Love me, love my dog.
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見覚えのない女だった。
セミロングの髪とワンピースの裾を揺らしながら、ワイルドタイガーとバーナビーに粘着質な笑みを浮かべている。服の赤が鮮烈に眩しく、まるで燃えているようだった。
両拳にはふよふよと無色透明の液体を纏っている。バーナビーの指摘が正しければ、その正体はガソリンだ。
「立ちなさいよ、ウォッチドッグ」
「言われなくても」
一度だけ大きく咳き込んだかと思うと、生垣に身体を預けていたウォッチドッグが立ち上がる。しっかりした足取りでタイガーアンドバーナビーと並ぶ。
「バーナビー、みんなの避難誘導頼んでいい?」
「大丈夫なんですか。モロに食らったでしょう」
「あとアニエスに連絡しておいて。あなたの飼い犬が華麗な逮捕劇をお届けしますって」
バーナビーは小さく鼻で笑う。
「妬けるな、いつから彼女の犬になったんです?」
「昨日。スペアリブ奢ってもらったの」
「それはそれは」
「お前ら、俺のこと忘れてない?」
「忘れるわけないでしょう。タイガーさんには別でお願いしたいことがあって」
「いいのか、お前一人で」
「大丈夫ですよ。彼女の狙いは私です」
ドッグはタイガーに「お願いしたいこと」を耳打ちした後、不敵に笑った。ワイルドタイガーはその顔を見て大きく頷き、「お願い」のため、回れ右をして走り出した。バーナビーも「こっちです! 焦らず、前の人に続いて!」とツアー客を大きな建物の中へ誘導し始める。
こうして、残されたのはウォッチドッグと襲撃者の二人だけになった。女の拳から垂れ流しになっているガソリンが、地面にいくつものシミを作る。
「さっきの、あんたの男?」
「まさか。ただの同僚」
「ふうん。じゃああいつらも後で燃やし尽くしておかなくちゃねえ」
地面を蹴ったのは、ウォッチドッグの方だった。正面から突っ込むと、女は両腕を構えて攻撃に備えようとする。ドッグから見て手前に出ているその拳を、容赦なく掴んだ。独特の刺激臭が堰を切ったように漏れ出す。
「私が生み出すのはただのガソリンじゃない、特別性なの。匂いの強弱も引火点も燃焼範囲も思いのまま!」
「それもうガソリンじゃなくない?」
襲撃犯は捕らわれていない方の手をポケットに入れた。カチン、と弾くような音が鳴ったかと思うと、ウォッチドッグの手が、腹が、ヒーロースーツの至る箇所から火が燃え盛る。ポケットの中に忍ばせていたのはライターだった。
「ッチ、」
「あでぇ゛!?」
燃え続ける身体を意にも介さず、ウォッチドッグは掴んだ手を離さなかった。
女の拳を開くように握りなおし、そのまま外側へ大きくひねる。手首がぐりん、と嫌な方向に曲がった。
「痛゛い痛゛い痛゛い痛゛い!!!」
その小さな動きだけで、女は耐えきれず自ら地面に崩れ落ちた。彼女の足元には、自らの力で生み出した「特別性」のガソリンが延焼を続けている。
「斎藤さんは天才だね。お腹以外全然熱くないや」
「熱゛い熱゛い熱゛い熱゛いいいい」
「炎熱系のNEXTじゃないから、やっぱり火は効くんだ」
土下座をするように這いつくばる襲撃者の顔を地面に擦り付けながら、ドッグは尚も捻りあげる手を緩めようとしない。「あっ」と何かを思いつくと、女の丸まった背に遠慮なく腰を降ろした。女の上体が更に一段階がくんと崩れる。
「手首をこうされると痛みで動けないでしょう。人体はこう曲がるようにはできていないのよ。その手のNEXTでもない限りね」
椅子になった女は、言葉にならない悲鳴を上げるばかりだった。熱で喉が焼けたのか痛みからか、その声はすっかりしゃがれている。
「あなたが私を倒すには、最初の不意打ちで仕留めるべきだった。にしてもアニエスに連絡頼んだのは失敗だったな、カメラが到着する前に片付けるなって怒られちゃう」
だよね、ドロシア・アディントンさん?
番犬は椅子の顔を覗き込む。その目は形ばかりの笑みに象られている。
襲撃予告が届いた時点で、名前は送り主の候補をある程度絞っていた。自分に強い怨恨を抱いていそうな人物。その候補の一人が、ハロルド・アディントンの妻、ドロシアだった。
彼らの手口は妻がガソリンをばら撒き、夫が着火する。放火と強盗を繰り返して夫婦で指名手配をされており、ウォッチドッグの初陣で逮捕されたのは夫のハロルドだけだった。そういえば凶悪な放火魔NEXTにしては炎の威力が弱かったな、と振り返る。妻の能力あってこそ、二人で一人の放火魔だったのだ。実に迷惑な話。
「私が捕まえてる以上、もうガソリンは出せないし諦めた方が楽になるよ」
ウォッチドッグは最早言葉を発しなくなった人間椅子の上で、脚を組み直した。元凶は確保したものの、辺りは火の海に包まれている。囚人たちが管理している花壇の花がカラカラに焼き崩れるのが見えて、「ああ……」と思わず片手で顔を覆った。
「ドッグー! こんだけありゃ充分だろ!」
「助かります、タイガーさん!」
声が飛んできた方には、多くの看守を連れたワイルドタイガーがいた。彼を筆頭に、みんな消化器を抱えている。ドッグの頼み通り、刑務所内の片っ端から消化器と人の手を集めてきたのだ。
「今私手が離せないので、初期消火頼みましたー!」
「オウ! いくぞお前ら!」
「「はいっ!」」
息のあった消火活動を眺めながら、早くパトカー到着しないかな、とひと息入れたそのときだった。
太陽が陰り、目を細めた瞬間。ウォッチドッグは反射的に立ち上がり、弾かれたように距離を取る。瞬時に理解できない光景が視界を支配した。
コンマ数秒前までいた場所、つまりドロシア・アディントンは青い炎に灼き尽くされていた。
咄嗟に上を見上げれば、一等高い建物の屋上に奇妙な人影があった。白銀のマントがたなびく。見開いた目は、貼り付けられた仮面の顔に過ぎない。
その両眼から青い炎が吹き出したのと同時に、ウォッチドッグとワイルドタイガーは地面を大きく蹴っていた。もう一人の襲撃者が立っているのと同じ屋根に降り立つと、改めて対峙した。
「ルナティック……」
「ヒーローなど幾ら増えても同じこと。救うことも裁くこともできない」
「救うのはともかく、裁くのは法律の役目。人間が制度になれるわけがない」
「ならば問おう。貴様の正義とは何だ」
ルナティックは炎を纏ったボウガンを構えたまま、ワイルドタイガーとウォッチドッグはいつでも動ける体勢のまま、じりじりと相手の動きを見定める。
「正義に正解なんてない。ただ、平和の中にしか正解がないってだけ」
「生温い。所詮はその程度か」
「オイッ! 待て!」
ルナティックの目的、連続放火魔の片割れの抹殺は達成された。追って来ようとするヒーローたちに青い炎の矢を向けると、そのまま両手から炎を噴射し、飛んでいってしまった。
「また逃げられたッ」
ドッグは屋根の上から地上を見下ろした。ドロシアによる放火は収まっているにも関わらず、彼女を覆い尽くす青い炎は延々と燃え盛っている。タイガーが引き連れた看守たちや、合流したバーナビーが懸命にその炎を消そうと奮闘しているがきっと徒労に終わるだろう。
「タイガーさん、私あいつ嫌いです」
「ああ。いくら犯罪者相手でも、命を奪っていいわけがない」
ルナティックの存在はヒーローになる前から当然知っていた。死刑制度のないシュテルンビルトでは、彼を必要悪だと支持する市民も一定数いるらしい。「タナトスの声を聞け!」、まさに死神の呼び声だ。
「死ねとか殺すとか、冗談でも人間が口にするべき言葉じゃない」
「甘いでしょうか」と足元を見て呟いた。
パトカーと消防車のサイレンが重なり合って聞こえてくる。囚人たちの花壇が焼き尽くされたとき以上に、やり場のない感情が名前の胸に込み上げた。
セミロングの髪とワンピースの裾を揺らしながら、ワイルドタイガーとバーナビーに粘着質な笑みを浮かべている。服の赤が鮮烈に眩しく、まるで燃えているようだった。
両拳にはふよふよと無色透明の液体を纏っている。バーナビーの指摘が正しければ、その正体はガソリンだ。
「立ちなさいよ、ウォッチドッグ」
「言われなくても」
一度だけ大きく咳き込んだかと思うと、生垣に身体を預けていたウォッチドッグが立ち上がる。しっかりした足取りでタイガーアンドバーナビーと並ぶ。
「バーナビー、みんなの避難誘導頼んでいい?」
「大丈夫なんですか。モロに食らったでしょう」
「あとアニエスに連絡しておいて。あなたの飼い犬が華麗な逮捕劇をお届けしますって」
バーナビーは小さく鼻で笑う。
「妬けるな、いつから彼女の犬になったんです?」
「昨日。スペアリブ奢ってもらったの」
「それはそれは」
「お前ら、俺のこと忘れてない?」
「忘れるわけないでしょう。タイガーさんには別でお願いしたいことがあって」
「いいのか、お前一人で」
「大丈夫ですよ。彼女の狙いは私です」
ドッグはタイガーに「お願いしたいこと」を耳打ちした後、不敵に笑った。ワイルドタイガーはその顔を見て大きく頷き、「お願い」のため、回れ右をして走り出した。バーナビーも「こっちです! 焦らず、前の人に続いて!」とツアー客を大きな建物の中へ誘導し始める。
こうして、残されたのはウォッチドッグと襲撃者の二人だけになった。女の拳から垂れ流しになっているガソリンが、地面にいくつものシミを作る。
「さっきの、あんたの男?」
「まさか。ただの同僚」
「ふうん。じゃああいつらも後で燃やし尽くしておかなくちゃねえ」
地面を蹴ったのは、ウォッチドッグの方だった。正面から突っ込むと、女は両腕を構えて攻撃に備えようとする。ドッグから見て手前に出ているその拳を、容赦なく掴んだ。独特の刺激臭が堰を切ったように漏れ出す。
「私が生み出すのはただのガソリンじゃない、特別性なの。匂いの強弱も引火点も燃焼範囲も思いのまま!」
「それもうガソリンじゃなくない?」
襲撃犯は捕らわれていない方の手をポケットに入れた。カチン、と弾くような音が鳴ったかと思うと、ウォッチドッグの手が、腹が、ヒーロースーツの至る箇所から火が燃え盛る。ポケットの中に忍ばせていたのはライターだった。
「ッチ、」
「あでぇ゛!?」
燃え続ける身体を意にも介さず、ウォッチドッグは掴んだ手を離さなかった。
女の拳を開くように握りなおし、そのまま外側へ大きくひねる。手首がぐりん、と嫌な方向に曲がった。
「痛゛い痛゛い痛゛い痛゛い!!!」
その小さな動きだけで、女は耐えきれず自ら地面に崩れ落ちた。彼女の足元には、自らの力で生み出した「特別性」のガソリンが延焼を続けている。
「斎藤さんは天才だね。お腹以外全然熱くないや」
「熱゛い熱゛い熱゛い熱゛いいいい」
「炎熱系のNEXTじゃないから、やっぱり火は効くんだ」
土下座をするように這いつくばる襲撃者の顔を地面に擦り付けながら、ドッグは尚も捻りあげる手を緩めようとしない。「あっ」と何かを思いつくと、女の丸まった背に遠慮なく腰を降ろした。女の上体が更に一段階がくんと崩れる。
「手首をこうされると痛みで動けないでしょう。人体はこう曲がるようにはできていないのよ。その手のNEXTでもない限りね」
椅子になった女は、言葉にならない悲鳴を上げるばかりだった。熱で喉が焼けたのか痛みからか、その声はすっかりしゃがれている。
「あなたが私を倒すには、最初の不意打ちで仕留めるべきだった。にしてもアニエスに連絡頼んだのは失敗だったな、カメラが到着する前に片付けるなって怒られちゃう」
だよね、ドロシア・アディントンさん?
番犬は椅子の顔を覗き込む。その目は形ばかりの笑みに象られている。
襲撃予告が届いた時点で、名前は送り主の候補をある程度絞っていた。自分に強い怨恨を抱いていそうな人物。その候補の一人が、ハロルド・アディントンの妻、ドロシアだった。
彼らの手口は妻がガソリンをばら撒き、夫が着火する。放火と強盗を繰り返して夫婦で指名手配をされており、ウォッチドッグの初陣で逮捕されたのは夫のハロルドだけだった。そういえば凶悪な放火魔NEXTにしては炎の威力が弱かったな、と振り返る。妻の能力あってこそ、二人で一人の放火魔だったのだ。実に迷惑な話。
「私が捕まえてる以上、もうガソリンは出せないし諦めた方が楽になるよ」
ウォッチドッグは最早言葉を発しなくなった人間椅子の上で、脚を組み直した。元凶は確保したものの、辺りは火の海に包まれている。囚人たちが管理している花壇の花がカラカラに焼き崩れるのが見えて、「ああ……」と思わず片手で顔を覆った。
「ドッグー! こんだけありゃ充分だろ!」
「助かります、タイガーさん!」
声が飛んできた方には、多くの看守を連れたワイルドタイガーがいた。彼を筆頭に、みんな消化器を抱えている。ドッグの頼み通り、刑務所内の片っ端から消化器と人の手を集めてきたのだ。
「今私手が離せないので、初期消火頼みましたー!」
「オウ! いくぞお前ら!」
「「はいっ!」」
息のあった消火活動を眺めながら、早くパトカー到着しないかな、とひと息入れたそのときだった。
太陽が陰り、目を細めた瞬間。ウォッチドッグは反射的に立ち上がり、弾かれたように距離を取る。瞬時に理解できない光景が視界を支配した。
コンマ数秒前までいた場所、つまりドロシア・アディントンは青い炎に灼き尽くされていた。
咄嗟に上を見上げれば、一等高い建物の屋上に奇妙な人影があった。白銀のマントがたなびく。見開いた目は、貼り付けられた仮面の顔に過ぎない。
その両眼から青い炎が吹き出したのと同時に、ウォッチドッグとワイルドタイガーは地面を大きく蹴っていた。もう一人の襲撃者が立っているのと同じ屋根に降り立つと、改めて対峙した。
「ルナティック……」
「ヒーローなど幾ら増えても同じこと。救うことも裁くこともできない」
「救うのはともかく、裁くのは法律の役目。人間が制度になれるわけがない」
「ならば問おう。貴様の正義とは何だ」
ルナティックは炎を纏ったボウガンを構えたまま、ワイルドタイガーとウォッチドッグはいつでも動ける体勢のまま、じりじりと相手の動きを見定める。
「正義に正解なんてない。ただ、平和の中にしか正解がないってだけ」
「生温い。所詮はその程度か」
「オイッ! 待て!」
ルナティックの目的、連続放火魔の片割れの抹殺は達成された。追って来ようとするヒーローたちに青い炎の矢を向けると、そのまま両手から炎を噴射し、飛んでいってしまった。
「また逃げられたッ」
ドッグは屋根の上から地上を見下ろした。ドロシアによる放火は収まっているにも関わらず、彼女を覆い尽くす青い炎は延々と燃え盛っている。タイガーが引き連れた看守たちや、合流したバーナビーが懸命にその炎を消そうと奮闘しているがきっと徒労に終わるだろう。
「タイガーさん、私あいつ嫌いです」
「ああ。いくら犯罪者相手でも、命を奪っていいわけがない」
ルナティックの存在はヒーローになる前から当然知っていた。死刑制度のないシュテルンビルトでは、彼を必要悪だと支持する市民も一定数いるらしい。「タナトスの声を聞け!」、まさに死神の呼び声だ。
「死ねとか殺すとか、冗談でも人間が口にするべき言葉じゃない」
「甘いでしょうか」と足元を見て呟いた。
パトカーと消防車のサイレンが重なり合って聞こえてくる。囚人たちの花壇が焼き尽くされたとき以上に、やり場のない感情が名前の胸に込み上げた。