短い話
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「あ、ああああある、ある、あるある、あるじ!!!あるじ!?!ああああるじぃ!!!」
「えっちょっ何っこわっ」
現世から仕事を終えてやってきた私を出迎えてくれた長谷部さんの様子がちょっとおかしい。いつもの長谷部さんといえば、私が帰るたび折り目正しく腰を曲げて「お待ちしておりました主。さ、お荷物を」なんてお決まりのセリフを言いつつアレコレ私の世話を焼いてくれる真面目な働き者なのに。目に見えて慌てる長谷部さん、挨拶もなしに私に飛びつかんばかりに迫ってくる長谷部さん、こんな長谷部さんを見るのは初めてで若干ビビる。思わず後ずさってしまったのを眼ざとく見とがめた長谷部さんが泣き出しそうになってしまったので慌てて駆け寄って肩を撫でるともっと泣きそうになった。
「ど。どうどうどう。長谷部さんどうしたの。ちょっと落ち着こ?深呼吸しよ?」
「あるじぃ…(ぐすぐす)」
「水飲む?飲みかけだけど」
「主の飲みさし…」
半分ほど中身の残ったペットボトルを手渡すと、ズゴゴッと勢いよく飲み干した。手の甲で濡れた口元を拭う彼の瞳が何やら恍惚として見えたのは気のせいだろうか。空になったボトルを懐にしまうのはやめなさい。
「落ち着きましたか」
「主の清廉でみずみずしい霊気を感じました…こんなただの水であったもの一つが主の唇を介することでありがたき聖水に様変わるのですね…ああ、主……主……こんなもので俺は騙されません!!!」
「情緒不安定すぎる…」
わっと肩を震わせ感情を大爆発させた長谷部さんは何やら怒っているらしい。現世での仕事でもさんざっぱら怒られたばかりなのに、気持ちを切り替えて頑張るぞと意気込んだ矢先、こちらでも早々に怒られてしまうとは、労働に対する意欲がどんどん下がっていくのを感じる…。帰ってきただけで怒られる主人ってなんだ。
「長谷部さん…おこなの?」
「おことはなんです?」
「怒っていることです」
「!そうです!!俺はおこです!!大変におこしています!!」
「(かわい…)」
「主!!!」
「ハイッ」
「何故帰ってきてくれなかったのですか!!」
俺たちはずっと待っていたのに!!
胸の内を激しく吐露した長谷部さんが、激情に染まった顔を両手で覆って見捨てられた子犬みたいに縮こまってしまったので、飼い主の私の心は罪悪感でいっぱいになる。私もしゃがんで長谷部さんの顔を覗き込むようにしたけれど、白い手袋に隠されてその瞳は見えない。
「ご、ごめん…でも帰ってきたよ」
「……いつですか」
「ごめん」
「ここを去ったのはいつですか」
「ごめんなさい」
「いつぶりに戻られたのですか」
「ごめんて」
「半年ですよ!!」
激昂の瞬間、手を離して顔をあげた長谷部さんはうっすらと涙の幕を張っていた。何度かまぶたを落としただけでこぼれてしまいそうだ。まともに視線がかち合って、怯んだように一度唇を震わせた長谷部さんは、そのまま俯いてしまった。ぱた、透明な液体が本丸の廊下に染みを作った。
「…は、半年も、あなたは…」
「長谷部さん」
ちゅっ
「…………えっ」
彼の形のいい額から唇を離すと、めいっぱい見開かれた目が私を見ていて、その間の抜けた表情に得も言われず、膝立ちになって長谷部さんの頭をぎゅっと抱き込んだ。
「あ、っあの、ある、あ、あるじっ」
「よーしよしよし。長谷部さん。よーしよし」
右手で彼の後頭部を撫で付け、左手を肩甲骨のあたりに沿わせると、長谷部さんはピシリと固まったように動かなくなった。
昔、お母さんの本棚にあった漫画の中で、脱走したスナネズミを捕まえるためにハンカチを飛ばしたシーンがあったのを思い出した。いたいけなスナネズミたちはハンカチの影を天敵のトンビだと思ってびっくりして固まってしまうらしい。愛い奴だ。突然のハグにびっくりして身動きできない長谷部さんも同じくらい愛い奴だ。
「ごめんね。頭おかしい納期が重なりに重なっちゃってて。デスマをくり返しているうちにこんなことに…」
「……」
「下請けDTPデザイナーの悲しい半年間を存分に責めてね。ほったらかしにしてごめんね。長谷部さんよしよし」
胸元に押し付けられた長谷部さんの吐息が一拍ごとに熱く染み込むのを感じる。完全に長谷部さんがされるがままなので、あちこち撫で回してから体を離すと、顔を真っ赤しにて目をぐるぐるさせていた。
「あ、の、あるじ」
「うん」
「主……は、俺たちのことを、捨てたりしませんよね」
「怖。何てこと言うの長谷部さん」
「そう、ですよね。そうですよね。主が俺たちを捨てるだなんて、そんなこと、ああ、主、俺が愚かでした。主…。主ぃ!!!」
「よ、よーしよしよし!どんとこい!」
廊下に膝をついていた長谷部さんが私の腰回りを抱き込んで、今度は自ら胸元に顔をうずめてくるので、私は背を反らして彼のつむじを見下ろしながらその衝動を受け止める他ない。
主、主、とうわごとのように呟きながら、私の輪郭を確かめるように力強く抱きしめる長谷部さん。実家のゴールデンレトリバーに似ていてかわいい。
「主…ああ…夢にまで見た主が…俺の腕の中にいるなんて……はあ……」
「長谷部さん…」
「ああ、主…なんて柔らかく……ああ……」
「長谷部さん……それ以上揉んだらケツバットだよ」
「…」
どこを。
2018.8.11