で見上げた。
逃げる気は失せても働くつもりもないようだった。

「また自動ドアだった。なんで?意味わかんねー」
「ここのドア開けたらいつも目の前にフロイドがいるんだよな」
「ぜってー待ち伏せしてるでしょ」
「偶然、偶然」

自動ドア? ジェイドは一瞬小首を傾げたがすぐに意味を理解した。マキがいじけたフロイドの髪をまぜるようにして撫でるのが見えて、無意識に目をそらしてしまった。
近くのスタッフに仕込みの確認を言い付けるとジェイドに急ぎの仕事はもう無い。並べ終えたグラスにクロスをかけてもう一度視線を上げると、今度は目が合った。

「ジェイドくん」

オクタヴィネル寮生には珍しい嫌味のない笑顔が、マキにはよく似合う。

マキ
「はいこれ、いつもの」
「ありがとうございます」

手渡された白い封筒を受け取って、ジェイドはこっそり嘆息した。
この週一の届け物をするためにマキはモストロラウンジに顔を出すのだ。今週の届け物はこれで終わってしまった。一週間を待たず、明日もマキをここに呼ぶためにどんな理由を付けたらいいか、封筒の中身を確認するフリをしながらジェイドは算段をつけた。

「あー出たぁ、マキの謎賄賂」
「なにそれ?」

フロイドの軽口にマキがこぼすように笑った。
賄賂と言われるように、実際封筒の中身はお金だった。ジェイドが採りすぎたキノコを食堂に卸している分、心づけ程度の額をバックしてもらっている。厨房連中と馴染みがあるマキがそれを預かって寮に戻るついでにジェイドに渡すようになってから、ジェイドは食堂にキノコの提供を欠かしたことがない。
わざわざ言うまでもないことだと思っているのか、少額とはいえお金のことを明け透けに言いふらすものでもないと思っているのか、マキはこの封筒の中身を誰にも説明せずに、ただジェイドに渡しにくる。
ジェイドにはそれが嬉しかった。自分とマキしか知らないやり取りがあることに、妙な魅力を感じていた。

「ねーそれなんの金なワケ?」
「大したことじゃありませんよ」
「は?ケチ。ジェイドのケチ」
「フロイド、いい加減に立って動いてください。仕事の時間ですよ」
「えーダルい…」
「アズールが拗ねたらどうするんです」
マキに機嫌とってもらうからいーよ」
「僕かぁ」
「アズールってマキにはちょーよわよわだし?」
「それはそうですね」
「それはそうなの?」

言うほどそうでもないけど、と言いつつも腕まくりをするマキにフロイドがラッキ〜と笑った。どうやら手伝っていってくれるらしい。

マキがいるとフロア楽ちんなんだよね。体力バカだから」
「意外と体育会系でしょ」
「意外じゃないですよ」
「意外じゃなさすぎだわ」
「揃うねー、声も意見も」

海にいた頃から、小遣い稼ぎに力仕事を手伝っていたマキの姿を双子はよく見ていた。自分たちより小さいとはいえ、アズールよりはいささか上背のある体は細身ながら筋肉質にしまっている。
「最近なまってるからね」言いながら腕を伸ばすマキは視界の端に他の顔なじみを見つけて、そちらに歩み寄っていった。
自然に言葉を交わしながらさりげなく仕事を手伝うマキをぼんやり眺めながら、フロイドはつまらなさそうに頬杖をついた。

「働きもんだね、マジ」
「見習ってください」
「明日も来ねぇかなぁ」
「お願いしてみたらどうです」
「頼んだら来るだろーね」

頼んだらね。
意味深に続いた言葉にジェイドは何も返さなかった。
頼まなければ来ないだろうとは、わざわざ口に出すまでもなかった。







昔、まだアズールたちが海にいた頃、勉強熱心なアズールとは違いマキは労働に精を出していた。
配達のバイトなんかはとりわけ性に合ったらしくて、荷物を抱えて色んな家の扉を叩く姿がよく見られた。

「こんにちは。お届けものです」

日の光の入らない陰鬱な海の底で、やけに爽やかに笑うマキはマダムたちによく好まれたらしい。
配達ついでにお茶に誘われることもよくあると、ある日の雑談でマキが教えてくれた。マキに会いたくて何度も配達を頼む家もあるらしい、とフロイドが持ってきた噂には否定も肯定も返さずに、仕事があるのはありがたいね、と涼しげに笑った。おそらくその噂は真だった。

「でもなんか分かる気ィするもんね。ドア開けてマキみたいなのがいたらちょっと嬉しくね?」
「なにそれ?」
「年上の女にモテるタイプじゃん、マキ

ぶっちゃけ何人食った?とフロイドの直球な問いに、アズールが露骨に眉をひそめた。

「下品ですよフロイド。はしたない」
「出たよアズールのお嬢さんムーブ。家ん中まで入って茶ぁ飲むだけで済むわけなくねぇ?」
「あーやだやだ。理性がないんですか貴方には」
「は?超失礼」
「でも、誘われたことはあるでしょう」

アズールとフロイドの小競り合いを断ち切るようにジェイドが言った。
水を向けられたマキは少しだけ意外そうに目を瞬いた。この手の話題にジェイドが乗っかってくるなんて珍しい。いつもならマキも曖昧にはぐらかそうかと思うところを、そんなに気になるなら、と居住まいを正して正直に答えることにした。

「まあ、多少はね」
「まあ多少はね!?!?!!」
「うるさ。アズールうるさ」
「でも全部一回限りだったから」
「ワンナイトラブ?」
「配達は昼間だったから、ワンアフタヌーンラブになるのかね」
「どうでもいいですそんなことは!え?マキ、あなた、えっ?いっ、いいい、致したんですか?!」
「どもるね〜」
「見ず知らずの女性と!?」
「誘われたらね」

青ざめるアズールと、やっぱりねなんて言いながら白けた目をするフロイドに挟まれながら、ジェイドは言い知れない感情に襲われていた。
マキに特定の連れ合いがいないことは知っている。誰かに懸想しているという話も聞いたことがない。若くて力があって爽やかに笑うこの男が、女性の性欲をくすぐることも想像がついた。
ただ、それだけで、とジェイドは思った。
ただたまたまマキの配達先の客で、女性で、彼を誘ったというだけで、ベッドを共にすることができるなんて、なんて不公平なんだと思った。ジェイドとマキがお互いに稚魚のみぎりに出会ってから幾年月、この歳になるまでのどこにもそんなチャンスは訪れなかったのに。

これは出すぎた友情なのか、とジェイドにふと疑念がよぎった。
自分がマキに対して性欲込みの情愛を抱いているのか、それとも大事な友人を見知らぬ女に取られたことへの嫉妬心なのか、その時のジェイドには判別がつかなかった。

「もうやらないよ。バイトも辞める」

考え込むジェイドの表情をどう解釈したのか、マキは困ったように笑いながらそう言った。一瞬取り繕おうと言葉を探したジェイドは、少しだけ逡巡して「ぜひ、そうしてください」とだけ返した。
まごうことなく本心だった。







それからほどなくしてナイトレイブンカレッジに入学する時期がやってきた。
今まで海の中で暮らしてきた人魚には、地上で生活するための足が必要になる。

下準備のため、近くの岬にやってきたアズール達は水面に顔を出すと露骨に顔をしかめた。海の底から泳ぎ上がってきた地上は、太陽が水面にぎらぎら反射して人魚の目にはいささかうっとおしい。

それでも何年かぶりの海の上に、うわなっつ、とフロイドが感嘆した。むかし、二足歩行や呼吸の訓練を兼ねた社会科見学として、彼らは何度かこの場所を訪れたことがあった。地上の遊びに興味を示さなかった彼らにとって、陸に上がるのは授業以来のことだ。
フロイドは岩場に腕を組んで顎を乗せながら、三人のやり取りをぼんやり眺めた。肌を撫でる風がうっとうしくも新鮮だった。

「服と、靴と、あと何がいるかな」
「測るものは?」
「メジャーがあります」
「え?なに測ンの?」
「制服の採寸をしないといけないでしょう」

魔法薬の瓶を透し見ながらアズールが答えた。メジャーを取り出したジェイドが適当に目盛りを引き出してみせる。

「学園に制服の申請が必要なんですが、まず身体のサイズを把握しないことには。陸での生活には着衣が必須なようなので」
「ふーん。だる」
「それがルールなら従いましょう。さて、誰からいきますか?」
「僕かな」

ザバッと水面から体を引き上げたマキが硬い岩に腰を下ろした。長い尾ひれだけが水の中でゆらゆら揺れる。
まだ海に浸かったままのアズールが、納得したように鼻を鳴らしてマキに瓶を投げ渡した。

「あなた、昔から陸での呼吸が得意でしたからね」
「なんか向いてんだよね。肺呼吸」
「二年のときさー授業で街行ったとき一人だけ最後まで平気な顔してたよねぇ。オレもジェイドも結構序盤でバテてたのに」
「アズールがグロッキー状態になってしまった時の話ですか?」
「そーそー。最終的にマキに担がれて帰ってきたやつ」
「昔の話です!」

果たして1年前は昔と言えるのか。
三人の会話を聞きながら瓶の中身を飲み干したマキが、肩をぶるると震わせた。自然と眉間に皺が寄る。

「魔法薬どんな感じ?」
「ゲロマズ」

隣で頬杖をついてマキを見上げていたフロイドも露骨に顔をしかめた。

「うーわ。マジ?ワンチャン美味しくなってる可能性に賭けてたんだけど」
「授業で飲んだあの味そのまま」
「うっわ最悪。飲みたくなっ」
マキ、タオルと服はその袋の中に」
「うん」
「念のため口直し用のキャンディも入ってます」
「ジェイドくん天才だね」
「やば。用意よすぎね?」
「フロイド…。貴方が去年まずいまずいって大騒ぎしたんでしょう」
「そーだっけ」
「うわーきたきたきた、足。足生えてきた」
「おお」
「すっごいむずむずする。うわーうわー。こんな感じだったっけ?」
マキ、ちょっと背が伸びたんじゃないですか?」
「えっそう?去年の服だけど入るかな」

水気を拭き取った出来立てほやほやの足をスラックスに通したマキは、裸足のまま何度か屈伸してみせた。手には水かきもウロコもない。見慣れない肌の色に違和感を感じつつも、動作や体調に問題はなさそうだった。

「ん。いけそう」
「ちょっと丈が短いですかね」
「アズール、マキに身長抜かされたかもねぇ」
「僕だって成長過程です」
「じゃあ次アズール、いきますか」
「え、い、いいでしょう」

少しだけたじろぐ様子を見せたアズールはそれを誤魔化すように眼鏡のブリッジを押し上げた。
その脳裏には1年前の悪夢のごとき体験がフラッシュバックしている。アズールはとにかく陸が苦手だった。

「大丈夫だって。マキがいるじゃん」

フロイドが何とは無しに、あっけらかんとそう言った。何が大丈夫なものか。それでもつられたアズールが視線を向けると、マキは目を細めるように笑って両手を広げてみせた。ノリのいい男だった。

「抱きしめててあげようか?」
「結構です!!」
「いけず」

そう言いつつも、アズールの腕をとって海から引き上げるマキとその手を払いのけないアズールに、ジェイドの胸がチクリと痛んだ。
何故だ。何もおかしなことはないはずだ。
ぐるぐると思考を巡らせながらも、1年前にも同じような胸の痛みに襲われたことを思い出した。
確か、その日もこの四人でいたはずだ。







1年前、陸での二足歩行のテストを兼ねた社会科見学も終わりにさしかかった頃。
陸慣れしたマキと、慣れない二足歩行にいくらかバテた双子と、具合悪そうに呻くアズールが海へと帰る途中に、とうとうアズールが限界を迎えてしまった。

「本ッ当に気持ち悪い………」
「ジェイドやばい。アズールがもう無理っぽい」
「まぁ、いきなり足の数が4分の1ですからね。バランスが取り辛いんでしょう」
「あー陸酔いってやつ?」
「うぅ…」
「うわ、顔色やべぇよぉ。真っ青じゃん」
「ふ、ふん。平気、です、この程度…」
「強がってどうするんです」

いよいよダメかもしれない。目がぐるぐる回り出したアズールの様子を見て、ジェイドはさっさと海に帰ってしまわなければと思った。陸にいる以上彼のグロッキーが治ることはないだろう。
街中は人通りが多く、空気の匂いがやたらに濃い。慣れない陸の平衡感覚に酔ったアズールには環境そのものが毒だった。
こらえきれない吐き気を感じてふらつくアズールの体を、唐突にマキがぐっと抱き寄せた。耳元に落ちてくる声に肩が跳ねる。ジェイドは思わず歩みを止めてしまったが、誰も気付く者はいなかった。
恐る恐る見上げた先のマキが珍しく笑っていなかったので、アズールは少し驚いた。

「え、マキ…?」
「アズール」

口元に差し出された手に、目が点になる。


「出して」


ハァ!?

冗談じゃない!
マキの手にゲロなんか出せるか、とぎょっとしたアズールが目で訴えた。しかしマキは本気だった。真顔のまま、じっとアズールの目を見つめて逸らさない。
その間も吐き気の波は容赦なくアズールの胃を荒らし立てた。

「な、にをバカなこと…」
「出した方がいい。楽になるよ」
「冗談じゃない…」
「いいから」
「絶ッ対、嫌ですッ」

掠れた声で抗議するアズールの額には玉のような汗が浮かんでいる。人一倍プライドの高いアズールにとって、それだけは譲れなかった。どこに友人の手をゴミ箱替わりにする奴がいるのか。バカじゃないのか。そんなことをしてマキに嫌われたらどうするんだ。お前が責任を取れるのか。
疲労と吐き気に奪われた滅裂な思考回路で目の前の男を恨みがましく思いながら、アズールはキュッと唇を引きむすんだ。
それを見てマキが柳眉をひそめる。

「…頑固だな」

冷たくすら聞こえる声音だった。

ついに睨めっこに負けたマキがアズールの頭を素早く抱き込んだ。肩口に押し付けられたアズールの表情は読めないが、肩がせつなく震えたのが数歩後ろで様子を伺っていたジェイドにも見て取れる。おそらく彼はもういっぱいいっぱいだった。
その表情や声音とは裏腹に、マキの手がアズールのうなじを優しく撫でるので、ジェイドの腹の中がざわめいた。なんだ。なんなんだその手つきは。

「そんなに吐きたくないなら、肩でも噛んでて」

アズールの腕を首に回させて、マキはアズールの体を横抱きに持ち上げた。相変わらず力持ちだねぇ、とフロイドが少し呆れたような調子で言う。

「さっさと帰ろう。走るよ」
「揺らすと吐いちゃうんじゃね〜のぉ」
「知らない。我慢して」
「だってさアズール。がんばろね」
「……」

難しいことはもう考えられなくなったアズールはうんともすんとも言わなかった。ただ返事の代わりに残った力でマキの首っ玉にかじりついた。また、ジェイドの胸の奥がじくじく痛む。

マキ怒ったねぇ。超レアじゃね?」
「…」
「ジェイド?」

フロイドの問いかけにジェイドはなにも答えなかった。
マキは怒ってなんかない。
ただアズールの体を案じただけだった。

海に戻って本来の姿に戻ると、アズールはいくらか調子を取り戻した。意地でも吐くまいとマキの肩に齧りついていたおかげで、道中彼が粗相をすることはなかった。そのかわりマキの肩には歯型がくっきりと残っている。

「鮫にでも噛まれたみたいですね」
「う、いや、僕は…その…」
「激しめのセックスしたみたいに見えんね」
「ハァッ!?!!?!」
「アズール、水飲んどきなよ」

双子にからかわれて真っ赤になってしまったアズールにボトルを差し出しながら、マキは平然としている。
まだ残る気だるさと羞恥心にくらくらする頭で何か言い訳めいたことを言おうとしたアズールは、自分が付けた歯型を見るともう何も言えなくなってしまった。

「ありがとうございます…」

結局諦めて、消え入るような声でお礼の言葉を呟くことしかできなかった。受け取ったボトルは開けやすいように蓋が少し緩んでいる。急に優しくするじゃないか、と先ほどまでの態度を思い返して、ボトルを握りしめながらアズールは恨みがましくすら思った。
さっきまでのマキは少し怖かったのに、今はいつも通りに見える。

「ん?」
「…」
「なに?」
「…」
「ああ、はいはい」

せめてもの抗議だと無言で物言いたげな目をするアズールの視線を受けて、マキは少し考えるそぶりを見せつつも、すぐに得心がいったように頷いた。
アズールに向かって両手を広げて、微笑んでみせる。


「おいで」


は?
アズールが何か反応する前に、フロイドが腹を抱えてひっくり返った。ケタケタ笑いながらあたりを転げ回っている。ジェイドもさすがに不意を突かれて失笑をごまかせない。アズールは、そんな二人の笑い声を背中に受けて、とうとう怒った。触手でマキの頭をめいっぱいはたいて顔を真っ赤にして怒った。

「バカですかあなたは!!」
「いたっ!え?抱っこじゃないの?」
「誰がそんなこと頼みましたか!!!」
「ヒッ、ヒーッ!…!、……!!」
「ふ、ふろいど、そんなに笑っちゃ可哀想ですよ」
「全員!!そこに!!直れ!!!!」

本気で子供扱いとは許すまじ。怒髪天を突く勢いの説教はこんこんと続いた。人魚の体には酷である正座に三人が根をあげるまで延々と。

正直、その場では思わず笑ってしまったものの、ジェイドはアズールを少し羨ましく思っていた。アズールのプライドが山のように高くて良かったと思う。マキが彼を抱きしめる姿は見たくなかった。
自分だったら、と考えずにはいられなかった。







「アズールはマキが大好きだもんねぇ」

ナイトレイブンカレッジに入学して2年が経った今でも、マキとアズールの関係は変わっていない。
カウンターの奥でやり取りする二人を眺めながらフロイドが呟いた。

「アズールってば嬉しそーにしちゃってさ」

テーブルに突っ伏したまま働く気のないフロイドに代わって、マキがアズールに仕事を貰いにいったときの顔といったら。
オクタヴィネル寮生のくせにモストロラウンジに入り浸ることのないマキがそこにいるというだけで、浮き足立っているのが遠くからでも見て取れた。

「頼られるのが嬉しいんでしょう」
「普段そんなことないもんねぇ」
「…」
「ほんと、マキがだぁいすきだよねぇ。アズールは」

傍に立って同じように二人の様子を伺っていたジェイドの視線がフロイドに落ちた。
どの口が言っているのか。

「フロイドは違うんですか?」
「オレ?」
「あなたもマキがお気に入りでしょう」
「あー…?」
「違うんですか?」
「いや全然ちげぇわ。なんならたまに嫌いだし」
「……どうして?」
「オレのもんじゃないから」

あまりにもストレートな言葉にジェイドは返答に詰まった。フロイドの性格上、予想通りといえばそうだった。ただ、ジェイドが今までずっと感じてきたことをあっさりと言語化されたので、思わずたじろいでしまったのだ。

「ジェイドもそうじゃん」

しかもバレている。

「……どうでしょうか」
「最近さー、小エビちゃんとも仲良いじゃん。あれ超ムカつくんだよね。なんでだろねぇ」

少し前に現れた風変わりな監督生を思い出して、思考をかき消すようにフロイドはハットを目深にかぶった。
人当たりのいいマキと監督生が良好な関係を築くのは当たり前のことだったし、フロイドだって監督生のことは嫌いじゃない。面白い人間だと、あの騒動を経た今ではそう思う。
ただ、会って数ヶ月かそこらの人間に対して、自分たちに向けるものと全く遜色ない優しさを見せるマキの姿にモヤモヤしてしまうのだ。

「小エビちゃんよりオレらの方が大事っしょ?さすがに」
「まあ、そうですねぇ」
「何年の付き合いだと思ってんだよぉ」
「10年くらいかな」
「タイミング良すぎてうぜー」

横から口を挟んできたマキに、フロイドは本格的にうなだれた。
「思い出話でもしてた?」マキはそう言いながらフロイドの前にグラスを差し出して、自分も横に腰を下ろした。
窮屈になった分少しだけ奥にずれてやりながら、フロイドは横目で見つつやけ酒でもあおるように目の前のグラスの中身を飲み干した。「別にぃ」炭酸の泡がのどで弾ける感覚がする。

「うわ炭酸水まじぃ。めっちゃ目ぇ覚める」
「だから持ってきたんだよ」
マキ。アズールはもういいんですか?」
「奥で帳簿付けるって。フロアはジェイドくんに任せるって言ってたよ」
「そうですか」
「で何の話?」

頬杖をつくフロイドの顔をのぞきこむマキに、ことさら深いため息が出た。

「別になんもないし。マキが小エビちゃんとラブラブでうぜーって話」
「監督生さん?」
「今日も一緒にいましたよね」
「魔法薬学が被ったからね」
マキってさー」
「うん」
「小エビちゃんのこと好きなん?」
「好きだよ」

でしょうね。
ジェイドは心の中で嘆息した。こんなことでいちいち反応することもない。マキならどうせそう言うだろうと思った。監督生を自分の名前に置き換えて聞いたってどうせ変わらない。マキはみんな同じく好きなのだ。
フロイドがげんなりして顔をしかめた。

「そーいうこと真顔で言えるからマキはモテんだろうね」
「僕?…モテないよ、別に」
「ぜってー嘘じゃん。中坊ンときやばかったでしょ。配達のバイトとかオンナ入れ食い状態だったじゃん」
「あれはなんか違わない?」
「…違うとは?」
「そのときだけっていうか。彼女たちにとって都合のいい遊び相手っていうか。誘ってきたの年上のひとばっかだったし。ちゃんと付き合ってたら面倒がられたと思うけど」
「ハァ?」
「君らはねぇ、僕を過大評価しすぎなんだよね」

昔からマキを爽やかだとかモテ男だとか嫉妬半分に囃し立てていたことを言っているのか。

「恋人にはもっと独占欲強いし、嫉妬するし、束縛もしちゃうし」
マキが?」
「そう。嫌でしょ?」
「そんなん、」

最高じゃん。フロイドは聞こえないように呟いた。
普段は誰にも何も求めてこないくせに、特別な相手にはそういうことをしてしまうのか、この男は。
その何分の一かを幼馴染に向けたってバチは当たらないんじゃねぇの?とこっそりひとりごちた。ジェイドもまったく同じことを思った。
あわよくば、その特別の一人になれたらとすら思う。

「あ」
「あ?」
「もしかして」
「?」
「やきもち焼いてる?君たち」

何を言ってるこの男。
ハットが頭からずり落ちて、ごん、と鈍い音を立ててフロイドの額がテーブルとぶつかった。あぶねっと慌てて空のグラスを避けたマキが、ぱちぱちと瞬きをする。

「えっ。すげー音したね。え?大丈夫?」
「うッッぜーこいつマジで……」
「なんで?」

テーブルに突っ伏したフロイドとずるずるとしゃがみこんでしまったジェイドを交互に見やって、さしものマキも動転した。

「なに?そのリアクション」
「急に核心をつくのはやめてください…」
「ええ?」
「なんで急に察し良くなってんのこいつマジでうざいんだけど」
「なに怒ってんの」
「怒ってねぇし」

怒ってるじゃん。とりあえず伏せたままのフロイドの髪をかきまぜるようにして撫でてやる。反対の手でジェイドにも同じようにしてやった。
ひとまず反抗はしない二人に、マキは乱暴なウツボを二匹手懐けたような気分になった。でも図星をついて怒られるような覚えもない。

「怒ることないじゃん。それとも照れてるだけ?」
「今更照れもクソもありませんが…」
「ジェイドくんがクソって言った…」
「どうせ」
「ん?」
「どうせバカだなって思ってるんでしょう」
「は?」
「僕とフロイドのこと、監督生さん相手にも嫉妬するような、扱いづらくて面倒な友人だと思ってるんでしょう」
「…」
「みんながみんなマキみたいに淡白じゃないんですよ」
「ジェイドくん…」
「…」
「そっか…」
「…」


「キスしていい?」


「なんッでだよ!!」

反射的にフロイドがテーブルを叩いて立ち上がった。「ってもうしてるし!!」膝をついたジェイドの顎をすくって唇を重ねるマキの後頭部を思わずはたいた。ジェイドは目を見開いて放心した。二の句が告げないどころじゃない。

「なんッでそうなんのぉ!?」
「フロイドもおいで」
「えっ、ホントのやつ?」

振り向いたマキが立ち上がったフロイドの襟首をつかんでぐっと引き寄せた。唇が合わさるだけの優しい触れ合いでも、確かに本当のキスだった。

「え、な、なん、なんでぇ?」
「急に可愛いこと言い出すから」
「なにそれ…」

よしよしともう一度二人の頭を撫でながら、マキは目を細めて笑みを刷いた。
愛でるような所作に、実家のペットでも可愛がっているつもりですか、と嫌味を言おうにも、心臓がうるさくてそれどころじゃない。

「僕のこと博愛主義者か何かだと思ってない?ふつーに君らのこと大事だよ」
「え、こ、小エビちゃんより?」
「比べるもんじゃないけど、監督生さんにキスはできないね」

付き合ってきた年数考えてよ、と唇を尖らせるマキにジェイドはとうとう観念した。好きだ、と思った。これまでマキと過ごしてきて彼からキスされたことも、ましてや彼が誰かにキスをするところも見たことがなかった。
僕らが特別なのか、とそう思った。それだけで心の奥底に沈殿した嫉妬心がみるみる融解していくので、なんて単純なんだと我がことながら笑えてくる。

「だからってなんで急にそーいうことすんのぉ?意味わかんねぇ」
「嫌だった?」
「もっかいして…」
「はいはい」

ぐずる子供をなだめるみたいにフロイドの前髪をかきあげて額に口付けた。ジェイドにも同じように唇を落とすので、冷静さを装うのに必死になる。

「あ」
「…」
「てことは、あっちもかな」

二人の頬をすべるように撫でながら、思いついたようにバックヤードに目をやった。ちょっと行ってくる、と言い残してさっさと奥へと消えていくマキはとにかく腰が軽い。まさか、と二人が目を合わせる。
ジェイドとフロイドには、顛末がたやすく想像できた。



「◎△$♪×¥◯&%#!!?!!!!?!?」



やがてつんざくような悲鳴が聞こえたあと、茹でタコみたいに真っ赤になったアズールと左頬にくっきりと手形を残したマキが出てきたので、双子は腹を抱えて大笑いすることになった。








分岐します。
2020.6.12
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