短い話
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※モブがワラワラ
「ねえ八重田さんいる!?」
「わっ、なんですか」
夜中の10時ともなればどんな熟練の社畜でもそろそろ一息つこうかな、と肩を回し始める。バキバキと関節の音を鳴らしながら一人、また一人と喫煙室(という名の事務所裏)へと消えていき、ラジオだけが流れるオフィスもちょっとだけ空気がたるんだ。なんとなく全員がだらけモードに入ったために、なんだか私もキーボードを叩くのが億劫になったのでとりあえず保存して休憩しようかな、とコマンドに親指を添えた。
そんなタイミングで先輩が慌ただしく駆け込んできた。
先輩、クールビューティ先輩。
いつも眼が覚めるような赤リップをきっちり引いて誰と話すときもがっちり腕を組んでいる先輩は、いつも冷静沈着なデキルひと。だというのに突然のこの慌てっぷりだから、オフィスに残ったメンツは何事かと少し腰を浮かせた。名指しされた私なんか、内心ヒヤヒヤだ。なんだろう、何かやらかしちゃったかな…。
「どうしたんですか先輩、そんなに慌てて」
「八重田さん、あなた待ち伏せされてるわよ!」
「えっ?」
「それもマッチョに!」
「しかもマッチョに?」
興奮を抑えきれない様子のクールビューティ先輩の右手には真っ白いタバコがかろうじて指の隙間に挟まっていた。お馴染みの赤いリップの跡もない。一服する間も惜しんで舞い戻ってきたらしかった。
「先輩、マッチョって言い方は古いですよ」
「マッチョはマッチョよ!すごいマッチョだったわ!ワイシャツの上からでも分かったわ!ねえ誰?誰なの?紹介して?」
「すみません、マッチョという情報だけでは絞りかねます…」
眉間に指をあててウムムと唸ってみたけど、心当たりが多すぎて…。むしろ私の周りにマッチョじゃない人なんていたかしら、とそんなことすら思うほどみんな100年前と同じくらいいい体つきをしていた。尾形さんや白石さんですら、なかなかどうして…。
とは思ったけど、ステイサムを彼氏にしたいと常日頃からこぼしているクールビューティ先輩がここまで興奮するほどのマッチョといえば、自然と限られてくるのでは…?
「その人は顔に大きな傷がありましたか?」
「いいえ」
「全体的に大きくてスケベでしたか?」
「いいえ」
「大人の色気がムンムンでしたか?」
「どちらかといえばはい」
「背が低いですか?」
「はい」
「なんだぁ、月島さんかぁ」
「なに今の特殊すぎるアキネイター」
隣のデスクでコーディング中だった同期のツッコミも耳に入らないくらい興奮しているクールビューティ先輩は、当該の人物に思い当たった私の肩を掴んで、がっしがっしと揺らしてきた。うおええ、先輩、見たこともないくらいウキウキしてる…。
揺さぶられるがままにガックンガックンと脳みそをシェイクされながら、確かに月島さんは先輩お好みのタイプかも、と彼のプロフィールを思い描いた。
「ツキシマさんっていうの?紹介して!?」
「いやぁ、どうでしょう…、う〜ん…」
「なに!?もうコレいるの!?」
「先輩、その表現古いですよ」
小指をピンと立ててショックを受けた顔をする先輩のキャラ崩壊におののきながら、そもそもなぜ月島さんがこんなところにいるのだろうかと小首を傾げた。飲みに行くとか、お泊まり会とか、そんな約束してなかったはずだけど…。
お昼に一度チラ見してから鞄に仕舞いっぱなしのスマホの存在を思い出して、もしや、と冷や汗が流れた。まずいまずい、定時に一度ラインを返しておかないと、過重労働がどうの過労死がどうので怒られてしまうのだった。ちゃんと定時で帰れてるように見せないと、社畜も大概にしろと心配性の皆が騒ぐのだ。
まあ会社まで来られちゃそんな小細工も無意味なんだけど…。
時刻は10時10分になったところだ。うーん、悩ましい時間。スマホを見るか知らんぷりするか決めかねているところへ、慌ただしい足音が近づいてきた。
「ねえ八重田さんいる!?」
「わっ、なんですか」
息急き切って駆け込んできた主任に、私を揺さぶり続けていたクールビューティ先輩の手も止まった。
主任、ウィスパーボイス主任。
いつも蚊の鳴くような声で話すせいで発言を必ず二度聞き返される主任は、どれだけ注意されても口をアーモンドチョコくらいにしか開かない頑固な人。そんな主任が私を探して大声を出している様子に、これはただ事じゃないと周りの人が再び腰を上げた。名指しされた私も当然、ヒヤヒヤだ。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「八重田さん、きみ待ち伏せされてるよ!」
「あっハイ、知ってます」
「それもヤクザに!」
「しかもヤクザに?」
いやちょっと待ってほしい。いくらなんでもヤのつくお知り合いなんていません。
月島さんは確かに筋肉ダルマと揶揄されるほどのマッシブボディーと、常にぎゅっと寄せられた眉間のせいであまりカタギには見えないお人だけど、でもそれはどちらかというと特殊な訓練を受けてそうなという意味合いで…。闇の職業人に誤解されるような人相ではないよ。となると…?
「いやもうびっくりした、俺、身ぐるみ剥がされるかと…」
「主任、そんなことする知り合いなんて私…」
「傷のある男でさ、八重田さんのこと探してたよ。誰?借金取り?」
「すみません、その情報だけでは絞りかねます…」
再び眉間に指をあててウムムと唸った。傷持ちなんて、マッチョと同じくらい心当たりが多すぎて…。何の因果か宿命か、それとも神様のいたずらか、100年前と同じような傷を負ってこの平和な時代を生きる面々の顔を思い浮かべた。うーむむむ、しかし、傷持ちの上にまるでヤクザの様相となると…自然と絞られてくるのでは…?
「その人は額に傷のある美中年でしたか?」
「いいえ」
「全身傷だらけのさわやかな青年でしたか?」
「いいえ」
「色っぽい体つきのスケベでしたか?」
「いいえ」
「顎に傷のあるネコチャンでしたか?」
「はい」
「なんだぁ、尾形さんかぁ」
「だからなんなの、その気持ち悪いアキネイター」
ダダダダとコーディングを続けながら口を挟む同期の言葉なんて耳に入らない様子で、主任は私の肩をポンと叩いた。「八重田さん、困ってるなら相談に乗るから……」いやだから違いますって。初めて反社会勢力ぽい人に接触して興奮気味の主任には悪いけど、尾形さんはまったくのカタギ、しかもお医者さんだし…。主任の虫歯だってチョロっと治せちゃう凄腕の歯医者さんですよ。
「えっ、ていうか、私を探してたんですか?その人」
「そう、ここに八重田三木がいるだろう、なんつって肩掴まれた…コワカッタ…」
「主任…」
やばいやばい、これはスマホを見るのがいっそう恐ろしくなってきた。月島さんに、尾形さんまで。何かしらの連絡が来てるのは間違いないんだろうけど、やだなぁ、怖いなぁ、怒られちゃうのかなぁ…。まだ仕事終わってないんだけどな…。
うーん、これはシュレディンガーのスマホ。フタを開けてみるまでは表か裏か、生か死か、ラインが来ているか来ていないのかも確定しないという…。(そんなわけない)
いっそ開き直って退勤するまで無視しちゃおうかな、なんて悪手を選ぼうとしていた私の元へ、慌ただしい足音が近づいてきた。
「ねえ八重田さんいる!?」
「もう、なんですか」
さすがに驚かなくなった私に駆け寄ってくる課長は、もう興奮さめやらぬという様子で両手をわきわきさせていた。
課長、ローテンション課長。
低血圧が過ぎるせいで朝から晩まで真冬の北海道の最低気温より低いテンションを貫く課長は、部下が1000万の仕事を獲っても5000万の損失を出しても「バリエグい」しか言わない関西人。そんな課長が目を輝かせて足踏みする様子に、クールビューティ先輩やウィスパーボイス主任は少し落ち着きを取り戻した。人のふり見て我がふり直せとは言いますが…。思わず自らを鑑みてしまうほどの課長の興奮ぶりが激レアすぎて、周囲の何人かがスマホを構えだした。ピロン。RECを開始した音がする。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「八重田さん、あんた待ち伏せされてるよ!」
「あっハイ、知ってます」
「それもジャニーズに!」
「しかもジャニーズに?」
いやいくらなんでもそれはおかしい。課長、私にジャニーズの知り合いなんていません。「やっぱ生はオーラが違うなぁ…」なんて、初めて芸能人に会ったと思い込んでソワソワしている課長には申し訳ないけど、多分人違いですよ。誰と間違えているかは分からないですけど…。
「もうね、顔のちっちゃいことちっちゃいこと!足なんて俺の胸のあたりまであったね!」
「バケモンじゃないですか」
「ほんと、美形ってああいう人のことを言うんだろうなぁ。で、誰?八重田さんとどういう関係?」
「すみません、その情報だけでは絞りかねます…」
さらにもう一度眉間に指をあててウムムと唸った。見目麗しい人にも心当たりは尽きないよ。だってみんな系統が違うだけで、なかなか人目を引く容姿をしているから…。そもそも100年前の経験をまるごと背負っているせいで、内面から溢れ出る人間力が尋常じゃないというか…。さながらトップタレントの如きオーラを放っているというのも頷ける。人は、見えない部分にこそ強く惹かれてしまうものですから。しかし、ジャニーズにいそうな人とくれば自然と絞られてくるのでは…?
「その人はまつげが長くて目がパッチリしていましたか?」
「いいえ」
「色白でホクロのあるちょっと意地悪そうな人でしたか?」
「いいえ」
「歌とダンスは下手だけど一生懸命さがウリなスケベでしたか?」
「いいえ」
「色黒でちょっと偉そうなボンボンでしたか?」
「はい」
「なんだぁ、鯉登さんかぁ」
「どんどん具体的になるアキネイター」
コーディングの手を止めてスマホを構える同期なんて気にならない様子のローテンション課長は、自分のスマホで検索エンジンを開いてポチポチ打ち込み始めた。「色黒 ジャニーズ 名前」……いや出ないよ。出ません。出るわけがない。鯉登さんは確かに街でよくスカウトされるほどの完成された顔面をお持ちだけど、当の本人にまったくその気がないのだから今後もその検索で引っかかることは決して無いよ。
「鯉登さんまで…参ったなぁもう…」
「なに、お忍びデートでもするの?八重田さん、プライベートに口出す気はないけど揉め事はごめんだよ」
「あ、はい」
「あとサイン貰ってきて」
まったく預かり知らない部分でちょっと怒られてしまった。鯉登さん、あなたの顔面に罪はないけどちょっと恨むよ…。サインも、別に貰ってきてもいいし鯉登さんも嬉々として書いてくれるだろうけど、ただのアパレル店員の直筆を後生大事に持つことになるかと思うと、さすがにそれは可哀想なので聞かなかったことにした。
「ていうか、うちの会社の前すごいことになってませんか?」
「八重田さん、仕事はいいから、もう帰ったら?」
「なんか大変そうだし…」
「パパラッチには気を付けなよ」
「いやそういうわけには…」
今日やり残した仕事の行き場を考えるだけで吐き気がしそうだから、とは上司が揃ったこの場ではどうにも口に出せないのでお口にチャックで視線を泳がせた。床の上を滑らせていたはずの視線が遠くから聞こえる足音につられて引っ張られると、周りの人たちも皆、同じ場所を見ていた。
慌ただしい足音が近づいてくる。
「ねえ八重田くんいる!?」
「ま、まだなにか」
駆け込んできた部長の慌てっぷりに、困惑と緊張で背筋が伸びた。一体いつまで続くんですかこのやり取りは…!部長は周りからの挨拶をそこそこに受け取って、まっすぐ私の方に歩いてきた。
部長、アルカイックスマイル部長。
限りなく真墨に近いブラックな弊社の中で唯一の良心と名高い仏の部長は、常に笑みを絶やさず、動じず、すべてを包み込むような懐の深い人…って聞いてたんだけどな…?あれぇ?
明らかに動揺した面持ちで私と窓の外を見比べる部長に、私の方が冷静にならざるを得ない。
いるんですね?部長。会社の前に誰か、もう一人…。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「八重田くん、きみ待ち伏せされてるよ!」
「はい、知ってます」
「それもマッチョで!」
「しかもマッチョで?」
「さらにヤクザで!」
!?
「しかもヤクザで…?」
「そのうえジャニーズの!」
「!? くわえてジャニーズの…!?」
「そんな男がきみを待ち伏せしてるよ!」
「ぶ、部長…!」
部長!アルカイックスマイル部長!そんな知り合い、この世のどこにも存在しません!伏線回収とばかりにすべての要素を取り込んだ第四の人物の登場に今度こそ頭を抱えた。そんな…そんなスペシャルミックス全部乗せラーメンみたいな知り合いいたかな…?
「びっくりしたよ、えらく憎々しげにウチを睨んでるもんだから、声をかけたらさぁ」
「声かけたんですか?マッチョでヤクザでジャニーズな男に?」
「“三木ちゃん、いる?”って。三木ちゃんってきみのことだろ?プライバシー保護の観点から答えられないって返したらスゴイ目で見られちゃったけど。八重田くん、誰?あの人誰なの?」
「え〜と…」
余力を振り絞るように眉間に指をあててウムムと唸った。………いる………。いる気がする………。一見ムチャクチャな条件に見えて、だけど冷静に照らし合わせていくと該当する人物が一人だけいるような気がする…。
「その人はワイシャツの上からでも分かるようなマッチョで…」
「うん」
「まるでヤクザと見紛うような傷を持っていて…」
「うん」
「そのうえジャニーズにいそうな端正なお顔立ちをしていた…?」
「うん」
「そうかぁ〜、杉元さんかぁ〜」
「マジでいるの?怖っ…」
同期がドン引きした声を上げた。確かにパーツだけ聞いたらただのヤバイ人にしか思えないけど 、実際の杉元さんは優しくて気のいい青年なんだから世の中って不思議だ。たまにとんでもないこともするけどね。その時だけは、少しだけ杉元さんのこと、怖いって思う。
今の杉元さんはどっちなんだろう。
「やっぱり今日は帰ります…」
「うん…」
「そうした方がいいよ」
「帰りな帰りな」
「無茶するなよ」
「無事を祈ってる」
普段のブラックっぷりが嘘みたいに皆が背中を押してくれた。帰りな、なんて言ってくれたのって入社以来じゃないのかな。うそ、感動…。でも手放しに喜べないのは、皆が私の身を心配してくれているというより、下で待ち伏せているめちゃくちゃヤバそうな連中がいつしびれを切らして社内に押し入ってくるかと、そっちの展開に気を揉んでいるのが何も言わなくても分かってしまったからだ。
だけど私にもそれだけは避けないといけないのはよく分かる。お言葉に甘えて、なんて言いながら重たい手つきでデータのバックアップを取った。スマホはもう見ない。直接会って謝った方がきっと早いから。
「お先に失礼します…!」
ええい、ままよ!とぐっと拳を握りこんでオフィスを後にした。後ろから飛んでくる声援を背中に受けて、なんだか泣きたくなってしまった。やだなぁ、怒られたくないなぁ…。明日が日曜日で仕事がお休みなのも、憂鬱に拍車をかけていた。あの人たちのお仕置きがたった一晩で終わった試しがない。
このあと、会社前で待ち構えている四人に一体どこへ連れて行かれるのか、想像すらつかないその場所に、せめてアシリパさんがいてくれることだけを願って私は足早に自動ドアをくぐった。
結局ナイトプールのお誘いとかで拍子抜け。
でもキッチリ怒られる。社畜はダメだよっ。
2019.7.29
「ねえ八重田さんいる!?」
「わっ、なんですか」
夜中の10時ともなればどんな熟練の社畜でもそろそろ一息つこうかな、と肩を回し始める。バキバキと関節の音を鳴らしながら一人、また一人と喫煙室(という名の事務所裏)へと消えていき、ラジオだけが流れるオフィスもちょっとだけ空気がたるんだ。なんとなく全員がだらけモードに入ったために、なんだか私もキーボードを叩くのが億劫になったのでとりあえず保存して休憩しようかな、とコマンドに親指を添えた。
そんなタイミングで先輩が慌ただしく駆け込んできた。
先輩、クールビューティ先輩。
いつも眼が覚めるような赤リップをきっちり引いて誰と話すときもがっちり腕を組んでいる先輩は、いつも冷静沈着なデキルひと。だというのに突然のこの慌てっぷりだから、オフィスに残ったメンツは何事かと少し腰を浮かせた。名指しされた私なんか、内心ヒヤヒヤだ。なんだろう、何かやらかしちゃったかな…。
「どうしたんですか先輩、そんなに慌てて」
「八重田さん、あなた待ち伏せされてるわよ!」
「えっ?」
「それもマッチョに!」
「しかもマッチョに?」
興奮を抑えきれない様子のクールビューティ先輩の右手には真っ白いタバコがかろうじて指の隙間に挟まっていた。お馴染みの赤いリップの跡もない。一服する間も惜しんで舞い戻ってきたらしかった。
「先輩、マッチョって言い方は古いですよ」
「マッチョはマッチョよ!すごいマッチョだったわ!ワイシャツの上からでも分かったわ!ねえ誰?誰なの?紹介して?」
「すみません、マッチョという情報だけでは絞りかねます…」
眉間に指をあててウムムと唸ってみたけど、心当たりが多すぎて…。むしろ私の周りにマッチョじゃない人なんていたかしら、とそんなことすら思うほどみんな100年前と同じくらいいい体つきをしていた。尾形さんや白石さんですら、なかなかどうして…。
とは思ったけど、ステイサムを彼氏にしたいと常日頃からこぼしているクールビューティ先輩がここまで興奮するほどのマッチョといえば、自然と限られてくるのでは…?
「その人は顔に大きな傷がありましたか?」
「いいえ」
「全体的に大きくてスケベでしたか?」
「いいえ」
「大人の色気がムンムンでしたか?」
「どちらかといえばはい」
「背が低いですか?」
「はい」
「なんだぁ、月島さんかぁ」
「なに今の特殊すぎるアキネイター」
隣のデスクでコーディング中だった同期のツッコミも耳に入らないくらい興奮しているクールビューティ先輩は、当該の人物に思い当たった私の肩を掴んで、がっしがっしと揺らしてきた。うおええ、先輩、見たこともないくらいウキウキしてる…。
揺さぶられるがままにガックンガックンと脳みそをシェイクされながら、確かに月島さんは先輩お好みのタイプかも、と彼のプロフィールを思い描いた。
「ツキシマさんっていうの?紹介して!?」
「いやぁ、どうでしょう…、う〜ん…」
「なに!?もうコレいるの!?」
「先輩、その表現古いですよ」
小指をピンと立ててショックを受けた顔をする先輩のキャラ崩壊におののきながら、そもそもなぜ月島さんがこんなところにいるのだろうかと小首を傾げた。飲みに行くとか、お泊まり会とか、そんな約束してなかったはずだけど…。
お昼に一度チラ見してから鞄に仕舞いっぱなしのスマホの存在を思い出して、もしや、と冷や汗が流れた。まずいまずい、定時に一度ラインを返しておかないと、過重労働がどうの過労死がどうので怒られてしまうのだった。ちゃんと定時で帰れてるように見せないと、社畜も大概にしろと心配性の皆が騒ぐのだ。
まあ会社まで来られちゃそんな小細工も無意味なんだけど…。
時刻は10時10分になったところだ。うーん、悩ましい時間。スマホを見るか知らんぷりするか決めかねているところへ、慌ただしい足音が近づいてきた。
「ねえ八重田さんいる!?」
「わっ、なんですか」
息急き切って駆け込んできた主任に、私を揺さぶり続けていたクールビューティ先輩の手も止まった。
主任、ウィスパーボイス主任。
いつも蚊の鳴くような声で話すせいで発言を必ず二度聞き返される主任は、どれだけ注意されても口をアーモンドチョコくらいにしか開かない頑固な人。そんな主任が私を探して大声を出している様子に、これはただ事じゃないと周りの人が再び腰を上げた。名指しされた私も当然、ヒヤヒヤだ。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「八重田さん、きみ待ち伏せされてるよ!」
「あっハイ、知ってます」
「それもヤクザに!」
「しかもヤクザに?」
いやちょっと待ってほしい。いくらなんでもヤのつくお知り合いなんていません。
月島さんは確かに筋肉ダルマと揶揄されるほどのマッシブボディーと、常にぎゅっと寄せられた眉間のせいであまりカタギには見えないお人だけど、でもそれはどちらかというと特殊な訓練を受けてそうなという意味合いで…。闇の職業人に誤解されるような人相ではないよ。となると…?
「いやもうびっくりした、俺、身ぐるみ剥がされるかと…」
「主任、そんなことする知り合いなんて私…」
「傷のある男でさ、八重田さんのこと探してたよ。誰?借金取り?」
「すみません、その情報だけでは絞りかねます…」
再び眉間に指をあててウムムと唸った。傷持ちなんて、マッチョと同じくらい心当たりが多すぎて…。何の因果か宿命か、それとも神様のいたずらか、100年前と同じような傷を負ってこの平和な時代を生きる面々の顔を思い浮かべた。うーむむむ、しかし、傷持ちの上にまるでヤクザの様相となると…自然と絞られてくるのでは…?
「その人は額に傷のある美中年でしたか?」
「いいえ」
「全身傷だらけのさわやかな青年でしたか?」
「いいえ」
「色っぽい体つきのスケベでしたか?」
「いいえ」
「顎に傷のあるネコチャンでしたか?」
「はい」
「なんだぁ、尾形さんかぁ」
「だからなんなの、その気持ち悪いアキネイター」
ダダダダとコーディングを続けながら口を挟む同期の言葉なんて耳に入らない様子で、主任は私の肩をポンと叩いた。「八重田さん、困ってるなら相談に乗るから……」いやだから違いますって。初めて反社会勢力ぽい人に接触して興奮気味の主任には悪いけど、尾形さんはまったくのカタギ、しかもお医者さんだし…。主任の虫歯だってチョロっと治せちゃう凄腕の歯医者さんですよ。
「えっ、ていうか、私を探してたんですか?その人」
「そう、ここに八重田三木がいるだろう、なんつって肩掴まれた…コワカッタ…」
「主任…」
やばいやばい、これはスマホを見るのがいっそう恐ろしくなってきた。月島さんに、尾形さんまで。何かしらの連絡が来てるのは間違いないんだろうけど、やだなぁ、怖いなぁ、怒られちゃうのかなぁ…。まだ仕事終わってないんだけどな…。
うーん、これはシュレディンガーのスマホ。フタを開けてみるまでは表か裏か、生か死か、ラインが来ているか来ていないのかも確定しないという…。(そんなわけない)
いっそ開き直って退勤するまで無視しちゃおうかな、なんて悪手を選ぼうとしていた私の元へ、慌ただしい足音が近づいてきた。
「ねえ八重田さんいる!?」
「もう、なんですか」
さすがに驚かなくなった私に駆け寄ってくる課長は、もう興奮さめやらぬという様子で両手をわきわきさせていた。
課長、ローテンション課長。
低血圧が過ぎるせいで朝から晩まで真冬の北海道の最低気温より低いテンションを貫く課長は、部下が1000万の仕事を獲っても5000万の損失を出しても「バリエグい」しか言わない関西人。そんな課長が目を輝かせて足踏みする様子に、クールビューティ先輩やウィスパーボイス主任は少し落ち着きを取り戻した。人のふり見て我がふり直せとは言いますが…。思わず自らを鑑みてしまうほどの課長の興奮ぶりが激レアすぎて、周囲の何人かがスマホを構えだした。ピロン。RECを開始した音がする。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「八重田さん、あんた待ち伏せされてるよ!」
「あっハイ、知ってます」
「それもジャニーズに!」
「しかもジャニーズに?」
いやいくらなんでもそれはおかしい。課長、私にジャニーズの知り合いなんていません。「やっぱ生はオーラが違うなぁ…」なんて、初めて芸能人に会ったと思い込んでソワソワしている課長には申し訳ないけど、多分人違いですよ。誰と間違えているかは分からないですけど…。
「もうね、顔のちっちゃいことちっちゃいこと!足なんて俺の胸のあたりまであったね!」
「バケモンじゃないですか」
「ほんと、美形ってああいう人のことを言うんだろうなぁ。で、誰?八重田さんとどういう関係?」
「すみません、その情報だけでは絞りかねます…」
さらにもう一度眉間に指をあててウムムと唸った。見目麗しい人にも心当たりは尽きないよ。だってみんな系統が違うだけで、なかなか人目を引く容姿をしているから…。そもそも100年前の経験をまるごと背負っているせいで、内面から溢れ出る人間力が尋常じゃないというか…。さながらトップタレントの如きオーラを放っているというのも頷ける。人は、見えない部分にこそ強く惹かれてしまうものですから。しかし、ジャニーズにいそうな人とくれば自然と絞られてくるのでは…?
「その人はまつげが長くて目がパッチリしていましたか?」
「いいえ」
「色白でホクロのあるちょっと意地悪そうな人でしたか?」
「いいえ」
「歌とダンスは下手だけど一生懸命さがウリなスケベでしたか?」
「いいえ」
「色黒でちょっと偉そうなボンボンでしたか?」
「はい」
「なんだぁ、鯉登さんかぁ」
「どんどん具体的になるアキネイター」
コーディングの手を止めてスマホを構える同期なんて気にならない様子のローテンション課長は、自分のスマホで検索エンジンを開いてポチポチ打ち込み始めた。「色黒 ジャニーズ 名前」……いや出ないよ。出ません。出るわけがない。鯉登さんは確かに街でよくスカウトされるほどの完成された顔面をお持ちだけど、当の本人にまったくその気がないのだから今後もその検索で引っかかることは決して無いよ。
「鯉登さんまで…参ったなぁもう…」
「なに、お忍びデートでもするの?八重田さん、プライベートに口出す気はないけど揉め事はごめんだよ」
「あ、はい」
「あとサイン貰ってきて」
まったく預かり知らない部分でちょっと怒られてしまった。鯉登さん、あなたの顔面に罪はないけどちょっと恨むよ…。サインも、別に貰ってきてもいいし鯉登さんも嬉々として書いてくれるだろうけど、ただのアパレル店員の直筆を後生大事に持つことになるかと思うと、さすがにそれは可哀想なので聞かなかったことにした。
「ていうか、うちの会社の前すごいことになってませんか?」
「八重田さん、仕事はいいから、もう帰ったら?」
「なんか大変そうだし…」
「パパラッチには気を付けなよ」
「いやそういうわけには…」
今日やり残した仕事の行き場を考えるだけで吐き気がしそうだから、とは上司が揃ったこの場ではどうにも口に出せないのでお口にチャックで視線を泳がせた。床の上を滑らせていたはずの視線が遠くから聞こえる足音につられて引っ張られると、周りの人たちも皆、同じ場所を見ていた。
慌ただしい足音が近づいてくる。
「ねえ八重田くんいる!?」
「ま、まだなにか」
駆け込んできた部長の慌てっぷりに、困惑と緊張で背筋が伸びた。一体いつまで続くんですかこのやり取りは…!部長は周りからの挨拶をそこそこに受け取って、まっすぐ私の方に歩いてきた。
部長、アルカイックスマイル部長。
限りなく真墨に近いブラックな弊社の中で唯一の良心と名高い仏の部長は、常に笑みを絶やさず、動じず、すべてを包み込むような懐の深い人…って聞いてたんだけどな…?あれぇ?
明らかに動揺した面持ちで私と窓の外を見比べる部長に、私の方が冷静にならざるを得ない。
いるんですね?部長。会社の前に誰か、もう一人…。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「八重田くん、きみ待ち伏せされてるよ!」
「はい、知ってます」
「それもマッチョで!」
「しかもマッチョで?」
「さらにヤクザで!」
!?
「しかもヤクザで…?」
「そのうえジャニーズの!」
「!? くわえてジャニーズの…!?」
「そんな男がきみを待ち伏せしてるよ!」
「ぶ、部長…!」
部長!アルカイックスマイル部長!そんな知り合い、この世のどこにも存在しません!伏線回収とばかりにすべての要素を取り込んだ第四の人物の登場に今度こそ頭を抱えた。そんな…そんなスペシャルミックス全部乗せラーメンみたいな知り合いいたかな…?
「びっくりしたよ、えらく憎々しげにウチを睨んでるもんだから、声をかけたらさぁ」
「声かけたんですか?マッチョでヤクザでジャニーズな男に?」
「“三木ちゃん、いる?”って。三木ちゃんってきみのことだろ?プライバシー保護の観点から答えられないって返したらスゴイ目で見られちゃったけど。八重田くん、誰?あの人誰なの?」
「え〜と…」
余力を振り絞るように眉間に指をあててウムムと唸った。………いる………。いる気がする………。一見ムチャクチャな条件に見えて、だけど冷静に照らし合わせていくと該当する人物が一人だけいるような気がする…。
「その人はワイシャツの上からでも分かるようなマッチョで…」
「うん」
「まるでヤクザと見紛うような傷を持っていて…」
「うん」
「そのうえジャニーズにいそうな端正なお顔立ちをしていた…?」
「うん」
「そうかぁ〜、杉元さんかぁ〜」
「マジでいるの?怖っ…」
同期がドン引きした声を上げた。確かにパーツだけ聞いたらただのヤバイ人にしか思えないけど 、実際の杉元さんは優しくて気のいい青年なんだから世の中って不思議だ。たまにとんでもないこともするけどね。その時だけは、少しだけ杉元さんのこと、怖いって思う。
今の杉元さんはどっちなんだろう。
「やっぱり今日は帰ります…」
「うん…」
「そうした方がいいよ」
「帰りな帰りな」
「無茶するなよ」
「無事を祈ってる」
普段のブラックっぷりが嘘みたいに皆が背中を押してくれた。帰りな、なんて言ってくれたのって入社以来じゃないのかな。うそ、感動…。でも手放しに喜べないのは、皆が私の身を心配してくれているというより、下で待ち伏せているめちゃくちゃヤバそうな連中がいつしびれを切らして社内に押し入ってくるかと、そっちの展開に気を揉んでいるのが何も言わなくても分かってしまったからだ。
だけど私にもそれだけは避けないといけないのはよく分かる。お言葉に甘えて、なんて言いながら重たい手つきでデータのバックアップを取った。スマホはもう見ない。直接会って謝った方がきっと早いから。
「お先に失礼します…!」
ええい、ままよ!とぐっと拳を握りこんでオフィスを後にした。後ろから飛んでくる声援を背中に受けて、なんだか泣きたくなってしまった。やだなぁ、怒られたくないなぁ…。明日が日曜日で仕事がお休みなのも、憂鬱に拍車をかけていた。あの人たちのお仕置きがたった一晩で終わった試しがない。
このあと、会社前で待ち構えている四人に一体どこへ連れて行かれるのか、想像すらつかないその場所に、せめてアシリパさんがいてくれることだけを願って私は足早に自動ドアをくぐった。
結局ナイトプールのお誘いとかで拍子抜け。
でもキッチリ怒られる。社畜はダメだよっ。
2019.7.29