鯉登家のメイドさん
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▽アシリパの洗礼
「ほら、口開けろ」
「…」
アシリパさんが差し出した木匙の上に乗っかる内臓色のトロリとしたものは、リスの脳みそ。
すごい、初めて見ました。食べられるものだということも今知りました。生まれてこのかた鯉登家の食卓事情しか知らない私にとって、この旅が始まってから、見るもの触れるものすべてが新鮮で、どうにもドキドキしてしまいます、が、なんというか、それ以上に……。
「……」
「なんだ。何か文句があるのか?」
「あ、アシリパさ〜ん、初心者だから…お手柔らかに…」
「あ?」
「あの、違うんです、その、ええと…」
何と言ったらいいんでしょうか。
訝しげな表情で私に木匙を差し出すアシリパさんと、何やらハラハラした様子でこちらを伺う杉元さん達に見られて、頬が赤くなってしまうのが自分でも分かった。
「あの、こんな風に、人にあーんしてもらうのは…初めてなので…」
「…」
「なんだか照れてしまいます」
「…」
同時に、もう誰かにあーんする必要はないことが同時に思い起こされて、ほんの少しだけ郷愁を感じた。音之進さん、お元気でしょうか。風邪など召されていないでしょうか。
昔から、体調を崩した音之進さんに手ずからお粥を食べさせるのは私の役目だった。最初に指名されたとき、メイド長の方が手慣れているので…と辞退したら、ムッとした音之進さんに、朝から晩まで側にいろと申しつけられた。なんと、人は、弱っている時には甘えたになるものですね。有能だけれども厳格なメイド長より、年の近い私が適任なのだと納得して、それからずっと、音之進さんの看病は私の仕事だった。
大きくなった今でも、音之進さん、誰かにあーんしてもらっているんでしょうか。それが鶴見様だったら、音之進さんにとってこれ以上の幸せはないんでしょうね。
「なんだ、そんなことか。いいから口を開けろ。ほら、あーんだ」
「あ、あーん」
「…」
「…」
杉元さんや白石さんが押し黙ったまま、じっとこちらを見ているのが少し気恥ずかしかったけど、それ以上に、口に入ってきた未知の食感に心奪われてしまった。なんだろう、むちゅむちゅして、柔らかくて、溶けそうで溶けない不思議な…うーん…知らない領域です、これは…。
「どうだ?ヒンナか?」
「はい…」
「よしよし、まだあるからな。ほら、あーん」
「あ、あーん」
「…」
「…」
照れます。
物心ついたときから鯉登家にお世話になっている私にとって、こんな風に奉仕してもらうのは初めてのことだった。何か背徳めいたことをしているような気になって、いささか居心地が悪いけど、それ以上に、やはり照れてしまいます。
「…あの人も、こんな気持ちだったんでしょうか」
「え?」
「だとしたら、使用人冥利に尽きますね」
「…」
少しむず痒いこの幸福感を、音之進さんに与えられていたんだとしたら、それはメイドにとって誇らしいことです。ご主人様のお役に立つことが使用人としての義務ですから。
「……俺も金持ちに生まれていたら……」
「言うなよ、白石。むなしいだけだ」
「あーん以上のこともしてもらえたかな…」
「殺すぞ、白石」
その会話の内容は聞き取れなかったものの、杉元さんと白石さんが何やら遠い目をしていたので、ハッとしてアシリパさんのあーんをお二人に譲った。
いけないいけない、私ばかり独占してしまっては…。アシリパさんのあーんは皆のものだ。
「尾形さんはいいんですか?」
「……」
少し離れたところで銃の手入れをしていた尾形さんは、私の言葉に意味深な視線だけ返してきた。うーん…尾形さんと旅をしてしばらく経つけど、たまに真意が読めない…。どう言う感情なんでしょう、それは…。
(ただの嫉妬)
▽月島ぁん!
「何であなたがここにいるんだ…」
「月島さん、お久しぶりです」
この夕張の地で私に話しかけてくる人がいて、しかもそれが月島さんだったとは、少々予想外で驚いてしまった。
「ここで何を?」
「何ってこともないのですが」
「…」
「…」
月島さんとはそこまで面識がないはずなのに、覚えていてくれたこともさることながら、こんな道端ですれ違っただけで私だと認識するとは、やはり有能な軍人なのですね…。呼び止められたときに掴まれた腕が、未だに解放されないことも不穏です。私が尾形さん達に同行していること、バレているんだろうか。
「あの…」
「ああ、失礼。だが…」
「…」
「離せないな」
「…」
やはり不穏です。
刺青の手がかりを探しに行った尾形さんに命じられて、街で一人、時間を潰しているときにこんな邂逅をしてしまうとは。
月島さんは、数回会って話しただけでも分かるほどの人格者で、とても紳士な方だった。音之進さんも懐いていたのをよく覚えている。月島に惚れてはならんぞ、と何度口を酸っぱくして言われたことか。そんなことしなくても、音之進さんから月島さんを取ったりしませんよ、と宥めると、余計にぶすくれてしまうので大変だった。妙なところで疑り深いご主人様です。そもそも、月島さんが私なんぞを相手にするわけがないのに。
そんな月島さんが、私を捕まえて離さない、というのは、やはり不穏な展開です。
「あの、私に何か御用でしょうか」
「用?」
「…」
「ないと思うのか?」
「…」
「……今まで、どこにいたんだ」
どこ、とは。随分回りくどい聞き方をするものです。屈強な鬼軍曹と名高い月島さんらしくない物言いに、もしかしてバレていないのでは、と思って少しホッとした。尾形さんや土方さんの居所を私から聞き出そうとしたら、もっと別のやり方をするはずの人だ。
「どこ、と言うか…」
「…」
「せっかくなので、ほうぼうを回っていました。新しい奉公先も見つけないといけないので…」
「…」
「月島さん?」
「……なぜ」
「え?」
「なぜ頼ってこなかった」
ほんの少し腕を掴む手に力が込められた。男性にしては小柄とはいえ、私よりもずっと体格のいい月島さんの腕を振り払えるわけもないので、大人しくしていることにした。なにやら、刺青や金塊とは全く違うことで、問い詰められているような…。
「鯉登少尉から聞いた。…馬鹿げた理由で、クビになったと…。俺も心底くだらないと思う…が、従う他ないというなら、俺達の元へ来たらよかったのだ。どうとでもしてやった」
「…」
「少尉は血眼であなたを探している」
「…あの…」
随分気にかけていただいてたんだと、少し申し訳ない気持ちになる。音之進さんの添え物として何度か会っただけのメイドにかけるには、もったいないお言葉です。しかし、しかし…。
「私がクビになった理由をご存知なのですか」
「…」
「音之進さんも知ってるんですね」
「…」
「…」
うう、恥ずかしくて顔から火が出そうです。
月島さんが私の胸を視界に入れないようにして、軽く咳払いをするので、私の羞恥心もどんどん膨んでいった。対応が紳士なだけにいたたまれない。こんなことで気を揉ませてしまってすみません、と頭を下げると、降ってくる視線が剣呑なものになった。はあ、いっそ尾形さんのように笑ってもらった方が気が楽です…。
「なぜ謝るんだ。あなたが悪いことは何もないだろう。悪いのは…………その、自制の効かない輩の方で………」
「…」
「あなたの胸に罪は……」
「…」
「……いや、すまん……」
「いえ…」
ああ、こんな真面目な方に不必要な辱めを……ふしだらな体ですみません。ああ、いたたまれない……。
▽鯉登初登場・その後
「ちんちんぬきもっしたってどういう意味なの?」
「だんだん暖かくなってきましたね、ですね」
「へー。じゃ、じゃあ発音は?」
「えーと、ちん…」
「殺すぞタコ坊主」
「ちょっとした好奇心じゃんッ、アッ、尾形ちゃん銃下ろしてぇ?」
▽尾形と杉元
白石さんが街でお酒を手に入れてくれたので、今夜は少し特別だった。
「お前、お前な……なんだ?何を食べたらそうなるんだ?フチのとぜんぜん違う……なんだこれは?おい?ほとんど暴力だぞこれは……おい……おっぱいで人は死ぬのか……?」
「アシリパさんってもしかしてお酒弱いですか?」
「見ての通りだな」
私の胸に殆ど倒れこむようにして張り付いていたアシリパさんの首根っこをひょいと掴んで、既に酔い潰れていた白石さんの上に放る尾形さん。無防備なお腹に衝撃を受けて、ぐえっと低く呻いた白石さんを一瞥もせずに、私の隣に腰を下ろした。「おい、アシリパさんに乱暴すんなよ」……向かいで呑んでいたはずの杉元さんも、いつのまにか隣に来ていたので驚いた。
「ね、ちゃんと呑んでる?遠慮してない?」
「いえ、私はお酒は…」
「なんだよ。呑めねえのか?」
「そういうわけではないんですけど」
「仕方ねえな。口開けろ」
「え?」
「ふざけんな尾形しね」
「は?お前がしね」
「あぁ?」
「はぁ?」
実はこの二人ってちょっと仲良しなのではないでしょうか。
事あるごとに突っかかりつつも、毎度毎度同じような応酬を繰り広げるこの展開を、お約束と呼ぶんだよと以前白石さんに教えてもらった。今日も出ましたね、お約束。
「…お酒はあんまり得意じゃないんです。気が緩んでしまうので」
「ふーん…」
「音之進さんにも、外では絶対に呑むなとよく言われていました」
「は?」
「は?」
「え?」
なんでそこでハモるんでしょうか。
「あの坊ちゃんの前で呑めて、俺達の前じゃ呑めねえってのか?」
「尾形さん、もしかして酔ってますか?」
「酔ってねえ。さっさと口開けろ」
「お、尾形さん、待って、なんで自分で呑……」
「ふざけんなマジで殺すぞ」
杉元さんに胸ぐらを引っ掴まれて、含んだお酒を不機嫌そうに呑み下した尾形さんは、それでも私の顎にかけた手を離さなかった。やっぱり酔ってますね尾形さん。杉元さんも…。むせかえるようなアルコールの匂いの中で、大の字で寝息をたてる白石さんとアシリパさんが風邪をひかないか心配です。
「あの、自分で呑めるので…」
「…」
「ほら呑むってよ。さっさと離れろ」
「…ふん」
杉元さんに渡されたおちょこになみなみ注がれた透明な液体を、口にするのはいつぶりだろうか。音之進さんの士官学校卒業のお祝いに、お前も付き合えと言われて一杯いただいたあの時以来では……あのとき、確か、どうなったんだっけ……。
盃に口をつけて、少しづつ吞み下すと、既に体内にまで浸透していたアルコールの匂いが呼応するみたいに、一気に体がポカポカしてきた。そうそう、こんな感じでした。なんだかあったかくて、ふわふわして、心地いい…。
「ちょっときついけど美味しい…」
「……」
「……」
「外で飲むお酒もいいものですね」
「……」
「……」
「…あの…?」
「忘れてた……ふつーにしててもエロいんだったこの子……酔わせたらダメだ、なんかダメだ、俺がダメだ……」
「早漏が」
「ウッゼ死ね尾形ウッゼ」
「……」
何も聞かなかったことにしておちょこを煽った。そ、そんなにえろいですか、私の顔。だとしたら、ただただ恥ずかしいです……穴があったら入りたい……うう……。
(鯉登の言いつけは正しい)
書きたいとこだけ2。
2019.5.2