短い話
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走る。
息を切らせて全速力で、柵を跳び越え人をすり抜け、追いかけてくる声に耳を塞いで。
「待ってよ!三木!三木なんだろ!」
「人違いだよっ三木なんか知らない私はただの山田花子です!」
「山田さんでもいいから!お願いだから止まって―――」
必死な彼のそんな悲痛な叫びを、私が聞き入れられるはずもない。
瞳子監督が豪炎寺くんを追い出した後、響木元監督の指示で伝説のエースストライカー、吹雪士郎を仲間に引き入れるため、私達雷門イレブンは北海道にやって来ていた。染岡くんの反対意見に全面賛成するわけではないが、元々私はあまり乗り気ではなかったのである。豪炎寺くんに対する名残も勿論大きかったけれど、それ以上に吹雪士郎という名に、私は目眩を覚えたものだ。
小学校低学年。母の転勤について行くことになった私は、愛すべき故郷北海道の地を後にした。東京での学校の転入手続きや住民票の登録諸々も既に済んでいたので、引っ越す日を遅れさせることはやぶさかではあったけれど、やはり私はもう少し、北海道に留まっているべきだったのだろう。私が引っ越してしまったことで、家族を亡くしたばかりの彼は完全に独りぼっちになってしまったのだ。
言い訳など出来ない。する気もない。きっと彼はすごくすごく怒っている。怒髪天を突く勢いで薄情な私を軽蔑しきっているに違いない。それどころか名前だって覚えちゃいないだろう。そんな風に存在を忘れられている相手に会うのは、とても辛いものがある。しかしあの時の彼はもっともっと傷ついていたことも分かり切っているので、私だけ行かないというのは、どうしても言い出せなかった。
まあいいさ、どうせ顔だって忘れられているのだから、あまり気負わずにいざとなったら壁山くんの背中に隠れさせてもらえばいいや。最終手段は鬼道くんのマントの中だ。
―――と、まあそんな風に考えては、いたのだけれど。
「―――っ、三木!!」
ぱしり、と軽やかな音を立てて、やや乱暴な手つきで吹雪くんは私の腕を掴んだ。急に後ろに引かれたことで、自然私の足はたたらを踏んで、思わずバランスを崩しかけた。条件反射、なのだろうか。肩で息をする吹雪くんの顔を、決して見ないようにしようと堅く心に誓っていた顔を、私は仰ぎ見てしまっていた。
ばっちり交錯し合う視線、吹雪くんの輝く瞳の中に私がふたり、映っている。
「―――やっぱり、三木じゃないか」
「た、他人の空似、だよ」
白々しくも虚構を並べ立てる私を、吹雪くんは悲しげな瞳でじっと見つめた。透き通るような蒼色を見て、全然変わっていないな、とふと思った。ぎゅう、と腕を掴む力が強くなる。吹雪くんは何だか泣き出しそうで、掴んでいる手も震えていた。
「……三木は」
「え、ちょ」
「やっぱり、僕のことが嫌いなんだね」
眉をハの字に下げて、大きな瞳を歪ませて、本当に悲しいときの顔つきだった。いつものあまやかな表情は欠片もない。罪悪感がむくむくと私の中で膨れあがるのが分かった。
「僕のことが嫌いで、だから引っ越しちゃったんだろ」
「い、いやあの」
「僕は三木が大好きだから、本当に、死ぬほど寂しかった」
「ご、ごめん」
「謝らなくていいよ。三木は悪くないんだから」
両腕を私の背中に回して、吹雪くんは私を抱きしめた。顔を埋められた首筋が、熱く火照る。「―――嫌いでも、」そう言う声は、震えていた。
「たとえ嫌われてても、僕は今でも三木が大好きだよ」
「……」
「また逃げられても絶対に追いかける」
「……」
「そして捕まえたら絶対に放さずに一生こうやって僕のものにしてる」
何で。そう問いたかった。一番人恋しい時にきみを見捨てた私を何故、きみはそこまで執拗に追い求めるのかと、聞いてしまおうかと思った。しかしそれにはまず、解くべき誤解がひとつあった。
「……嫌いなんかじゃないよ」
「う、ぇ」
「ごめん。嫌いじゃないよ。申し訳なかったんだよ。きみをひとりで置いて」
「え、あ、あ」
「嫌いなんかじゃないんだよ、吹雪くん」
よしよし、と呆けた顔の吹雪くんの頭を優しく撫でた。吹雪くんは一瞬狼狽して目を見開いてから、へにゃりと女の子顔負けの可愛い笑顔を披露して、あまやかな声で「僕は大好きだよ」と耳元で囁いた。
彼の言う好きと私の好きでは、きっと意味が百八十度完璧逆の方向に間違っているように、思う。しかしそれが統一されるのはそう遠い未来ではないと、未だ彼の腕に閉じこめられたまま、何となく私は思ったのだった。
追いかけてきたイレブンに目撃される。
2009.12.5