もはやこれまで!
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誰しもに好かれる娘だったということを、別に忘れていたわけじゃない。
「す、杉元さんが来ちゃう…」
「…」
「尾形さん?」
「…」
100年前の北海道で、どう解釈したって血と泥の匂いしかしないような、他人に傷つけられる前に自分で自分を傷つけてしまうような、そんなどうしようもない争いの中で、たった一つ、三木だけは捨てようとは思わなかった。死ぬまで俺の側にいるべき娘だと思った。
しかし、無理やり押し倒したところで。
どれだけその手を引いたところで。
俺のものにできた気がしなかった。死んでも手放せないとは分かっていても、掴んだ腕を振り払われる瞬間のことを想像すると胃の底からせり上がってくる不快感には抗えない。
「尾形さん?」
「…」
「あの、聞こえてますか」
「…」
「…」
見上げてくる瞳の中に嫌悪感や恐怖が混じっていないことを確認して、顔には出さずに嘆息した。くだらない。心底くだらないと思う。
今更拒絶されたところで、はいそうですかと解放してやれるわけも、今までのこと全部無かったことにできるわけもないのだ。それができたら苦労はしない。100年前から奪われっぱなしになっている俺のどうしようもない部分を、三木が弄ぶわけがないと分かっているから、余計に受け入れてほしい気持ちが肥大化する。
あの頃の杉元も似たようなことを考えていた。
「お、尾形さん、どいてください…」
「…」
俺がまだ、三木のことをただの真面目な女だと、分かりやすい一面しか持っていないようなつまらん奴だと勘違いをしていた頃には、杉元はもう三木のことを好いていた。俺が三木に出会うずっと前から行動を共にしていたというから、それはきっと当然の結果だったろう。
不死身の肉体とイカれた情緒を持つあの杉元が、若い娘にほだされている様子をただ嘲笑って見ていられなくなったのは、一体いつからだったかな。
「全然聞いてくれないじゃん…尾形さん?」
「…」
俺が三木の手を引くたびに、嫉妬で燃えるような獣の眼光がこちらを射抜いてきたことを思い出して、思わず笑みがこぼれた。
そう。そうだ。杉元も三木のことを好いていた。そりゃあもう、腹立たしいほどに。
俺が当時、無理やり三木を押し倒したことを、奴は知っているだろうか。三木の肌の柔らかさを知っているのは、果たして俺1人だっただろうか。
「えっ、何で笑うんですか、怖っ…」
「…」
少なくともこの時代では、奴は三木の全てを知らない。
先に手に入れたのは俺のほうだ。
生白い首元に歯を立てて噛み付いてやった。
そうでもしないと、あのバカには分かるまい。
▽
「い、いった…!」
「…」
「お、尾形さん?」
「…」
「え、何ですか」
いきなり黙り込んだと思ったら、唐突に首筋に噛み付いてきた尾形さんだった。やっぱりこの人、ちょっと変なとこあると思う…。変っていうか、こんな状況に陥っている時点で、まともではないのは確かだけど。
じんじんする首元を抑えながら、すっかり大人しくなったスマホの真っ黒な画面に目をやって、やや控えめに息をついた。
杉元さん。杉元さんが、来る。
今までに一度だって嘘をついたことのない杉元さんが、私を見つけたというのなら、それは本当に見つかったんだと思う。見つけたからには行くしかない。そういう人だ、杉元さんは…。
……。
一体どうやって見つけたんだろうね……。
尾形さんも、杉元さんも、揃いも揃って常識を爪弾きにするような型破りな人だから、そんなこと考えてもしょうがないとは分かってるけど…。一人暮らし中である若い女の身としては、少々プライバシーに不安がないでもないんだなぁ。
「おい。よそ見してんじゃねぇ」
「え?」
「続きだ」
「嘘じゃん…」
迫るくろい瞳と影の落ちる表情で、それが嘘でも冗談でもなく、本気だってことが伝わってきたので、私としては慌てざるをえない。いやそんなことある?
「ま、待って、うそ、尾形さん、や、来ちゃうってば…!」
「知らん。無視すりゃいいだろう」
「お、尾形さんのばかぁ」
首元でくしゃくしゃになっていたパーカーをブラごと首から引っこ抜かれて、完全に上半身裸にされてしまった。すぐに胸元を両腕で覆い隠しても、尾形さんは悪びれなく笑みを浮かべたままだ。寄せた胸の谷間に舌を這わせて、いやらしく舐められた。
「う…!」
「腕どけろ。全部見たい」
「やだ、やです、ダメだって…!」
「往生際が悪いな…」
私に覆いかぶさりながら、右肘を顔の横について、スカートの中にしのばせた左手で私の太ももをわざとゆっくり撫でる尾形さんに、今度こそ本当に頭の中で警告音が鳴り響いた。
尾形さんが何を考えているのか、今世で再会してから正直ずっと分かってないし分からせるつもりもないんだろうけど、でも、これはまずいよ。まずいって。いくらなんでもまずすぎる。
「尾形さん待って…!待ってってば!」
「……おい、待てると思うか?この状況で」
「この状況だから…、あっ、ん、やだぁ…!」
「無茶言うなよ」
無茶してるのは尾形さんの方だ。そもそも相手に了承もなくこんなことして、もう最後までやる気でいるのがおかしいんだよ。前提からして間違ってる。
でも今の私が一番怖いのは、そんな前振りなんかより、この状況からもたらされる最悪の結果の方だった。なんとかそれだけは回避しようと、尾形さんの舌や手にじわじわと高められる感覚を唇を噛みながら耐えていた、その時、
チャイムが鳴った。
私も、尾形さんも、一瞬挙動がぴたりと止まる。
「ひえ、」
「…」
インターホンを見るまでもなく、玄関から尋常じゃない圧を感じる…。こんな圧迫感を出せる人が現代日本にいるわけがないから、やっぱり、扉の向こうにいる人なんて決まってる。
100年前の百戦錬磨の経験値をそのままおぶって具現化したような人が、玄関の前に、いる。
「お、尾形さん、杉元さんが…!」
「知るか。ほっとけ」
「ほ、ほっとけません…!」
「うるせぇな。ふさぐぞ」
「尾形さんのばかっ」
「あ?」
「だめ、本当にだめなんですってば!」
「…」
「尾形さん、杉元さん、杉元さんだよ。あの杉元さんが来てるんです…!」
「…」
「あの杉元さんが、こんなアパートのドア一枚、蹴破れないわけないじゃないですか」
「……それは、」
尾形さんが何事か言いさした瞬間、背後で爆発が起こって、私も尾形さんも一瞬で視線を奪われた。嘘。爆発なんかしてない。ただ重機が鉄の塊にぶつかったような、どう考えても人間が出せる範囲外の音を立てて、扉がひしゃげて押し開いていた。
「……」
「……」
自分で言っておいてなんだけど、杉元さんの怪力っぷり、ちょっと引いちゃう……。尾形さんもドン引きしていた。ゆらゆらと光を背負い立つ黒い人影が、迷いのない足取りで部屋の中へと入ってきた。
「クソ尾形ァ……!!」
「…」
死人が出るよ。比喩じゃなく。
額に青筋を立てる杉元さんが、人をも殺せそうな視線で尾形さんを真っ直ぐに射抜いた。中途半端に乱れた服装のまま、鬱陶しげに前髪を撫で付ける尾形さんの苛立ちが背中からばしばし伝わってくる。ほらぁ、もー、だから言ったのに…!無防備すぎる今の姿をなんとか杉元さんの視界から外そうと、腕で胸を隠しながら脱がされたパーカーを拾おうとしたけど、手を伸ばしても届かない距離に投げ捨てられていて冷や汗が流れた。お、尾形さんのばか…!
「おい…三木ちゃんに何してんだ」
「何だよ。聞きてぇのか?」
「…」
「やめとけよ。童貞にゃ刺激が強いぜ」
「…」
「邪魔すんな。さっさと帰れ」
「殺す…!」
「あ?」
「ちょ、ちょっと…!」
何を煽りにいってるんですかこの人は!登場から臨戦態勢で殺る気マンマンの杉元さんに当てられたのか、元々そのつもりであったのか、尾形さんも杉元さんを睨め付けながらゆらりと立ち上がったので私も慌てて上半身を起こした。ただでさえ敷金の消滅が確定した今の状況で、傷害沙汰まで起きたら大家さんにどんな目で見られるか、想像しただけで目眩がする。
尾形さんも杉元さんも、そういうことに自制の効く人ではないことはよく知っていたから、私が止めなきゃこの部屋が事件現場になってしまうことだって十分あり得る話だ。いやおかしいけどね、普通はそんなことにはならないんだけど…!
急いで体を起こしたせいで、腕の中から胸がふるりとこぼれ落ちそうになったのを、慌てて隠そうと尾形さんの背中に体当たりした。杉元さんに見られたら死ぬ。なんだか少し感覚が麻痺してたけど尾形さんにだって見られると死ぬほど恥ずかしいのだ。尾形さん後でひどいぞ。でも今世でやっとの再会を果たせた杉元さんに、会って早々こんな姿を見られるのはもっとヤダ…!
ついでに尾形さんの動きも止めてやろうと、お腹に腕を回してぎゅうぎゅう締め付けた。
「尾形さん、喧嘩はだめです…!」
「………おい………」
人よりちょっとだけ大きめの胸が形を変えるくらい強く尾形さんの背中に抱きついた。杉元さんの姿は見えなくなってしまったけど、こちらに殴りかかってくる気配は今の所ない。うわ、私、気配とか感じちゃってるの…。絶対に現代日本では使わないスキルだった。100年前の感覚がじわじわと思い出されてむず痒い。
「おい。わざとやってんのか」
「は?」
「……後で覚えてろよ」
今そんなこと言ってる場合ですか?
尾形さん越しに感じる杉元さんの圧が、段々と殺気を帯びてきて冷や汗が流れた。お願いだからここで喧嘩はやめてください。どうしてもというなら外でやろう。山へ、山へ行こうよ。白石さんも呼んで、ちゃんと服を着て、まともな挨拶から始めませんか。
「……三木ちゃん、こっちおいで?」
「す、杉元さん」
「尾形なんかにくっついちゃ駄目だろ」
「いや、あの」
「ほら」
「だ、ダメです、今、私、とんでもないかっこしてるので」
「はぁ?………」
「うぅ…」
「ははっ」
「……尾形殺す……」
「待って待って待って」
尾形さんが何やら勝ち誇ったように笑いながら、シャツに縋り付く私の手をうっそりと撫でた。何が功を奏したのか、尾形さんから杉元さんに殴りかかりにいくことはなさそうで、ちょっとだけ安心した。杉元さん相手に肉弾戦なんて無理があるよ、尾形さん。こんなところで死に別れなんてさすがに勘弁してほしかった。
でも杉元さんは。よりどす黒いオーラを撒き散らし始めた杉元さんに体が震えて、思わずぎゅっとしがみつくと「逆効果だぞ」と心底楽しげな声が降ってきた。そもそも尾形さんが脱がせたりしなきゃこんなことしなくてよかったんですけど…。
「三木ちゃん、こっち来て」
地を這うように低い声音に喉の奥が引きつった。行けるわけがなかった。
「無理強いすんなよ。行きたくねえってさ」
ニヤニヤ笑いながら杉元さんを煽る尾形さんも、いい加減にしてほしい。いつまでもこのままでいられるわけがなかった。尾形さんの背中に張り付いている今の状況だって相当恥ずかしいことに変わりはないのだ。
「いいから、一旦出てってくれませんか…」
尾形さんの背後から顔だけ覗かせて、ダメ元でお願いしてみた。まずは服を着させてほしい。
「だとよ。さっさと帰れ。二度と来るな」
「は?テメーが帰れクソ尾形」
「あ?」
「は?」
「いやどっちも出てってください」
「…」
「…」
「服着るまで入っちゃダメです」
「…」
「…」
「の、覗くのもダメですよ!」
「…」
「…」
「嘘でしょ…返事がない…」
テコでも動かない。
2019.3.25
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