短い話
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※恋愛ゲームのキャラ「鏑木さん」が登場しますが知らなくても全く問題ありません。
「鏑木さんに会いたいな」
ホームシックも極まれりというやつで。
朝も、昼も、夜も、夢の中でさえも毎日そんなことを考えていたせいか、ついに声に出してしまっていたことに、しばらく気が付かなかった私だった。
エースさんとデュースさんによる喧嘩さながらの会話がパタリとやんで、おかしな沈黙が流れて視線を感じてからようやく我に返った。なんだかいたたまれない空気をコホンと咳払いしてごまかした。
二人はなぜだか固まっていた。
歯磨きをしながら鏑木さんのことを、ごはんを食べながら鏑木さんのことを、授業を受けながらも頭の隅っこで鏑木さんのことを思っていたせいで、ああ、とうとう独り言まで出てくるようになっちゃった…。
鏑木さんというのは私の憧れの人…というか好きだった人で、ていうか今でも好きなんだけど、会いたいけど会えないような人だった。この世界に来ることがなくたって、もともと会えないような人だった。
私がなけなしのバイト代を捧げた鏑木さん。
恋愛ゲームのいちキャラクターである鏑木さん。
画面越しでしかその笑顔を見ることはできなかったけど、今となってみれば、それがどれだけ贅沢だったかってこと、よく分かる。
今この場所においてはログインすらままならないのだ。
「あー、あ、あ、鏑木さんに会いたい…」
「は?」
「は?」
「会いたいなぁ…」
一度口に出してしまえばおしまいだった。
受け取れなかったログインボーナスのこととか、今頃始まっているイベントの数々なんかもどんどん思い出してしまって、へろへろとベンチに座ったままうなだれた。
私の横でトレイさんお手製クッキーを奪い合っていたはずのエースさんとデュースさんの狼狽する声が聞こえてきたけど、取り繕うのも面倒だな。
いまどきホームシックかよ、とか、弱っちく思われたくない小さな矜持もあっという間に萎んでしまった。あっちの生活に未練があるのは事実なんだから、へんに意地張ったってむなしいだけだった。
ああ、鏑木さんの笑顔が見たい。お母さんのごはんも食べたいし。
「おい、おい。カブラギって誰だ?」
「知らねえよ俺に聞くな。おい!」
「鏑木さんは…」
「…」
「…」
「素敵な人です」
「違ぇーだろ!」
そうじゃなくてぇ、なんて苦みばしった口調で詰め寄ってくるエースさんがなんだか他人事みたいにぼやけて見えた。
鏑木さん、素敵な人だったな…。その笑顔や声がとたんに思い出されて心に熱いパトスが沸き立った。次のイベントではどんな一面が見られたんだろうか。そう思うとやるせなくてたまらない。
ああ、この世のテーゼ、あまりにも残酷だな…。
「なあ、そのカブラギサンって……男?」
「え?」
「男か?女か?」
「どっちでもいいんだゾ…」
「よくねぇよっ!」
私の膝の上でうたたねしていたグリムが煩わしげに鼻をヒクヒクさせた。実家のネコちゃんに似てて、かわいい。
「コイツの性的嗜好が男である以上どうでもよくない!」
「エース!難しい言葉を使うな!」
「うるせーッバカは黙ってろ!」
「どっちもバカなんだゾ……。三木〜」
「うん」
おいしいクッキーをお腹いっぱい食べたグリムはどうやらおねむのようだった。朝からみっちり難しい授業を受けて、お昼もごはんをたらふく食べて、放課後にだめ押しのオヤツとくれば眠たくもなるというものだ。本格的にうとうとし始めたグリムは私の膝よりも自分のベッドが恋しいようで、そうなれば私も足のしびれからはおさらばだ。
「そろそろ寮に戻ろうかな」
「は?バカ!」
「三木おまえバカ!」
「なんで?」
エースさんとデュースさん、こないだまで頭にイソギンチャクを生やしていた二人からのバカ呼ばわりはさすがに解せない。3バカ+1の「+1」を担っている自負がある以上捨て置けない言葉ではあったけど、なんだか二人がやけに真に迫る勢いだったのでつい鼻白んだ。もしかして、4バカなのかな…私込みで…。
「3でも4でもどっちでもいいよ!」
「カブラギとやらの話だろう!」
「鏑木さんの?」
「そう!」
「鏑木さんの話がしたいの?」
今度は二人が怯む番だった。
一瞬言葉に詰まったエースさんは、やがてこくりと頷いた。彼の頬に伝う冷や汗の意味も分からないままに、返事の代わりに瞬きをした。
「三木、お前、そのカブラギに会いたいの?」
「うん…」
「なんで?」
「なんでって…」
「…」
「…」
「好きだから…」
そうとしか言いようがなかった。
またあの笑顔を見るために、学園長にはぜひとも頑張って帰る方法を見つけてもらいたいし、私もそのためにできることを頑張るつもりでいるのだ。
お母さんのごはんと同じくらい、鏑木さんの存在は私にとって無くてはならないものになっていた。
「マジかよ…」
「…」
「どんな奴なの?」
「鏑木さん?えーと」
「付き合ってるのか?」
「付き合っ………」
「…」
「…」
「つ、つき、付き合っ、付き合っ………ては……ない……」
嘘です。本当は付き合ってました。
攻略したルートではデートして告白されて付き合ってキスまでしたから私と鏑木さんは立派な恋人同士なんだよね…。初めてのデートは浴衣着て花火見て「似合ってますよ」なんて褒められて、ちょっとしたすれ違いから突き離されたりもしたけど、ついに思い通じ合って唇を重ねたことまでハッキリと覚えてる。
でも、エースさんとデュースさんに鏑木さんに対する思いをうまく説明できる気がしなかった。
確かに付き合ってる、付き合ってるんだけど、私にとって鏑木さんってまだ遠い存在の人で…憧れっていうか…まだ隣に立てるような人じゃないんだなぁ。気持ちがストーリーに追いつけていなかった。
「そいつに会いたいの?」
「うん」
「じゃあ、お前、帰りたいのか」
「うん」
「いやだ」
「え?」
「帰るな」
「え?」
「帰るな」
「なんで?」
「絶対、帰るな」
「怖…」
デュースさんの優等生ぶれてないまっすぐな視線、たまにちょっと怖いんだよね…。目力の強さは意志の強さ…。
横のエースさんもこれには少し引いているような様子で、でも何も咎めようとはしなかった。
私だって、嬉しいよ。怖いけど…。帰らないでって言われたら帰りたくないなって思うくらいに、この場所に愛着を持っていたりもするのだ。怖いけど…。二人のことは大切に思ってるし、いつか来る別れは本当につらいと思う。
でもね、鏑木さんとのお別れもすっごく悲しかったんだよ。
「でも…鏑木さんに会えないと死んじゃうからな…」
「は?俺も死ぬが」
「怖…」
「怖…」
「は?エースお前、他人事みたいな顔してんなよ。お前だって三木がいなくなるのは嫌だろう」
「いや絶対嫌だよ。絶対嫌だけどそれはそれとしてお前は怖い」
「は?」
「あ?」
「ど〜しようもないんだゾ…」
眠気まなこのグリムがぼやいた。あのグリムに呆れられるなんて相当だね、どうしようもないねと笑うとお前が言うなと怒られた。ひ、ひどい…!
「つーか鏑木って誰なんだよマジで!」
「素敵な人だよ」
「それはさっき聞いた」
「どのへんが…好き…なわけ?」
「鏑木さんは、かっこよくて」
「…」
「背が高くて、物腰も柔らかくて」
「…」
「紳士なんだけど遠慮がなくて、わりと意地悪で、たまにキツイことも言うけど…」
「…」
「ほんとは優しい」
出会った当初はけっこう厳しく当たられたことを思い出して、なんだか涙が出そうだった。
あなたに興味はありません、とまで言われたあの頃から今こうして結ばれるまでのストーリー構成が完璧すぎて、ライターさん、素晴らしい物語をありがとう…といつも感涙してしまう。
鏑木さん、大好き。早く会いたいな…。
「……なんか、俺、その人知ってる気がするんだけど」
「ああ。俺もそんな気がした」
「俺様もなーんか覚えがあるんだゾ」
「え?」
そんなはずはないのに。三人が腕を組んで悩む様子を眺めながら、頭の中の鏑木さん像をもう一度よく思い浮かべてみた。
こっちの世界の人が知るはずもない、ともすれば、元いた世界でだって恋人と認めてもらえない可能性がある人なのに。(「現実にいない」ことがネックに感じる人もいるらしい。おかしい。鏑木さんという概念が存在している以上私と彼が恋愛できない理由はない)
と、
「浮かない顔をしていますね」
前触れもなく降ってきた声に、私たちは揃って顔を上げた。
「え?」
「あっ」
「あっ」
私にそそぐ陽の光を見事に遮ってくれたジェイドさんが、逆光の中でいつものように得体の知れない笑みを浮かべていた。アズールさんとフロイドさんが一緒ではないところを見ると、オクタヴィネル寮に戻る途中に通りがかったということかな。
私は彼を見かけても声をかけたりはしないと思うのに、ジェイドさんはいつも話しかけてくれるのでマメな人だなぁとたびたび感心している。
「ジェイドさん。こんにちは」
「随分と真剣なお話をされていたようですが」
私の目の前に立ちふさがるように現れたジェイドさんが、ベンチに座ったままの私を見下ろして小さく首を傾げた。この人、ほんと大きいな。見上げるだけで首が痛くなっちゃいそう…。
「はぁ、ちょっとした雑談を」
「そうですか」
そう言いながら視線を滑らせたジェイドさんがエースさんとデュースさんを見とめて眉をひそめた。なんだか不自然に立ち上がった二人がジェイドさんを凝視しているので、何事かと訝しげに伺っている。
二人とも、ジェイドさんが現れたことにそんなに驚いちゃってるのかな。彼の神出鬼没ぶりはここしばらくでだいぶ慣れたものだと思っていたけど。少なくとも私は慣れちゃったよ。
ハッと、エースさんが何かに気付いたように手を打った。
「分かった!!」
「え?」
「コイツじゃん!!」
「はい?」
ビシリとエースさんの指がまっすぐジェイドさんを指さした。露骨に顔をしかめたジェイドさんに畳み掛けるように「そうだ!」とデュースさんのストレートな大声が乗っかる。なんだなんだなんだ。
「コイツじゃん!三木、お前がさっき言ったヤツってもろコイツじゃん!」
「え?」
虫でも払いのけるみたいにエースさんの手をあしらいながら、話の読めないジェイドさんが「なんなんですか」と口を挟んだ。絶対そうじゃん!ムカツク!と語気を荒げるエースさんと悔しそうに歯噛みするデュースさんは地団駄を踏むばかりで、何も答えない。ははあ、なるほど…。私はなんとなく理解した。グリムは興味を失ったようにあくびしている。あ、かーわいい。ネコちゃん。
「絶対コイツだろ!まずかっけぇ!」
「うん」
「はい?」
「そんで背がたけぇ!物腰も柔らかい!」
「うん」
「何ですか?」
「紳士ぶってるけど遠慮ねーし、意地も悪いし、普通にキツイこと言ってくる!」
「そうかも」
「ちょっと、何の話ですか?」
「あと、えーと…なんだっけ…」
「ほんとは優しい?」
「それ!本当は優し…………」
「…」
「………くはないなぁ…………」
「ちょっと」
悪口ですか?とギザギザした歯をのぞかせるジェイドさんを、下からとっくりと見上げてみる。
確かに、ジェイドさんはかっこいいし、背は高すぎるくらいに高いし、やりとりは丁寧だし、紳士なふりしてキツイことをサラッと言う。
言われてみれば、鏑木さんと似ているところが多かった。
「ほんとだね、鏑木さんみたいだね」
「でも優しくはないだろ」
「そうかな。ジェイドさん優しいよ」
「…」
「多分、ふつうに」
性格に多少問題ありと言えなくはないけど、アズールさんもフロイドさんも、個々のルールの中では理不尽に厳しい人ではないことを私もエースさん達も知っていた。倫理観があるかどうかはさて置いて、敵じゃなければ何事もなく会話が続くんだなぁと話しかけられるたびに思っていた。
思いやりがないとコミュニケーションって成り立たないものだから、ジェイドさんにも最低限の優しさはあるんじゃないかな。多分、そこそこ、普通くらいには。
「話がよく見えませんが、褒められているということでよろしいでしょうか」
「あ、いや〜、どうかな…」
「違うんですか?」
「ジェイドさんが私の好きな人に似てるっていう話だから」
「はぁ?」
ジェイドさんの長い指が私の顎をひっかけてくいと上向きにされた。近付いたオッドアイが綺麗だな、と思う。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味で…」
「はっきり仰ってください」
「え、やだ…」
「はぁ?」
「いたたたたた」
遠慮のない力で頬を挟まれて一も二もなく降参した。あのねぇジェイドさんは理性のあるフリしたいじめっ子だから怒った時が怖いんだよね…。優しさと恐怖を絶妙にコントロールしてるとこ、あるよ。
私みたいに魔法も使えないひ弱な女の子に純粋な握力使わないでほしいんだよな…。そこらへんは全然、優しくないなと思う。
「あなたの、好きな人が、なんですって?」
「ジェイドさんに似てるなぁって…」
「…」
「…」
「…好きな人がいるんですか?」
「えっ、まぁ、はい…」
「誰ですか」
「えっ」
「誰ですか」
「ジェイドさんの知らない人ですよ」
「学年は?クラスは?部活は?外見は?」
「めちゃくちゃ根掘り葉掘ってくるじゃん…」
「はぁ?」
「いたたたたた」
舐めた口を聞いた私の頬を容赦なく掴み上げたジェイドさんが、そつのない笑みを浮かべたままその瞳に険のある色をにじませたのがよく分かった。よく分かるほどに近かった。鼻の頭がくっつきそうなほど近くに迫った迫力の美貌の持ち主が明らかに怒っているので、エースさんやデュースさんもお手上げ状態を文字通りホールドアップで表していた。どうして…助けてほしいよ…。
「不愉快ですね」
「へぁ」
「非常に不愉快です」
「(二回言った)」
「僕を差し置いて、どこの誰とも知らない輩にうつつを抜かしているなんて」
「言い方…」
「虫唾が走ります」
「言い方がね…」
「さっさと諦めていただけますか?」
「理不尽すぎませんか?」
ジェイドさんにそんなこと言われる筋合いないんですけど…とは口には出さなかったものの、当然のように見抜かれていた。
「いけない子ですねぇ」なんてうっそりと歯をのぞかせながら囁くジェイドさんが怖すぎて、どこが鏑木さんに似てるんだろうと今更ながらに思った。紳士どころか、インテリヤクザのオーラががっつり出ちゃってます。反社会の気風を感じる。
「そんなに…」
「え?」
「そんなにその男が好きなんですか」
「はあ、好きです」
「どのようなところが?」
「えっ…」
「…」
「えっと、かっこよくて」
「…」
「背が高くて、物腰も柔らかくて」
「…」
「紳士なんだけど遠慮がなくて、わりと意地悪で、たまにキツイことも言うけど…」
「…」
「ほんとは優しいとこ…」
「…」
「…」
「僕で…」
「え?」
「僕でよくないですか」
「え?」
「僕が代わりにはなれませんか」
「ジェイドさん?」
頬を掴んでいた右手が輪郭を滑って左頬に添えられた。長い指先で目尻をくすぐるジェイドさんが、先ほどとは打って変わって切なげに私を見つめていた。成り行きを見守っていたエースさんとデュースさんが息を呑む気配が伝わってくる。
手袋越しに確かな人肌を感じながら、私は、何を言っているんだろうなと思った。
「いやならないですよ」
「…」
「ジェイドさんと鏑木さんは似てるだけで別人だし…」
「…」
「似てるだけじゃ代わりになんないですよ」
「…」
「ジェイドさんだって似てるからって理由でフロイドさんの代わりにされたくないでしょ」
「…」
むごい、とエースさんの呟きが聞こえた気がした。
論破すな。
2020.4.27
「鏑木さんに会いたいな」
ホームシックも極まれりというやつで。
朝も、昼も、夜も、夢の中でさえも毎日そんなことを考えていたせいか、ついに声に出してしまっていたことに、しばらく気が付かなかった私だった。
エースさんとデュースさんによる喧嘩さながらの会話がパタリとやんで、おかしな沈黙が流れて視線を感じてからようやく我に返った。なんだかいたたまれない空気をコホンと咳払いしてごまかした。
二人はなぜだか固まっていた。
歯磨きをしながら鏑木さんのことを、ごはんを食べながら鏑木さんのことを、授業を受けながらも頭の隅っこで鏑木さんのことを思っていたせいで、ああ、とうとう独り言まで出てくるようになっちゃった…。
鏑木さんというのは私の憧れの人…というか好きだった人で、ていうか今でも好きなんだけど、会いたいけど会えないような人だった。この世界に来ることがなくたって、もともと会えないような人だった。
私がなけなしのバイト代を捧げた鏑木さん。
恋愛ゲームのいちキャラクターである鏑木さん。
画面越しでしかその笑顔を見ることはできなかったけど、今となってみれば、それがどれだけ贅沢だったかってこと、よく分かる。
今この場所においてはログインすらままならないのだ。
「あー、あ、あ、鏑木さんに会いたい…」
「は?」
「は?」
「会いたいなぁ…」
一度口に出してしまえばおしまいだった。
受け取れなかったログインボーナスのこととか、今頃始まっているイベントの数々なんかもどんどん思い出してしまって、へろへろとベンチに座ったままうなだれた。
私の横でトレイさんお手製クッキーを奪い合っていたはずのエースさんとデュースさんの狼狽する声が聞こえてきたけど、取り繕うのも面倒だな。
いまどきホームシックかよ、とか、弱っちく思われたくない小さな矜持もあっという間に萎んでしまった。あっちの生活に未練があるのは事実なんだから、へんに意地張ったってむなしいだけだった。
ああ、鏑木さんの笑顔が見たい。お母さんのごはんも食べたいし。
「おい、おい。カブラギって誰だ?」
「知らねえよ俺に聞くな。おい!」
「鏑木さんは…」
「…」
「…」
「素敵な人です」
「違ぇーだろ!」
そうじゃなくてぇ、なんて苦みばしった口調で詰め寄ってくるエースさんがなんだか他人事みたいにぼやけて見えた。
鏑木さん、素敵な人だったな…。その笑顔や声がとたんに思い出されて心に熱いパトスが沸き立った。次のイベントではどんな一面が見られたんだろうか。そう思うとやるせなくてたまらない。
ああ、この世のテーゼ、あまりにも残酷だな…。
「なあ、そのカブラギサンって……男?」
「え?」
「男か?女か?」
「どっちでもいいんだゾ…」
「よくねぇよっ!」
私の膝の上でうたたねしていたグリムが煩わしげに鼻をヒクヒクさせた。実家のネコちゃんに似てて、かわいい。
「コイツの性的嗜好が男である以上どうでもよくない!」
「エース!難しい言葉を使うな!」
「うるせーッバカは黙ってろ!」
「どっちもバカなんだゾ……。三木〜」
「うん」
おいしいクッキーをお腹いっぱい食べたグリムはどうやらおねむのようだった。朝からみっちり難しい授業を受けて、お昼もごはんをたらふく食べて、放課後にだめ押しのオヤツとくれば眠たくもなるというものだ。本格的にうとうとし始めたグリムは私の膝よりも自分のベッドが恋しいようで、そうなれば私も足のしびれからはおさらばだ。
「そろそろ寮に戻ろうかな」
「は?バカ!」
「三木おまえバカ!」
「なんで?」
エースさんとデュースさん、こないだまで頭にイソギンチャクを生やしていた二人からのバカ呼ばわりはさすがに解せない。3バカ+1の「+1」を担っている自負がある以上捨て置けない言葉ではあったけど、なんだか二人がやけに真に迫る勢いだったのでつい鼻白んだ。もしかして、4バカなのかな…私込みで…。
「3でも4でもどっちでもいいよ!」
「カブラギとやらの話だろう!」
「鏑木さんの?」
「そう!」
「鏑木さんの話がしたいの?」
今度は二人が怯む番だった。
一瞬言葉に詰まったエースさんは、やがてこくりと頷いた。彼の頬に伝う冷や汗の意味も分からないままに、返事の代わりに瞬きをした。
「三木、お前、そのカブラギに会いたいの?」
「うん…」
「なんで?」
「なんでって…」
「…」
「…」
「好きだから…」
そうとしか言いようがなかった。
またあの笑顔を見るために、学園長にはぜひとも頑張って帰る方法を見つけてもらいたいし、私もそのためにできることを頑張るつもりでいるのだ。
お母さんのごはんと同じくらい、鏑木さんの存在は私にとって無くてはならないものになっていた。
「マジかよ…」
「…」
「どんな奴なの?」
「鏑木さん?えーと」
「付き合ってるのか?」
「付き合っ………」
「…」
「…」
「つ、つき、付き合っ、付き合っ………ては……ない……」
嘘です。本当は付き合ってました。
攻略したルートではデートして告白されて付き合ってキスまでしたから私と鏑木さんは立派な恋人同士なんだよね…。初めてのデートは浴衣着て花火見て「似合ってますよ」なんて褒められて、ちょっとしたすれ違いから突き離されたりもしたけど、ついに思い通じ合って唇を重ねたことまでハッキリと覚えてる。
でも、エースさんとデュースさんに鏑木さんに対する思いをうまく説明できる気がしなかった。
確かに付き合ってる、付き合ってるんだけど、私にとって鏑木さんってまだ遠い存在の人で…憧れっていうか…まだ隣に立てるような人じゃないんだなぁ。気持ちがストーリーに追いつけていなかった。
「そいつに会いたいの?」
「うん」
「じゃあ、お前、帰りたいのか」
「うん」
「いやだ」
「え?」
「帰るな」
「え?」
「帰るな」
「なんで?」
「絶対、帰るな」
「怖…」
デュースさんの優等生ぶれてないまっすぐな視線、たまにちょっと怖いんだよね…。目力の強さは意志の強さ…。
横のエースさんもこれには少し引いているような様子で、でも何も咎めようとはしなかった。
私だって、嬉しいよ。怖いけど…。帰らないでって言われたら帰りたくないなって思うくらいに、この場所に愛着を持っていたりもするのだ。怖いけど…。二人のことは大切に思ってるし、いつか来る別れは本当につらいと思う。
でもね、鏑木さんとのお別れもすっごく悲しかったんだよ。
「でも…鏑木さんに会えないと死んじゃうからな…」
「は?俺も死ぬが」
「怖…」
「怖…」
「は?エースお前、他人事みたいな顔してんなよ。お前だって三木がいなくなるのは嫌だろう」
「いや絶対嫌だよ。絶対嫌だけどそれはそれとしてお前は怖い」
「は?」
「あ?」
「ど〜しようもないんだゾ…」
眠気まなこのグリムがぼやいた。あのグリムに呆れられるなんて相当だね、どうしようもないねと笑うとお前が言うなと怒られた。ひ、ひどい…!
「つーか鏑木って誰なんだよマジで!」
「素敵な人だよ」
「それはさっき聞いた」
「どのへんが…好き…なわけ?」
「鏑木さんは、かっこよくて」
「…」
「背が高くて、物腰も柔らかくて」
「…」
「紳士なんだけど遠慮がなくて、わりと意地悪で、たまにキツイことも言うけど…」
「…」
「ほんとは優しい」
出会った当初はけっこう厳しく当たられたことを思い出して、なんだか涙が出そうだった。
あなたに興味はありません、とまで言われたあの頃から今こうして結ばれるまでのストーリー構成が完璧すぎて、ライターさん、素晴らしい物語をありがとう…といつも感涙してしまう。
鏑木さん、大好き。早く会いたいな…。
「……なんか、俺、その人知ってる気がするんだけど」
「ああ。俺もそんな気がした」
「俺様もなーんか覚えがあるんだゾ」
「え?」
そんなはずはないのに。三人が腕を組んで悩む様子を眺めながら、頭の中の鏑木さん像をもう一度よく思い浮かべてみた。
こっちの世界の人が知るはずもない、ともすれば、元いた世界でだって恋人と認めてもらえない可能性がある人なのに。(「現実にいない」ことがネックに感じる人もいるらしい。おかしい。鏑木さんという概念が存在している以上私と彼が恋愛できない理由はない)
と、
「浮かない顔をしていますね」
前触れもなく降ってきた声に、私たちは揃って顔を上げた。
「え?」
「あっ」
「あっ」
私にそそぐ陽の光を見事に遮ってくれたジェイドさんが、逆光の中でいつものように得体の知れない笑みを浮かべていた。アズールさんとフロイドさんが一緒ではないところを見ると、オクタヴィネル寮に戻る途中に通りがかったということかな。
私は彼を見かけても声をかけたりはしないと思うのに、ジェイドさんはいつも話しかけてくれるのでマメな人だなぁとたびたび感心している。
「ジェイドさん。こんにちは」
「随分と真剣なお話をされていたようですが」
私の目の前に立ちふさがるように現れたジェイドさんが、ベンチに座ったままの私を見下ろして小さく首を傾げた。この人、ほんと大きいな。見上げるだけで首が痛くなっちゃいそう…。
「はぁ、ちょっとした雑談を」
「そうですか」
そう言いながら視線を滑らせたジェイドさんがエースさんとデュースさんを見とめて眉をひそめた。なんだか不自然に立ち上がった二人がジェイドさんを凝視しているので、何事かと訝しげに伺っている。
二人とも、ジェイドさんが現れたことにそんなに驚いちゃってるのかな。彼の神出鬼没ぶりはここしばらくでだいぶ慣れたものだと思っていたけど。少なくとも私は慣れちゃったよ。
ハッと、エースさんが何かに気付いたように手を打った。
「分かった!!」
「え?」
「コイツじゃん!!」
「はい?」
ビシリとエースさんの指がまっすぐジェイドさんを指さした。露骨に顔をしかめたジェイドさんに畳み掛けるように「そうだ!」とデュースさんのストレートな大声が乗っかる。なんだなんだなんだ。
「コイツじゃん!三木、お前がさっき言ったヤツってもろコイツじゃん!」
「え?」
虫でも払いのけるみたいにエースさんの手をあしらいながら、話の読めないジェイドさんが「なんなんですか」と口を挟んだ。絶対そうじゃん!ムカツク!と語気を荒げるエースさんと悔しそうに歯噛みするデュースさんは地団駄を踏むばかりで、何も答えない。ははあ、なるほど…。私はなんとなく理解した。グリムは興味を失ったようにあくびしている。あ、かーわいい。ネコちゃん。
「絶対コイツだろ!まずかっけぇ!」
「うん」
「はい?」
「そんで背がたけぇ!物腰も柔らかい!」
「うん」
「何ですか?」
「紳士ぶってるけど遠慮ねーし、意地も悪いし、普通にキツイこと言ってくる!」
「そうかも」
「ちょっと、何の話ですか?」
「あと、えーと…なんだっけ…」
「ほんとは優しい?」
「それ!本当は優し…………」
「…」
「………くはないなぁ…………」
「ちょっと」
悪口ですか?とギザギザした歯をのぞかせるジェイドさんを、下からとっくりと見上げてみる。
確かに、ジェイドさんはかっこいいし、背は高すぎるくらいに高いし、やりとりは丁寧だし、紳士なふりしてキツイことをサラッと言う。
言われてみれば、鏑木さんと似ているところが多かった。
「ほんとだね、鏑木さんみたいだね」
「でも優しくはないだろ」
「そうかな。ジェイドさん優しいよ」
「…」
「多分、ふつうに」
性格に多少問題ありと言えなくはないけど、アズールさんもフロイドさんも、個々のルールの中では理不尽に厳しい人ではないことを私もエースさん達も知っていた。倫理観があるかどうかはさて置いて、敵じゃなければ何事もなく会話が続くんだなぁと話しかけられるたびに思っていた。
思いやりがないとコミュニケーションって成り立たないものだから、ジェイドさんにも最低限の優しさはあるんじゃないかな。多分、そこそこ、普通くらいには。
「話がよく見えませんが、褒められているということでよろしいでしょうか」
「あ、いや〜、どうかな…」
「違うんですか?」
「ジェイドさんが私の好きな人に似てるっていう話だから」
「はぁ?」
ジェイドさんの長い指が私の顎をひっかけてくいと上向きにされた。近付いたオッドアイが綺麗だな、と思う。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味で…」
「はっきり仰ってください」
「え、やだ…」
「はぁ?」
「いたたたたた」
遠慮のない力で頬を挟まれて一も二もなく降参した。あのねぇジェイドさんは理性のあるフリしたいじめっ子だから怒った時が怖いんだよね…。優しさと恐怖を絶妙にコントロールしてるとこ、あるよ。
私みたいに魔法も使えないひ弱な女の子に純粋な握力使わないでほしいんだよな…。そこらへんは全然、優しくないなと思う。
「あなたの、好きな人が、なんですって?」
「ジェイドさんに似てるなぁって…」
「…」
「…」
「…好きな人がいるんですか?」
「えっ、まぁ、はい…」
「誰ですか」
「えっ」
「誰ですか」
「ジェイドさんの知らない人ですよ」
「学年は?クラスは?部活は?外見は?」
「めちゃくちゃ根掘り葉掘ってくるじゃん…」
「はぁ?」
「いたたたたた」
舐めた口を聞いた私の頬を容赦なく掴み上げたジェイドさんが、そつのない笑みを浮かべたままその瞳に険のある色をにじませたのがよく分かった。よく分かるほどに近かった。鼻の頭がくっつきそうなほど近くに迫った迫力の美貌の持ち主が明らかに怒っているので、エースさんやデュースさんもお手上げ状態を文字通りホールドアップで表していた。どうして…助けてほしいよ…。
「不愉快ですね」
「へぁ」
「非常に不愉快です」
「(二回言った)」
「僕を差し置いて、どこの誰とも知らない輩にうつつを抜かしているなんて」
「言い方…」
「虫唾が走ります」
「言い方がね…」
「さっさと諦めていただけますか?」
「理不尽すぎませんか?」
ジェイドさんにそんなこと言われる筋合いないんですけど…とは口には出さなかったものの、当然のように見抜かれていた。
「いけない子ですねぇ」なんてうっそりと歯をのぞかせながら囁くジェイドさんが怖すぎて、どこが鏑木さんに似てるんだろうと今更ながらに思った。紳士どころか、インテリヤクザのオーラががっつり出ちゃってます。反社会の気風を感じる。
「そんなに…」
「え?」
「そんなにその男が好きなんですか」
「はあ、好きです」
「どのようなところが?」
「えっ…」
「…」
「えっと、かっこよくて」
「…」
「背が高くて、物腰も柔らかくて」
「…」
「紳士なんだけど遠慮がなくて、わりと意地悪で、たまにキツイことも言うけど…」
「…」
「ほんとは優しいとこ…」
「…」
「…」
「僕で…」
「え?」
「僕でよくないですか」
「え?」
「僕が代わりにはなれませんか」
「ジェイドさん?」
頬を掴んでいた右手が輪郭を滑って左頬に添えられた。長い指先で目尻をくすぐるジェイドさんが、先ほどとは打って変わって切なげに私を見つめていた。成り行きを見守っていたエースさんとデュースさんが息を呑む気配が伝わってくる。
手袋越しに確かな人肌を感じながら、私は、何を言っているんだろうなと思った。
「いやならないですよ」
「…」
「ジェイドさんと鏑木さんは似てるだけで別人だし…」
「…」
「似てるだけじゃ代わりになんないですよ」
「…」
「ジェイドさんだって似てるからって理由でフロイドさんの代わりにされたくないでしょ」
「…」
むごい、とエースさんの呟きが聞こえた気がした。
論破すな。
2020.4.27