短い話
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※現パロ
なんか変、とは思ってたよ。
わりと勘は鋭い方なので、なんというか、人に言われる前に自分で気づける程度の察しの良さはあったので、知ってた。
駅のホームで電車を待っているとうなじのあたりがゾクゾクしたし、バイトで遅くなった日の帰り道には足音がかすかに遅れて聞こえてきたし、届くはずの郵便物がなぜか届かなかったり、アパートのドアノブが変にべたべたしていたこともあった。
決定打はひときわ大きい。
下着が減っていた。着実に。
最初はこわい、嫌だな、というより、困った。
今まで物を失くしたことがあまり無かった私なので…。これから自分は物持ちのいい人間ですと自己紹介できなくなることの方にショックを受けたよ。
自分のアピールポイントが減ってしまうのは、ガァンと頭がなるほど衝撃的なことだった。
もしかして、干しているとき風に飛ばされちゃったかな。
そう考えて思いつく限りのところを探したけど、見つからなかった。アパートの中庭の植木に首をつっこんでみたのに。
そんな私を見た305号室のアシリパさんが「何を探してるんだ?手伝うぞ」と声をかけてくれたので、ありがたく「実は下着を探してるんだけど。白い、レースのやつ。可愛いの」と言うと変な顔をされた。
ので、私も変な顔をした。
分かってる。分かってるよアシリパさん。
「杉元達には言ったのか?」
「なんで言うの」
「お前が今一番しなきゃいけないことだからだ」
「アシリパさん、私は、新しい下着を買うことがいちばんだと思う」
「それは、そうだけど。新しい水を汲むより桶の穴をふさぐほうが先じゃないのか」
「んん…」
アシリパさんは頭のいい子だった。
私が置かれている状況にも気付いたし、それを受けて、私が何もしていないことにもすぐ気付いた。
杉元さん達に言うべきかな、と一瞬思ったこともあったよ。一癖も二癖もあるちょっと変わった人達ばかりだけど、なんだかんだ優しくて、助けられることも多かったから。
私がストーカーに遭っていますと言うと、おのれこの野郎俺達の友人になんたること、と怒ってくれるかもなあと思ったのだ。
まあ思っただけ。
下着ドロの疑い程度のことで、皆のお手をわずらわせることもないでしょう…とか、そんなけなげなことを考えたわけじゃなくて。ただ、あまりに現実味のない話だったから。
本当に、私なんかをストーカーする物好きがいるものかと。
自分自身ストーカーにあんまり怯えてないのに、相談とかまじグーパン。もっと深刻になったときに相談しよ、とぽいっと丸めて捨ておくことにした。
そしたら。
「ねえ、なんで、気付かないの?」
「…」
「ぼくずっと見てたのに。見てたのにさあ!なんで!」
「…う〜ん…」
「ぼくのこと見てほしかったのにずっと君のこと見てたのに追いかけてたのに何で気付かないの?下着まで取ったのに?バカなの?そんなとこも可愛いけどバカはダメだよ!」
「え〜…そんな無茶な…」
「無茶じゃない。ぼくは君のパンツで満足できるような人間じゃないぞ!」
「うわっヤバい人だ」
ある日のバイト終わりの帰り道、1人でアパートまでの道を歩いていたら、突然後ろから腕を掴まれて壁に押さえつけられた。急なことに反応が遅れて、慌てて顔をあげたら血走った目の見知らぬ男性が私に覆い被さっていた。暗闇でも分かるくらいギラついた瞳が印象的。ちょっとちょっと、急展開すぎるんですけど。
「わ、私のパンツ返してください。あっやっぱいいです。なんかやだ。新しく買って返して」
「なんでこの期に及んでパンツの心配なの?ぼくの心配しないの?百歩譲って自分の心配しないの?」
「なにこの人こわい…」
「好きになってくれる?」
「死ねよまじで」
おっと、口が悪くなる。
会話にすらなってない諍いの合間も、男の手はギリギリと私の両肩を締め上げていた。伸びた爪がおかまいなしに食い込んできてうんざりする。
参ったな。考えてた中でも一番ヤなパターンのやつが来た。
「もー分かった、分かりました。盗ったパンツのことは不問にしてあげるからそこをどいてほしい…おうち帰して…」
「何も分かってないじゃない!どうしてぼくのこと理解してくれないの?」
「ええ、分かんないよ…どうしてほしいの?」
「今履いてるパンツ、ちょうだい」
「きもちわるいっ」
思わずみぞおちド真ん中に膝頭を叩き込んでいた。いやさすがにそれは気持ち悪いよ。無理無理。聞いてあげられるわけがない。
私の反撃が予想外だったのか、それとも桁外れに貧弱なもやしっ子だったのか、膝蹴り一発で男は地面に崩れ落ちた。我ながらイイところに入りました。こんなところで杉元さんに習った護身術が役に立つとは…。
「う、ぐぅ…っ」
「な、なんかごめん…まさかあそこまでノーガードだとは思ってなくて…大丈夫?」
「大丈夫じゃない…だから君のパンツちょうだい…」
「不屈すぎない?」
四つん這いになって咳き込む男の傍らにしゃがみ込んで、背中でも撫でてあげようかと思ったけどさすがにやめた。そこまでしてあげる義理ないし…。
どうしたらいいのかな、これ。震える背中を見ながらそっとため息をついた。この隙に家に帰った方がいいのかな。それともトドメを刺しておくべき?追いかけてこられてもたまんないしなぁ。
それこそ、アパートにまで来られた時がこわい。
終わっちゃうよ。杉元さん達に見られでもしたら、ストーカーさんの人生が終わっちゃう。
「ねえ、今なら見逃してあげるから、もうストーカーやめませんか。お互いよくないよ」
「い、いい加減にしろよッ」
「きゃっ」
性急に上半身を起こした男に肩を突かれて、たまらず尻もちをついた。手のひらにざらついたアスファルトが擦れて、熱みたいな痛みが一瞬広がった。も〜、何すんの。文句を言ってやろうと視線を上げる頃には、男はさっきよりも幾分か血走った目で、私を見下ろすように覆い被さっていた。このやろう、マウント取ってんじゃねーぞ。
「……ほんとに、よくないよ。こういうの」
「うるっさいなぁ!なんなの?何でぼくの言うことひとッつも聞いてくれないの?」
「…」
「ぼくはずっと見てたよ!ずっと追いかけてたよ!視界に入ろうと努力したじゃんなのに何で見てくれないわけ?ねえ?さっきから一度たりともぼくと目を合わせてないの気付いてねーとでも思ってんのかよッ!」
「…」
この状況で実力行使に出たストーカーと見つめ合える人がいたらぜひお目にかかりたいものだけど…。「何で」と問いたいのはこっちの方だ。
これでも、結構、怖いんだよ。私。
なんでもないふりしてるけど、人気のない夜道で見知らぬ男性に襲われてるこのシチュエーションに、心臓バクバクなんだよ。気を抜いたら口から飛び出ちゃいそうだよ。それこそ、こうなる前に杉元さん達に相談しとけばよかったなあって後悔するくらいには。
でもなあ。まさかの③が来るなんて、少しも想像してなかったから。
「君がそんな態度なら、ぼ、ぼくにだって、考えがあるぞ…」
「や、やだ…」
一応、この件に関しては3つの未来を想像してた。
①ストーカーが飽きる、②ストーカーが捕まる、③ストーカーが過激な行動に出る。この3つ。
あーあ、大本命①に賭けてたのになぁ。大穴③が来ちゃうなんてさ。考えてた中でも一番ヤなパターンのやつだよ。
現実って、ほんと、諸行無常。
この後の展開なんて、もう一つしか残ってないよ…。
「どけ」
そのざらついた低音は、ストーカーさんの真後ろから降ってきた。くゆる煙越しの眼光が、ストーカーさんの血走ったそれの比ではないくらい鋭い光を孕んでいるのが、真正面にいる私からはよく見えた。あーあ、怒ってる。超怒ってるよ。
考えてた中でも一番ヤなパターンのストーカーが現れて、その上、一番ヤバいパターンの人が来ちゃったな…。
「尾形さん…」
「だ、だれだお前っ」
私がポツリと呟くのと、男が弾かれたように振り向いたのはほぼ同時だった。尾形さんの冷たい視線が、私と男をまとめて捉えているのが嫌でも分かる。
「どけっつってんだろ」
草の根を払うように、抗う男を足で地面に転がした尾形さんは、そのまま男のみぞおちを遠慮なく踏みつけた。うう、痛そう。そのまま男の顔を見下ろしながらしゃがみこんで、尾形さんはわざとらしくタバコの煙を吐き出した。アメスピ10mmの白い煙が男の顔を撫でるように風に流れた。
その右手に持ったタバコ、どうするつもりですか、尾形さん。
ちなみにこれは余談だけど、火のついたタバコの温度は大体700度くらいになるんだって。熱いね。だから歩きタバコは本当に危険なんだよ。絶対にやめようね。まあ、これはほんの余談だけど…。
「……ッッ!!」
男が声にならない悲鳴をあげてもんどりうった。アスファルトの上を、喉を抑えながら悶え伏している。その様子を見ただけで、尾形さんが彼に何をしたのか、嫌でも分かろうというものだ…。
「エグい……」
「行くぞ」
いつの間にか空いている尾形さんの右手に手を取られて、半ば強引にその場から連れ出された。
あの人、どうなるのかな。ストーカー加害者はあの人で、被害者は私で、でもそれを上回るほどの尾形さんの加害っぷりだった。正直、私の下着を盗むくらい可愛いものだったのに。大きすぎるバチが当たってしまったね…。
喉は。喉はエグいよ、尾形さん。しかも中。
「お、尾形さん」
「…」
「あの、ありがとうございます」
「…」
「?…え、なに、なにしてるんですか」
「うるせえ。確認させろ」
立ち止まった尾形さんの左手が、迷いのない手つきでスカートの中に潜り込んできたものだから、さすがの私も慌ててしまう。待って、ここ、道のど真ん中なんですけど?尾形さん?それ以前にセクハラなんですけど?
「は、履いてる、履いてます!取られてませんからっ」
「そうか」
「なんで揉むんですかあ」
下着の上からお尻の丸みを撫でていた手が、そのうち意思を持ってその柔さを確かめはじめて、思わず背筋がぶるりと震えた。尾形さんの胸板に手を突っ張って体を離そうとしても、そんな抵抗痛くもかゆくもないみたいで、鼻で笑われた。うう、悔しい。尾形さんのセクハラ大魔神…。
右手で後頭部を抑えられて、無理矢理視線を固定された。唇がくっつくほどの距離で覗き込まれると恥ずかしさもいっとう募る。ねえもうパンツ履いてるの分かったでしょ…なんでエスカレートしてるんですか。揉むのを、揉むのをやめてください。
「尾形さんのへんたい…」
「あ?」
「…」
「脱がすぞ」
「ごめんなさい…」
「ふん」
なんで私が謝るの。おかしいでしょ。
スカートの下で好き勝手に動く尾形さんの大きな手に少しずつ力を奪われて、小さく唇を噛み締めた。そんな私をじっと見つめる尾形さん。まだ怒ってるんですか。
「……尾形さん、誰に聞いたの」
「アシリパ」
「やっぱり…」
アシリパさんはやっぱり頭のいい子だった。
私が誰にも相談せずにいたことまでもがあっけなく見抜かれていた。は〜、立つ瀬がない。現実味がないとか、迷惑かけたくないなんて言って、結局皆に面倒かけちゃった。あの場に現れた尾形さんが、タイミングによっては杉元さんだったり、白石さんだったりしたんだろうな。
あーあ、申し訳ない。お尻を揉まれるくらい、甘んじて受けるべきなのかな…。
「…ん、尾形さん、なんかへんな感じする…」
「…舌出せ」
「ひえ、」
やっぱり尾形さんはめちゃくちゃに怒っていた。
かち合う瞳がかすかに熱っぽく見える。おそるおそる舌先を出すと、それを待ち受けるみたいに尾形さんの厚い舌が絡んできた。なに、尾形さん何してるの。
「んんっ」
いつの間にか唇が触れ合うほどだった距離は完全にゼロになって、がっちりと固定された後頭部のせいで身も引けずに、ひたすら尾形さんが口内を蹂躙するに任せた。上顎のあたりをくすぐられると不思議と体が小さく跳ねた。
「んぅ…」
「……これに懲りたら…」
「…」
「分かってるんだろうな」
「…」
生理的に滲んだ涙をまとった目で、ささやかな反抗とばかりにじっと見上げてみても、尾形さんには全く効かなかったし、お尻を撫でる手も止めることは出来なかった。
「次はこんなもんじゃねえ」
唾液で濡れた唇を舐めとりながら、そんなことを言う尾形さんがどう見ても本気の目をしていたので、腰砕けにされた私は黙って頷くしかないのだった。
やっぱり、下着を盗むくらい可愛いものだったよ、ストーカーさん。
尾形さんのお仕置きの方が、何倍もこわい。
素直に頼れの意。
2019.3.4
なんか変、とは思ってたよ。
わりと勘は鋭い方なので、なんというか、人に言われる前に自分で気づける程度の察しの良さはあったので、知ってた。
駅のホームで電車を待っているとうなじのあたりがゾクゾクしたし、バイトで遅くなった日の帰り道には足音がかすかに遅れて聞こえてきたし、届くはずの郵便物がなぜか届かなかったり、アパートのドアノブが変にべたべたしていたこともあった。
決定打はひときわ大きい。
下着が減っていた。着実に。
最初はこわい、嫌だな、というより、困った。
今まで物を失くしたことがあまり無かった私なので…。これから自分は物持ちのいい人間ですと自己紹介できなくなることの方にショックを受けたよ。
自分のアピールポイントが減ってしまうのは、ガァンと頭がなるほど衝撃的なことだった。
もしかして、干しているとき風に飛ばされちゃったかな。
そう考えて思いつく限りのところを探したけど、見つからなかった。アパートの中庭の植木に首をつっこんでみたのに。
そんな私を見た305号室のアシリパさんが「何を探してるんだ?手伝うぞ」と声をかけてくれたので、ありがたく「実は下着を探してるんだけど。白い、レースのやつ。可愛いの」と言うと変な顔をされた。
ので、私も変な顔をした。
分かってる。分かってるよアシリパさん。
「杉元達には言ったのか?」
「なんで言うの」
「お前が今一番しなきゃいけないことだからだ」
「アシリパさん、私は、新しい下着を買うことがいちばんだと思う」
「それは、そうだけど。新しい水を汲むより桶の穴をふさぐほうが先じゃないのか」
「んん…」
アシリパさんは頭のいい子だった。
私が置かれている状況にも気付いたし、それを受けて、私が何もしていないことにもすぐ気付いた。
杉元さん達に言うべきかな、と一瞬思ったこともあったよ。一癖も二癖もあるちょっと変わった人達ばかりだけど、なんだかんだ優しくて、助けられることも多かったから。
私がストーカーに遭っていますと言うと、おのれこの野郎俺達の友人になんたること、と怒ってくれるかもなあと思ったのだ。
まあ思っただけ。
下着ドロの疑い程度のことで、皆のお手をわずらわせることもないでしょう…とか、そんなけなげなことを考えたわけじゃなくて。ただ、あまりに現実味のない話だったから。
本当に、私なんかをストーカーする物好きがいるものかと。
自分自身ストーカーにあんまり怯えてないのに、相談とかまじグーパン。もっと深刻になったときに相談しよ、とぽいっと丸めて捨ておくことにした。
そしたら。
「ねえ、なんで、気付かないの?」
「…」
「ぼくずっと見てたのに。見てたのにさあ!なんで!」
「…う〜ん…」
「ぼくのこと見てほしかったのにずっと君のこと見てたのに追いかけてたのに何で気付かないの?下着まで取ったのに?バカなの?そんなとこも可愛いけどバカはダメだよ!」
「え〜…そんな無茶な…」
「無茶じゃない。ぼくは君のパンツで満足できるような人間じゃないぞ!」
「うわっヤバい人だ」
ある日のバイト終わりの帰り道、1人でアパートまでの道を歩いていたら、突然後ろから腕を掴まれて壁に押さえつけられた。急なことに反応が遅れて、慌てて顔をあげたら血走った目の見知らぬ男性が私に覆い被さっていた。暗闇でも分かるくらいギラついた瞳が印象的。ちょっとちょっと、急展開すぎるんですけど。
「わ、私のパンツ返してください。あっやっぱいいです。なんかやだ。新しく買って返して」
「なんでこの期に及んでパンツの心配なの?ぼくの心配しないの?百歩譲って自分の心配しないの?」
「なにこの人こわい…」
「好きになってくれる?」
「死ねよまじで」
おっと、口が悪くなる。
会話にすらなってない諍いの合間も、男の手はギリギリと私の両肩を締め上げていた。伸びた爪がおかまいなしに食い込んできてうんざりする。
参ったな。考えてた中でも一番ヤなパターンのやつが来た。
「もー分かった、分かりました。盗ったパンツのことは不問にしてあげるからそこをどいてほしい…おうち帰して…」
「何も分かってないじゃない!どうしてぼくのこと理解してくれないの?」
「ええ、分かんないよ…どうしてほしいの?」
「今履いてるパンツ、ちょうだい」
「きもちわるいっ」
思わずみぞおちド真ん中に膝頭を叩き込んでいた。いやさすがにそれは気持ち悪いよ。無理無理。聞いてあげられるわけがない。
私の反撃が予想外だったのか、それとも桁外れに貧弱なもやしっ子だったのか、膝蹴り一発で男は地面に崩れ落ちた。我ながらイイところに入りました。こんなところで杉元さんに習った護身術が役に立つとは…。
「う、ぐぅ…っ」
「な、なんかごめん…まさかあそこまでノーガードだとは思ってなくて…大丈夫?」
「大丈夫じゃない…だから君のパンツちょうだい…」
「不屈すぎない?」
四つん這いになって咳き込む男の傍らにしゃがみ込んで、背中でも撫でてあげようかと思ったけどさすがにやめた。そこまでしてあげる義理ないし…。
どうしたらいいのかな、これ。震える背中を見ながらそっとため息をついた。この隙に家に帰った方がいいのかな。それともトドメを刺しておくべき?追いかけてこられてもたまんないしなぁ。
それこそ、アパートにまで来られた時がこわい。
終わっちゃうよ。杉元さん達に見られでもしたら、ストーカーさんの人生が終わっちゃう。
「ねえ、今なら見逃してあげるから、もうストーカーやめませんか。お互いよくないよ」
「い、いい加減にしろよッ」
「きゃっ」
性急に上半身を起こした男に肩を突かれて、たまらず尻もちをついた。手のひらにざらついたアスファルトが擦れて、熱みたいな痛みが一瞬広がった。も〜、何すんの。文句を言ってやろうと視線を上げる頃には、男はさっきよりも幾分か血走った目で、私を見下ろすように覆い被さっていた。このやろう、マウント取ってんじゃねーぞ。
「……ほんとに、よくないよ。こういうの」
「うるっさいなぁ!なんなの?何でぼくの言うことひとッつも聞いてくれないの?」
「…」
「ぼくはずっと見てたよ!ずっと追いかけてたよ!視界に入ろうと努力したじゃんなのに何で見てくれないわけ?ねえ?さっきから一度たりともぼくと目を合わせてないの気付いてねーとでも思ってんのかよッ!」
「…」
この状況で実力行使に出たストーカーと見つめ合える人がいたらぜひお目にかかりたいものだけど…。「何で」と問いたいのはこっちの方だ。
これでも、結構、怖いんだよ。私。
なんでもないふりしてるけど、人気のない夜道で見知らぬ男性に襲われてるこのシチュエーションに、心臓バクバクなんだよ。気を抜いたら口から飛び出ちゃいそうだよ。それこそ、こうなる前に杉元さん達に相談しとけばよかったなあって後悔するくらいには。
でもなあ。まさかの③が来るなんて、少しも想像してなかったから。
「君がそんな態度なら、ぼ、ぼくにだって、考えがあるぞ…」
「や、やだ…」
一応、この件に関しては3つの未来を想像してた。
①ストーカーが飽きる、②ストーカーが捕まる、③ストーカーが過激な行動に出る。この3つ。
あーあ、大本命①に賭けてたのになぁ。大穴③が来ちゃうなんてさ。考えてた中でも一番ヤなパターンのやつだよ。
現実って、ほんと、諸行無常。
この後の展開なんて、もう一つしか残ってないよ…。
「どけ」
そのざらついた低音は、ストーカーさんの真後ろから降ってきた。くゆる煙越しの眼光が、ストーカーさんの血走ったそれの比ではないくらい鋭い光を孕んでいるのが、真正面にいる私からはよく見えた。あーあ、怒ってる。超怒ってるよ。
考えてた中でも一番ヤなパターンのストーカーが現れて、その上、一番ヤバいパターンの人が来ちゃったな…。
「尾形さん…」
「だ、だれだお前っ」
私がポツリと呟くのと、男が弾かれたように振り向いたのはほぼ同時だった。尾形さんの冷たい視線が、私と男をまとめて捉えているのが嫌でも分かる。
「どけっつってんだろ」
草の根を払うように、抗う男を足で地面に転がした尾形さんは、そのまま男のみぞおちを遠慮なく踏みつけた。うう、痛そう。そのまま男の顔を見下ろしながらしゃがみこんで、尾形さんはわざとらしくタバコの煙を吐き出した。アメスピ10mmの白い煙が男の顔を撫でるように風に流れた。
その右手に持ったタバコ、どうするつもりですか、尾形さん。
ちなみにこれは余談だけど、火のついたタバコの温度は大体700度くらいになるんだって。熱いね。だから歩きタバコは本当に危険なんだよ。絶対にやめようね。まあ、これはほんの余談だけど…。
「……ッッ!!」
男が声にならない悲鳴をあげてもんどりうった。アスファルトの上を、喉を抑えながら悶え伏している。その様子を見ただけで、尾形さんが彼に何をしたのか、嫌でも分かろうというものだ…。
「エグい……」
「行くぞ」
いつの間にか空いている尾形さんの右手に手を取られて、半ば強引にその場から連れ出された。
あの人、どうなるのかな。ストーカー加害者はあの人で、被害者は私で、でもそれを上回るほどの尾形さんの加害っぷりだった。正直、私の下着を盗むくらい可愛いものだったのに。大きすぎるバチが当たってしまったね…。
喉は。喉はエグいよ、尾形さん。しかも中。
「お、尾形さん」
「…」
「あの、ありがとうございます」
「…」
「?…え、なに、なにしてるんですか」
「うるせえ。確認させろ」
立ち止まった尾形さんの左手が、迷いのない手つきでスカートの中に潜り込んできたものだから、さすがの私も慌ててしまう。待って、ここ、道のど真ん中なんですけど?尾形さん?それ以前にセクハラなんですけど?
「は、履いてる、履いてます!取られてませんからっ」
「そうか」
「なんで揉むんですかあ」
下着の上からお尻の丸みを撫でていた手が、そのうち意思を持ってその柔さを確かめはじめて、思わず背筋がぶるりと震えた。尾形さんの胸板に手を突っ張って体を離そうとしても、そんな抵抗痛くもかゆくもないみたいで、鼻で笑われた。うう、悔しい。尾形さんのセクハラ大魔神…。
右手で後頭部を抑えられて、無理矢理視線を固定された。唇がくっつくほどの距離で覗き込まれると恥ずかしさもいっとう募る。ねえもうパンツ履いてるの分かったでしょ…なんでエスカレートしてるんですか。揉むのを、揉むのをやめてください。
「尾形さんのへんたい…」
「あ?」
「…」
「脱がすぞ」
「ごめんなさい…」
「ふん」
なんで私が謝るの。おかしいでしょ。
スカートの下で好き勝手に動く尾形さんの大きな手に少しずつ力を奪われて、小さく唇を噛み締めた。そんな私をじっと見つめる尾形さん。まだ怒ってるんですか。
「……尾形さん、誰に聞いたの」
「アシリパ」
「やっぱり…」
アシリパさんはやっぱり頭のいい子だった。
私が誰にも相談せずにいたことまでもがあっけなく見抜かれていた。は〜、立つ瀬がない。現実味がないとか、迷惑かけたくないなんて言って、結局皆に面倒かけちゃった。あの場に現れた尾形さんが、タイミングによっては杉元さんだったり、白石さんだったりしたんだろうな。
あーあ、申し訳ない。お尻を揉まれるくらい、甘んじて受けるべきなのかな…。
「…ん、尾形さん、なんかへんな感じする…」
「…舌出せ」
「ひえ、」
やっぱり尾形さんはめちゃくちゃに怒っていた。
かち合う瞳がかすかに熱っぽく見える。おそるおそる舌先を出すと、それを待ち受けるみたいに尾形さんの厚い舌が絡んできた。なに、尾形さん何してるの。
「んんっ」
いつの間にか唇が触れ合うほどだった距離は完全にゼロになって、がっちりと固定された後頭部のせいで身も引けずに、ひたすら尾形さんが口内を蹂躙するに任せた。上顎のあたりをくすぐられると不思議と体が小さく跳ねた。
「んぅ…」
「……これに懲りたら…」
「…」
「分かってるんだろうな」
「…」
生理的に滲んだ涙をまとった目で、ささやかな反抗とばかりにじっと見上げてみても、尾形さんには全く効かなかったし、お尻を撫でる手も止めることは出来なかった。
「次はこんなもんじゃねえ」
唾液で濡れた唇を舐めとりながら、そんなことを言う尾形さんがどう見ても本気の目をしていたので、腰砕けにされた私は黙って頷くしかないのだった。
やっぱり、下着を盗むくらい可愛いものだったよ、ストーカーさん。
尾形さんのお仕置きの方が、何倍もこわい。
素直に頼れの意。
2019.3.4