Love me, love my dog.
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「ラインマーについてですが」
バーナビーは空になった皿にスプーンを置いた。からんとした軽い音がダイニングに響いた。
「奴がシュテルンビルトを離れる前に、どうにか証拠を突きつけたいところですね」
「うん……」
「普通に考えれば退職のタイミングは年度末でしょうが、知られた以上律儀に九月まで待つとも思えない」
「それに、急がなきゃジャンマルコだって動き出す」
「ああ、それは僕が対応しておきます。そのパパラッチの名刺、しばらく貸していただけますか」
有無を言わせない口振りだった。差し出された手を前に、名前は何も言わずに名刺を渡す。そもそも彼のスクープだ。自分がジタバタするよりもアポロンメディアから対応してもらった方が余程賢明に思われた。
従順にも手渡された名刺を親指と人差し指で擦り合わせながら、バーナビーは少しだけ眉間の皺を深めた。
「あなたにああいうことを言った手前なので事前に伝えておきますが、近いうちに公表するつもりです」
何を、と口に出す前にバーナビーは言葉を続ける。
「恋人がいると。マーベリックさんも了承済みです」
「…………はあ!?」
名前が思わず身を乗り出す。今まで「理想の恋人」の前では見せたことのないくらいには取り繕われていない反応だった。
「自分が何を言ってるかわかってるの?」
「現時点でのヒーローランキング、ご存知ですか?」
ジェイクの件以降ぐんぐんと人気と実力、そして結果を積み重ねていったバーナビーは、キングオブヒーロー・スカイハイに迫る勢いだった。今ではほとんど首位が横並び状態のはずだ。
「僕は今期、必ず一位を獲ってみせます。その後、正式に公表するつもりでした。元から公にしたかったのもそうですが、余計なトラブルに巻き込まれるのも御免ですから。予定が多少前後したところで何の問題もありません」
だから名前が気にすることはないのだと、言外にそう言っている口振りだった。スーパールーキーに恋人がいるなんて、確実に世間の動揺を招く。彼の今後の人気やファンのことを考えれば反対したいはずなのに、熱の入った眼差しに名前は黙り込んでしまった。
「当然、あなたに迷惑がかからないよう、細心の注意を払います」
「そっちの心配はいいんだけど……」
「前から気になっていたんですが、その自分を蔑ろにしてまで僕を気遣うの、いい加減やめにしませんか。あなたのそれは美徳を通り越してもはや悪癖だ」
「そんなこと……!」
続く言葉が出てこない。
バーナビーとは対等な恋人でいようと、対等でいたいと接してきたつもりだった。たとえ根っこにはスターとその他大勢、ステージに立つ側と客席側、そんな意識があったとしても。
ラインマーによる運の操作、その仕掛けを知ってしまってからはハリボテの威勢すら保たなくなってしまった。自分が知らず知らずのうちに履かされていたのはガラスの靴ではなく、高下駄だった。すべて打ち明けた今でも名前はそう思っている。
「……この数ヶ月、本当に僕は理想の恋人でしたか? 黙ってヒーローになったからって無視し続けるような男が? 忙しさにかまけてデートの時間すら作れないような男が? あなたの様子がおかしいことに気付いていながら、何もできなかった無力な男が」
「私がそうさせたんでしょう。この話はやめよう、惨めな気分になる」
「やめません。僕を見てください。ヒーローアカデミー生でもない、プロヒーローでもない、ただの僕を見て」
テーブルの上に投げ出された女の右手を、バーナビーがそっと包み込む。その仕草がもう一度引き合わされた夜と重なって、どきりとした。
そんな名前の内情を知ってか知らずか、バーナビーは彼女の顔を覗き込む。レンズの向こうのエメラルドが放つ光が真摯に降り注ぐ。
何度も向かい合ってきたはずなのに、初めての感覚だった。力強いグリーンを縁取る豊かなまつ毛、その一本一本はきっと神様が精巧に作ったのだろうと思った。この光を閉じ込めておくために。そうでなければ、彼の瞳はあまりにも眩しすぎる。
ずっと知っていたようで知らなかった目だ。きっと見ていたつもりでも、目を背けていた何かが込められている。
重なり合っていない方の左手を伸ばした。首筋から顎の輪郭、耳の形までをそっとなぞりあげる。その感触に、名前は自分の口角が自然と持ち上がるのを感じた。
「あなた、そんな顔をしていたのね」
「……どんな顔に見えますか」
「かわいい顔。とっても」
名前が落ち着いた頃合いで、かわいい恋人も普段の聡明さを取り戻していた。それにしても、の一言で話題を目下の状況に切り替える。
「どうやって彼が黒幕だと辿り着いたんですか?」
名前もはっとなって、思考のスイッチが仕事に切り替わる。花の香りのお茶で喉を湿らせてから口火を切った。
「ジャンマルコは私がウォッチドッグだって気付いていなかった。だからヒーロー関係者は除外できる」
思い返せば、彼は「アッバス刑務所の」と話しかけてきた。バーナビーの記事も見出しは「一般女性」との同棲疑惑だと。もし自分の正体を知っているのなら、ヒーロー同士の熱愛と報じた方が注目度は段違いのはずだ。ジャンマルコの言う仕事仲間に、ヒーロー関係者は意図されていない。
「次に怪しいと思ったのは、ミルキーウェイの情報統制。さっさと市民に注意喚起でも出せばいいのに、警察内でしか話が出回っていなかった」
現に、ドラッグ服用者の対応にあたるヒーローにすら情報が伝わっていなかった。バーナビーも初耳だったようだ。
「爆発的な流行からしても、間違いなく強大な権力が絡んでる。極め付けは、アッバス刑務所にまでミルキーウェイが持ち込まれてた」
権力との繋がり、閉鎖的な刑務所内でのドラッグ流通。叶えられるのは一人しか浮かばなかった。ラインマー所長がシュテルンビルトを離れている間にミルキーウェイが世間を惑わせたのも、彼の運によるものかもしれない。
「状況証拠しかないんだよ、でも所長しかあり得ない」
「でも自分がやったと認めているんですよね?」
「私の前ではね。その自白だけで引っ張ってこれないと思うよ。所長はたぶん、敵対すらしてくれない」
法で裁けない悪事。ヒーローとしても刑務官としても、今の名前には手が出せない。
「ま、もうちょっと足掻いてみるよ」
「どんなに小さなことでも教えてください。あなたの秘密主義はもう懲り懲りだ」
「そんなんじゃないって。でも今回で結構懲りました」
「心臓に悪いんですよ。大体ね、前からあなたは」
「はいはいはい! 一個ずつ聞くから!」
名前は立ち上がり、空になった二人分の皿を重ねた。洗い物のためにキッチンに向かおうとする背中に、バーナビーは声を掛けた。
「虎徹さん直伝チャーハン、どうでした?」
名前は皿を持ったまま、数秒動きを止めた。暫しの逡巡ののち、少女っぽく歯を見せて笑った。
「お米は炊き立てのを使わない方がいいらしいよ」
バーナビーは空になった皿にスプーンを置いた。からんとした軽い音がダイニングに響いた。
「奴がシュテルンビルトを離れる前に、どうにか証拠を突きつけたいところですね」
「うん……」
「普通に考えれば退職のタイミングは年度末でしょうが、知られた以上律儀に九月まで待つとも思えない」
「それに、急がなきゃジャンマルコだって動き出す」
「ああ、それは僕が対応しておきます。そのパパラッチの名刺、しばらく貸していただけますか」
有無を言わせない口振りだった。差し出された手を前に、名前は何も言わずに名刺を渡す。そもそも彼のスクープだ。自分がジタバタするよりもアポロンメディアから対応してもらった方が余程賢明に思われた。
従順にも手渡された名刺を親指と人差し指で擦り合わせながら、バーナビーは少しだけ眉間の皺を深めた。
「あなたにああいうことを言った手前なので事前に伝えておきますが、近いうちに公表するつもりです」
何を、と口に出す前にバーナビーは言葉を続ける。
「恋人がいると。マーベリックさんも了承済みです」
「…………はあ!?」
名前が思わず身を乗り出す。今まで「理想の恋人」の前では見せたことのないくらいには取り繕われていない反応だった。
「自分が何を言ってるかわかってるの?」
「現時点でのヒーローランキング、ご存知ですか?」
ジェイクの件以降ぐんぐんと人気と実力、そして結果を積み重ねていったバーナビーは、キングオブヒーロー・スカイハイに迫る勢いだった。今ではほとんど首位が横並び状態のはずだ。
「僕は今期、必ず一位を獲ってみせます。その後、正式に公表するつもりでした。元から公にしたかったのもそうですが、余計なトラブルに巻き込まれるのも御免ですから。予定が多少前後したところで何の問題もありません」
だから名前が気にすることはないのだと、言外にそう言っている口振りだった。スーパールーキーに恋人がいるなんて、確実に世間の動揺を招く。彼の今後の人気やファンのことを考えれば反対したいはずなのに、熱の入った眼差しに名前は黙り込んでしまった。
「当然、あなたに迷惑がかからないよう、細心の注意を払います」
「そっちの心配はいいんだけど……」
「前から気になっていたんですが、その自分を蔑ろにしてまで僕を気遣うの、いい加減やめにしませんか。あなたのそれは美徳を通り越してもはや悪癖だ」
「そんなこと……!」
続く言葉が出てこない。
バーナビーとは対等な恋人でいようと、対等でいたいと接してきたつもりだった。たとえ根っこにはスターとその他大勢、ステージに立つ側と客席側、そんな意識があったとしても。
ラインマーによる運の操作、その仕掛けを知ってしまってからはハリボテの威勢すら保たなくなってしまった。自分が知らず知らずのうちに履かされていたのはガラスの靴ではなく、高下駄だった。すべて打ち明けた今でも名前はそう思っている。
「……この数ヶ月、本当に僕は理想の恋人でしたか? 黙ってヒーローになったからって無視し続けるような男が? 忙しさにかまけてデートの時間すら作れないような男が? あなたの様子がおかしいことに気付いていながら、何もできなかった無力な男が」
「私がそうさせたんでしょう。この話はやめよう、惨めな気分になる」
「やめません。僕を見てください。ヒーローアカデミー生でもない、プロヒーローでもない、ただの僕を見て」
テーブルの上に投げ出された女の右手を、バーナビーがそっと包み込む。その仕草がもう一度引き合わされた夜と重なって、どきりとした。
そんな名前の内情を知ってか知らずか、バーナビーは彼女の顔を覗き込む。レンズの向こうのエメラルドが放つ光が真摯に降り注ぐ。
何度も向かい合ってきたはずなのに、初めての感覚だった。力強いグリーンを縁取る豊かなまつ毛、その一本一本はきっと神様が精巧に作ったのだろうと思った。この光を閉じ込めておくために。そうでなければ、彼の瞳はあまりにも眩しすぎる。
ずっと知っていたようで知らなかった目だ。きっと見ていたつもりでも、目を背けていた何かが込められている。
重なり合っていない方の左手を伸ばした。首筋から顎の輪郭、耳の形までをそっとなぞりあげる。その感触に、名前は自分の口角が自然と持ち上がるのを感じた。
「あなた、そんな顔をしていたのね」
「……どんな顔に見えますか」
「かわいい顔。とっても」
名前が落ち着いた頃合いで、かわいい恋人も普段の聡明さを取り戻していた。それにしても、の一言で話題を目下の状況に切り替える。
「どうやって彼が黒幕だと辿り着いたんですか?」
名前もはっとなって、思考のスイッチが仕事に切り替わる。花の香りのお茶で喉を湿らせてから口火を切った。
「ジャンマルコは私がウォッチドッグだって気付いていなかった。だからヒーロー関係者は除外できる」
思い返せば、彼は「アッバス刑務所の」と話しかけてきた。バーナビーの記事も見出しは「一般女性」との同棲疑惑だと。もし自分の正体を知っているのなら、ヒーロー同士の熱愛と報じた方が注目度は段違いのはずだ。ジャンマルコの言う仕事仲間に、ヒーロー関係者は意図されていない。
「次に怪しいと思ったのは、ミルキーウェイの情報統制。さっさと市民に注意喚起でも出せばいいのに、警察内でしか話が出回っていなかった」
現に、ドラッグ服用者の対応にあたるヒーローにすら情報が伝わっていなかった。バーナビーも初耳だったようだ。
「爆発的な流行からしても、間違いなく強大な権力が絡んでる。極め付けは、アッバス刑務所にまでミルキーウェイが持ち込まれてた」
権力との繋がり、閉鎖的な刑務所内でのドラッグ流通。叶えられるのは一人しか浮かばなかった。ラインマー所長がシュテルンビルトを離れている間にミルキーウェイが世間を惑わせたのも、彼の運によるものかもしれない。
「状況証拠しかないんだよ、でも所長しかあり得ない」
「でも自分がやったと認めているんですよね?」
「私の前ではね。その自白だけで引っ張ってこれないと思うよ。所長はたぶん、敵対すらしてくれない」
法で裁けない悪事。ヒーローとしても刑務官としても、今の名前には手が出せない。
「ま、もうちょっと足掻いてみるよ」
「どんなに小さなことでも教えてください。あなたの秘密主義はもう懲り懲りだ」
「そんなんじゃないって。でも今回で結構懲りました」
「心臓に悪いんですよ。大体ね、前からあなたは」
「はいはいはい! 一個ずつ聞くから!」
名前は立ち上がり、空になった二人分の皿を重ねた。洗い物のためにキッチンに向かおうとする背中に、バーナビーは声を掛けた。
「虎徹さん直伝チャーハン、どうでした?」
名前は皿を持ったまま、数秒動きを止めた。暫しの逡巡ののち、少女っぽく歯を見せて笑った。
「お米は炊き立てのを使わない方がいいらしいよ」
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