鯉登家のメイドさん
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▽尾形との始まり
「なんでこんな所にあんたがいる……」
「わあ、尾形さん。お久しぶりです」
声をかけられて振り向くと、相変わらずまっくろな瞳に訝しげな色を乗せて、尾形さんが所在なさげに佇む私を見ていた。こんな所、とは、ご自分の拠点でもある兵舎に対して随分な言い草です。
「違う。兵舎は向こうの棟だ。こっちは陸軍病院だろうが」
「あら…」
「どっちにしろ、若いメイドがいちゃ目立つがな」
以前に会った時よりも伸びた髪を撫でつけながら近寄ってくる尾形さんは、視線だけで後ろを伺った。何人かの在兵が物珍しげに私を見やるその視線から庇うようにして立ってくれているのだと、その動作でようやく気付いて、ご丁寧にどうもとお辞儀をすると、少しトーンを落とした声音が降ってきた。
「……あの坊ちゃんに会いにきたのか」
「ええ、あの、音之進さんはどちらに?」
「ここにはいねえ」
「えっ」
「旭川の任務についてるはずだが」
「ええっ」
思わず口元に手を当てて、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。そんな、そんな。あの音之進さんが、鶴見様のお近くにいないなんて…。
「そんなことがあるんですね…」
「というより、何で知らない?鯉登家のメイドだろう」
「はあ、それがその」
「…」
「お恥ずかしながら、クビになってしまいまして…」
「は?」
思いのほか素っ頓狂な声が返ってきて、尾形さんも随分丸くなったものだわ、と思う。初めて会った時は、音之進さんの側に控える私にも敵意剥き出しだったものだけど、その後会うたびに態度が柔化していくのがなんだかちょっと嬉しかったりもしていました…。
でも、それも今日で最後になる。
「今日は、音之進さんにお別れを言いにきたんですが…そうですか、旭川に…」
「おい…。クビになったって、何だそれは。理由は」
「はあ、それがその」
「…」
「お恥ずかしながら、この胸が原因でして…」
「は?」
先ほどよりもずっと素っ頓狂な声が返ってきて、恥ずかしくて頬が赤くなってしまう。もじもじと手元を遊ばせながら、尾形さんにも分かるように言葉を噛み砕きつつ選ぶけど、本当にお恥ずかしい話なのです。関係のない殿方のお耳に入れるには、少々外聞が悪いというか…。
「その…私の胸が、なんというか、お客人たちを誘惑しているとご指摘を受けまして…」
「…」
「音之進さんの情操にも悪影響だと…。これが、音之進さんのお部屋からお胸の大きい女性の春画が見つかったことから問題になってしまいまして…。そうなると、なんだかこの顔も男好きのするように見えると…」
「あんたの顔がエロいのは今に始まったことじゃないだろう」
「え、えろいですか、私の顔」
「自覚がねえのか。厄介だな」
尾形さんの乾いたせせら笑いも、今となってはありがたい。どうぞ、笑い話にしてください。旦那様などは馬鹿な話だと庇ってくださったけど、一度でも問題になってしまった手前、居座り続けるのも難しいと、私の方からお暇を頂戴したのだ。物心ついたときからお世話になっていたお家だから未練ももちろんあるけど…。だからこそ、迷惑をかけたくないと、そう思いました。
「尾形さんともこれでお別れですね」
「……これからどうする」
「新しい奉公先を探します。見つかるまで多少の時間はかかるでしょうけど、仕方ないですね」
「…」
ふう、と小さく息をつく私の耳元に、尾形さんの口元が寄せられた。尾形さんにしては珍しい距離感に、少しびっくりして見上げると、拳ひとつ分くらいの距離で目があった。
「その必要はないな」
「え?」
「今日の夜、裏の雑木林の中で待っていろ」
「え?」
「まあ、これも何かの縁だろう」
縁。
縁ですって。あの尾形さんが、今、縁とおっしゃいましたか。
音之進さんのことを士官学校上がりのクソボンボンだと馬鹿にして、激昂した音之進さんを宥める私のことも何やら冷たい目で見ていたあの尾形さんが、私との縁を感じていてくれたことに胸があったかくなったので、私は、よく分からないまま言われるがままに、こっくりと頷いてしまっていたのでした。
果たして、それが尾形さんの脱走兵としての旅路に連れられるんだと、はっきり分かったのは一週間後のことです。
ああ、よもや、音之進さんの敵になってしまうとは…。
「なんだか新鮮でドキドキしてしまいますね」
「(変な女…)」
▽杉元一行と合流
「え、待って、そのメイドさんはナニモノなわけ?」
「元メイドです」
「俺が拾った。手を出すなよ」
「???」
分かりやすくハテナマークを飛ばす杉元さんに微笑みながら右手を差し出すと、ぎこちないながらも握り返してくれた。いい人ですね、杉元佐一さん。
「尾形さんの顎をあんなにした方だと聞いていたのでちょっと身構えていましたが、杉元さん、いい人そうではないですか」
「そうかよ」
握手を交わす私たちをじっと見ている尾形さんがなんだか不機嫌そうに見えたので、隣に寄って話しかけると吐き捨てるような返事が返ってきた。ははあ、何やら深い因縁があるんですね…。あんまり尾形さんの前で杉元さんに話しかけるのはやめよう、とそんなことを考えた私の目の前に、にゅっと別の手のひらが差し出された。
「白石由竹、独身です。彼女はいません。恋をすると一途な性格です!」
「白石さんですね、ご丁寧にどうも…」
「触るな。手が腐る」
「ちょっとそれヒドクナーイ?」
軽口を叩く尾形さんが物珍しくて、思わず笑ってしまうのを口元に手を当てて隠した。そんな私の着物をちょい、と引っ張る手があった。
くりくりの瞳が愛らしい、アイヌのお嬢さん。
「えーと、アシリパ、さん。でしたね」
「ああ。お前も、金塊が欲しいのか?」
「いえ別に」
「……」
不可解そうに小首を傾げるアシリパさんにならって、私も同じようにした。
「じゃあなんでこんな旅をしてる?」
「なんででしょう……強いていうなら」
「…」
「元ご主人様に逆らっているのがなんだか楽しくなってきてしまいまして…」
「…」
「気をつけろよ。そいつも大概変な奴だ」
「なんなの?このパーティ」
そう言う杉元さんこそ、実は一番イっちゃっているお人なのではないかと、このあとの旅で薄々勘付くことになるのでした。
▽鯉登と再会
「ハアッ?!!??!!!??!??」
「うるさっ。何ィ?」
白石さんが耳の穴に指を突っ込んで顔をしかめるほどの絶叫に、相変わらずですね、となんだか懐かしい気持ちになりました。
「なんでわいがこけおっとじゃ?!!??!」
「え〜何ィ?知り合いなの?」
「元ご主人様です」
こいつが…と、飛行船にいる皆の視線が音之進さんに集まった。なんだかもう何年も会ってないみたいに懐かしいですね。音之進さん。あんまり変わってないみたい。興奮すると早口の薩摩弁になってしまうところ、本当に懐かしいです。
「音之進さん、お久しぶりです」
「ないごてこげんところにわいがおる?!?!」
「俺が拾った」
「はあ、拾われました」
尾形さんがニヤニヤと挑発するような笑みを浮かべるので、この人も大概悪い人だなと思う。
「貴様ァ…!!!」
「なんだよ。そっちが先に捨てたんだろうが。落ちてたものを拾ってなにが悪い?」
「あんなこと言われてるけど、どう?」
「一応、物じゃないんですけどね…」
頬に手を当てて白石さんと一緒にうーんと唸ってみるけど、まあそこまで細かいことにはこだわらないので、お好きに解釈してもらえばいい。
「おいは捨てちょらん!!!」
歯を食いしばりながらそう叫ぶ音之進さんの鋭い目線に射抜かれて、そのとき初めて成長した姿が見えた気がしました。七光りのおぼっちゃまだと、主に尾形さんにあざけられていた音之進さんが、よくぞここまでご立派に…。
「おいがどれだけわいんこつを探したと思うちょる…」
「…」
「返してもらうぞ」
「笑えん冗談だ」
「…この子は物じゃねえぞ」
撃たれたはずの杉元さんまで、血の流れる傷口を抑えて立ち上がった。険の滲む表情からは、弱っている様子はまったく見えなかった。すごい、さすが、不死身の杉元と呼ばれるだけのことはある。
なんだか蚊帳の外な白石さんと私で、顔を見合わせてとりあえず笑っておいた。
書きたいとこだけ。
2019.4.22
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