短い話
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※R15 ※転生現パロ
「うちの主任って昔はそーとーヤンチャしてたらしいよ」
「あー」
「だいたい想像つくよねー。なんかアングラっぽいし」
「雰囲気がねー」
「顎の傷も意味深じゃん? あれ何やったんだろうね?」
「興味ないなー」
空になったお弁当のふたを閉じて腕時計に目をやると、お昼休み終了まで20分を切っていた。切るっていうか、まだそんなに残ってるのか。この手狭な休憩室で、仲良しの同僚と二人でお弁当を囲むこの時間は毎日の癒しではあるけれど、毎回目新しい話のネタがあるわけでもなく、最近ではもっぱら同僚がご執心の主任の話題をくりかえしていた。興味ないなー。
「やだ待って、それじゃまるで私が尾形主任のこと好きみたいじゃん」
「えー?違うの?」
「違うよー。謎すぎて気になるんだよー」
「? それ好きってことじゃないの?」
「全然違う。シロナガスクジラの交尾シーンが気になるからってそれは恋なの?愛なの?」
「例えが気持ち悪いんだよなぁ」
シロナガスクジラも尾形主任も同じくらいどうでもいい私からしたら、興味がある時点で好きなのでは?と思ったけど、「正直怖いもの見たさなとこある」という同僚の言葉に納得したので素直に負けを認めた。なるほどな。怖いもの見たさかぁ。
尾形主任は確かに怖い。
「まず何考えてるか分かんないじゃん?」
「分かんないね。おしゃべりな方ではないしね…」
「あんまり目も合わせないじゃん。部下なんかどうでもいーって感じで」
「えっ」
「?」
「目、合わない?」
「?」
合わないらしい。視線。おやおや?
思わず首を傾げる私にならって同僚も同じように首をひねった。なにやら行き違いが生じているようだ。私の中では、尾形主任はよく他人を見ている人だった。視線を感じて振り向くと大抵そこに主任がいる。こういう場合、目が合うとなんだか気まずくなってバツが悪そうに視線をそらすのが普通だと思うんだけど、主任は違う。ただじっと真顔でこちらを見続けるまっくろな瞳にとうとう根負けして、軽い会釈でごまかしながら逃げるのが常だった。
てっきり誰に対してもそうだと思ってたんだけど…。
「全然。見つめられたことないよ。三木だけじゃない?」
「ええ…。私、目つけられてんのかな…」
「身に覚えでもあるの?」
「いや全然ないけど」
「じゃ、好きなんだ。三木のこと」
「……本気で言ってる?」
「2割くらいは。本当だったら面白いとは思う」
「笑えないんだよなぁ」
尾形主任は社内にわりかし敵が多い。愛想がなければ遠慮もないその性格が災いして、怒らせなくていい人を怒らせているのを何度も見たことがある。一歩間違えたらパワハラだ。そのくせ上役には割と気に入られている尾形主任だった。へんなの、不思議だなぁ、なんて思っていたけど、ある日主任の打ち合わせに同行したときに目撃した笑顔とトークと場回しの上手さにすべて納得がいった。
主任のそんな人当たりのいい態度、初めて見ました。そんなに優しい言葉遣いをする方だったんですね。もう、回る回る。しゃべり場が回りまくって止まらない。話の進め方はほぼヤクザのそれだというのに、巧みな話術に乗せられてまったく違和感を感じない。クライアントの興味関心がぐんぐん持ち上げられていくのが目に見えるようだった。
なるほどなぁ。これだけ仕事ができたら大概のことは大目に見てもらえるのだな。感心しているうちにあっさり商談がまとまって、その場を去る頃にはクライアントと熱い握手を交わすまでに至っていた。今日がはじめましてだったなんて嘘みたいだ。部下の私からしてみれば貼り付けたような嘘くさい笑顔も、クライアントには違う印象を与えているようで、去り際に「いやぁ、気のいい上司をお持ちですね」なんて言われて一瞬戸惑ってしまった。なんとか当たり障りのない返事で切り抜けて、主任の後について外に出ると……「あ、」「…」いつもの主任がじっと私を見下ろしていた。う〜ん、これこれ。この不遜な態度の方がやっぱり落ち着く。社交性があるのかないのかよく分からない主任は、隣に並び立つ私を見て何かを言いたげな顔をした。
「?」
「…」
「あの、主任?」
「…」
「どうされました?」
「いや…」
「…」
「……少し昔を思い出した」
「え?」
「行くぞ」
何かを振り落とすみたいにかぶりを振って先を歩く尾形主任の後ろ姿に、その時はただ黙ってついて行った。何も聞かなかったし、主任もそれきり何も言わなかった。言葉の意味を考えるのが少し面倒だな、と思ったのもあるし、それより何より、私を見て昔を思い出したなどとのたまう主任がなんだかただの男の人に見えて、一瞬怯んでしまったのだ。元カノにでも見えましたか、私が。プライベートを1mmたりとも晒さない上司のジェンダーな部分を覗き見てしまった罪悪感から、何も聞かなかったことにしようと思った。その時は。
「それ、三木の気を引こうとしてたんじゃ…」
「ええ……」
「さすがにないかー」
「ないねー。さすがにねー」
「じゃ、やっぱ、元カノにでも似てんじゃん?」
「そうなのかなー」
「それを踏まえて、今どんな気持ち?」
「興味ないなー」
シロナガスクジラがどんなセックスをしようが、尾形主任が私に誰の面影を投影しようが、私には何の関わりもないことだった。つまんないの、とわざとらしく口を尖らせる同僚だって、もし私と同じ立場になったとしたら似たような熱量でいたはずだ。
尾形主任と私たち平社員の関係は、それくらい薄っぺらいものだったのだ。
「…あ、時間だ」
「はー、もうひと仕事、やりますかー」
▽
そんな話に終始した昼休みだったけど、あの時、あの休憩室には私と同僚しかいなかったはずだ。そもそもお弁当組は私たち2人だけで、他の皆は外に食べに出るか社食に行く。尾形主任もそのどちらかだったと思うんだけどな。
「おい」
「…」
「俺の話をしてただろう」
「…」
「何を言った?」
「…」
「教えろよ。目の前に本人がいるんだぜ」
「…」
「上司のお願いが聞けねぇのか」
なんなんだろうな、これ。
仕事の合間に一服しようと、人気のない自販機を選んでサボりをキメている私の後ろにいつの間にやら立っていた尾形主任に促されて、なぜだか2人並んでベンチに腰を落ち着けていた。
もう定時も近い。サビ残が確定した時点でやる気を失っていた私を咎めに来たのかと思ったけど、どうやらまったく別のことを問い詰めに来たみたいだった。
「あのー…」
「なんだ」
「怒ってますか?」
「あ?」
「…」
「何だそりゃ。いいから答えろ」
「な、何をでしょう」
「はぐらかすな」
「…」
「思い出したのかっつってんだよ」
太ももの上でミルクティーの缶を握りしめたまま、隣から降ってくる視線からの逃げ場所を探したけどそんなものはどこにもなかった。ですよね、ええ。分かってたけど。ていうか尾形主任、なんか近い…。
私に迫る主任の言葉が一体何を指しているのか、まったく見当もつかないんですが、主任、何を仰りたいんですか。
「あのう…」
「…」
「すみません、何のことだか私にはさっぱり…」
「…」
露骨な舌打ちが降ってきて臆病な私は目に見えて怯んでしまった。やっぱり何か怒ってるんじゃないですか。膝小僧同士がくっついてしまうくらいの距離感で、たいして仲良くもない上司に威圧されてなんだか胃が痛くなってきた。なんだろう、何かやらかしてしまったのかな。頼まれた仕事をすっぽかしたとか、そういう類のミスだろうか。
「主任、すみません、あの…」
「名前」
「え?」
「名前で呼べ」
「どうして?」
「…」
またじろりと睨まれてしまった。一体なんだというんですか。私にどうしてほしいんですか。それが分からない以上、私にとって主任は主任でしかなかったけど、強すぎる圧に逆らえない私は小さく「尾形さん…」と呟いた。
唐突に膝小僧を強く掴まれて、反射で足をぎゅっと閉じた。驚いて見上げると思いのほか近いところに尾形さんの顔があって、ぎょっとする。
えっ近い近い。
「尾形さん?」
「もっと」
「え?」
「もっと呼べよ」
「え? え?」
「いいから…」
おでこがくっついてしまうほどの至近距離で覗き込まれて、力をこめたふとももを割り開くように尾形さんの手がスカートに入り込んできて、混乱にますます拍車がかかった。尾形さんこれっていくらなんでもセクハラなのでは…?今更ながら人気のない場所で2人きりでいることが怖くなった。尾形さんの腕を掴んでそれ以上の侵入を止めようとしたけど、まるでからかうみたいに内ももの柔いところを揉まれて、鳥肌が止まらない。尾形さんなんで笑うんですか。私はあなたが怖いです…。
「主任、や、やだ…」
「尾形さん、だろ」
「は…」
「やめてほしいなら言え」
「な、なんで」
「言えよ。頼むから」
「…」
「なあ、三木…」
尾形さんにお願いをされたことも、名前で呼ばれたことも初めてだった。平静を保つために生唾を飲み込みながら、そんなに呼んでほしいんなら…と小さく名前を呟くと、かぶりつくようにキスされた。は!?
「ん、んむ!?」
「…っ」
咄嗟に振り上げた右手を掴まれて、スカートの中から引き抜かれたもう片方の手に後頭部をがっしり固定された。な、な、なにこれ、なにこれ!尾形さんの舌が私の口の中をでろでろに舐め回した。唾液を混ぜ合わせるみたいにぐちゃぐちゃに舌を絡ませてくる尾形さんの、嘘みたいな手慣れっぷりが恐ろしい。気持ち悪くて抵抗しようとしても、上顎のあたりをくすぐられると何故だか力が抜けていった。
尾形さんが笑う気配がする。不覚にも気持ちいい、なんて、酸素の足りない頭で感じてしまったことが見抜かれているみたい。なんだろう死にたいな…。
「…っ」
「変わらんな、お前は」
「…」
「昔と同じだ。何も変わらない」
「なに…」
「待つ必要はなかったのか」
ようやく解放されて息も絶え絶えな私にそんなことを言う尾形さんが、まるで宇宙人みたいに思えた。何を言ってるのか全然分かんないよ。何がしたいのかも、まったく読み取れない。
キスされたことを責めたいのに、今すぐこの場から逃げたいのに、まるで愛おしいものでも見る目で見下ろす尾形さんを前に、何故だか体が動こうとしなかった。頭がぼーっとする。唾液で濡れた唇を親指でなぞりながら、尾形さんが耳に噛み付いた。低い声で耳朶を責められるとぞわぞわして気味が悪かった。変、変なの。尾形さんってこんな声してたっけ。私と尾形さんってなんだったっけ。ただの上司と部下じゃなかったっけ。
違うんだろうか、もしかして。
「三木、三木」
「うぅ…」
「早く思い出せよ、なあ」
「…」
「待っててやったじゃねぇか。1年も」
「…」
1年前、私がこの会社に入ったときから尾形さんは私の上司だった。課に配属が決まって、初めて顔を合わせた時から、尾形さんは何かを待っていたのだろうか。
そして私は何かを待たせていたのだろうか。
「え、あ、やだ」
「黙ってろ。舌噛むぞ」
「ん、」
「今まで我慢した分、全部返してもらう」
私を膝の上に乗せて、後頭部を掴んだ尾形さんが啄ばむようなキスをまぶたに落とした。反射でぎゅっと目をつむったのをいいことに、指先で胸のてっぺんを撫でられた。う、嘘だ、こんなところでそんなこと、いくらなんでもするはずがないし、ていうかしていいはずがないし….!
「や、尾形さん、やだ…!」
「安心しろ。最後まではしない」
「な、」
「ただ、いろいろ限界なんだ。分かれよ」
分かってたまるか!そう言い返そうとした私の言葉は呆気なく飲み込まれてしまった。絡めた舌先をちゅうと吸われて涙がにじんだ。尾形さんのばか、あほ、えっち!股の間の硬いものが私のお尻に当たるたび、尾形さんの言う最後ってやつを想像して背筋が震えた。
「この1年、お前が隣に立つたびに昔のことを思い出したよ」
「あ、や」
「記憶のないお前に無体をするのは気が引けたが」
「ん、っ」
「馬鹿だったな。俺が間違ってた」
「う、」
「1年待った分、付き合ってもらうぜ。……ああ、違うのか……」
子供みたいに腕の中に抱かれて、服の上から乳首を撫で回されて、舌で口の中を弄ばれて、尾形さんが私に何をしたいのか、今になってようやく分かった。私が何も考えられないように、万一にでも逃げようなんて思えないように、意味の分からない言葉を呟くように落としながら、ただ私が諦めるのを待っているのだ。
「101年分だ。全部受け止めろよ」
熱のこもった目で彼が笑う。
無茶言わないでほしい。さっきから、何が何だか分からないまま、抵抗しようとしてもなぜだかうまく動かない自分の体に困惑しながら、ただ受け入れるだけでいいなんていかにも簡単そうなこと言わないで。
尾形さんのこと何にも知らないまま、この先に進むなんてできっこないのに。
尾形さんの指がブラ越しの突起をつまんだ。
思わず声を上げる私を見て、嬉しそうに口元を歪める尾形さんが、今までで一番優しいキスをくれた。
なんだか涙の味がした。
体に聞くという最終手段。ちゃんと覚えてて尾形もニッコリ。
2019.8.20
「うちの主任って昔はそーとーヤンチャしてたらしいよ」
「あー」
「だいたい想像つくよねー。なんかアングラっぽいし」
「雰囲気がねー」
「顎の傷も意味深じゃん? あれ何やったんだろうね?」
「興味ないなー」
空になったお弁当のふたを閉じて腕時計に目をやると、お昼休み終了まで20分を切っていた。切るっていうか、まだそんなに残ってるのか。この手狭な休憩室で、仲良しの同僚と二人でお弁当を囲むこの時間は毎日の癒しではあるけれど、毎回目新しい話のネタがあるわけでもなく、最近ではもっぱら同僚がご執心の主任の話題をくりかえしていた。興味ないなー。
「やだ待って、それじゃまるで私が尾形主任のこと好きみたいじゃん」
「えー?違うの?」
「違うよー。謎すぎて気になるんだよー」
「? それ好きってことじゃないの?」
「全然違う。シロナガスクジラの交尾シーンが気になるからってそれは恋なの?愛なの?」
「例えが気持ち悪いんだよなぁ」
シロナガスクジラも尾形主任も同じくらいどうでもいい私からしたら、興味がある時点で好きなのでは?と思ったけど、「正直怖いもの見たさなとこある」という同僚の言葉に納得したので素直に負けを認めた。なるほどな。怖いもの見たさかぁ。
尾形主任は確かに怖い。
「まず何考えてるか分かんないじゃん?」
「分かんないね。おしゃべりな方ではないしね…」
「あんまり目も合わせないじゃん。部下なんかどうでもいーって感じで」
「えっ」
「?」
「目、合わない?」
「?」
合わないらしい。視線。おやおや?
思わず首を傾げる私にならって同僚も同じように首をひねった。なにやら行き違いが生じているようだ。私の中では、尾形主任はよく他人を見ている人だった。視線を感じて振り向くと大抵そこに主任がいる。こういう場合、目が合うとなんだか気まずくなってバツが悪そうに視線をそらすのが普通だと思うんだけど、主任は違う。ただじっと真顔でこちらを見続けるまっくろな瞳にとうとう根負けして、軽い会釈でごまかしながら逃げるのが常だった。
てっきり誰に対してもそうだと思ってたんだけど…。
「全然。見つめられたことないよ。三木だけじゃない?」
「ええ…。私、目つけられてんのかな…」
「身に覚えでもあるの?」
「いや全然ないけど」
「じゃ、好きなんだ。三木のこと」
「……本気で言ってる?」
「2割くらいは。本当だったら面白いとは思う」
「笑えないんだよなぁ」
尾形主任は社内にわりかし敵が多い。愛想がなければ遠慮もないその性格が災いして、怒らせなくていい人を怒らせているのを何度も見たことがある。一歩間違えたらパワハラだ。そのくせ上役には割と気に入られている尾形主任だった。へんなの、不思議だなぁ、なんて思っていたけど、ある日主任の打ち合わせに同行したときに目撃した笑顔とトークと場回しの上手さにすべて納得がいった。
主任のそんな人当たりのいい態度、初めて見ました。そんなに優しい言葉遣いをする方だったんですね。もう、回る回る。しゃべり場が回りまくって止まらない。話の進め方はほぼヤクザのそれだというのに、巧みな話術に乗せられてまったく違和感を感じない。クライアントの興味関心がぐんぐん持ち上げられていくのが目に見えるようだった。
なるほどなぁ。これだけ仕事ができたら大概のことは大目に見てもらえるのだな。感心しているうちにあっさり商談がまとまって、その場を去る頃にはクライアントと熱い握手を交わすまでに至っていた。今日がはじめましてだったなんて嘘みたいだ。部下の私からしてみれば貼り付けたような嘘くさい笑顔も、クライアントには違う印象を与えているようで、去り際に「いやぁ、気のいい上司をお持ちですね」なんて言われて一瞬戸惑ってしまった。なんとか当たり障りのない返事で切り抜けて、主任の後について外に出ると……「あ、」「…」いつもの主任がじっと私を見下ろしていた。う〜ん、これこれ。この不遜な態度の方がやっぱり落ち着く。社交性があるのかないのかよく分からない主任は、隣に並び立つ私を見て何かを言いたげな顔をした。
「?」
「…」
「あの、主任?」
「…」
「どうされました?」
「いや…」
「…」
「……少し昔を思い出した」
「え?」
「行くぞ」
何かを振り落とすみたいにかぶりを振って先を歩く尾形主任の後ろ姿に、その時はただ黙ってついて行った。何も聞かなかったし、主任もそれきり何も言わなかった。言葉の意味を考えるのが少し面倒だな、と思ったのもあるし、それより何より、私を見て昔を思い出したなどとのたまう主任がなんだかただの男の人に見えて、一瞬怯んでしまったのだ。元カノにでも見えましたか、私が。プライベートを1mmたりとも晒さない上司のジェンダーな部分を覗き見てしまった罪悪感から、何も聞かなかったことにしようと思った。その時は。
「それ、三木の気を引こうとしてたんじゃ…」
「ええ……」
「さすがにないかー」
「ないねー。さすがにねー」
「じゃ、やっぱ、元カノにでも似てんじゃん?」
「そうなのかなー」
「それを踏まえて、今どんな気持ち?」
「興味ないなー」
シロナガスクジラがどんなセックスをしようが、尾形主任が私に誰の面影を投影しようが、私には何の関わりもないことだった。つまんないの、とわざとらしく口を尖らせる同僚だって、もし私と同じ立場になったとしたら似たような熱量でいたはずだ。
尾形主任と私たち平社員の関係は、それくらい薄っぺらいものだったのだ。
「…あ、時間だ」
「はー、もうひと仕事、やりますかー」
▽
そんな話に終始した昼休みだったけど、あの時、あの休憩室には私と同僚しかいなかったはずだ。そもそもお弁当組は私たち2人だけで、他の皆は外に食べに出るか社食に行く。尾形主任もそのどちらかだったと思うんだけどな。
「おい」
「…」
「俺の話をしてただろう」
「…」
「何を言った?」
「…」
「教えろよ。目の前に本人がいるんだぜ」
「…」
「上司のお願いが聞けねぇのか」
なんなんだろうな、これ。
仕事の合間に一服しようと、人気のない自販機を選んでサボりをキメている私の後ろにいつの間にやら立っていた尾形主任に促されて、なぜだか2人並んでベンチに腰を落ち着けていた。
もう定時も近い。サビ残が確定した時点でやる気を失っていた私を咎めに来たのかと思ったけど、どうやらまったく別のことを問い詰めに来たみたいだった。
「あのー…」
「なんだ」
「怒ってますか?」
「あ?」
「…」
「何だそりゃ。いいから答えろ」
「な、何をでしょう」
「はぐらかすな」
「…」
「思い出したのかっつってんだよ」
太ももの上でミルクティーの缶を握りしめたまま、隣から降ってくる視線からの逃げ場所を探したけどそんなものはどこにもなかった。ですよね、ええ。分かってたけど。ていうか尾形主任、なんか近い…。
私に迫る主任の言葉が一体何を指しているのか、まったく見当もつかないんですが、主任、何を仰りたいんですか。
「あのう…」
「…」
「すみません、何のことだか私にはさっぱり…」
「…」
露骨な舌打ちが降ってきて臆病な私は目に見えて怯んでしまった。やっぱり何か怒ってるんじゃないですか。膝小僧同士がくっついてしまうくらいの距離感で、たいして仲良くもない上司に威圧されてなんだか胃が痛くなってきた。なんだろう、何かやらかしてしまったのかな。頼まれた仕事をすっぽかしたとか、そういう類のミスだろうか。
「主任、すみません、あの…」
「名前」
「え?」
「名前で呼べ」
「どうして?」
「…」
またじろりと睨まれてしまった。一体なんだというんですか。私にどうしてほしいんですか。それが分からない以上、私にとって主任は主任でしかなかったけど、強すぎる圧に逆らえない私は小さく「尾形さん…」と呟いた。
唐突に膝小僧を強く掴まれて、反射で足をぎゅっと閉じた。驚いて見上げると思いのほか近いところに尾形さんの顔があって、ぎょっとする。
えっ近い近い。
「尾形さん?」
「もっと」
「え?」
「もっと呼べよ」
「え? え?」
「いいから…」
おでこがくっついてしまうほどの至近距離で覗き込まれて、力をこめたふとももを割り開くように尾形さんの手がスカートに入り込んできて、混乱にますます拍車がかかった。尾形さんこれっていくらなんでもセクハラなのでは…?今更ながら人気のない場所で2人きりでいることが怖くなった。尾形さんの腕を掴んでそれ以上の侵入を止めようとしたけど、まるでからかうみたいに内ももの柔いところを揉まれて、鳥肌が止まらない。尾形さんなんで笑うんですか。私はあなたが怖いです…。
「主任、や、やだ…」
「尾形さん、だろ」
「は…」
「やめてほしいなら言え」
「な、なんで」
「言えよ。頼むから」
「…」
「なあ、三木…」
尾形さんにお願いをされたことも、名前で呼ばれたことも初めてだった。平静を保つために生唾を飲み込みながら、そんなに呼んでほしいんなら…と小さく名前を呟くと、かぶりつくようにキスされた。は!?
「ん、んむ!?」
「…っ」
咄嗟に振り上げた右手を掴まれて、スカートの中から引き抜かれたもう片方の手に後頭部をがっしり固定された。な、な、なにこれ、なにこれ!尾形さんの舌が私の口の中をでろでろに舐め回した。唾液を混ぜ合わせるみたいにぐちゃぐちゃに舌を絡ませてくる尾形さんの、嘘みたいな手慣れっぷりが恐ろしい。気持ち悪くて抵抗しようとしても、上顎のあたりをくすぐられると何故だか力が抜けていった。
尾形さんが笑う気配がする。不覚にも気持ちいい、なんて、酸素の足りない頭で感じてしまったことが見抜かれているみたい。なんだろう死にたいな…。
「…っ」
「変わらんな、お前は」
「…」
「昔と同じだ。何も変わらない」
「なに…」
「待つ必要はなかったのか」
ようやく解放されて息も絶え絶えな私にそんなことを言う尾形さんが、まるで宇宙人みたいに思えた。何を言ってるのか全然分かんないよ。何がしたいのかも、まったく読み取れない。
キスされたことを責めたいのに、今すぐこの場から逃げたいのに、まるで愛おしいものでも見る目で見下ろす尾形さんを前に、何故だか体が動こうとしなかった。頭がぼーっとする。唾液で濡れた唇を親指でなぞりながら、尾形さんが耳に噛み付いた。低い声で耳朶を責められるとぞわぞわして気味が悪かった。変、変なの。尾形さんってこんな声してたっけ。私と尾形さんってなんだったっけ。ただの上司と部下じゃなかったっけ。
違うんだろうか、もしかして。
「三木、三木」
「うぅ…」
「早く思い出せよ、なあ」
「…」
「待っててやったじゃねぇか。1年も」
「…」
1年前、私がこの会社に入ったときから尾形さんは私の上司だった。課に配属が決まって、初めて顔を合わせた時から、尾形さんは何かを待っていたのだろうか。
そして私は何かを待たせていたのだろうか。
「え、あ、やだ」
「黙ってろ。舌噛むぞ」
「ん、」
「今まで我慢した分、全部返してもらう」
私を膝の上に乗せて、後頭部を掴んだ尾形さんが啄ばむようなキスをまぶたに落とした。反射でぎゅっと目をつむったのをいいことに、指先で胸のてっぺんを撫でられた。う、嘘だ、こんなところでそんなこと、いくらなんでもするはずがないし、ていうかしていいはずがないし….!
「や、尾形さん、やだ…!」
「安心しろ。最後まではしない」
「な、」
「ただ、いろいろ限界なんだ。分かれよ」
分かってたまるか!そう言い返そうとした私の言葉は呆気なく飲み込まれてしまった。絡めた舌先をちゅうと吸われて涙がにじんだ。尾形さんのばか、あほ、えっち!股の間の硬いものが私のお尻に当たるたび、尾形さんの言う最後ってやつを想像して背筋が震えた。
「この1年、お前が隣に立つたびに昔のことを思い出したよ」
「あ、や」
「記憶のないお前に無体をするのは気が引けたが」
「ん、っ」
「馬鹿だったな。俺が間違ってた」
「う、」
「1年待った分、付き合ってもらうぜ。……ああ、違うのか……」
子供みたいに腕の中に抱かれて、服の上から乳首を撫で回されて、舌で口の中を弄ばれて、尾形さんが私に何をしたいのか、今になってようやく分かった。私が何も考えられないように、万一にでも逃げようなんて思えないように、意味の分からない言葉を呟くように落としながら、ただ私が諦めるのを待っているのだ。
「101年分だ。全部受け止めろよ」
熱のこもった目で彼が笑う。
無茶言わないでほしい。さっきから、何が何だか分からないまま、抵抗しようとしてもなぜだかうまく動かない自分の体に困惑しながら、ただ受け入れるだけでいいなんていかにも簡単そうなこと言わないで。
尾形さんのこと何にも知らないまま、この先に進むなんてできっこないのに。
尾形さんの指がブラ越しの突起をつまんだ。
思わず声を上げる私を見て、嬉しそうに口元を歪める尾形さんが、今までで一番優しいキスをくれた。
なんだか涙の味がした。
体に聞くという最終手段。ちゃんと覚えてて尾形もニッコリ。
2019.8.20