鯉登家のメイドさん
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▽尾形とふたり旅時代
「宿を取った」
ただ一言そう告げて、私の反応を見るように押し黙る尾形さんの視線に小首を傾げた。
「ありがとうございます…?」
「……」
それ以外に何か言うことがあるのでしょうか。宿の前で二人、向かい合って立ち尽くしたまま、数十秒ほど待ってみたけど尾形さんは何も仰らないし私も疑問符を飛ばす以外にできることがありません。
もしや……。尾形さんがあまりにも私の表情を見つめてくるので、もしかして言外に責められているのかと思い当たって少し眉が下がった。尾形さんがどういうつもりでこの謀反の旅に私を連れ出たのかは分からないけど、こんな雑用くらいお前がやっておけよ、と、そうお思いなのでしょうか…。
気が利かないことを指摘されるのは使用人として恥ずべきことです。
私は自分の無能さに痛み入りながら、シュンとして視線を下げた。
「おい……」
「尾形さん、すみません」
「…」
「次からは私が手配しますので…」
「は?」
「え?」
「……嫌じゃねぇのか」
「え?」
「俺と……」
「…」
「…いや。なんでもない」
ついに私を視界から外してさっさと暖簾をくぐっていく尾形さんの後ろ姿を見つめながら、何度か瞬きをして再び小首を傾げた。
俺と……? はて、なんなのでしょうか。その後に続く言葉がまったく思い当たりません。尾形さんは、本当に謎の多い方ですから…。
案内された先は、7畳ほどの広さにちゃぶ台と、折り畳まれた二組のお布団が隅に寄せられているだけの本当に簡素なお部屋だった。
手荷物を適当に投げて銃だけ連れて腰を下ろす尾形さんと、備え付けのお茶を淹れてその隣に落ち着いた私との間に、既に当たり前になった静寂が流れた。
メイドに生まれ、メイドとして育った私にとって、常に静かにしていることは当たり前のことでした。主人の空気を乱さないように気を払うことに努める使用人たちの中でも、ベテランメイド長などは気配を消すことに長けすぎて、よく行方不明になっていました。私はといえば、どうにもそういうことは不得手といいますか…。年上のバトラーなどにも、その胸の存在感をなんとかしなさいとよく怒られたものです。そんなご無体な…とは思うものの、突かれんばかりの勢いで露骨に胸を指差されると、口答えもできないほど恥ずかしくなってしまうのでした。
そんな私を哀れに思われたのか、よく音之進さんが間に入って庇ってくださった。私の胸に近付く指をぎゅぅっと握りしめて、うろたえる執事に怖い顔をして迫るのです。
「殺されたいか?貴様…」
「め、滅相もございません…」
なんとお優しいことでしょう。音之進さんにとって私は大勢いる使用人の中の一人でしかないというのに…。
執事を追い払った後、私の手を引いて自室へと戻る音之進さんは、ムッとしながら、なぜ抵抗しないのだ、と大股で歩きながら私を責めた。
そんな、音之進さん、それこそ滅相もございません…。
執事の言うことは正しかった。自分ではどうしようもないこととはいえ。とはいえ、です。メイドとして在る以上、常に最善を求めなければならないのです。それができないのなら、そもそもの資質がないということなのです。
それからも私は静かに気配を消すように努めながら、胸のことでお叱りを受けつつ、不機嫌な音之進さんに手を引かれ続けた。メイドでなくなった今となっても、私は黙って誰かの側に付き従っているのでした。
習い・性となる。染み付いたメイドとしての習慣は一生物になったようです。
尾形さんもそう口数の多い方ではないので、この旅の道中は静かなものです。
こうして宿に泊まってみるとそれが際立ってよく分かる。野鳥の声や風のざわめきも聞こえない小さな箱の中で、動くものは私と尾形さんしかいませんので…。どちらもが黙るとそれはそれは静かになります。それでも尾形さんは沈黙を苦としないタイプのお方だったので、私も心置きなく馴染むに努めることができた。
「……おい」
尾形さんが動くまでは側で控えていようとする私に、何やらしびれを切らしたような声が降ってきた。見上げると、先程宿前で見たような視線と再びかち合った。
「はい、尾形さん」
「お前分かってんのか」
「え?」
「この部屋で寝るんだぜ。俺も、お前も」
「…」
「……俺は、布団を二つも敷く気はない」
尾形さんの右手が伸びて肩に触れた。ゆっくり追い詰めるように覗き込まれて、私は、今度は小首を傾げなかった。
尾形さんが仰りたいこと、分かります。
私だってメイドのはしくれですから。音之進さんのお供として長旅に付いたことはたくさんあります。そしてそんなとき、音之進さんは必ず私を同部屋になさるのです。
使用人が主人と同じ部屋に泊まるなどとんでもない、それも私のような下っ端メイドが…。そう言って辞退しても、主人の命令が聞けないのか、と言われるとそれまでです。
私はご主人様の命令に従いました。
「あの、尾形さん」
「…」
「ちょっと、失礼します」
「は?」
半ば覆い被さるような態勢の尾形さんと目を合わせながら、そのたくましい腕を引き寄せた。
猫みたいな黒目を見開く尾形さんが体を強張らせたのが伝わってきたけど、そんなの、まったく支障ありません。
ぽす、と軽い音を立てて私の膝の上に仰向けに寝転がった尾形さんが呆気にとられて見上げてくるのに、なんだか楽しくなってしまう。
「……おい」
「尾形さん、力を抜いてください」
「…」
「お宿に泊まるのは久しぶりですから…」
「…」
「昂ぶった気をなだめるのは、割に難儀なものですね」
「…」
いつも彼がしているみたいに、髪を沿わせるように頭を撫でた。大人しく膝枕される尾形さんは、物言いたげに黙り込んだまま、まっすぐ私を見上げている。見下ろす私とすぐに目が合うので、よしよしする手を止めないままとりあえず微笑んでおいた。
切腹ものでしょうか、時代錯誤なことを言うと。
目上の殿方にこんなことをしていいものかと思わないでもないですが…。音之進さんはこうするととてもリラックスされるのだった。だからこその同部屋、だからこその二人きりなのだと、初めて音之進さんを膝枕したときに納得したものです。
「長旅で気を張りっぱなしの主人に何をしたらいいか、分からないとは言わせんぞ」……そう言って私と至近距離で向かい合う音之進さんの姿が、今となっては懐かしい。咄嗟にこんなことしか思いつかないで、うろたえたまま太ももに乗せた主人の頭を撫でる私を見上げる音之進さんも、今の尾形さんのような目をしていました。まあ、それも悪くない…とどこか歯切れ悪く言いながら、満更でもなさそうな表情に安堵したものです。それからというもの、この膝枕がお宿に泊まるたびの恒例となったので、花丸満点とはいかなくても及第点くらいはいただけたかな、とそう思えるようになった。
こんなことで癒しになるかは分かりませんが、尾形さんも、時にはこうして撫でてもらう時間が必要なのではないですか。
「野宿ばかりでは気が休まりませんから」
「……お前」
「はい」
「わざとやってんのか」
「あら…」
なんだか間違えていたのかな。眉間に皺を作りながらこちらを見上げる尾形さんの、不満げな瞳が私を責めた。
「違いましたか」
「当たり前だろ」
「そんな…そうなんですね…」
「…」
「音之進さんはこうすると喜んでくれたんですが…」
「は?」
「え?」
「おい。待て」
「?」
「お前あの坊ちゃんにいつもこんなことしてんのか」
「こんなこと…」
こんなこと、と苦み走った口調で言われるようなことをされているのに、尾形さんが私の手を振り払わず甘んじて受けているのが少し不思議…。膝枕を求めていたわけじゃないのは分かったけど、だとすると、尾形さんは一体私に何をさせたかったんでしょうか。
「はあ、音之進さんはああ見えて繊細な方なので」
「…」
「慣れない場所では人肌が恋しくなるそうですよ」
「…」
「でも、尾形さんには余計でしたね」
話している間も撫でていた手をようやく止めて、体勢を変えようとしたところで手首を掴まれた。強く、締め上げるほどきつく私の手を捕らえる尾形さんは相変わらず苦虫を噛み潰したような顔をしていたけど、私の膝の上からどく気配はなさそうだった。なんだか今日は、見つめ合ってばかりいる気がします。
「やめろとは言ってねえ」
「はあ」
「俺は」
「…」
「お前と……、」
「…」
「…」
「…」
「…………もういい知らんやめた」
「え?」
ごろん、と寝返りを打った尾形さんが私のお腹に顔を埋めて、捕まえていた手も離して腰にぎゅっと抱きついた。まるで子供が拗ねたような反応に私の方が困惑してしまう。尾形さん、どうしたんですか。ひとまず、やめるなと言われたなでなでを再開すると、腰に回された腕に力がこもった。尾形さんの吐く息が布越しに下腹部をあたためるので、なにやら恥ずかしい気持ちになる。
「あの…」
「……少し寝る」
「あ、はい」
「絶対に動くな」
「はあ….」
圧がすごいのですが。尾形さん。
自分の胸に視界を阻まれて尾形さんの横顔を見ることは叶わないけど、絶対を強調するように横目で睨みあげられたのがその圧だけで容易に分かった。お疲れなんですね、尾形さん。睡眠の邪魔になるようなことはしません。お約束します。何せ、静かに控えることには慣れていますから。
「おやすみなさい、尾形さん」
上体を屈めて囁くように声をおとした。ゆっくり休んでください。そして備えて。この旅の目的を知らされているわけではありませんが、随分な長丁場になるであろうことはなんとなく分かります。
気を張るにも限界がありますから。警戒を解く時間がきっと尾形さんにも必要なはずです。
「………やっぱりわざとやってんだろう………」
私の胸越しにくぐもった声が聞こえてきた。顔を近づけたせいで尾形さんのお顔に押し付ける形になってしまった胸にやっと思い当たって、慌てて上体を起こした。お、お恥ずかしい…。何年この体で生きているんでしょうか。この不敬なミスは音之進さんのときも何度かやらかしているというのに、学習しないとあっては…。メイドとしてお恥ずかしい限りです。
「す、すみません」
「………」
尾形さんが外套の下で身じろぎした。
返事の代わりに、深いため息が返ってきた。
勃ってる。
2019.7.15
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