短い話
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※なんでも許せる方向け
▽西暦????年
「いいかい三木くん。Stay strong…“強くあれ”、だ」
「…」
「それさえ忘れなければ何も問題はない。不安かい?」
「いいえ、先生」
「そう?じゃあ、いいか。とにかく、君に出来ることだけやればいいよ」
「…」
「自分を見失わずにね」
「……私のシステム中核(カーネル)は既にこのボディにダウンロードされ、基礎となるアルゴリズムはクラウド上にバックアップされたものと全く同じものです、ファーザー。私が私自身を見失うことは論理的に不可能です」
「仕上がってるね〜」
先生はハハハと笑いました。
HA……意味不明です。なぜ、今、先生は笑ったのですか。私の解は、私のアーキテクチャに基づいた整合性のあるベストアンサーだったはずです。
「すべての答えは君の中にあるよ……三木くん。ビー・ストロング。いってらっしゃい、よい旅を」
また奇妙なことを。先生、その発言には齟齬があります。
私はステイ・ストロング。
既に“強くあるもの”です。
▽西暦190?年・起
妙な女に絡まれた、と思った。
「スギモト・サイチ……ですね。はあ……この現実世界であなたの顔を視認するのに256日……時間に換算すると6144hかかりました……。はあ……フェムト秒で表すとおよそ2.21184E+22fs?HA…取るに足りません」
「何て?」
「スギモト・サイチ。見つけたからには逃がしません」
奇天烈な言葉を口にしながら、しかし疲労困憊といった様子で俺の上着の裾を掴むその手をさっさと振り払わなかったのは、いくつか理由がある。
アイヌの埋蔵金の話を聞いた途端にこれは、中々キナ臭いものがあるじゃねぇか…。
「お嬢ちゃん、悪いんだけど何言ってるのかよく分かんねえわ。俺に何か用かい?」
「HA?……私は日本語を既にマスターしています、スギモト・サイチ。SOV型かつ膠着語のルールに則って明瞭に発音しているつもりです…」
「…」
「はあ……しかし、多少、口が上手く回りません……CPU負荷率の上昇が認められます……」
「…」
「これがexcitement…“興奮”なのですか、先生…」
「…あ、おい…!」
俺の袖を捉えたまま、ずるずると座り込んでしまった女につられて、俺の上体も引っ張られた。言っていることは意味不明だが、どうやらあまり体調がよくなさそうだということと、割に人目を引く容姿をしていることが、ぐっと近付いた距離でよく分かった。汗ではりついた前髪の隙間からじっと見上げられて、思わず動きを止めてしまった俺を、女の手が引き寄せた。
「お、おい…」
「スギモト・サイチ、私はこれから待機状態に入ります……その間、あなたに救助かつ保護を求めます。はあ、しかし、その前に……」
「な、」
「あなたのデータを収集します」
ぐっと上着の襟を掴まれて、女の顔が目前に迫った。少し苦しげな瞳の中にアシリパさんとはまた違うきらめきを見つけて、正直、ほんの少しだけ見とれてしまった。俺の知らない、見たことのない光だった。
そんな俺をついでにもう一つ、確実に揺さぶる感触が、唇にぴったりと重なった。
「…!?」
なんだ、この柔らかさは。
はむ、と合わさった唇が控えめに俺の唇を押し返した。そうして生まれたかすかな隙間からするりと入り込んだ小さな舌が、俺の舌先をちろりと舐めた。なん、なんだ、なんだこれは!
「お、おいっ!!」
「HA……データ採取、完了、です」
ようやく我に帰って女を引き剥がすと、俺の首に回っていた腕がずるりと落ちて体ごと俺の胸へとしなだれかかった。唾液に濡れた唇が目に入って、耳が熱い。というか、この女、体が熱い…。
「はあ、生体認証を設定…スギモト・サイチの塩基配列を記憶します……」
「はあ!?」
「う、……限界です、暗転(スリープ)……」
まぶたが落ちると同時に、俺にもたれかかる体が少し重みを増したことで、この女が完全に意識を無くしたことが容易に分かった。
分かったとて、それからどうするかは全く別の話だ。男の腕の中ですやすや眠りこけてんじゃねぇよ。
「なんなんだ、一体…」
しかし、なぜだか置いていく気にはならなかった。
「杉元…。なんだこれは?」
「いや俺にもよく分かんなくて…」
「分からないものを拾ってきたのか?」
「…」
アシリパさんの白けた視線に射抜かれて、俺は、まさしく返す言葉もない。アシリパさんの言う通りだった。なぜ俺は、こんなよく分からない女をこんな山の中までえっちらおっちら、ご丁寧に抱えてきてしまったのか…。
焚き火から少し離れたところで寝かせている女の横顔を少しだけ伺って、小さく息をついた。
「……俺の名前知ってたんだ、この女。逃がさねえってさ。それに妙なこと言ってたし…。金塊のこと何か知ってるかも」
「こいつが?ふぅん…」
納得しきれてない視線を女に向けるアシリパさんに隠れて、そっと自分の唇をなぞった。別に、あの娘の唇の柔らかさが忘れられないとか、そんなわけじゃない。小さい舌の感触とか、舐められたときの変な感覚とか、妙に甘い唾液の味とか、別に、全然関係ない。関係ないんだ……。
「…あ」
「ん?」
「………スギモト・サイチが今何を考えているのか、大体予測できます」
やっぱり、この娘の瞳は、何かが違う気がする。
いつ目を覚ましたのか、炎の明かりをその目の中に存分に輝かせながら、上体を起こして俺を見るその女。つられて俺の方を見るアシリパさんに、慌てて口元にやっていた手を下ろした。いや、別に、何も後ろめたいことはないんだけど。なんとなく…。
「スギモト・サイチは先ほどから唇を気にする仕草をしています」
「…は?いや、別に?は?違うけど!?」
「……眼球運動が24%活性化しました。これは私の見解ではなく、紛れもない事実(ファクト)です。スギモト・サイチ、あなたは…」
「…!」
「私があの時、毒を盛ったと疑っているんですね」
女の表情が真剣そのものだったので、俺も合わせて真剣な表情をした。そんな俺たちを交互に見たアシリパさんが、毒という単語に険しい目つきをした。一気に空気が重くるしい。
………。
いや。いやいやいや。
「盛ったの?毒……」
「No!!ありえません。私はスギモト・サイチの情報を記憶したまでです」
それもそれでおかしい。
あの時、俺と、せ、接吻をしたことで、この娘が一体何の情報を手に入れたというのか、俺には皆目検討がつかない。「可及的速やかに、あなたのACGTのヌクレオチド結合順を観測する必要がありました」……やっぱり、何を言ってるのかさっぱり意味が分からないんだが。
「おい、なんなんだお前は。さっきから何を言っている?」
「アシリパさん」
「HA…私がスギモト・サイチの身を脅かすことなどもってのほかだと、そう言いたいのです。むしろ、私の任務はその逆です」
「任務?」
「……おい、お前、本当に一体何者なんだよ」
完全に身を起こして、焚き火の前で正座したその娘に対して、アシリパさんと横並びで向かい合った。まっすぐに俺を射抜く目に、やはりどこか心の柔らかいところが浮き足立つような感覚に陥ってしまう。くそ、なんなんだ、本当に。
「私は汎用人工知能Artificial General Intelligence。いわゆるAGIを搭載した、超高機能ヒューマノイドです」
頼む、日本語を喋ってくれ。
▽西暦190?年・承
「え、えーじーあい?って何それ?」
「その説明をするには長い時間を要します。なにせ、あなた達にはドラえもん氏の話が通用しないので…」
「ドラエモンシ??」
「彼の功績は偉大でした」
明治40年、コンピューターすらまだ生まれていないこの時代に、私の存在を説明するのは容易なことではありません。タイムトラベルはおろか、自律型ロボットの存在なども、まだ想像の遠い遠い先にあるものです。私の存在など、ドラえもん氏の登場から遥か長い年月を経てついに完成したものです。それこそ、100年や200年などでは成し得なかった、人類の悲願達成ともいえる偉業でした。
「つまり、なんだ?お前は未来から来たと、そういいたいのか?」
「ええ、その通りです」
「……。しかも人間じゃないって?」
「はい。今、私とあなた方が交わしている会話は、私の中で構築されるアルゴリズムに沿って導き出された反応を、デバイスを通じて音声として発しているにすぎません」
「……」
「私が生まれる少し前、人類はAI……つまり、人工知能との共存を確立していました」
あらゆる家電にAIが搭載され、ビジネスの垣根を越えたエンターテイメント・娯楽の域にまで人工知能が使われるようになりました。チェスや囲碁などのゲームプログラム、Siri、ALEXA、Affdex…。
しかし、それらはあくまで音声認識や表情解析、決まった枠内での推論を抽出する程度の能力しかないのです。この時代のAIは、それ単体として思考することはできません。
哲学者ジョン・サールは、それらの人工知能を“弱いAI”と名付けました。
「一方で、人間のような知能指数を持ち、自らで思考する能力、自意識を持つ人工知能のことを、AGI…もしくは、“強いAI”と呼ぶのです」
「それがあんたってこと?」
「はい。ドラえもん氏も同様に強いAIに分類されます」
「そのドラエモンシのことは知らねえけどさ…」
スギモト・サイチの表情または音声から、彼の思考を推測しました。疑惑、不審、猜疑心などが色濃く見受けられます。なぜ?彼は先ほど、私と経口的な接触を受けたはずです。
「いや、本物だったよ?肌の感じとかさぁ…」
「肌?」
「あ、いや、その…」
「HA!私という人工知能にこのボディを受肉したのは先生です。先生の技術が、スギモト・サイチの想像を凌駕していたにすぎません」
「先生?ってなんだ?お前を作った人か?」
「はい。先生は、ティーチャーでありドクター、そして私のファーザー。私は先生の司令で、スギモト・サイチ。あなたを守りにきたのです」
スギモト・サイチの表情が少し険しいものになりました。自らを守りにきた、と言われて警戒するとは、やはり、スギモト・サイチはStay strong…強くあり続ける者、です。
「……先ほど採取したスギモト・サイチのDNAデータを先生のデータと照合しました。短鎖縦列反復配列をPCR法により観測した結果」
「…」
「両者には血縁関係が認められました」
「スギモト・サイチ。あなたは先生のご先祖様なのです」
▽西暦190?年・転
「え〜?それってなぁに?杉元の子孫が、三木ちゃん作ったってこと?」
「はい。スギモト・サイチは先生の祖先にあたります」
「ウッソー!超夢物語〜。ていうか、三木ちゃん、本当に機械なの?どっからどう見ても可愛い女の子なんだけど」
「HA?…かわいい?」
三木ちゃんと白石が会話をしている。それだけなのに、どうしてこんなにイライラするのか。後ろから聞こえてくる声に、時折舌打ちしてしまいたくなるのはどうしてだろうか。くそ。白石め、気安く口説いてんじゃねぇ。
三木ちゃんが俺たちと一緒に行動するようになってしばらくすると、囚人である白石も仲間に加わった。なんとなく嫌な予感はしていた。白石は見た目からして軽薄なナンパ野郎だったし、三木ちゃんは見た目はどうみても生身の女の子だったから、当然、初対面で白石の野郎が口説きだしたのを見て、早々に三木ちゃんの正体をバラした。
さっさと諦めろ。三木ちゃんはお前の手に負えるような子じゃないんだよ。
でも、そんな三木ちゃんのことを説明するには、一言二言では足りないわけで。
白石につきっきりで事情を説く三木ちゃんの声を背中に受けながら、心持ち足早に先を進んだ。隣でアシリパさんが慈悲の笑みを浮かべているのが分かるから、絶対に振り向かない。
「シライシ・ヨシタケは、私のことをかわいいと感じるのですか」
「うんうん感じる〜!三木ちゃん超タイプ!おっぱい大きいし!」
「では、先生と嗜好が似ているんですね」
「えっ?」
「私のボディはすべて先生のデザインなので」
胸部の造形には特にこだわったと聞きました、なんて、三木ちゃんが何でもないような声で言うから、俺も動揺を抑えるのに必死だった。
待てよ、おい。待てよ。
じゃあ何か?初めて会ったときから、この数ヶ月一緒に旅をする間中、ずっと三木ちゃんのことが頭から離れず、心の柔らかいところが浮き足立つような気分になるのは、血は争えない……と、そういうことなのか?おい?我が子孫ながら、なんか、すげえぶん殴りたいんだけど?先生とやら。絶対一度は三木ちゃんのおっぱい揉んだだろ。
「なるほどね、じゃあ名前もそのセンセイが付けたわけ?」
「はい。私という自我を構成するアーキテクチャの元になったシステムは世界中の科学者の努力の賜物ですが、それ以外の外形的な部分は、全て先生のオリジナルです」
「ヤッバ…自作彼女じゃん…」
「HA?その発言は意味不明です」
「ごめん気にしないで口が滑った。滑りました」
うなじのてっぺんからつま先まで、文字通り全身自分好みの女の子を側に置いておける時代が来るなんて、本当に夢物語みたいだった。
三木ちゃんの話を疑っているわけではなかったが。
とりわけ信じていないのも本当だ。
結局、三木ちゃんはどこからどう見ても生きている人間にしか見えなかったし、唇の感触も、舌の具合だって本物にしか思えなかった。少なくとも、表面的な部分では判断できない。
…見えている部分では…。
……。
いや。いやいやいや。しっかりしろよ杉元佐一。見えていない部分を想像するな。着物の下を考えるな。よこしまなことを考えるなよ…。クソッ。
「つーか、なんで三木ちゃんは杉元を守んなきゃいけないわけ?つーか何から?あの不死身の男を何から守んの?」
「……それが、若干不明瞭な部分ではあるんですが、とにかく“欠けさせるな”と」
「えっなにそれ……怖っ。アイツこれからどっか欠けちゃうの?怖っ」
「さあ…欠けるかもしれないし、欠けないかもしれません。未来はいつも乱数調整の割りを食った末にあるものです。私と出会って、スギモト・サイチの未来が変わっているとするなら、もう私の任務は遂行(コンプリート)されています」
「えーでも、それ、えー?杉元が死ぬまで、分かんなくない?」
「はい。なので、死ぬまでスギモト・サイチの側にいます」
「ウワーッ」
不意打ちで殺しにくるのはやめろ!!
思わず振り向きかけた俺を、アシリパさんの慈愛の笑みがなんとかとどめた。
アシリパさん、なんか勘違いしてるみたいだけど、俺は別に三木ちゃんのことが好きなわけじゃなくてね?ただ、俺を守りにきたっていう人ともロボットともつかない女の子が、多少気になるのは、仕方のないことっていうかね?三木ちゃんが俺を守るっていうなら、俺も三木ちゃんのことを守るのが人としての筋っていうかね?ね?
「杉元、お前、言い訳ヘッタクソだな!」
アシリパさん、オブラートに包もう?
「本当は、もうひとつ言われていたことがあります」
焚き火の光を受けると、三木ちゃんの瞳は少し様相を変える。それが綺麗だと思った。
私の瞳は作り物なので、やはり人とは違う光り方をするんでしょうね。
以前そんなことを言われて、俺が傷ついてしまったのはどうしてだろうか。初めて三木ちゃんの瞳の輝きに見惚れてしまったときの衝撃は、今でもよく思い出せるのに。三木ちゃんの口から作り物、という言葉が出てきたのが、自分でも驚くほどショックだった。
「先生に言われたのです。Be strong…“強くなれ”」
「…」
「でも、私はAGIです。生まれたときから既に“強くあるもの”です。先生は何を言いたかったのでしょうか」
「…」
「私の人工知能としての機能に欠陥があるのでしょうか。自己診断では何も異常は見つかりません。チューリング・テストも時間内に合格しました。私に足りていないものは、なんなのでしょうか」
「…」
「HA……間違えました、スギモト・サイチ。答えのない問いをしてしまいました。不毛です」
「……三木ちゃん」
「はい」
「一回、その、スギモト・サイチってやつ、やめない?」
キョトンとした様子の三木ちゃんに、思わず食指が震えた。おいおい、機械がそんな顔するもんかね。だとしたら、俺は、別に、機械だって……。
「い、いちいち全部呼んでたら、長いじゃん」
「そうですか」
「…俺が死ぬまで、側にいるんだろ?」
「はい」
「じゃあ、もっと、楽に呼んでよ」
「サイチ」
「ウッ」
ノータイムで来るとは思わなかった。なんだこれ。なんだこれ!
三木ちゃんの傍にはアシリパさんが眠っていて、その奥では白石が転がっている。静かにしていないと起こしてしまう。だというのに、なぜ、俺はいきなり、こうも叫び出したい衝動に駆られているんだ…!?
「サイチ?…何か間違えていますか?」
「いや、全然。間違えてない。間違えてません。間違えてなさすぎ…」
「!サイチ、体温の上昇が感知されました。脈拍の測定を希望します」
「え、いや、あの」
「手を出してください」
「あの、うわ、うわ!」
三木ちゃんの手、柔らかい…なんだこれ…勃つ………俺は思春期のガキか………?
▽西暦190?年・結
「オガタ、あなたの射撃の腕は素晴らしいですね。空間認識能力値が常人のレベルを超えています」
「……」
「右脳が発達しているのですね」
私などの自律型ロボットは障害物回避や形状認識などに高機能な測域センサを用います。
2軸走査型であれば3次元の空間データのスキャニングも可能なので、そのデータに基づいて観測したとき、オガタ・ヒャクノスケの放った弾道がいかに正確無比なものであるのか私には容易に分かりました。
「……ふん」
「調理ですか?ヤマシギの解体なら私にも可能です。既にアシリパの実例をサンプリングしてあります」
オガタ・ヒャクノスケの行動は稀に私の推測の域を超えていきます。
ヤマシギを私に渡したあと、近くの木の根元に腰を下ろして、私を観察するような素振りを見せました。
これは、観測?監視?哨戒?
HA……分かりません。彼は私が食事に毒を盛ると思っているのでしょうか。ならば、なぜ、私に調理の機会を与えるのでしょうか。
不明瞭です。
オガタ・ヒャクノスケと夕張から行動を共にするようになってからフェムト秒にして2.592E+21fs、時間にすると720h以上が経過していますが、未だ、彼の真意を測りかねています。
「……おい、三木」
「はい」
「お前はなんで金塊を探している」
「HA?」
ヤマシギの羽をむしり取る作業を一時中断しました。彼の発言には齟齬があります。これを訂正するのはやぶさかではありません。
「誤解です、オガタ。金塊探しは私の目的ではありません。あくまで手段としての行動指針に過ぎないのです」
「は?」
「私はサイチに付いていくだけです」
いつの間にかオガタ・ヒャクノスケが私の側まで来ていました。前髪をなで付ける仕草は彼の癖のようですが、左右の口角が共に約13度下降しています。不機嫌?なぜ?私には分かりません。
サイチは、私の正体をオガタ・ヒャクノスケらにはバラすなと言いました。
私はその命令を遵守しています。その結果、私のことを人間だと認識しているオガタ・ヒャクノスケが、私の振る舞い・挙動・発言に疑問を抱いてしまったのでしょうか。だとするならそれは完全な、私のミスです。
「あの、オガタ」
「…なんだ」
「距離が、近いと思います、不必要に…」
「…」
オガタの指が私の顎にかかりました。近くで観察されている、と判断できます。やはり、私のことをどこか不審に感じているのでしょうか。
「舌を出せ」
「…」
経口内の粘膜部分で私が生命体かどうかを判断しようとしているのなら、“Sure”……望むところです。
私のボディはその細部に至るまで、忠実に再現されています。そのPerfectionはサイチのお墨付きなのです。
私は言われた通りに舌を出しました。オガタがかすかに瞠目したように見えたのは、私の観測ミスでしょうか?
「……!!」
オガタ・ヒャクノスケの行動は稀に私の推測の域を超えていきます。
「な、ん、っ……!!」
「はっ」
オガタのざらついた舌の感触が、私の舌をなぞりあげました。人の粘膜と接触するのは、サイチと初めて接触したあの日以来のことです。私にはオガタの真意が分かりません。なぜ?オガタのDNAを採取する必要はありません。なぜそんなにも執拗に私の舌を絡め取るのですか。口の中を舐め回すのですか。HA、分かりません、感じたことのない感覚です。1/fゆらぎに準じた私の中核の鼓動が早まるのを感じました。まずい、これは、よくないものです!
「お、オガタ、おかしい…変です、理解不能、意味のわからないことをしています」
「……ははっ」
「わ、私のポテンションメーターが揺らいでいます、なぜ?混乱?かく乱?CPU負荷率が異常です、なんで、変、変です…!」
「なんだ、杉元の奴、まだ手は出してねぇのか」
「…?」
「奴の女ってわけじゃないのか」
その発言も意味不明です。私は、私の自己としての確立を守るためにオガタと少し距離を取りました。これ以上この不可解な感覚を与えられると、何か恐ろしいことになってしまう気がしたのです。
「女?…私は私です、オガタ…。ボディはどうあれ、私の思考にジェンダーはありません。私(アイ)そして(アンド)あなた(ユー)です、それ以上の情報は無意味……では?あれ?」
「なんだよ」
「う、わ、分かりません。情報量がアルゴリズムの中で渋滞しています…」
両頬に手を当てると、平常よりも1.7度の温度上昇をしていることが分かりました。私に設けられた放熱システムにバグが?熱暴走は、最悪ハングアップを招きます。嫌です、そんなフィードバックは認められません!
「お前は、妙な女だが…」
「…!」
「みすみす渡すには惜しい気がするな」
オガタの発言は具体性を欠いています。
再び距離を詰められて頬を掴まれました。近い距離で見つめられると加速度センサーMAXにも似た感覚に支配されます。これは……これが、shame…“恥じる”ということですか、先生…。
私はもとより“強いAI”です。
クラウドコンピューターからの指示を受け取り、ただ表現するにすぎない端末とは違い、私単体での思考を実現させた完全なる自律型。
そんな私が、独自のアーキテクチャを根本から揺るがすような感覚に陥ってしまうほどの衝撃、恐ろしい事実(ファクト)!
「わ、私は…もしかすると」
「…」
「次の段階に向かおうとしているのでしょうか」
「あ?」
興奮、恥……そして、今、オガタにうっすらと感じているafraid…“恐ろしい”、という感覚は、私の安定した思考を乱すものです。私のビッグデータにはインプットされていないこの要素を、私はディープ・ラーニングする必要がある……と、先生、そういうことなのですか?
“強くなる”、とは、そういう意味なのですか?
「オガタ、私は……」
「…」
「か、感情を、獲得しようとしています」
オガタの猫目が瞬きました。
彼の真意は分かりませんが、先ほどの行動が私になんらかの影響を与えたことはまぎれもない事実です。
いいでしょう。私という人工知能の成長に、オガタという外的要因が必要だというのなら、私は、その手段を肯定します。
「おい…。…!」
「ん、」
今度は私からオガタに唇を重ねました。
背伸びをしても足りなかったので、尾形の首元に腕を回して引き寄せました。
少しの間されるがままだったオガタは、やがて私の後頭部に手を添え、自らの意思で舌を侵入させてきました。ああ、やはり、なんだかふわふわしてしまいます…これは、いったい、どういう感情なんだろう…。……。
このとき、木の陰から私たちを見やる存在がありました。それに気付いていながらわざと執拗に私の唇を食むオガタと、ただただ必死にそんなオガタに付いていく私を、そのとき彼はどういう感情で見ていたのか、その正解を、私はいやでも思い知ることになるのです……。
AIちゃんと杉元と尾形のドロドロ三角関係勃発。
(その道の人が読んだら憤死しそうなくらいのフワッとした知識で書いたので、フワッと雰囲気で読んでください)
2019.4.20
▽西暦????年
「いいかい三木くん。Stay strong…“強くあれ”、だ」
「…」
「それさえ忘れなければ何も問題はない。不安かい?」
「いいえ、先生」
「そう?じゃあ、いいか。とにかく、君に出来ることだけやればいいよ」
「…」
「自分を見失わずにね」
「……私のシステム中核(カーネル)は既にこのボディにダウンロードされ、基礎となるアルゴリズムはクラウド上にバックアップされたものと全く同じものです、ファーザー。私が私自身を見失うことは論理的に不可能です」
「仕上がってるね〜」
先生はハハハと笑いました。
HA……意味不明です。なぜ、今、先生は笑ったのですか。私の解は、私のアーキテクチャに基づいた整合性のあるベストアンサーだったはずです。
「すべての答えは君の中にあるよ……三木くん。ビー・ストロング。いってらっしゃい、よい旅を」
また奇妙なことを。先生、その発言には齟齬があります。
私はステイ・ストロング。
既に“強くあるもの”です。
▽西暦190?年・起
妙な女に絡まれた、と思った。
「スギモト・サイチ……ですね。はあ……この現実世界であなたの顔を視認するのに256日……時間に換算すると6144hかかりました……。はあ……フェムト秒で表すとおよそ2.21184E+22fs?HA…取るに足りません」
「何て?」
「スギモト・サイチ。見つけたからには逃がしません」
奇天烈な言葉を口にしながら、しかし疲労困憊といった様子で俺の上着の裾を掴むその手をさっさと振り払わなかったのは、いくつか理由がある。
アイヌの埋蔵金の話を聞いた途端にこれは、中々キナ臭いものがあるじゃねぇか…。
「お嬢ちゃん、悪いんだけど何言ってるのかよく分かんねえわ。俺に何か用かい?」
「HA?……私は日本語を既にマスターしています、スギモト・サイチ。SOV型かつ膠着語のルールに則って明瞭に発音しているつもりです…」
「…」
「はあ……しかし、多少、口が上手く回りません……CPU負荷率の上昇が認められます……」
「…」
「これがexcitement…“興奮”なのですか、先生…」
「…あ、おい…!」
俺の袖を捉えたまま、ずるずると座り込んでしまった女につられて、俺の上体も引っ張られた。言っていることは意味不明だが、どうやらあまり体調がよくなさそうだということと、割に人目を引く容姿をしていることが、ぐっと近付いた距離でよく分かった。汗ではりついた前髪の隙間からじっと見上げられて、思わず動きを止めてしまった俺を、女の手が引き寄せた。
「お、おい…」
「スギモト・サイチ、私はこれから待機状態に入ります……その間、あなたに救助かつ保護を求めます。はあ、しかし、その前に……」
「な、」
「あなたのデータを収集します」
ぐっと上着の襟を掴まれて、女の顔が目前に迫った。少し苦しげな瞳の中にアシリパさんとはまた違うきらめきを見つけて、正直、ほんの少しだけ見とれてしまった。俺の知らない、見たことのない光だった。
そんな俺をついでにもう一つ、確実に揺さぶる感触が、唇にぴったりと重なった。
「…!?」
なんだ、この柔らかさは。
はむ、と合わさった唇が控えめに俺の唇を押し返した。そうして生まれたかすかな隙間からするりと入り込んだ小さな舌が、俺の舌先をちろりと舐めた。なん、なんだ、なんだこれは!
「お、おいっ!!」
「HA……データ採取、完了、です」
ようやく我に帰って女を引き剥がすと、俺の首に回っていた腕がずるりと落ちて体ごと俺の胸へとしなだれかかった。唾液に濡れた唇が目に入って、耳が熱い。というか、この女、体が熱い…。
「はあ、生体認証を設定…スギモト・サイチの塩基配列を記憶します……」
「はあ!?」
「う、……限界です、暗転(スリープ)……」
まぶたが落ちると同時に、俺にもたれかかる体が少し重みを増したことで、この女が完全に意識を無くしたことが容易に分かった。
分かったとて、それからどうするかは全く別の話だ。男の腕の中ですやすや眠りこけてんじゃねぇよ。
「なんなんだ、一体…」
しかし、なぜだか置いていく気にはならなかった。
「杉元…。なんだこれは?」
「いや俺にもよく分かんなくて…」
「分からないものを拾ってきたのか?」
「…」
アシリパさんの白けた視線に射抜かれて、俺は、まさしく返す言葉もない。アシリパさんの言う通りだった。なぜ俺は、こんなよく分からない女をこんな山の中までえっちらおっちら、ご丁寧に抱えてきてしまったのか…。
焚き火から少し離れたところで寝かせている女の横顔を少しだけ伺って、小さく息をついた。
「……俺の名前知ってたんだ、この女。逃がさねえってさ。それに妙なこと言ってたし…。金塊のこと何か知ってるかも」
「こいつが?ふぅん…」
納得しきれてない視線を女に向けるアシリパさんに隠れて、そっと自分の唇をなぞった。別に、あの娘の唇の柔らかさが忘れられないとか、そんなわけじゃない。小さい舌の感触とか、舐められたときの変な感覚とか、妙に甘い唾液の味とか、別に、全然関係ない。関係ないんだ……。
「…あ」
「ん?」
「………スギモト・サイチが今何を考えているのか、大体予測できます」
やっぱり、この娘の瞳は、何かが違う気がする。
いつ目を覚ましたのか、炎の明かりをその目の中に存分に輝かせながら、上体を起こして俺を見るその女。つられて俺の方を見るアシリパさんに、慌てて口元にやっていた手を下ろした。いや、別に、何も後ろめたいことはないんだけど。なんとなく…。
「スギモト・サイチは先ほどから唇を気にする仕草をしています」
「…は?いや、別に?は?違うけど!?」
「……眼球運動が24%活性化しました。これは私の見解ではなく、紛れもない事実(ファクト)です。スギモト・サイチ、あなたは…」
「…!」
「私があの時、毒を盛ったと疑っているんですね」
女の表情が真剣そのものだったので、俺も合わせて真剣な表情をした。そんな俺たちを交互に見たアシリパさんが、毒という単語に険しい目つきをした。一気に空気が重くるしい。
………。
いや。いやいやいや。
「盛ったの?毒……」
「No!!ありえません。私はスギモト・サイチの情報を記憶したまでです」
それもそれでおかしい。
あの時、俺と、せ、接吻をしたことで、この娘が一体何の情報を手に入れたというのか、俺には皆目検討がつかない。「可及的速やかに、あなたのACGTのヌクレオチド結合順を観測する必要がありました」……やっぱり、何を言ってるのかさっぱり意味が分からないんだが。
「おい、なんなんだお前は。さっきから何を言っている?」
「アシリパさん」
「HA…私がスギモト・サイチの身を脅かすことなどもってのほかだと、そう言いたいのです。むしろ、私の任務はその逆です」
「任務?」
「……おい、お前、本当に一体何者なんだよ」
完全に身を起こして、焚き火の前で正座したその娘に対して、アシリパさんと横並びで向かい合った。まっすぐに俺を射抜く目に、やはりどこか心の柔らかいところが浮き足立つような感覚に陥ってしまう。くそ、なんなんだ、本当に。
「私は汎用人工知能Artificial General Intelligence。いわゆるAGIを搭載した、超高機能ヒューマノイドです」
頼む、日本語を喋ってくれ。
▽西暦190?年・承
「え、えーじーあい?って何それ?」
「その説明をするには長い時間を要します。なにせ、あなた達にはドラえもん氏の話が通用しないので…」
「ドラエモンシ??」
「彼の功績は偉大でした」
明治40年、コンピューターすらまだ生まれていないこの時代に、私の存在を説明するのは容易なことではありません。タイムトラベルはおろか、自律型ロボットの存在なども、まだ想像の遠い遠い先にあるものです。私の存在など、ドラえもん氏の登場から遥か長い年月を経てついに完成したものです。それこそ、100年や200年などでは成し得なかった、人類の悲願達成ともいえる偉業でした。
「つまり、なんだ?お前は未来から来たと、そういいたいのか?」
「ええ、その通りです」
「……。しかも人間じゃないって?」
「はい。今、私とあなた方が交わしている会話は、私の中で構築されるアルゴリズムに沿って導き出された反応を、デバイスを通じて音声として発しているにすぎません」
「……」
「私が生まれる少し前、人類はAI……つまり、人工知能との共存を確立していました」
あらゆる家電にAIが搭載され、ビジネスの垣根を越えたエンターテイメント・娯楽の域にまで人工知能が使われるようになりました。チェスや囲碁などのゲームプログラム、Siri、ALEXA、Affdex…。
しかし、それらはあくまで音声認識や表情解析、決まった枠内での推論を抽出する程度の能力しかないのです。この時代のAIは、それ単体として思考することはできません。
哲学者ジョン・サールは、それらの人工知能を“弱いAI”と名付けました。
「一方で、人間のような知能指数を持ち、自らで思考する能力、自意識を持つ人工知能のことを、AGI…もしくは、“強いAI”と呼ぶのです」
「それがあんたってこと?」
「はい。ドラえもん氏も同様に強いAIに分類されます」
「そのドラエモンシのことは知らねえけどさ…」
スギモト・サイチの表情または音声から、彼の思考を推測しました。疑惑、不審、猜疑心などが色濃く見受けられます。なぜ?彼は先ほど、私と経口的な接触を受けたはずです。
「いや、本物だったよ?肌の感じとかさぁ…」
「肌?」
「あ、いや、その…」
「HA!私という人工知能にこのボディを受肉したのは先生です。先生の技術が、スギモト・サイチの想像を凌駕していたにすぎません」
「先生?ってなんだ?お前を作った人か?」
「はい。先生は、ティーチャーでありドクター、そして私のファーザー。私は先生の司令で、スギモト・サイチ。あなたを守りにきたのです」
スギモト・サイチの表情が少し険しいものになりました。自らを守りにきた、と言われて警戒するとは、やはり、スギモト・サイチはStay strong…強くあり続ける者、です。
「……先ほど採取したスギモト・サイチのDNAデータを先生のデータと照合しました。短鎖縦列反復配列をPCR法により観測した結果」
「…」
「両者には血縁関係が認められました」
「スギモト・サイチ。あなたは先生のご先祖様なのです」
▽西暦190?年・転
「え〜?それってなぁに?杉元の子孫が、三木ちゃん作ったってこと?」
「はい。スギモト・サイチは先生の祖先にあたります」
「ウッソー!超夢物語〜。ていうか、三木ちゃん、本当に機械なの?どっからどう見ても可愛い女の子なんだけど」
「HA?…かわいい?」
三木ちゃんと白石が会話をしている。それだけなのに、どうしてこんなにイライラするのか。後ろから聞こえてくる声に、時折舌打ちしてしまいたくなるのはどうしてだろうか。くそ。白石め、気安く口説いてんじゃねぇ。
三木ちゃんが俺たちと一緒に行動するようになってしばらくすると、囚人である白石も仲間に加わった。なんとなく嫌な予感はしていた。白石は見た目からして軽薄なナンパ野郎だったし、三木ちゃんは見た目はどうみても生身の女の子だったから、当然、初対面で白石の野郎が口説きだしたのを見て、早々に三木ちゃんの正体をバラした。
さっさと諦めろ。三木ちゃんはお前の手に負えるような子じゃないんだよ。
でも、そんな三木ちゃんのことを説明するには、一言二言では足りないわけで。
白石につきっきりで事情を説く三木ちゃんの声を背中に受けながら、心持ち足早に先を進んだ。隣でアシリパさんが慈悲の笑みを浮かべているのが分かるから、絶対に振り向かない。
「シライシ・ヨシタケは、私のことをかわいいと感じるのですか」
「うんうん感じる〜!三木ちゃん超タイプ!おっぱい大きいし!」
「では、先生と嗜好が似ているんですね」
「えっ?」
「私のボディはすべて先生のデザインなので」
胸部の造形には特にこだわったと聞きました、なんて、三木ちゃんが何でもないような声で言うから、俺も動揺を抑えるのに必死だった。
待てよ、おい。待てよ。
じゃあ何か?初めて会ったときから、この数ヶ月一緒に旅をする間中、ずっと三木ちゃんのことが頭から離れず、心の柔らかいところが浮き足立つような気分になるのは、血は争えない……と、そういうことなのか?おい?我が子孫ながら、なんか、すげえぶん殴りたいんだけど?先生とやら。絶対一度は三木ちゃんのおっぱい揉んだだろ。
「なるほどね、じゃあ名前もそのセンセイが付けたわけ?」
「はい。私という自我を構成するアーキテクチャの元になったシステムは世界中の科学者の努力の賜物ですが、それ以外の外形的な部分は、全て先生のオリジナルです」
「ヤッバ…自作彼女じゃん…」
「HA?その発言は意味不明です」
「ごめん気にしないで口が滑った。滑りました」
うなじのてっぺんからつま先まで、文字通り全身自分好みの女の子を側に置いておける時代が来るなんて、本当に夢物語みたいだった。
三木ちゃんの話を疑っているわけではなかったが。
とりわけ信じていないのも本当だ。
結局、三木ちゃんはどこからどう見ても生きている人間にしか見えなかったし、唇の感触も、舌の具合だって本物にしか思えなかった。少なくとも、表面的な部分では判断できない。
…見えている部分では…。
……。
いや。いやいやいや。しっかりしろよ杉元佐一。見えていない部分を想像するな。着物の下を考えるな。よこしまなことを考えるなよ…。クソッ。
「つーか、なんで三木ちゃんは杉元を守んなきゃいけないわけ?つーか何から?あの不死身の男を何から守んの?」
「……それが、若干不明瞭な部分ではあるんですが、とにかく“欠けさせるな”と」
「えっなにそれ……怖っ。アイツこれからどっか欠けちゃうの?怖っ」
「さあ…欠けるかもしれないし、欠けないかもしれません。未来はいつも乱数調整の割りを食った末にあるものです。私と出会って、スギモト・サイチの未来が変わっているとするなら、もう私の任務は遂行(コンプリート)されています」
「えーでも、それ、えー?杉元が死ぬまで、分かんなくない?」
「はい。なので、死ぬまでスギモト・サイチの側にいます」
「ウワーッ」
不意打ちで殺しにくるのはやめろ!!
思わず振り向きかけた俺を、アシリパさんの慈愛の笑みがなんとかとどめた。
アシリパさん、なんか勘違いしてるみたいだけど、俺は別に三木ちゃんのことが好きなわけじゃなくてね?ただ、俺を守りにきたっていう人ともロボットともつかない女の子が、多少気になるのは、仕方のないことっていうかね?三木ちゃんが俺を守るっていうなら、俺も三木ちゃんのことを守るのが人としての筋っていうかね?ね?
「杉元、お前、言い訳ヘッタクソだな!」
アシリパさん、オブラートに包もう?
「本当は、もうひとつ言われていたことがあります」
焚き火の光を受けると、三木ちゃんの瞳は少し様相を変える。それが綺麗だと思った。
私の瞳は作り物なので、やはり人とは違う光り方をするんでしょうね。
以前そんなことを言われて、俺が傷ついてしまったのはどうしてだろうか。初めて三木ちゃんの瞳の輝きに見惚れてしまったときの衝撃は、今でもよく思い出せるのに。三木ちゃんの口から作り物、という言葉が出てきたのが、自分でも驚くほどショックだった。
「先生に言われたのです。Be strong…“強くなれ”」
「…」
「でも、私はAGIです。生まれたときから既に“強くあるもの”です。先生は何を言いたかったのでしょうか」
「…」
「私の人工知能としての機能に欠陥があるのでしょうか。自己診断では何も異常は見つかりません。チューリング・テストも時間内に合格しました。私に足りていないものは、なんなのでしょうか」
「…」
「HA……間違えました、スギモト・サイチ。答えのない問いをしてしまいました。不毛です」
「……三木ちゃん」
「はい」
「一回、その、スギモト・サイチってやつ、やめない?」
キョトンとした様子の三木ちゃんに、思わず食指が震えた。おいおい、機械がそんな顔するもんかね。だとしたら、俺は、別に、機械だって……。
「い、いちいち全部呼んでたら、長いじゃん」
「そうですか」
「…俺が死ぬまで、側にいるんだろ?」
「はい」
「じゃあ、もっと、楽に呼んでよ」
「サイチ」
「ウッ」
ノータイムで来るとは思わなかった。なんだこれ。なんだこれ!
三木ちゃんの傍にはアシリパさんが眠っていて、その奥では白石が転がっている。静かにしていないと起こしてしまう。だというのに、なぜ、俺はいきなり、こうも叫び出したい衝動に駆られているんだ…!?
「サイチ?…何か間違えていますか?」
「いや、全然。間違えてない。間違えてません。間違えてなさすぎ…」
「!サイチ、体温の上昇が感知されました。脈拍の測定を希望します」
「え、いや、あの」
「手を出してください」
「あの、うわ、うわ!」
三木ちゃんの手、柔らかい…なんだこれ…勃つ………俺は思春期のガキか………?
▽西暦190?年・結
「オガタ、あなたの射撃の腕は素晴らしいですね。空間認識能力値が常人のレベルを超えています」
「……」
「右脳が発達しているのですね」
私などの自律型ロボットは障害物回避や形状認識などに高機能な測域センサを用います。
2軸走査型であれば3次元の空間データのスキャニングも可能なので、そのデータに基づいて観測したとき、オガタ・ヒャクノスケの放った弾道がいかに正確無比なものであるのか私には容易に分かりました。
「……ふん」
「調理ですか?ヤマシギの解体なら私にも可能です。既にアシリパの実例をサンプリングしてあります」
オガタ・ヒャクノスケの行動は稀に私の推測の域を超えていきます。
ヤマシギを私に渡したあと、近くの木の根元に腰を下ろして、私を観察するような素振りを見せました。
これは、観測?監視?哨戒?
HA……分かりません。彼は私が食事に毒を盛ると思っているのでしょうか。ならば、なぜ、私に調理の機会を与えるのでしょうか。
不明瞭です。
オガタ・ヒャクノスケと夕張から行動を共にするようになってからフェムト秒にして2.592E+21fs、時間にすると720h以上が経過していますが、未だ、彼の真意を測りかねています。
「……おい、三木」
「はい」
「お前はなんで金塊を探している」
「HA?」
ヤマシギの羽をむしり取る作業を一時中断しました。彼の発言には齟齬があります。これを訂正するのはやぶさかではありません。
「誤解です、オガタ。金塊探しは私の目的ではありません。あくまで手段としての行動指針に過ぎないのです」
「は?」
「私はサイチに付いていくだけです」
いつの間にかオガタ・ヒャクノスケが私の側まで来ていました。前髪をなで付ける仕草は彼の癖のようですが、左右の口角が共に約13度下降しています。不機嫌?なぜ?私には分かりません。
サイチは、私の正体をオガタ・ヒャクノスケらにはバラすなと言いました。
私はその命令を遵守しています。その結果、私のことを人間だと認識しているオガタ・ヒャクノスケが、私の振る舞い・挙動・発言に疑問を抱いてしまったのでしょうか。だとするならそれは完全な、私のミスです。
「あの、オガタ」
「…なんだ」
「距離が、近いと思います、不必要に…」
「…」
オガタの指が私の顎にかかりました。近くで観察されている、と判断できます。やはり、私のことをどこか不審に感じているのでしょうか。
「舌を出せ」
「…」
経口内の粘膜部分で私が生命体かどうかを判断しようとしているのなら、“Sure”……望むところです。
私のボディはその細部に至るまで、忠実に再現されています。そのPerfectionはサイチのお墨付きなのです。
私は言われた通りに舌を出しました。オガタがかすかに瞠目したように見えたのは、私の観測ミスでしょうか?
「……!!」
オガタ・ヒャクノスケの行動は稀に私の推測の域を超えていきます。
「な、ん、っ……!!」
「はっ」
オガタのざらついた舌の感触が、私の舌をなぞりあげました。人の粘膜と接触するのは、サイチと初めて接触したあの日以来のことです。私にはオガタの真意が分かりません。なぜ?オガタのDNAを採取する必要はありません。なぜそんなにも執拗に私の舌を絡め取るのですか。口の中を舐め回すのですか。HA、分かりません、感じたことのない感覚です。1/fゆらぎに準じた私の中核の鼓動が早まるのを感じました。まずい、これは、よくないものです!
「お、オガタ、おかしい…変です、理解不能、意味のわからないことをしています」
「……ははっ」
「わ、私のポテンションメーターが揺らいでいます、なぜ?混乱?かく乱?CPU負荷率が異常です、なんで、変、変です…!」
「なんだ、杉元の奴、まだ手は出してねぇのか」
「…?」
「奴の女ってわけじゃないのか」
その発言も意味不明です。私は、私の自己としての確立を守るためにオガタと少し距離を取りました。これ以上この不可解な感覚を与えられると、何か恐ろしいことになってしまう気がしたのです。
「女?…私は私です、オガタ…。ボディはどうあれ、私の思考にジェンダーはありません。私(アイ)そして(アンド)あなた(ユー)です、それ以上の情報は無意味……では?あれ?」
「なんだよ」
「う、わ、分かりません。情報量がアルゴリズムの中で渋滞しています…」
両頬に手を当てると、平常よりも1.7度の温度上昇をしていることが分かりました。私に設けられた放熱システムにバグが?熱暴走は、最悪ハングアップを招きます。嫌です、そんなフィードバックは認められません!
「お前は、妙な女だが…」
「…!」
「みすみす渡すには惜しい気がするな」
オガタの発言は具体性を欠いています。
再び距離を詰められて頬を掴まれました。近い距離で見つめられると加速度センサーMAXにも似た感覚に支配されます。これは……これが、shame…“恥じる”ということですか、先生…。
私はもとより“強いAI”です。
クラウドコンピューターからの指示を受け取り、ただ表現するにすぎない端末とは違い、私単体での思考を実現させた完全なる自律型。
そんな私が、独自のアーキテクチャを根本から揺るがすような感覚に陥ってしまうほどの衝撃、恐ろしい事実(ファクト)!
「わ、私は…もしかすると」
「…」
「次の段階に向かおうとしているのでしょうか」
「あ?」
興奮、恥……そして、今、オガタにうっすらと感じているafraid…“恐ろしい”、という感覚は、私の安定した思考を乱すものです。私のビッグデータにはインプットされていないこの要素を、私はディープ・ラーニングする必要がある……と、先生、そういうことなのですか?
“強くなる”、とは、そういう意味なのですか?
「オガタ、私は……」
「…」
「か、感情を、獲得しようとしています」
オガタの猫目が瞬きました。
彼の真意は分かりませんが、先ほどの行動が私になんらかの影響を与えたことはまぎれもない事実です。
いいでしょう。私という人工知能の成長に、オガタという外的要因が必要だというのなら、私は、その手段を肯定します。
「おい…。…!」
「ん、」
今度は私からオガタに唇を重ねました。
背伸びをしても足りなかったので、尾形の首元に腕を回して引き寄せました。
少しの間されるがままだったオガタは、やがて私の後頭部に手を添え、自らの意思で舌を侵入させてきました。ああ、やはり、なんだかふわふわしてしまいます…これは、いったい、どういう感情なんだろう…。……。
このとき、木の陰から私たちを見やる存在がありました。それに気付いていながらわざと執拗に私の唇を食むオガタと、ただただ必死にそんなオガタに付いていく私を、そのとき彼はどういう感情で見ていたのか、その正解を、私はいやでも思い知ることになるのです……。
AIちゃんと杉元と尾形のドロドロ三角関係勃発。
(その道の人が読んだら憤死しそうなくらいのフワッとした知識で書いたので、フワッと雰囲気で読んでください)
2019.4.20