もはやこれまで!
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人を一生かけて探したことはあるか。
俺はある。
誰しもに好かれる娘だった。
もともと小樽の外れでくたびれた町医者の助手をしていた頃から、めくるめく金塊探しに巻き込まれた中でも一貫して変わらず皆に好かれた娘だった。
綺麗好きで、冷静で、かと思ったら抜けていて、真面目かと思ったら全然違った。裏表のない女、よくも悪くも。
いつまでも表の面しか見せない態度に腹が立って、反対ッ側を見てやろうと回り込んだらさっき見たばかりの表面が広がっていた。いつの間にひっくり返しやがったと息巻いてもう一度走り戻るとまた表面だ。そんなことを繰り返すうちにいつの間にか好きになっている。
そんな娘だ。
「そろそろ結婚…してみっか…」
「うん…うん…」
そんな娘が100年前の北海道に存在した。同じころ同じ場所に俺もまた存在していた。
一緒に旅をした。同じ釜の飯を食った。何度か裏切った。と思ったら裏切られていた。見せられていたのは表だった。心踊らされた。差し出した手を取られると安心した。背を向けられると腹が立った。だから無理やり犯した。死ぬほどかわいいと思った。
一生手放せないと悟った。
そんな俺が今、こうしてこの時代に生きている。
不思議なものだ。28歳になったこの体はあの頃と全く勝手が変わらない。軍人でもなく金塊探しもしていないのに、体は銃を求めたし顎には深い傷を負った。縫った針の数も変わらない。
だというのに。
なんで俺の隣にあの娘がいない。おかしいだろ。
「俺…めっちゃ大切にするし…幸せにするし…」
「うん…うん…」
だから探した。一生をかけて。
どれだけ時間がかかっても構わない。構わないと思うほかない。一生を棒に振ってもいい。
この尾形百之介の人生に、あいつがいないなんて方がありえない。
物心ついたときから探して探して探しまくった。その過程でいろんな奴に会った。
そいつらは全員、100年前から何も変わっちゃいなかった。揃いも揃って何してやがる。どうやったらこの平和な時代にそんだけでかい傷を負えるんだ。馬鹿か。そう言って杉元をからかって憂さ晴らしをしてもあいつに会えなきゃ意味がない。
「オレらのチビすけ…ぜってーかわいいしな…」
「うん…うん…」
そしてようやく見つけた。俺の人生を28年無駄にさせたあの娘。前向きに言うと28年の努力が報われた瞬間。
これからが本番だった。
それなのに。
「じじぃばばぁになっても…愛してんぜ…」
「うん…うん…」
この茶番、どうしてやろうか。
▽
三ヶ月付き合った彼氏にプロポーズされた。
5月の公園。なんでもない平日の夜。残業帰りの私を街灯の下でぽつんと待ちぼうける彼の姿を遠目で認めて、一瞬立ちすくんでしまった。いけないな…。もっと嬉しそうに駆け寄ってあげなくては…。テトテト小走りしてくる私に気付いた彼は、照れくさそうに鼻の下をこすった。
「どうしたの?こんな時間に」
「きみに言いたいことがあって…今日、どうしても」
「ふーん…?」
なんだろうな…付き合って三ヶ月記念日とかかな…。マメ〜。私の彼氏、マメ〜。
なんて思ってたらポケットから四角い箱を取り出してきたので度肝を抜かれた。
これは指輪。どう見ても指輪。ガチめの指輪だった…。嘘じゃん…早…。付き合って三ヶ月だよ、私たち。
「オレたち、さ…」
「……」
「そろそろ結婚…してみっか…」
「うん…うん…」
思いがけない早さに考える力が追いつかなくてこめかみを揉んだ。とりあえず相槌を打ってはおくけどなんか…なんか…。うん…。
「オレらのチビすけ…ぜってーかわいいしな…」
「うん…うん…」
うーん…これは…潮時だろうか…。ちょっとこの人とは合わないなって思えてきたところだった。
勤め先がリースしている複合機の整備をしている彼の、そのマメな仕事ぶりがけっこう好感度高かったというそれだけの理由で告白を受けたことを、そろそろ申し訳なく思えてきたところだったのだ。そんな私に対して彼側は着々と結婚というゴールへの準備を進めていたのに気付けなかったのは、もう恋人としては不出来の極みでしょう。ごめんね…気付いてあげられなくて…。
「ジジィババァになっても…愛してんぜ…」
「うん…うん…」
とりあえずその右手に構えた指輪の箱を収めてもらおうと、片手でこめかみを揉みながらさりげなく押し戻しつつしていたら、そんな私の気配にピンときた彼が箱を持つ手に力を込め出した。お、おい…やめろ…もといた場所に帰って…!
「オレらの相性…最高だよな…!」
「うん…うーん…!」
押したり押されたり、私と彼の間で箱がいったりきたりするこの状況、どう収拾をつけたものか…。彼もこのサプライズが失敗に終わりつつあるのを勘付いているのが目で分かった。その上でゴリ押そうとしてる…嘘…嘘じゃん…。
「あの…あのね彼氏くん…あのね…」
「おいしいパスタ作ったお前…タイプだからさ…!」
湘南の風か。
「だからさ…あのー…」
やばい、徐々に押し負けてきた…!ベルベットの箱がじわじわと近付いてくる。男女の力の差が持久力として現れてきた。これはまずい。このままでは「気持ちの強さが決め手でした」とかなんとかいい感じのことを言われて話のタネにされてしまう。
いや、受けない…受けないしぃ…!
「いい加減にしろ」
突然、箱が視界から消えた。
実際煙のように消えたわけはなく、横から箱を取り上げた人間がいた。
力の行き場を失って尻餅をつきかけた私の背を、片手でやすやす支えた男の人を、私も彼もまじまじと見上げている。
その差はすぐに現れる。私はパッと視線を逸らした。彼はまだポカンと見つめている。
「え…誰ですか…?」
「…いいから帰れ。これもいらんだろう。返品してこい」
いきなりすぎる登場をした尾形さんは、彼のポケットに指輪の箱を押し込みながらとまどう背中をドンと突き放した。
一方で私の背を支えていた手は徐々に移動して腰に回っていた。なぜ…なぜ撫でる…。
「くだらねえもん見せやがって。おかげで最悪の再会になったよ」
「だ、誰なの?三木ちゃん、この人誰なの?」
「うん…あの…うん…」
説明のしようがない。かく言う私もちょっと混乱してる。この時代に生まれて23年、一度も見たことも会ったこともないこの猫目の男性を、どう紹介したらいいものか。うん…。100年前の記憶を引っ張り出す方が先だよね。うん…。お尻撫でないでほしい。うん…。
「行くぞ」
尾形さんはいつの時代でも存在感があるなあ。
ついに圧倒された彼はその場にへたりこんでしまった。私は手を取られるままに歩き出す。後ろ髪を引かれる思いで目を伏せる。ごめん、後で連絡するから…。彼氏くん…正式にお別れの挨拶はするからね…。
尾形さんは迷いのない足取りで、私の勘違いでなければ、うーん、私のアパート…に、向かっているように見える…。
「…まさか」
尾形さんのざらついた声が降ってきた。歩みは止めない。着々とアパートに辿り着きつつある。伏せていた目をそろそろと上げると、握られた手と、スーツに覆われた背中が目に入った。うー、目新しくて、懐かしい、この……もどかしい……ううん…。
「俺が必死に探してきた28年の間に、こうも見事に裏切られるとはね」
「うん…」
「押しに弱いところは昔から変わらんようだな」
「うん…」
「あの男と何年付き合ったかしらんが、忘れろ。俺が忘れさせる」
「うん…」
「口開けろ」
「うん……、んッ」
うえっ。
尾形さんの指が口の中に突っ込まれた。
こちらを振り向いた尾形さんは、何でもないような顔で私の頬をつかみ上げている。この人100年前から何も変わってない。そうだ。尾形さんは昔からノータイムで人の口の中に指を突っ込める人だったのだ。
「…あったけえな」
「ふぁ」
尾形さんの節くれだった指が、私の舌を撫で上げた。きもちわるい…。男の人の大きくて固い指は、二本でも十分異物感を誘う。こみあげる嘔吐感と格闘する私の顔を真正面から見据えながら、舌の下、柔らかいぬかるみに指を沈めた。口の端からあふれた唾液が漏れ伝うのが分かった。顎に添えられた親指がそれを抜け目なく拭うのも。
「舐めろ」
「…」
「頼む」
「…」
そんなこと頼まないでほしい。
抗議の意味を込めて首を横に振ると、上顎をくすぐられた。ウーワッ。この人…ほんとさぁ…。
「ん…ぅ…っ」
「ははっ」
暗く笑う瞳がこわい。私が、上顎を舐められるの弱いってこと、そんなくだらないことずっと覚えてたんだろうか。
「変わらないな」
そんな、心底安心したように言うことでは絶対にないよ。
尾形さんはひとしきり私の口内を撫で回したあと、ようやく指を引き抜いた。すっかりベタベタになったそれをどうするのかと、口元を拭いながら見ていたら当たり前のように自分の口元に持っていったので引っつかんで阻止した。尾形さんてそういうとこある。ハンカチで丁寧に手を拭ってあげると、満足げな笑みが降ってきた。なんだろうな…お世話をしたいわけじゃないんだけど…。
改めて真正面に向かい合って見上げてみると、本当に、正真正銘の尾形さんがそこにいた。
「私のこと探してたんですか?」
「そう言ったろ」
「なんで?」
「あ?」
「…」
「…」
ハンカチに包まれていた手が抜け出した。その冷たい指が私の首筋に伸ばされる。
「今ここで脱がしてもいい」
「…」
「さっきの公園に戻ってヤッてもいい」
「…」
「そうしない意味が分かるか?」
「…」
「…」
「うん…」
分かるわけがない。前世がどうあれこの時代では私と尾形さんは初対面なのに。そんなことしたら一発で警察沙汰だし。
「今生こそお前の裏側が見たいからな」
尾形さんは、昔からよく分からないことを言う。人の裏表なんて、好きこのんで暴くような面倒くさいことしたがるタイプじゃなかったじゃん。初めて私を抱いたときだって、手慰み以外のなんでもなかったくせに。
いつの間にか腰に回っていた手に引き寄せられて、おでこに尾形さんの胸板がくっついた。ここで清潔なオーデコロンの匂いがする時点で、獣と汗の入り混じった匂いがしない時点で、違うのになあ。なんで顎縫ってんのかなあ。限りなく夢に近い現実…。「お前はどうしたい」腰を掴んで首の裏を撫でながら、そんなことを聞いてくる尾形さん。
「…家に帰りたい…」
だからなんでそこで笑うかな。
当たり前のように付いてくる気マンマンの尾形さんの胸板を押し返したときから、私の物語は始まってしまったのである。
ベタ甘な尾形さん。
2019.1.2
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