短い話
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※現パロ
春は別れの季節だね。
「……」
今日、同期の女の子が会社を辞めた。
仲が良かった。本当に、すごく、とても。仲が良かった。
小さな広告代理店に、去年新卒で入社した私と彼女。二人ぽっちの同期。ブラックの上からブラックを塗り重ねて仕上げにブラックをまぶしたようなこの職場で、私とその子が手に手を取り合うように仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
大好きだったよ。
クソみたいな会社。クソみたいな上司。その中で唯一のオアシスだった、女の子。どれだけ理不尽な納期を押し付けられても、どれだけ非人道的な言葉でなじられても、最後に二人で慰めあって耐えてきた。色んなむしゃくしゃを叩き飛ばすつもりで、何度バッティングセンターに通ったかな。終電逃して朝までカラオケで騒ぎ通したこともあったね。
大好きだったよ。
この一年間、二人だったから耐えられた。一人だったら、多分死んでた。比喩じゃなく。
「……あー、もー」
今日、そんな女の子が会社を辞めた。
最後の日だった。引き継ぎも終わって、デスクの中も空っぽになって、職場近くの居酒屋で送別会をした。当たり障りない会。誰も泣かなかった。私も、その子も、その場じゃ絶対に泣いてやるもんかって思ってた。
大切な新卒カードを無駄にした、それくらいの感傷しか私たちに与えてくれなかったこの会社に、涙一粒だってあげる義理はないよ。
「……うっ」
だから、これは誰にも見られたくない涙だった。
送別会はとっくの昔に終わった。代行やタクシーの手配をして、皆家に帰ったのを見届けたそのあとで、一人会社に戻って黙々と残った仕事を片付けて、真っ暗なビルを出た瞬間に、ポロっと涙がこぼれた。
えらい。私。えらくない?よく今まで我慢したね。
唯一のオアシス。大好きだった女の子。たった一つの心の拠り所を失って、この地獄みたいな職場でこれからは一人で耐えていかなくちゃいけない。その現実に今の今まで屈さなかった私を、神さま、見ているんだったらどうか今すぐこの会社を爆発させてください。それしか救いはありません。
「ウッソ〜!三木ちゃん泣いてんの!?」
神さま。
聞こえなかったんですか?
「激レアじゃん!見せて見せて〜」
私は、このビルを、爆発させてとお願いしたのに…。
「どーして白石さんがいるの…」
「えー?どうしてって、三木ちゃんが遅いから迎えにきたんだよ。今日飲み会でしょ?どうだった?」
真っ暗な夜の帳の中、底抜けに明るい登場をした白石さんがあまりにも場違いで、そのギャップになぜだか涙が出てきた。
白石さんの両の親指がそんな私の目尻を拭って、至近距離で顔を覗き込まれる。近い。近いし。おでこがくっついちゃいそう。白石さんは距離が近い。
「泣いてる三木ちゃん、かわい〜」
「うっさい…」
「えっ口悪い…。ほんとにレアだね?どしたの?」
「……」
「え〜なんで泣くの?なに?超かわいいんだけど」
目を伏せてぽろぽろ涙をこぼす私と、飽きもせずそんな私の泣き顔をじっと眺める白石さん。
そっか。そうだった。今日は杉元さんのおうちでお泊まり会の予定だっけ。送別会終わったら連絡するって伝えてたのに、残った仕事をしてるうちについ忘れていた。心配させちゃったかな。スマホを見るのが少しだけ怖い。
「なんか嫌なことあったの?」
「……同期の子が辞めちゃった」
「あ〜…仲良しって言ってたもんねえ。それで悲しくて泣いちゃったんだ?」
「……」
「か、かわいい…」
俺の胸で泣いていいよ、なんていかにも白石さんらしいことを言いながら、その腕の中にすっぽり抱き込まれた。
お言葉に甘えて頬をすり寄せると、肩を抱く手にほんの少し力が入ったような気がした。
「迎えに来たのが俺でよかったね」
「…」
「杉元や尾形ちゃんだったら、どうなってたかなぁ」
「…そんなことで泣くなって、バカにされたかな」
「えーそれ本気で言ってる?ないない」
3月の終わりになっても夜はまだまだ肌寒い。冷えた背中をあたためるみたいに、白石さんの手のひらが腰のあたりを何度もさすった。…違うかな。慰めてくれてるのか。
今世でも、前世でも、白石さんの前で泣いたことはなかった。白石さんに限らず、他の誰の前でもそう。つらいことも悲しいことも色々あったけど、なんとなく、弱気なところを見せるのは憚られたから。泣くのは影で、一人のときと決めていた。
「俺ですら超妬いてるもんね。あいつらだったら嫉妬で発狂すんじゃねぇ?」
「なにそれ…」
「その子のこと、泣いちゃうくらい好きだったんでしょ?」
「うん。大好き」
「待って、どんくらい好き?ちゅーできる?」
「しようって言われたら、しちゃう」
「あ〜、あ〜…顔も知らない子への嫉妬で胸が張り裂けそう…三木ちゃんにここまで言わせるなんて…」
白石さんはすぐ大げさに物を言う。
私より上背のある体により強く抱きしめられて、背筋が反った。ちょっと、苦しいよ。白石さんをなだめるつもりで、よしよしと背中を優しく撫でてあげた。
変なの。さっきまで私が慰められてた側なのに。
「白石さんのことも大好きだよ」
「…ほんとぉ?」
「うん。いなくなったら泣いちゃうな」
「えっうそっ。マジで?」
「うん」
「じゃ、じゃあ俺とちゅーできる?」
「できるよ。しないけど」
ふう、とか、はあ、とか、得体の知れないため息をついて、白石さんは私の後頭部に手を添えた。押し付けられた胸板に鼻先が埋まる。私は、とっくに涙の乾いた目を閉じて、しばらくの間白石さんに体を預けることにした。
泣いたよ。白石さん。
いなくなったから泣いちゃったよ。
100年前、白石さんが第七師団に捕まって、杉元さんだけが助けにいくって言い出したとき、私は、影でこっそり泣いてたよ。
突然いなくなって悲しい。助けにいけることになって良かった。もう死んでるかもしれないのは怖い。いろんな感情が溢れて涙がポロポロこぼれた。
春は別れの季節だね。
白石さん。あのときも確か春だった。
今生のお別れになるかと覚悟した。
でも、白石さんは戻ってきてくれたから。杉元さんや尾形さんが取り戻してくれたから、春を嫌いにならずにすんだよ。
「三木ちゃん、お別れのときはちゅーしてネ…」
絶対やだ。
白石さん。いなくなってもいいけど、また前みたいに戻ってきてくれなきゃ嫌だよ。
そうなるまで絶対ちゅーはしない。
春は出会いの季節だよ。
五分後、迎えに来た杉元たちに見られて白石がしばかれる。
2019.3.28
春は別れの季節だね。
「……」
今日、同期の女の子が会社を辞めた。
仲が良かった。本当に、すごく、とても。仲が良かった。
小さな広告代理店に、去年新卒で入社した私と彼女。二人ぽっちの同期。ブラックの上からブラックを塗り重ねて仕上げにブラックをまぶしたようなこの職場で、私とその子が手に手を取り合うように仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
大好きだったよ。
クソみたいな会社。クソみたいな上司。その中で唯一のオアシスだった、女の子。どれだけ理不尽な納期を押し付けられても、どれだけ非人道的な言葉でなじられても、最後に二人で慰めあって耐えてきた。色んなむしゃくしゃを叩き飛ばすつもりで、何度バッティングセンターに通ったかな。終電逃して朝までカラオケで騒ぎ通したこともあったね。
大好きだったよ。
この一年間、二人だったから耐えられた。一人だったら、多分死んでた。比喩じゃなく。
「……あー、もー」
今日、そんな女の子が会社を辞めた。
最後の日だった。引き継ぎも終わって、デスクの中も空っぽになって、職場近くの居酒屋で送別会をした。当たり障りない会。誰も泣かなかった。私も、その子も、その場じゃ絶対に泣いてやるもんかって思ってた。
大切な新卒カードを無駄にした、それくらいの感傷しか私たちに与えてくれなかったこの会社に、涙一粒だってあげる義理はないよ。
「……うっ」
だから、これは誰にも見られたくない涙だった。
送別会はとっくの昔に終わった。代行やタクシーの手配をして、皆家に帰ったのを見届けたそのあとで、一人会社に戻って黙々と残った仕事を片付けて、真っ暗なビルを出た瞬間に、ポロっと涙がこぼれた。
えらい。私。えらくない?よく今まで我慢したね。
唯一のオアシス。大好きだった女の子。たった一つの心の拠り所を失って、この地獄みたいな職場でこれからは一人で耐えていかなくちゃいけない。その現実に今の今まで屈さなかった私を、神さま、見ているんだったらどうか今すぐこの会社を爆発させてください。それしか救いはありません。
「ウッソ〜!三木ちゃん泣いてんの!?」
神さま。
聞こえなかったんですか?
「激レアじゃん!見せて見せて〜」
私は、このビルを、爆発させてとお願いしたのに…。
「どーして白石さんがいるの…」
「えー?どうしてって、三木ちゃんが遅いから迎えにきたんだよ。今日飲み会でしょ?どうだった?」
真っ暗な夜の帳の中、底抜けに明るい登場をした白石さんがあまりにも場違いで、そのギャップになぜだか涙が出てきた。
白石さんの両の親指がそんな私の目尻を拭って、至近距離で顔を覗き込まれる。近い。近いし。おでこがくっついちゃいそう。白石さんは距離が近い。
「泣いてる三木ちゃん、かわい〜」
「うっさい…」
「えっ口悪い…。ほんとにレアだね?どしたの?」
「……」
「え〜なんで泣くの?なに?超かわいいんだけど」
目を伏せてぽろぽろ涙をこぼす私と、飽きもせずそんな私の泣き顔をじっと眺める白石さん。
そっか。そうだった。今日は杉元さんのおうちでお泊まり会の予定だっけ。送別会終わったら連絡するって伝えてたのに、残った仕事をしてるうちについ忘れていた。心配させちゃったかな。スマホを見るのが少しだけ怖い。
「なんか嫌なことあったの?」
「……同期の子が辞めちゃった」
「あ〜…仲良しって言ってたもんねえ。それで悲しくて泣いちゃったんだ?」
「……」
「か、かわいい…」
俺の胸で泣いていいよ、なんていかにも白石さんらしいことを言いながら、その腕の中にすっぽり抱き込まれた。
お言葉に甘えて頬をすり寄せると、肩を抱く手にほんの少し力が入ったような気がした。
「迎えに来たのが俺でよかったね」
「…」
「杉元や尾形ちゃんだったら、どうなってたかなぁ」
「…そんなことで泣くなって、バカにされたかな」
「えーそれ本気で言ってる?ないない」
3月の終わりになっても夜はまだまだ肌寒い。冷えた背中をあたためるみたいに、白石さんの手のひらが腰のあたりを何度もさすった。…違うかな。慰めてくれてるのか。
今世でも、前世でも、白石さんの前で泣いたことはなかった。白石さんに限らず、他の誰の前でもそう。つらいことも悲しいことも色々あったけど、なんとなく、弱気なところを見せるのは憚られたから。泣くのは影で、一人のときと決めていた。
「俺ですら超妬いてるもんね。あいつらだったら嫉妬で発狂すんじゃねぇ?」
「なにそれ…」
「その子のこと、泣いちゃうくらい好きだったんでしょ?」
「うん。大好き」
「待って、どんくらい好き?ちゅーできる?」
「しようって言われたら、しちゃう」
「あ〜、あ〜…顔も知らない子への嫉妬で胸が張り裂けそう…三木ちゃんにここまで言わせるなんて…」
白石さんはすぐ大げさに物を言う。
私より上背のある体により強く抱きしめられて、背筋が反った。ちょっと、苦しいよ。白石さんをなだめるつもりで、よしよしと背中を優しく撫でてあげた。
変なの。さっきまで私が慰められてた側なのに。
「白石さんのことも大好きだよ」
「…ほんとぉ?」
「うん。いなくなったら泣いちゃうな」
「えっうそっ。マジで?」
「うん」
「じゃ、じゃあ俺とちゅーできる?」
「できるよ。しないけど」
ふう、とか、はあ、とか、得体の知れないため息をついて、白石さんは私の後頭部に手を添えた。押し付けられた胸板に鼻先が埋まる。私は、とっくに涙の乾いた目を閉じて、しばらくの間白石さんに体を預けることにした。
泣いたよ。白石さん。
いなくなったから泣いちゃったよ。
100年前、白石さんが第七師団に捕まって、杉元さんだけが助けにいくって言い出したとき、私は、影でこっそり泣いてたよ。
突然いなくなって悲しい。助けにいけることになって良かった。もう死んでるかもしれないのは怖い。いろんな感情が溢れて涙がポロポロこぼれた。
春は別れの季節だね。
白石さん。あのときも確か春だった。
今生のお別れになるかと覚悟した。
でも、白石さんは戻ってきてくれたから。杉元さんや尾形さんが取り戻してくれたから、春を嫌いにならずにすんだよ。
「三木ちゃん、お別れのときはちゅーしてネ…」
絶対やだ。
白石さん。いなくなってもいいけど、また前みたいに戻ってきてくれなきゃ嫌だよ。
そうなるまで絶対ちゅーはしない。
春は出会いの季節だよ。
五分後、迎えに来た杉元たちに見られて白石がしばかれる。
2019.3.28